紛失物の探し方 1-2
お昼のとき、赤嶺さんには少し困ったような微笑みとともに「そこまでは……すみません」と返されてしまったが、もう一度“検索”して確かめた。部活動の紹介冊子で「相談」が使われたのは一度のみ。
だから、こうして別館の多目的ルームEの前へ来たわけだ。
電気はついているから、すでに人はいるのだろう。なぜ入らないのか。それは、入れる度胸がないから入らない。それだけである。
あの冊子の記述によると、会員は三名とも高校生。
ほら、無理だ。
特にどうすることもなく部屋の前をうろつき始めて、もう五分は経過している。
室内の様子に耳を澄ませると、長い間隔の中にジーッという短い音がある。
……バンッ!!
突然、音の雰囲気が一変した。
無性に気になってきた。三回ジャンプをしてから、ほんの少しだけ扉を開ける。
そこには、学校内であることを忘れてしまうような空間が広がっていた。
制服姿の少年が一人机に向かって作業中だったらしい。ペン型の機械を机に置いてアメリカの特殊部隊が着けているようなゴーグルを外すと、小さく上がる黒い煙と机上の小さなモニターにため息をつく。卓上ライトの光が強く、白が目立っている。
妹の部屋を整理して机に乗せたら類似の設備だろうか。
「あら、中学生?」
「ひゃいっ」
右からの声に背筋が伸びた。
長髪を緩くサイドでまとめた穏やかそうな先輩がいらっしゃる。青いリボンを着用しているから、二年生。中学生のよりも落ち着いた色味だから、高校生だ。フラワーホールには、青い楕円形のバッチが輝く。校章ではないが、何かまではわからない。
「あら、驚かせてごめんなさい」
「あ、いえ、ええっと、その……」
「それは、パントマイム?」
「ぱん、と……?」
「とりあえず、話は中で聞いてもいいかしら?」
彼女は苦笑しながら多目的ルームEの扉を開けてくれた。ひとまず頭を下げ、後に続いた。
「あら。タクくん、もう来てたの」
「どうも、ルリさん。あ、ナオさんもいらっしゃいますよ」
「そうみたいね。悪いんだけど、お客さんがいるから場所を譲ってもらえるかしら?」
「あー、はい。少々お待ちください」
ゴーグルからしっかりとした紺色フレームの眼鏡にかけ替え、片づけを始めた。来客用のソファーには、頭からブランケットを被った先客がいる。
「席、好きなところに座って」
「えっ、あの、僕」
「悪いけど、見ての通りソファー使えないから」
「そ、そじゃ! オカナク!」
「え、何て?」
「落ち着いて話してほしいから、座ってもらえるかしら」
無表情な「タク」先輩のぶっきらぼうな言葉とティーカップとお茶うけを運んできた「ルリ」先輩の穏やかな笑みに促され、会議室にありそうな机の端に落ち着いた。
「良かったら、どうぞ」
「あっ、ありがとうございます」
「私は九条、彼は加藤。よろしくね」
「あっ、はいっ。日野です」
「それでは、わざわざこんなところまできた理由を教えてくれるかしら。迷子ではないでしょう?」
「は、いっ! あの、実は……」
僕はへどもどしながら今朝からお昼休みまでのことを話した。
「生徒手帳がなくなったのに気が付いたのは、お昼休み。朝以降は触れていない、と」
簡潔にまとめてくださった加藤先輩に感謝。
少し考えこむと、九条先輩は穏やかな笑顔をたたえた。
「大丈夫よ、日野くん。このお兄さんが探すの協力してくれるから」
「え、自分ですか?」
「これから定例会議なの。用事はこれだから、もう戻らないと」
「わかりましたよ」
いきなり指名され狼狽したらしかったが、ノートを掲げて困ったような笑顔を見せられては抵抗しきれないらしい。
加藤先輩は渋々と了承し、臨時で避難させた道具や材料を片付け始めた。
「あ。片付けるんで、待ってて」
「あっ、はい!」
「それじゃあ、失礼するわね。よろしくね、タクくん」
「わかりました」
「準備が不十分でごめんね、日野くん。すぐに見つかるといいんだけど」
「いえ、あの。ええ、はい、いえ。オカナクでございますです」
僕の意味不明な言葉に穏やかな笑みを残して暇を告げた。
お茶うけのクッキーはレシピを教えていただきたいほどおいしかった。また、紅茶は丁度良い温かさを保っていて、少し口に含むとすっきりとした深み、ストレートな甘みがある。
――高校2年1組九条、3組若宮
高校1年2組加藤――
あの部活紹介の冊子に書かれていた、「3組若宮」というのが、今、ソファーに横になっている先輩だろう。頭からブランケットをかぶってしまっているが、制服から男子とわかる。
微動だにしないが、生存なさっているのか。
と、疑問に思ったが、ジーィッという音を合図に紅茶を飲み干した。
「ええっと、日野くんだっけ? 行こうか」
「あ、はい。あの、どちらへ?」
「まずは生徒会本部。落とし物の管理してるから」
「あ、はい」
「まだ届いてなかったら無意味だけど」
「あ、はい」
そういうわけで、加藤先輩に連れられて中学生の教室が集合しているエリアへ向かった。中学一年生の教室が三階の端のほうにあるのだが、到着したのは一つ上の階の同じ辺りに位置する部屋だった。
ここが生徒会本部、目的地らしい。
さっそくノックして入室するのかと思ったが、壁に寄りかかったり、頭を抱えたりしている。加藤先輩の第一印象である無表情な人というのは気のせいだったようだ。
先ほどの僕も傍目からではなかなか不審人物だったのかもしれない。人の振り見て我が振り直せ、である。
そのとき、
「邪魔してごめん、それじゃあ」
と室内に告げながら片手にファイルを抱えた男子生徒が出てきた。ブレザーのフラワーホールには、九条先輩と類似した……部活紹介のときに進行を務めていた生徒会役員の方々もつけていた……バッチが光った。
扉のすぐそばで変なことをしていた加藤先輩と彼が視線を交わらせ、硬直。一応、すぐに我に返ったらしい。
「ヒサシブリ」
「ああ、うん。どうかした?」
「えーっと……ちょっと、聞きたいことがあって」
加藤先輩に視線を向けられ、その奥の先輩の視線も届く。
「ああ、落とし物? 確認ね」
一人で納得すると、また室内へ戻った。それを追いかけて加藤先輩が入室したので、僕もそのあとに続いた。
「これから会議あるんじゃ」
「平気、あと三〇分あるから」
「え? もう先輩行くって言ってたけど」
「それは、さすが九条先輩ってこと」
「あ、いや。別に、忙しいなら後ででも」
「会議の後は、柊先輩に話あるって言われてるからごめん。今なら間に合うから気にしないで」
そういいながらメタリックな薄いフレームの眼鏡をかけて机に置いたパソコンを開いた。
平常心がどこかへ一切吹き飛び、視覚、聴覚からの情報に呑まれていく。会話内容、先輩方の服装、容姿、持ち物からこの部屋の内装、細部に至るまで、ほぼタイムラグ無しで記憶の蓄積と“検索”が行われるが、歯止めがかからない。
三半規管が揺れる。
久しぶりの“暴走”に堪らずしゃがみこんだ。
「どうした?」
加藤先輩の声が歪んで聞こえる。説得力の無さはひとまず無視して、被りを振っておいた。
「ねえねえ、大丈夫?」
視線だけあげると、部活紹介のときに司会を務めていた水色のリボンを身に着けている先輩が、目の前にしゃがんでいた。名札には白瀬怜奈とある。
声が出せないものの、何も反応しないのは失礼だろう。一度、うなずいた。すると、白瀬先輩は僕の視線の先に両手に乗せた二つの飴を差し出した。
「普通の飴と変な飴、どっちがいい?」
どちらもいらないのだが。
「じゃあ、どっちもあげるね。ところで、何を落としたの?」
「生徒手帳」
「ありゃりゃ、そうですか」
僕に代わって加藤先輩が短く答える。白瀬先輩は僕の右手に飴を二つ握らせて「待っててね」と笑顔を残して部屋の奥で引き出しの中を確認していく。
「柊先輩の話って?」
加藤先輩が小声で切り出した。岩本先輩は「なんだろうね。会議終わったら来てって言われただけ」と、そっけなく答えた。
「そっか」
「うん」
どちらの先輩も詮索するつもりも、させるつもりもないようだ。先輩たちのやり取りを眺めていると、突然ブレザーをくいくい、とひかれた。
「ふぇあっ」
正体は白瀬先輩だった。
「氏名とクラスを教えて下されば見つかり次第、お届けしますよぉ?」
「あっ、はい! 日野真記です」
いつの間にか“暴走”は落ち着いていたから、勢い良く立ち上がれた。目線を合わせてくれていた白瀬先輩もあわせて立ち上がる。
「えぇっと、どんな字?」
「お日様の日に、野原の野。真偽の真に記す、です」
「ほーぅ。わかったよ、四〇パーセントくらいねぇ」
そんなにわかりにくい説明だっただろうか、と困惑していると岩本先輩がフォローしてくれた。
「白瀬さん、漢字不自由なことばらしてるよ」
「なにぬ?」
「ね、の。そっちにはなかった?」
「うん。まだ届いてなかったです。明日には届くんじゃないですかね」
「そっか、ありがとう」
岩本先輩はこちらを向き、申し訳なさそうに言う。
「そういうことなんだけど」
そのとき、背後のドアが開けられた。
明るい緑色のネクタイを緩く結んで軽く制服を着崩している男子生徒で、傾いた名札に神谷奏太とある。フラワーホールを見るに生徒会役員らしい。
目があった気がしたが、幸いすぐに逸らされた。視野に岩本先輩を捉えると、瞠目する。
「どうかしたんですか?」
「ちょっとデータもらいに来ただけだよ」
「そうっすか」
「うさぴょん先輩のアーティスティックなデータですよ。高校生の方でも評価高いみたいです。よかったですねぇ」
「おいこら、れい。その呼び方止めろっつってんだろ。それから、それに触んな」
「神谷くんのセンス、いつでも絶好調だよね」
「岩本先輩まで……」
白瀬先輩が窓辺から手に取った、カエルかクマかネコか――よくわからない生命体の置物を取り上げると元の位置に戻した。
「ここで作業?」
「いえ、いくつか教師たちに確認したいことがあるんで席外します」
「そっか」
神谷先輩は軽く一礼すると、部屋を出た。岩本先輩は彼を見送ると
「はい、頑張ってるから。カフェオレ、そこの自販機で買っておいで」
「さっすが、いわたん先輩! ありがたく頂戴いたすぞーい!」
一〇〇円玉を渡され勢いよく部屋を出て行った後輩を見送った。
「クラスは?」
「よ、四組です」
「中等部一年四組だね。見つかったら担任の、梛木先生かな。あの人に渡しておくから」
そこまで言うと、岩本先輩はパソコンを閉じてファイルとともに片手に持った。
「ありがとうございます、お願いします」
僕が深く頭を下げたときには既に加藤先輩はすでに扉に手をかけている。
「じゃ、ありが」
「加藤」
遮るように呼び止めたのはいいものの、岩本先輩は何か言おうとするが、それは声にならない。それを、何度か繰り返し、ようやく決心がついたのか。つぶやくようにこう尋ねた。
「若宮先輩。アイカの件、なんか言ってた?」
加藤先輩は、目を見開いて口を固く結んだ。恐れていたことが現実になったような表情だ。やがて精一杯の愛想笑いで答えた。
「ごめん。あの人、気まぐれだから」
「……そっか」
岩本先輩は笑顔なのに、そこからは、ネガティヴで複雑な感情が入り混じっているのが強く感じられ、何の話をしているのかわからない僕までも胸が締め付けられた。
「用件は終わり?」
「うん。ごめん、ありがとう。じゃ、頑張って」
加藤先輩は早口に告げている間に扉を開けて部屋の外に足を踏み出していた。
そういえば、生徒会会議があるからといなくなった「ルリ」先輩はいないから、中学と高校で活動場所が違うのだろうか。
岩本先輩から距離が生まれ、隣から小さく長い息遣いが聞こえてきた。
加藤先輩は眼鏡を外し目頭を押さえている。眼鏡をかけなおすと、フレームの内側に入ってきてしまった髪の毛を指に引っ掛けて出した。そのとき、長い髪で隠れていた耳がはっきり現れた。
ワイヤレスイヤホンをつけたままでよく普通に会話できるな、この人。耳が良いのだろうか。
「あ、あの」
「ん?」
「大丈夫、ですか?」
「ああ、うん」
加藤先輩はぎこちないはにかみを見せた。
「君こそ平気? さっき体調悪そうにしてたけど」
「あっ、の、いえ、大丈夫です」
「……信憑性マイナス」
何とか笑ってごまかしたら視線が遠のいたので安心して一息ついたが、
案外、言うことは言うらしい。
「話変わるけどさ。生徒手帳、落とした覚えは無いんだっけ?」
「あ、はい。すみません」
「基本的に校内でなくなったものは生徒会に投げとけば数日以内には返ってくるし、探す候補もないなら、もうできることないんだけど」
「あ、はい。そうなんですね」
加藤先輩のおっしゃる通り、もう講じるべき対策は尽きた。別館のあの部屋から荷物を回収して帰宅した。
加藤先輩によると、落とし物は数日以内には見つかるはずとのことだったが、どのようにしていつ落としたのかわからないから、生徒手帳が本当に見つかるのかと余計に不安が募った。だからといって何ができるわけでもなく、もやもやしたままなかなか寝付けなかった。