部活の先輩方
初対面では、真面目な生徒会の先輩または朗らかで優しい先輩と認識していた。しかし大抵、第一印象は実状とは異なるものだ。
「渡邊パイセンもやるときはやる御方ですよね。天使のツインテールとは……――ふっ、気が散ってシュートが一切入らなくなってしまった」
「お前マジでペアのこと考えろよ」
ゴール下。ナルシズムが漂うわりには残念なセリフの森園先輩、その隣で膝に両手をつきながら静かに怒気を含んだ声を投げる田村先輩。どうやらふたつのゴール間を往復しながら三回連続でシュートを決めればいいらしい。しばらく拝見しているが、森園先輩が連続で失敗しているために必ず二回目が決まらない。
「自分、少々あざとさが過ぎるのではないかと愚考します」
「しかしながら、こういうのもお好きでしょう?」
「……無論」
と、ハイタッチ。転がっていたボールを拾って再度チャレンジする。
アメリカのドラマにこういうワンシーンがいくつかありそうだった。が、水島キャプテンもしびれを切らしてきて「さっさと終わらせろー」と呼びかける。部活を終ろうにも、彼らのノルマが終わらなければ締められないそうだ。
「おふたりは、いつもこんな感じなんですか?」
「あー……ん-、あいつらは、まあね。でも、今年度は顕著だね」
田村先輩も疲れが出てきたのか、ゴールを外した。すると、水島先輩は立ち上がって「あいつら気が合うから」と言ってみせると勢いよくコートインして行き、森園先輩が放ったパスをカットしてそのまま彼らの進行方向とは反対を目指してネットを揺らした。
「三回ゴールじゃなくていいよ。俺から一点とれたら、おしまい!」
「うぇえ?!」
「待っ、まじで終われないやつじゃないっすか!」
「ほら。気が散ってる余裕も疲れてる暇もねえから。んじゃ、さっさと終わらせろよー」
水島先輩はそう言いながら放物線を描くようにボールを緩やかに放った。田村先輩と森園先輩は顔を見合わせると攻勢に出た。直後、廊下から足音が聞こえてきてそちらに視線を向けた。入ってきたのは渡邊先輩と柊先輩だった。渡邊先輩は制服姿の後輩さんたちのほうへ駆け足で行ってしまい、残った柊先輩と目が合った。片手を上げてあいさつされたので会釈を返した。
「田村と森園、まだ終わってねぇのはわかるけどさ。なんで水島まで混ざってんだ?」
「自分から一点とれたら終わりでいいとおっしゃってました」
「見てるのつまらなくなっただけだろ、あいつ」
柊先輩がため息混じりにつぶやくと、突然ブザーが鳴り響いた。あまりにも大きな音にビビり散らかしながら音源を確認すると電子点数版のそばで冷たい視線を三人に向ける渡邊先輩がいた。
「ふたりのは次回に加算。もう時間ねぇからお前ら着替えてこい」
柊先輩が告げると、水島先輩は持っていたボールをおとなしく渡邊先輩へ引き渡して、後輩ふたりとともに体育館を後にした。
「今、日野は……君も日野か」
「はい、日野です」
「なんだっけ、名前?」
「……日野ですけど」
「それは知ってる。下の、ファーストネームのほう」
「あっ、はい。日野です、日野真記です」
「じゃあ真記でいい?」
「あ、はい」
「妹さんのほう、一応、大丈夫そうだけど、様子見てあげてほしい。ごめん、見てなくて」
「いえ。あやが勝手に変なことしてたんだってくらいなら予想つきます。さっき聞けなかったので、何があったか教えてもらえますか?」
「変なっつーか……シュートしようとして、バックかかって真上に行って、見失って、立ってたら頭に直撃して、後ろによろけて、倒れたっぽい」
何をしてんだか。おとなしくマネージャー業務していればよかったものを。おおかた、何か思いついたものを試してみたくなったのだろうが自らの身体能力を計算に考慮していなかったのだろう。
「マジでごめん。いきなり呼び出したみたいになって」
「それについても問題ありません。図書室で本探してたり読んだりしてただけです。部活どこにもはいってないですし、今日は委員会の仕事もなかったので」
「そうなん? 部活やんねーの?」
「はい。どうしようかと迷っているうちに先に定期試験が来て、今に至ります」
「じゃあさ。バスケ、興味ない?」
「……智博から聞いてませんか?」
「仲いいのは知ってるけど」
「他には?」
思い当たる内容が見当たらないようで、柊先輩は小さく首をかしげた。「仲がいいのは否定しませんけど、あまり運動は得意じゃあなくて」と苦笑でごまかしておいた。
「そっか」
「いえ、あの……すみません」
「いや。気にしなくていいよ。どっか興味あるとこあんの?」
「そ、そうですね。ギターずっとやってて音楽も好きなので、軽音楽とかおもしろそうだなって思いますけど」
「見学は? 行った?」
「ひとりでいくのはなんだか、ちょっと」
「だったら、それこそ冬城でも誘ったら? 明日じゃなかったっけ、軽音の活動日」
「は、はい。……よくご存じですね」
「まあね」
話を切り上げるように柊先輩が立ち上がる。「たぶんあいつ断んないよ。もうすぐ着替え終わるだろうから、今日中に誘ったら?」と言い加えた。
「はい。考えておきます」
「やらねえやつじゃん、それ」
柊先輩に右手を差し伸べてもらって、立ち上がった。後ろをついて行って廊下に出ると、更衣室前で顔を赤くしている智博と妹がいた。その後ろでは篠原先輩と西元先輩がほほえましく温かい目で見守っていた。
「何ですか、あれ」
「平和の象徴」
「今日も平和ですね」
先輩は「ほんとな」と呆れ気味につぶやくと「日野、さっきの平気?」と呼びかけながら歩み寄った。当の妹は先輩に前髪をめくられながら手を振ってきたので振りかえしておいた。
「なんで危ないことするの?」
「ちょっと気になっちゃったの」
「何が」
「あのねっ、リングの直径が」
これ以上しゃべらせたら明日になっても止まらない。何かひらめいたものを試したくなったことだけわかったから十二分。そう思って妹の両ほほを軽くつねった。すると、言葉が止まって遠慮がちに見上げられた。
「まさ、怒ってる……?」
この問いの最適解は「全くもって怒ってないです」である。
「本当っ……?」
「呆れてるだけ」
「なんで?」
「なんでじゃないよ。僕らにボール持たせたら危ないでしょ」
「そうなの?」
「そうだよ。計算できたからってそのとおりにできるわけじゃないんだよ。それに、危なくなかったら、あや保健室行ってないよ」
「そっか!」
思ったより簡単に言いくるめられた。智博に何とも言えない視線を向けられていたが、気にしないことにする。多分、対応しきれない。その後なぜかバスケ部の終礼に参加することになったが、無事に妹を回収して帰路についた。
ボールとぶつかったらしい額の赤みはだいぶ引いている。痛みについて尋ねると「へーき!」と返された。続いて、ポケットからはみ出す布を引っ張り出してみながら尋ねた。
「このハンカチ、誰の?」
「あ! ひーらぎくんの!」
「ああ、柊先輩」
タイミングはあったのに返しそびれた……けれど、智博のじゃないならいいや。後日、返すとき一緒にあやまるのをわすれさせなければ大丈夫。
それよりも、明日どうするのか。まだ決められていない。
軽音部に興味はある。部活紹介にも活動内容としてソロやバンドを組んで演奏練習したり学内ライブを主催すると書かれていた。(誰かがバンドを組んでくれるかはともかく)ギターはアコギもエレキもそれなりに弾けるし人込みは苦手だけれどライブの空気感は嫌いじゃない。……入ってしまえばあとはなるようになる。それは予想つく。
だからこそだろうか。ため息が出る。
受理されなかった仮入部届を眺めながらどうしようか考える。兼部が許されていないわけではないから手続き上の問題はないし、罪悪感があるわけでもない。
我ながらせいいっぱいの勢いで提出したのだが、若宮先輩には通じなかった。〝二年前の名探偵〟を動かした自負があったし、その前後を含めて何度も活動教室に出入りさせてもらったり会話してもらえたりしていたから今更だめだといわれるとは思っていなかった。……動かせはしたけれど、根本の解決にはなっていなかったからだろうか。とはいえ、名探偵が解決できていないものに手を出すほど身の程を知らない人間ではない。
同じようなことが軽音部でされるとは思ってない。若宮先輩が特殊だと今までの言動から察している。ただ、馴染めるか否か……どうにかなるとは思っているが、あどにすに頼れば部活に入っていなくてもバンドで演奏はできるとわかっているからだ。せっかく部活に入ったのにこれまでとやっていることが変わらなかったら、部活に入ることが目的なっているも同然、本末転倒だ。
さて。悩んでいるうちに翌日、水曜日がやってきてしまった。正確にはもう授業はすべて終わってしまったためあとは帰るか行くか、二択を迫られている。今日行かなかったらこのままずるずると行かないままだというのは自分の性格的に把握している。把握しているが……
朝からずっと教室の一番後ろの、背の低い本棚の上に置かれたはがき大の紙束が目についていた。それの一番上をめくる。タイトルは、入部届。仮入部申請カードと同様、これを自分の興味がある部活の部長に提出、参加する。記入必須項目は部活動の名前、クラス、番号、名前。
左下の角に折り目が付いてしまっている。折り目と反対側に曲げてみると、折れ線だけが残った。
「あれっ、真記って帰宅部のエースじゃないんだ?」
丁度教室に戻ってきたところだったらしく、スポドリ片手に智博が後ろからカードをのぞき込んできた。帰宅部にエースが存在してもいいのなら、僕の他に適任はいないだろう。
「今日ってこれから時間ある?」
「ごめん、予定ある。なんで?」
「いや、忙しいなら何でもない。終礼は?」
「もうすぐ始めるよ」
「じゃあその前にボタン直してきたら?」
「ボタン?」
指さすと彼の視線を誘導できた。掛け違えたボタンに気がつくと、一瞬だけ硬直した。
「冬城くん、終礼始めよう」
「ごめん、少し、いや、あの、始めてて! ごめん!」
そのまま走って廊下へ。説明済ませてから行けよ。
「あ、あの、日野くん。冬城くん、どうしたの?」
「あああ。えっと、ボタン! 着替え、ズレた、直す、行った、でした」
「そっか、わかり、ました」
智博と関わるようになったおかげだろうか。以前よりも自然にクラスメイトと話せるようになった気がするかもしれない。……あるいは、自然というよりもスムーズに近いな。
ひとりで行けるかもしれない――そんな気がするかもしれない。
というわけで、終礼終わり次第、軽音学部の活動教室前までやってきてうろうろしている。行くには行けた、自分を褒めたたえたい。入れるかはまた別の問題である、だいぶ年季のはいった拗らせかたである。さて、ここからどうしようか。来ただけで帰るのはさすがに
「なーにしてんの?」
突然話しかけられ、振り向いた。(なお、奇声はいつものことなので省略する。)
先日の事件のとき、情報をくださった演劇部の方だった。
「あ、赤城先輩……」
「お。よく覚えてんね。ひさしぶり」
「えっと」
「あー、心配すんな、テストどうだったなんて聞かないから。あ、そうだ。こんど追悼公演するからさ。これ、あげる」
差し出されたチケットを受け取りながら尋ねる。
「……ぼ、僕でよろしいんですか?」
「ん、君の分だよ。チョウケンの人たちには部長が渡すんじゃない?」
追悼公演は、6月最後の月曜日。期末試験の試験期間直前だ。事件解決が5月初旬だったから、準備期間は1か月と少しだけ。
中学生が『あの日見た散りゆく桜は』を。高校生が『曇りのち雪』を。
演目はどちらも春野愛花さんが主演を務めた、縁あるものだった。
「ああ、そうだった。で、何してたの?」
「えっと……」
今度こそ視線だけは正直に軽音楽部の活動教室へ。赤城先輩はそれだけで察してくれた。
「ああ、六月だもんね。ま、へーきでしょ」
赤城先輩は気兼ねなく軽音部の活動教室へ乗り込んで呼びかける。
「伊藤ー? 貴重な貴重な、真面目な見学者ー!」
それに応じてひとり出てきてくださった。
「ごめん、気がつかなくて。見学って、本当?」
「は、はい!」
「んじゃ、ちゃんと面倒みてやれよー」
赤城先輩は少し雑に僕の髪をかき混ぜると、軽く背中を押して「じゃあね」と告げていくつか先の教室へ入っていった。
「こんにちは。えっと、一年生?」
「はいっ、一年一組一三番、日野真記です」
「あ、えっと、伊藤です。こちらこそよろしく。興味を持ってくれてるってことでいいのかな」
「は、はい。もともとギター弾いてて、いいなって思ってたんですけど、ひとりで来るのが、なんだか……」
「あー、そうだったんだ。初めてのところだと心細いよね。ギターっていうと、アコギ? エレキ?」
「基本はエレキです。従姉がかしてくれたときはアコギも弾いてます」
「じゃあ、ギター希望かな?」
「えっと、あの……何か、難しいですか?」
「ああ、いや! そういうことじゃないよ!! 例年、ドラムとベースが少ないから、あははは……」
「ああ、なるほどです」
バンドを組んで最低一曲を通して演奏するとなると、楽器そのものの大きさや演奏時に必要な体力が影響してキーボードやギターのほうが良さそうだと考えやすいのは理解できる。結局、どの楽器でも楽しいし難しいし大変だけれど。
伊藤先輩はとにかく聞き上手で、いろいろと話せた。カナタハルカファンの同志としても会話は弾んだし、従姉と彼女の幼馴染と一緒にバンドを組んでいると言えたこともちゃんと“あどにす”を伊藤先輩が認知してくださっていることも嬉しかった。
「金曜日の放課後って時間ある?」
「ライブですか?」
「いやいや、新歓やったばかりだから。次のは期末最終日! 金曜日は活動日じゃあないけれど、部員そろって楽器店巡りに行くんだ。入ったばかりの子たち、ほとんど自分の楽器持ってないからさ。場所は――」
伊藤先輩があげた駅名は、楽器店が豊富に立ち並ぶことで有名な聖地といえる場所だった。
「よろしいなら、ぜひ!!」
テンションが上がり、勢いのまま二つ返事。
金曜日はバスケ部の活動もないけれど、妹は適当に智博にでも任せておけば問題ないだろう!!