学生らしいこと
よく晴れたおかげで、そっと首筋を撫でるせっかちな薫風が快い。
定期券内であることが幸いして問題なく最寄り駅から1駅分揺られて鈴美弥駅に到着した。智博が率先してLINKsで“しょーえい中1グル”を作ってくれていたから、時間や場所のミスも無い。車内で確認したとき、赤嶺さん(あかね・めい❁)から
到着しました!
みなさん、あとどれくらいです?
と、来ていた。少なくとも五分はかかってしまうだろうか。あまり待たせたくないと思い、若干だが歩幅を大きくして待ち合わせ場所の時計台を目指した。
次の瞬間。
背後から癖毛が吹き上げられて目をつむった。強い風力に驚いたらしく、妹にトレンチコートを掴まれた。
「大丈夫?」
「んぃ……」
「わー」
柔らかく長い茶髪はすっかり乱されていた。今朝、寝癖を直して櫛を通したが、それだけ。今日のようにときおり強い風が吹くならば、結んで髪をまとめてしまったほうが良いのかもしれない。しかし、兄妹そろってヘアアレンジできる知識も技術もない。……妹に習得を促すよりは僕のほうが光は見えるだろう。絡まった髪の毛を歩きながら解いていると、
「おっはよー!」
呼びかけとほぼ同時、左肩に衝撃が伝わった。加減はしてくれたのか、痛みが残るほどではなかったが不満をこめた視線を向けた。想定内だったらしく、イタズラに成功した子供のような憎ませない笑顔を浮かべていた。
グレーシャツ×白オーバーオール……おかしな幼さもちぐはぐなダサさも見受けられなかった。スニーカーのおかげだろうか。
「ん?」
いや、本人だな。智博だからうまくマッチしているらしい。着るものに困らないのは羨ましい限りだ。
「おはよう。朝から元気だね」
「だって、遊びに行くの初めてじゃん! もう昼だけど」
「休日の十一時は朝だよ」
「そーですか」
だいぶ楽しみにしていたらしい様子は、言葉がなくとも伝わってくる。ならば……
「だったら昨日は何が嫌だったの?」
「え、いや、別に嫌ってことじゃ……ははは。どうだろう。あー、ねえ、芽生、もういるのかなー」
コミュニケーション能力が高くとも誤魔化すのはだいぶ下手だ。ああ、だからバスケ部の三年生方は彼の反応を楽しんでいるのか。
お? 待てよ? そもそも人違いだったことを想定しない行動をとる彼の気が知れないのだが……。本当に、社交力と人懐っこい性格だけを理由にしていいのだろうか。
不意にコートの袖口が何度か引かれた。視線だけ向けると、何か言いたげな黒目に見上げられていた。超能力者ではないのだから、それだけでわかるわけがない。一体、僕を何だと思っているのか。不満そうな自分の顔を眺めながら告げた。
「言ってよ。わかんない」
「……あ、挨拶…………」
「いつ?」
「……今」
「誰に?」
視線で答えてくれたおかげで、ようやく妹の言わんとしていることがわかった。雑さは、もう、ご愛嬌ということで。妹の体を智博側へ追いやった。二対の視線にさらされるが、知り合いのものであればスルーできる。これがコミュ障の生態の特徴のひとつである。基本的に知らない人間の視線がこう……無理なのだ。
さ。あとは当人らで勝手にやってくれ。
「ええと、あのね……おはよ、う……?」
「あ、うん、おはよう! 今日のスカート、花柄、かわいいね、似合ってる!」
「ありがとう。冬城くんも、かわいい」
「んぇーっと、ありがとう!」
なんとも言えない智博の表情。笑いをこらえているとコートが引かれた。
「言えたっ」
おめでとうと祝辞を述べると、妹は跳ねるような足取りとともに満面の笑みを浮かべて元のポジションに戻った。
続いて、軽く体当たりされた。
「お前、確信犯だろ」
「無宗教だし特定の政治的思想も持ち合わせておりませーん」
「そういうところだってば、本当さぁ」
「この子の"かわいい"で容赦してよ」
「……」
歩いているうちに、待ち合わせ場所に設定していたデパート前広場の時計台に到着した。
探すまでもなく赤嶺さんを視界に捉えた。内容はわからないが、ふたりの男性に話しかけられているらしい。
「わー。あれって知り合いじゃなさそうだよね」
コミュ障にそういった人間関係の情緒を聞かないでほしいところだが。赤嶺さんの様子からは困惑が見えた。ここでまっさきに動いたのは、妹だった。体力無いくせに言葉より先に体が動くし、足はそれなりに速い。
智博と顔を見合わせて間もなく僕らも走り出した。誰かが、何と言っただろう……そうだ。ナンパブロック、みんなでやれば怖くない。
「めいちゃん……!」妹に抱き着かれると、驚きとともに安堵したらしく肩を下ろした。手持無沙汰になり、なんとなくふたりを背にかばった。智博は隣で
「おはようございまーす。朝からかわいい子がひとりでいたら誘いたくなりますよねー。すみませんが、連れはボクらなので、今回は他をあたってもらえますかー?」
嫌味のない慣れた口調で断りを入れる。彼はツツモタセには向かないだろう。もめることなく男性らは去っていった。
振り向いて到着が遅かったことを謝罪すると、
「いえ、まだ約束の時間の一〇分前です」
赤嶺さんは、春らしい紫のパステルカラーのワンピースにジージャンとスニーカーを合わせたそつがない印象だった。清楚に見えながら、カジュアル。智博が隣を歩いていても、僕が近くにいても、ちぐはぐには感じない。臙脂色の薄いフレームの眼鏡は、彼女が装着していること自体には違和感があるのに、必要なアイテムに見えた。
彼女の服装に気を取られたことに気がつき、自然に見えるように視線を外して腕時計を確認した。実際、約束の時間の一〇分前だった。
「私が楽しみにしすぎて早く来てしまっただけです」
「マジ? そんな楽しみにしてくれてたんだ?」
智博が嬉しそうに尋ねたら赤嶺さんはどこか恥ずかしそうにそっとはにかんだ。
「誘ってよかった! また誘っていいの?」
「ええ、もちろん。開いている日は少ないのだけれど」
「待って。ふたりとも気が早過ぎない?」指摘すると
「確かに。まだ集合しただけだね」
「ふふっ、すみません。思ったよりはしゃいでるみたいです」
それぞれ気さくな反応だった。これが素でできるなら苦労しないのに。羨ましい限りだ。
「さて、まずはどこへ行きましょうか? まだ昼食には少し早いので雑貨屋さんでもいかがでしょう?」
「良いと思いますよ」
「本当ですか?」
「芽生、忙しいもんね。好きなとこ行こうよ」
「はいっ、ありがとうございます! あの、私、行ってみたいお店ピックアップしていて、この建物の七階です!」
本当に赤嶺さんは、はしゃいでいる。はぐれるわけにはいかないと判断して、その背を追いかけた。一方、妹のほうも心配になり視線を投げた。
「あやちゃんも、行こっか」
智博は、妹に手を差し伸べた。しかし、彼女はその手を眺めるだけ。智博が心配そうに名前を呼ぶとハッとして
「うん、行こう」
はりつけられた無理やりな笑みを浮かべて駆け足で赤嶺さんを追いかけた。手持ち無沙汰に腕を下げると、視線で問われる――俺、変なことした?
「自然に人の妹と手を繋ごうとするな」
「そこ?」
そこ以外にどこがあるんだ。
これだから社交オバケは……どこかズレていることに気づけないから直せないのだろうな、と。たまにはこちらから憐みを向けても許されるはずだ。
雑貨屋には、雑貨があった。
ポーチや髪飾りのほかにインテリアやポストカードなど、店内の世界観を作り上げるアイテムが並んでいた。三人が仲良くショッピングする間、その背後で、パンをモチーフとしたマグネットをいじって時間を潰した。赤嶺さんと妹は女の子同士、智博はただのミスター・コミュ力。
「これかわいい! あやちゃん似合いそう」
「ほんと? お花だからめいちゃんっぽいと思ったー」
「めいがパープル、あやちゃんがピンクって感じじゃない?」
「冬城くんがおっしゃるなら、そうかも。どうしよう、ちょうどピン欲しかったし……」
「いいんじゃない? 学校だと校則に引っかかるけど、あまり主張が強くないから場所を選ばないし、サイズもジャストで使いやすそう」
「ですよね?」
「めいちゃん買うならあたしも欲しいな」
「じゃあ、お揃いにする?」
「うんっ、する!」
そして、ふたりで色違いのヘアピンを買い物かごにイン。
三人とも楽しそうで何よりだ。妹が普通の女の子らしく楽しめていることに感動したのは余談である。
他方。クロワッサンも焼きそばパンもあるし、食パンは一斤も6枚切りもある。なぜメロンパンが無いのか。三面鏡のようなホワイトボードを回してメロンパンのマグネットを探していると
「これ、なんて読むの?」
ふたりに聞けばいいのに。妹はパズル兼インテリアのようなグッズを手に取り、わざわざ僕に話を振ってきた。
「対象年齢」
「“タイショウネンレイ五さい”ってどういう意味?」
「簡単な指標だよ。五歳くらいのガキにあげたら喜ぶだろうなっていう製作会社側の意図が込められているやつ」
直後、智博に肘打ちを食らった。非難をこめて睨んだら睨み返された。すかさず赤嶺さんは宥めるような口調でフォローを入れる。
「ちょーっとちがうかなー。五歳より大きい子なら安全に大切に使ってくれるだろうなっていう製作会社側の想いが込められた指標なの。だから、実際、年齢は気にしなくていいんだよ?」
なんだ、その連携。
感心するような納得しきれないような感情でふたりを交互に見ていると
「真記、家でもそんななの?」
「そんなって?」
「言葉選ぶ気がない感じ」
「まあ、必要無いからね」
兄ならもっと妹を甘やかせということだろうか。雑な扱いをしていると認めるが、仮にも同い年であり黙認するところは目をつむるようにしている。何が問題だろう。むしろ、ふたりが甘やかしすぎていると感じる。「もういいよ」とため息混じりに切り上げられたが、正直、納得いかない。
不満をこめた視線を彼から外すと、ふと気になるものが視界にはいった。
ちょうど智博の背後にあった銀色のペンダントに手を伸ばした。
「そういうの、好きなの?」
「いや……」
「あ、いや。違くてさ。あまりつけてるところ想像できなかっただけ」
「わかってる。そういうんじゃない」
ハードカバー書籍をモチーフにしたペンダントトップの、ネックレス。(ペンダントとネックレスの違いは知らないが、どうか伝わってほしい。)
よく似たデザインのものを、今朝、ふんわりとしたファッションとは合わないからと外させたばかりだった。
買うつもりはなかったから、元に戻した。
「真記、本好きだよね」
「まあ。読むことは多いと思う。智博は?」
「んえ? 本? 別に文章が苦手なわけじゃないけど、あまり読まないかな」
「そっか」
読書のハードルとして、文章量と内容があるが、そのせいで読みたい本を探すのは慣れていなければ難しいだろう。文章に拒絶反応が無いのなら、近いうちに、いくつか勧めたい書籍を押しつけてみようと思う。
「赤嶺さん、視線集まりやすいよね」話題変更のつもりで思いついたことを言ってみると、当然のことのように「そりゃ芸能人だからね」と返された。
「……え、テレビ出てるってこと?」
「え、知らなかったの? マジで?」
「あんまりテレビ見ないから。智博は知ってた?」
「うん。四月のときはビビったよ。ほら、使ってる化粧水のCMに出てる子が目の前にいたら普通に驚くじゃん?」
「へーぇ……え?」
「ん?」
疑問が解消されるまで問い詰めたいところだったが、赤嶺さんと妹が会計を済ませてきてしまった。悶々としつつ、昼食をとろうと四人でデパート内のレストラン階へ足を運んだ。




