紛失物の探し方 2-2
若宮先輩は、目的地到着を間近に控えて、タブレット端末をしばらく操作していた。それが終わると、魔除けアイテムをフラワーホールの校章と取り換える。
それは、校章と同じくらいの大きさで六角形でありカラフルであることはわかった。
若宮先輩は六角形の向きを整えると、目的地のドア、中学生徒会本部のドアを叩いた。しかし、外が明るいからわかりにくいが、室内の電気はついていない。返答がないし、まだ誰も来ていないのだろう。
「これは困った。出直すべきだろうか」
「どうなんでしょう」
「何か用ですか?」
この声の問いかけに身体が固まった。
「やあ。話があるのだが、時間は平気かい?」
「何の御用ですか?」
若宮先輩が片手をあげて対応する相手は、予想通り、初めてここを訪れたときにも見た目つきの怖い先輩だった。彼はろくに注目することなく、生徒会本部の部屋の鍵を開けて入室した。若宮先輩はドアが閉まる動きを焦ることなく足で止める。
「失礼。少し話があるだけさ」
「……忙しいんですけど」
「そう言わずに。少しだけさ。ところで、君はこの少年を覚えているかな?」
廊下で待機しようとしていると若宮先輩に腕を引かれた。神谷先輩の鋭い視線に背筋が伸びる。
「ええ。昨日あたりに生徒会にきましたね。生徒手帳がどうとか」
視線が外れ、胸をなでおろす。神谷先輩は興味無さそうに仕事の準備を進めている。
「ええ。存じています」
「あの、なんですか? 自分、忙しいんですけど」
「ああ、それはすまない。どうやら君も私も、さっさと済ませたいようだね。それなら単刀直入に言おう。日野少年になぜ自分が彼の生徒手帳を盗んだのか説明してやってくれないか?」
室内を沈黙が支配する。
若宮先輩に視線が集中する。
「何言ってるんですか? そんな妄言に付き合ってる暇ないです。帰ってもらえます?」
椅子から立ち上がると、神谷先輩はもともと悪い目つきをさらに悪くさせて、若宮先輩横をすり抜け、扉を開けて退出を促す。だが、若宮先輩はそんなことではひるまないらしい。呟くように、しかし、確かに言葉を紡いだ。
「本当に違うのか?」
「何を考えているか知りませんけど、勘違いだと思います。自分は関係ありません」
「早く済ませたい割には、君は最善策を拒むのかい?」
神谷先輩は沈黙した。そのとき、廊下から
「やっぱいた! 神谷、先週の……」
ボタンホールに生徒会役員であることを示すバッチを付けた男子生徒がやってきた。廊下からみると不自然に開いていた扉の陰から顔を覗かせ、部屋の中の状況を認識して声量を下げていった。
「ごめん、今日中なら後でいいや」
「先週の議事録なら共有したけど」
「それが見れなくて……」
「マジ?」
「お急ぎでしたらお先にどうぞ」
若宮先輩が一歩引いた直後、廊下から
「先輩、見れました」
と、長身の男子生徒が顔を出した。
「は?」
神谷先輩はすぐ隣の役員をにらんだ。
「ごめんなさい」
「不信任案可決されとけ」
「お取り込み中、すみませんでした」
二人の闖入者が去ると、この空間にいるのは若宮先輩、神谷先輩、僕の三人に戻った。
「話を戻そうか。当然、私は推測を述べるよ。君の動機はわからないが、その他の推測は正確だと思うものがあるんだ。どうだろう。仕事前に一つ、聞いてみないか?」
「断ったらどうするんです?」
「別のアイディアを採用する」
若宮先輩の提案に、神谷先輩は挑戦的な視線と共に返事する。
「妄想でも推測でもどうぞ。手短にしていただけると助かりますけど」
「無論、そのつもりさ」
こうして、若宮先輩は推測を語りはじめた。
「昨年度の半ば、IT教育に導入するための3Dプリンターを生徒会が管理しているだろう? 設計したデザインを専用のアプリが読み取り、プリンターをコントロールする。普通の印刷機とやり方は変わらない。ただ、このとき、使用者のデータが残される」
神谷先輩が若宮先輩の発言に少しだけ反応したように見えた。若宮先輩は突然振りむくと、タブレットを神谷先輩に見せつけながら「そして、これがこのデータだ」と続けた。おそらく、見せているのは部室で見せてくださったあの表だろう。
「ど、うやって」
「教師に頼んだところで無駄だからな。ツテに頼んだのさ」
若宮先輩は何でもないようにおっしゃるが、神谷先輩の様子からはそう思えない。
――2月19日/17:37/000013テツケン/01,1.4h,red,green,black
3月22日/18:49/000014セイトカイ/01,325s,blue
3月22日/18:50/000015セイトカイ/02,325s,green
4月10日/15:50/000016ロボパーツ/01,3.0h,blue
4月10日/15:51/000017ロボパーツ/02,2.0h,blue
4月10日/15:54/000018ロボパーツ/03,2.0h,blue――
もう一度、神谷先輩を見てみると机に腰掛けて口を固く結び黙り込んでいる。若宮先輩は僕の混乱に近い思考も神谷先輩の動揺も無視して話を続けた。
「生徒会役員であっても春休み中の完全下校は一九時。下校ギリギリの時間に起動させたのは人目を気にしたんだろう? 授業で3Dプリンターが使用されていない現状、専らの私用車は鉄道研究会かIT研究会が大会に出す作品のパーツを作るときくらいだからな。そして、生徒会が公に使ったのは、最初の一度のみだったはずだ。では、なぜ二種類分のデータが生徒会によって印刷されたことが記録に残されているのか。
それは、そのとき作られたものが教えてくれる。
三二五秒、およそ六分半で作れるものの大きさなんてたかが知れている。例えば、手のひらに収まり……」
若宮先輩は、マジックのようにぱっと緑色と青色の丸いものを手からのぞかせてみせた。
「少し形が複雑な、このような」
若宮先輩は、ブレザーの右ポケットに突っ込んだ神谷先輩の手首を掴んで引き出させた。
その手には、鍵を施錠したりするときに握る部分が同じように丸い形をした青と緑の鍵があった。神谷先輩が力を抜いたからか、こつんこつんと音を立てて机の上に落ちた。
「ちなみに、これはただの折り紙さ。全く同じものをつくるのは、時間と資源の無駄だったから。おおかた、処分の方法がわからなくて困っていたんだろう。こんなプラスチック、砕いたり熱で溶かしたりすればよかったものを」
神谷先輩はうつむいた状態で言葉を紡いだ。
「今朝、この部屋で落ちているのを見つけたんです。同じデザインだと思っ――」
「あ、そういえば」
若宮先輩はわざとらしく神谷先輩の言葉を止めると、僕を指名した。
「彼のクラスと担任はわかるかい?」
「……一年四組、梛木先生です」
「そこまでわかっていて、彼に直接見つけた手帳を手渡さなかったのはなぜかな?」
「教室にいなかったからです」
「それなら、四組の生徒か担任の梛木に渡せばよかっただろう」
「それは」
「あ、そういえば」
わざとらしい前置きに神谷先輩は口を閉じた。なんだかこちらまで緊張してきた。
「なぜ、君は日野くんのクラスを知っているのかな?」
「そう聞いたからです」
「誰から?」
「……書記の白瀬から」
「へーぇ、彼女から。本当に? 君は白瀬嬢に聞く前から知っていたんじゃないのかい? 日野少年の話では彼女に伝えたのは名前だけだという話だが?」
いや、違う。
僕は白瀬先輩に学年と一緒にクラスも四だと伝えた。しかし、この時点で神谷先輩は生徒会室から出ていたから本当はどうなのか知らない。
これは、揺さぶりだ。
神谷先輩は、わざとらしく、しつこい追及にしびれを切らし始めている。
「落とし物として届いたんです。そのときに」
「生徒手帳の最後のページにある個人情報記入欄を見たのかい?」
「はい」
神谷先輩の返答に、不敵な笑みを浮かべた。
背筋がすっとする感覚。しかし、手は熱い。
「それはおかしいんだよ」
神谷先輩の目がさらに険しくなる。
若宮先輩は僕にだけ聞こえるような大きさの小声で「自分の生徒手帳を彼に」と指示した。
僕は視線の威圧に耐えつつ、なるべく腕を伸ばしてポケットから取り出したモノを神谷先輩に渡した。
「自身の目で確かめれば良い。君がその生徒手帳から彼のクラスを知ることはできない」
神谷先輩は僕の生徒手帳を戸惑いがちにパラパラとめくっていく。次の瞬間、それまで何とか平静(ただ目つきが悪かっただけかもしれない)を保っていた神谷先輩が瞠目した。
些末なことのように、若宮先輩が告げる。
「書いていないのだからね」
すると、神谷先輩は机に軽く腰掛けて苦笑する。
「部活紹介の前にちゃんと記入しておくよう先生にアナウンスしてほしいって、伝えたんですけどね」
――配るもの多いけど、ちゃんと名前書いてねー。あ、生徒手帳の後ろの方にも名前とクラス、血液型とか書くところあるから、必ず書いて。なるべく今の時間にね――
「あ」
「いや、担任はちゃんと言ったはずさ。ただ、この子、自分の興味のない話は聞かないよ。そういう遺伝子」
知り合って間もない先輩に想定外の評価が下される。もう少し真面目に生きねば。
うつむく神谷先輩に若宮先輩はたたみかける。
「今年度の新入生は全クラス合わせて八六名。君はその中からピックアップしたのではないか? ある条件を満たしている生徒を。部活紹介では自由席としていたが、さすがに入学式当日。他クラスに友人ができているなんてほとんどあり得ない。そして、混雑を避けるためにクラスごとに時間差をつけて移動したはずだから、席はクラスごとと読める。あとは、ターゲットの生徒がどのクラスに何人いるか把握する。
決行時は、体育の時間。慣れていない一年生をいたわって一学期のうちは教室で着替えるようになっているから。二組が男子、四組が女子って具合にね。ターゲットは男子のみ。昨日は生徒会の仕ことだ、とかって言って、誰にも気づかれないタイミングで二組の教室に忍び込み、目当ての物の写真を撮る。
日野少年のそれを持ち出してしまったのは焦りからのミス。何らかの想定外があったんだろうね。既に席替えしていて探すのに手間取った、とかね。一年二組の担任は席替え大好きだから」
――橘 悠衣子――
今朝二組の教室へ訪問したとき対応してくれた女の子の名札が不意に頭に浮かぶ。出席番号順では「た」の方は教室内から見て右角の席にはなり得ないと、ようやく気が付いた。
同時に、山本君が言っていた「ちょっと怖めの、三年生」が神谷先輩のことだったのかと合点した。
「まだ入学間もない彼らが意味もなく大きく席を移動して着替えるとは普通考えられない。基本的に自席、または、その付近で着替える。オリエンテーションで生徒手帳をブレザーのポケットに入れて管理することを推奨されていることから大体みんな入れている。まあ、そのオリエンテーションの草案をつくる生徒会に所属する君なら、時間短縮のために利用することを思いついたのだろう。用意周到にこんな鍵まで準備して、準備に時間をかけてまですることだったのかい?」
すると、神谷先輩はつぶやくように話し始めた。
「岩本さんが、人を探していると知りました」
ゆっくりと間が置かれ、話が続く。
「二ヶ月くらい前に見かけたと仰っていて……。細身で、背は高くなくて、中学生のネクタイが似合いそうだ、と。似合っているとは仰っていなかったので、中学生よりも年下で、ちょうど時期が」
「二月の中学入試を受けに来た小学六年生だと読んだのか。ふむ、悪くない」
「なぜそこまでして」
思わず神谷先輩にそう尋ねた。
智博が言うところの、対価が釣り合っていない状況だと感じた。労力と結果が明らかに釣り合っていない。
「……悲しそうな顔を、させたから」
――「じゃ、ありが」
「加藤! ……っ、若宮先輩。アイカの件、なんか言ってた?」
「ごめん。あの人、気まぐれだから」
「……そっか」――
頭に浮かんだのは、先日の先輩方の会話だった。このときも、岩本先輩は悲しそうな顔をしていた。
小さなため息をつくと、若宮先輩は数秒の沈黙の後、うなだれる彼に語り掛けた。
「裏で動くのではなく、直接聞いてみることを勧めるよ。彼は、ちゃんと真剣に聞けば教えてくれるだろうから。それに……」
続きを待っていると、若宮先輩ははっとして目を閉じた。唇をかみしめている。
「わかったかい?」
「は、はい。あ、あの……すみませんでした」
何こともなかったかのように装う若宮先輩に、神谷先輩は戸惑いながらも頭を下げた。若宮先輩は部屋に静置されてるいくつものトロフィーに注意を向け、目を背けた。
「さあ、戻ろうか」
神谷先輩から生徒手帳を受け取り、謝罪に一礼し、暇を告げた。
調査技術研究会の部室に荷物を置いてきてしまっていたため、若宮先輩の後ろをついていった。その間、ずっと無言で居心地が悪かった。
生徒会室にて、先輩の「それに……」の後に続くはずだった言葉は気になる。しかし、言わなかった。何らかの理由がある。しかし興味本位で荒らしていいエリアではないことは、声色からわかった。
これ以上、余計なことを考えないように先輩の大きな歩幅を駆け足で追いかけることに終始した。
帰宅しようとエントランスに向かうと、ちょうど茶髪が視界に入った。
声をかけると、小走りでやってきた。
「何していたの?」
「あのね、お友達とお話してたの」
「そっか」
合流した妹とそのまま帰路につく。
「まさは部活はいるの?」
「さあ、どうだろうね」
「そっかぁ。あのね、冬城くんがね。まさを誘ったけど、あそこまでのポテンシャルは想定外だったんだって」
「うるさい。運動音痴で何が悪い」
「ケガには気をつけてね」
「はいはい。で、なんでそんな話するわけ?」
「冬城くんがいろいろなお話してくれてね、とっても楽しそうだったの」
「じゃあ、バスケ部のマネージャーやったりするの?」
「なにをするの?」
「部員のサポートとか、あまり目立たないけど、大切な役割をこなすの」
柔らかな表情を固めて黙り込む。そんな彼女の頭に軽く手を乗せた。
「大丈夫。少し前向くくらい、もう誰も文句言わないよ」
「……そうだといいな」
この調子で妹の話に適当に返答した。ここまで嬉しそうに話す彼女は久しぶりだった。