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さようなら、長春色の追憶  作者: 視葭よみ
File02 結び目をほどく
23/32

定期試験とその休み

 五分。

 あと五分。


 鈍い音のような頭痛が響く中、問題文の数字や図形を眺めながら耐え忍ぶ。(百人一首にも似たような状況を詠んだ詩があったかもしれない。)


 翔衛学園中等部では一昨日から中間試験期間。

 小学生の頃は授業時間内に科目ごと単元ごとだったが、中学生以降は科目も単元もまとめて試験が実施される。例年よりも一週間ほど遅い時期に実施されているのは、四月下旬に発生した殺人事件が原因。この一件により世間から非難が集中したため、事件解決からもしばらくは休校措置がとられていた。しかし、学習カリキュラムとの兼ね合いからか、数週間前から授業は再開された。以降のカリキュラムをなるべく遅らせたくなかったらしく、もともとハイスピードであろう授業日程はさらに速まるしかなかった。結果の副産物として、提出物や授業進度はご想像の通りである。


 その代わりなのか定かではないが、試験の難易度はそれほど高くない気がする。ちょうど数学でいうと、多くは授業で扱われた問いが数字を変えてそのまま出題されている。

 おっと、呑気なチャイム。心の中で催促しつつ、答案用紙が順当に回収され、やがて監督をしていた教員から休憩するように指示が下された。


 それとほぼ同時に「幾何、どうだったー?」と、智博がやってきて僕の席に両手をついた。

 出席番号順の席順では、一四番の冬城(かれ)と一三番の日野(ぼく)の席は最前列と最後列、なかなか離れた位置にある。それにも関わらず、来るのはかなり早かった。彼は瞬間移動か机や人をジャンプで飛び越えてきたのだろうか。

 すごいね、さすがだね。

 

「冷房強風を常に受けながらのテストは問題どうこうよりただただ寒いしかないと思います」

 

「確かにこのあたり寒いね。言ってくれたらセーターかしたのに」

 

 そういわれても、もう遅い。

 体調不良は、体調が悪いことに気がついてしまってからが地獄だ。指先が季節・冬、場所・屋外と錯覚している。今日は初夏といえるほど晴天なのに。

 

「もう無理」

 

「まだ地理あるよ。とりあえず、なんとかしたら?」

 

「えぇ……。どうするべき?」

 

「エアコンの設定変えて少しでもいいから廊下に出る、とか?」

 

「採用」

 

 差し出された手を掴んで判定を下すと、引いて立たせてくれた。

 

「どーも。うわっ、冷たっ!」

 

「文明の暴力」

 

「はいはい、そうだね。

 てかさ、あの席になってどれくらい経つの? どんな感じかなんてわかってたよね?」

 

「今日はこのクラスに冷房を二一にしたバカがいるから対策できなかった」

 

「わー、誰だよ」

 

 教室の扉付近に設置されたエアコンコントローラーの画面を目にすると、智博は苦笑しながら二八にしてくれた。

 暖かくなってきたとはいえ、二一度はさすがにバカである。実行犯は白川か利波あたりだろう。あいつら、覚えとけ。時と場合によっては、僕は律儀だからな。

 

「あっ、試験監督の先生に申請すれば良かったのに。寒いです、って」

 

「……あー、んね」

 

 言われてみれば、それこそ納得の最適解である。しかし、残念ながら、問題数が多くてそこまで気が回せなかった。

 廊下に出ると、さすが晴天。心なしかじんわりとした熱気を感じた。なんとなく中庭の噴水が臨める階段の境目へ歩みを進めた。ここまで来ると指先がじんわりと暖かくなってくるのがわかる。左手を閉じたり握ったりしていると違和感もなくなってきた。

 寒さから解放され、ふと四月の事件関連へと思考が移る。

 中庭、中学生徒会本部、体育倉庫の立ち入りはすでに許され、二本あったはずの桜の木は双方とも無くなり、屋上のフェンスは修理されているのが見える。ここからは確認できないが、おそらく鍵は新しいものに変えられて閉じられたままになっているのだろう。

 

「ねー、真記。こういうの、いる?」

 

 彼が財布から取り出したのは、一枚のチケットだった。

 東千テレビ局三〇周年記念春のミュージック感謝祭特別入場券。

 彼が裏返すと、出演者の名前がずらりと並んでいた。

 

「いろんなアーティストさんとかが出るらしいよ。バンドとかアイドルグループとか声優さんとか。そういうの、好きかなって」

 

 オタク舐めるな。基本的に浸かれる沼には否応なく浸からせて頂いている。

 列挙されている出演者たちの名前に目を通していると、ついに、ある六文字でテンションが跳ね上がった。

 

「カナハル!」

 

「へー、好きなの?」

 

 ロックバンド・カナタハルカ。ここ数年における最推しバンドである。リズムも歌詞も良いし、ギターソロもちゃんとかっこいいのがあるし、その旋律に乗せられたボーカルの穏やかな男声は最高なのだ。あー、帰ったら全曲巡ろう。

 

「おー、オタク特有の早口だ。初めて聞いた」

 

「え、これ、本当にもらっていいの?」

 

「うん。俺、その日は練習試合で遠征だから」

 

「わ……わわっ!? やった、本当? いいのっ? やった! あ、えっと、こんなレア物、どこで?」

 

「兄貴からもらった」

 

 さすが、冬城智博。バスケットボール大好き少年である前に、上流階級の人間である。

 

「へえ、お兄さんと仲いいんだね」

 

「うん、悪くはないよ。それで、もらってくれる?」

 

「ありがたくいただきたい。本当にいいの?」

 

「どうぞどうぞー、是非お楽しみくださーい」

 

「拙者、ありがたく頂戴す」

 

「どこの武士だよ」

 

 恭しくチケットを受け取り、友人作りを司る神に祈りと感謝を捧げた。今まで人間関係がなかなかクソだったのはこのときのためだったのだろう。運の使い所を心得ている神は嫌いじゃない。褒めて遣わす。

 しばらく廊下で会話をして体の冷えは解消された。チャイムがなる前に教室へ戻り、中間試験最後の地理を受験した。地理の試験は単語や授業でやった事を覚えていたらわからないものは無かったし、問題数も時間相応だったから難易度は低めと言えるだろう。

 

 さて。キツキツなカリキュラムと共にようやく終えた初めての定期試験。

 疲れた。

 この一言に尽きる。唯一の救いは家が近い事。つまり、余裕で二度寝できるのだ。現在、八時七分。夜型にとって早起き程つらいものはない。と、一人ベッドの上で納得した。

 何が言いたいのかというと、プリンが食べたくて目覚めたとしても二度寝する方が優先順位は高い、という事実。

 だから今は惰眠を貪――

 

「まさー!」

 

 ……れなかった。渋々布団から這い出た。

 春の終わり。初夏。いずれにしろ、まだまだ寒い。クローゼットの蛇腹状の扉を開け、あくびをしながらワイシャツを手に取り、適当にボタンを留め、ピシッとした線の消えないスラックスへと履き替えた。リビングに顔を出すと、妹はいつもの席でノートに何かを書いていた。

 こちらに視線を向けると、大きな瞳をさらに大きくした。

 

「何?」

 

「どうして制服?」

 

 質問を質問で返すな、と思ったが、この時間まで寝られていてそれを咎められないことから、今日は学校が休みだと気がついた。当然、登校する必要もそんなつもりもない。

 しかし……

 

「君も制服だけど」

 

「部活だよー」

 

「そっか。僕は間違えた」

 

「寝てたの?」

 

「何が悪い」

 

「健康とか?」

 

「はいはい、そうだな。で、どうかしたの?」

 

 キッチンのラックからメロンパンを、冷蔵庫から牛乳を取り出す。キッチンを出ると、妹は嬉々として僕の手を引いた。

 

「あのねっ、そういえばね!! 見ててね! 寝ちゃダメだからね?」

 

「はいはい、もちろん」

 

 むしろ十分すぎる睡眠のせいでもう寝られない。珍しく妹と同じくらい寝ていた気がする。

 

「じゃーん! セルフドリッパーマシーンNo.2!」

 

 いつのまにかリビングのテーブルに設置された不思議な透明な機械。妹は満足そうに見せつけてくる。

 

「あ、うん」

 

「まずはね、小型化! 性能を落とさないようにするためにね、ここの接合部を……」

 

 設計図を指さしながら本体の後ろに回り込んだ。

 あ、この辺りは聞き飛ばせるとこ。こういうときは適当に相槌打っていればこの子は納得してくれる。どうせ記憶には残るだろうけれど。

 

「すごい、すごい。うん、うん」

 

「それでね、ここ見て!」

 

「わぁ、すげー」

 

 ひとまず相槌を打ちながら朝ごはんを済ませる。発言が棒読みなところは気にしないで欲しい。

 そんなとき、ふと思った。

 待てよ、と形態のカレンダーで確かめる。今日は、もしかしなくても土曜日だ。

 つまりのつまり、この服装に着替えて正解なのだ。

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