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さようなら、長春色の追憶  作者: 視葭よみ
File01 出会いの季節
21/32

二年前の名探偵 2

 秋吉先生は、狼狽しながらも、叫ぶように言った。


「な、何を言っているんだ? 僕は、犯人に殺されかけたんだ! それに、柊さんの事件は、僕が病院に運ばれてから起こったんじゃないか!」


「なぜそのことを?」


「い、いくら病院でも、ニュースを見る機会はあったんだ。そのときに」


「それでは、この傷は?」


 先輩が、ガーゼを乱暴に取り払う音が聞こえてきた。おそらく、先生の腕に張られていたものだろう。


「病院で、私が誤ってこの傷を強く握ってしまったとき、あなたは、何も痛みを感じていなかった。だから、私が謝罪したとき、何のことかわからなかったのではありませんか?」


 ――「わ、若宮くん! いいんだ、君のせいじゃ 痛っ、いたたた……」


   「大丈夫ですか? あっ、すみません」


   「え? あ、ああ。ありがとう……」――


 確かにあのとき、先輩は先生の腕の怪我をしている場所を掴んだ。先生が痛がったのは刺されたところだけで、先輩が掴んだ場所は全く気にしていなかった。


「これは、犯人に襲わ」


「見たところ、治りかけのようですね。あなたが襲われたときについたものにしては、古すぎます。これは、あなたが病院に運ばれる六日前に、抵抗する岩本少年に、何らかの方法でつけられたのでは? usbメモリだけでなく、メガネを持ち去ったということは、割れたレンズなどで怪我をし、自分の血液がついてしまったからでしょうか。証拠になり得るために」


「違う! 僕は、殺人犯じゃない、被害者だ! なぜそんなことを言うんだ!?」


「あなたが重傷を負っているところを発見されたのは一七時半頃。一方、柊の死亡推定時刻は一九時から二一時の間。普通に考えたら、あなたは柊を手に掛けることはできないでしょう。ちょうど、病院で治療を受けていた頃ですからね。

 しかし、それこそ、あなたの手に入れた絶対のアリバイ。あなたの仕掛けたトリックですよね」


 先生は、歯ぎしりして黙り込んだ。先輩は構わず推理を進める。


「あなたが刺されたのは、向かい合ったときに見て左下腹部、脾臓を傷つけていました。ご自身で創れない傷ではない。

 ここで、一つ。話は変わって第四の事件。現場には、おかしな点があるんです」


「おかしな点?」


「まとめると、二つ。一つ目は、彼女の死因は窒息。それなのに、側頭部を殴打されていて、首筋に注射痕があったんです」


「そ、そこまでおかしいわけではないんじゃないか。睡眠薬を注射したんだろ、抵抗されないようにって……」


「その考えも一理あるかもしれない。しかし、この事件において、この注射痕はもっと重要な役割を果たしていた。それこそ、このアリバイトリックを成り立たせるためのといっても過言でないくらいね。

 だいたい、睡眠薬が注射されたとしたら、側頭部を殴って気絶させる必要はないだろう?」


 歯ぎしりが聞こえる。


「つまり、柊に注射されたものは睡眠薬ではない。しかし、特殊な薬を使ってしまうと、入手経路から逮捕までこぎつけられてしまう可能性がある。しかし、あなたは魔法の薬の存在に気がついたんだ。簡単に入手出来て、ご遺体からは薬品としての検出は不可、入手経路を負うのも不可、それでいて、たった少量をある条件で投与するだけで人を窒息させることができる、そんな魔法の薬を」


「そ、そんなものがあっていいわけないだろう」


 若宮先輩は、なお、しらりとなだめるように言った。


「まあ、落ち着いてください。実際、あるんですから。今も、我々の周りに。

 ダイビングやっている人間にいるんですよ。血管に空気が入ったって病院に運ばれることもある。症状は窒息と同じです。病院で偶然耳にしました。たまには口論に首を突っ込んでみるものです。

 柊の体内で意図的に空気血栓を作り出したんです。ご覧ください。こちらは、数年前の医療ミスの調査報告書です。内容を要約すると、手術中に何らかの原因で動脈中に空気血栓が生成されそれが脳に到達。その患者は窒息し、すぐに対応したものの、三時間後死亡した。そうあります。

 動脈でできた空気血栓は、分解する前に脳へ到達してしまい、細胞を破壊。窒息と同じ症状を引き起こしながら、その人は死亡する。この事実をあなたは応用した。つまり、殺害の準備として血管に空気を送りこんでから被害者が死亡するまで時間差が生じるんです。

 そして、二つ目。それは、首吊りの場所から踏み台に使われたであろうイスは、足元ではなく離れたところに放置されるような形で存在していたことです」


 若宮先輩は、力強く、しかし、静かに言葉を紡いでいく。

 深く息を吸い込むとそのよく通る深く低い声で、話を再開した。


「以上を踏まえて考察すると、あなたは、当日、早朝に本当の第三の被害者である柊空佐を現場となったあのビルに何らかの方法で呼び出して側頭部を殴打し、拘束。ここでのイレギュラーとしては、彼女を殴ったが完全には昏倒しなかったこと。その証拠に、彼女の手や腕には防御創が見られました。まあ、ガーゼや塩酸を使ってしっかりと彼女の爪やテナントの床から皮膚片や血液を隠滅したため、あなたの仕業だという証拠は何も現場からは見つかりませんでしたがね。

 早朝から準備したのはタイムスケジュールを狂わせるわけにはいかないトリックだったから、自分が病院に運ばれる前に柊に死なれては困るし、自分が刺されなければならない時間までに柊が死ぬ準備を終えていなければならなかったために用心したのでしょう? だから、あのビルを選んだ。学園から近く、金曜日に作業は休みで誰もいないあの場所を」


 しばらく沈黙が守られた。

 車の走行音だけが聞こえてくる。


「話を戻しますね。あなたは、柊を拘束し、そのまま放置。誰もいないビルの七階ではどれだけ叫んでも、誰も気がつきはしないからです。あとは、あなたは学園でトリックに取り掛かるそのときがくるまで過ごす。

 そのとき、おそらくは十六時頃、学園を抜け出し、あのビルへ。柊をイスに立たせ、首吊りの状態をつくる。このとき、イスはロープをつるすのに使ったフック場所から離れた場所に置く。そうすれば、注射で死ななくても気を失ったら立たされている彼女は自重を支えることができなくなり自動的に首を吊らせることができます。準備を終えたあなたは彼女の首筋から動脈に空気を注射。そのときは、柊は、何を注射されたのか、わかっていなかったでしょう。気がついたときには、もう遅かったでしょうから……。

 学園にこっそり戻ったあなたは、部活に顔出しして、十七時頃、呼び出されたことを装い、その場を去る。あとは、現場で持ち込んだナイフと結束バンドで“こと”を進めるだけ。自分で致命傷になり得る刺傷を作り、痛みで意識が飛びそうになる中、ナイフをなるべく遠くへ投げる。布を噛んだのは、声で気づかれてしまわないように。

 また、拘束に使われていたのは結束バンドでしたから、やろうと思えば自身を拘束できる。と、知り合いがおっしゃっていました。

 先ほど、タイムスケジュールが大切だと言ったのは、致命傷を受けた人間が一連の事件の犯人なわけがないという思い込みを植え付けるためであり、致命傷のせいで死なないように時間をあまり開けずに発見してもらうためです。

 自分への疑いを退け、被害者として逃げきる。合理的でありながら、普通は実行しようとは思いません。

 少しでも時間が狂ったら、死ぬ可能性があるんですから。

 それでは、反論はありますか?」


「証拠は、あるのか?」


 先生の低い声が響く。先輩は気にせず答えた。


「今のところ、二つあります。一つ目は、あなたが病院に搬送された後、日野郁実という少女の手に血液がついていたことです。機転を利かせてあなたの拘束を外した彼女の手は、怪我をしていたわけではなく、誰かの血がついていただけでした。手当に使用したガーゼは警察に提出しました。その血痕があなたのものだったら」


「関係ないだろ。それが何だというんだ?」


「日野嬢があなたに近づいたのは、拘束を外す、そのときだけ。あなたは後ろ手に縛られ、その後、正面から刺されたはずです。なぜ自分の血が手の近くについていたのでしょう? 脾臓を傷つけていたとはいえ、貫通はしていませんし」


 先輩は、先生が何も言わないのを確かめてから続けた。


「二つ目は、あなたが病院に運ばれた後に警察が押収した黒いジャージの上下、小刀、軍手です。犯人のものではないかと考えてのことでしてね。そのうち、小刀と軍手にはあなたの血がついていました。しかし、ジャージの袖口や腕にはなかった。大量出血する個所から刃物を抜いたのなら、犯人はかなり大量の返り血を浴びてしまったはず。犯行時の着衣にしては不自然です。体育倉庫内は、血だらけになったはずです。痛みで朦朧とする意識の中、血が吹き出ないように栓の役割をしていた刃物をゆっくりと引き抜いたわけでないのならば。

 大方、焦りすぎたあまり、自分に刃物を突き立てるとき、犯人が軍手を付けたようには見せかけたものの、犯行時に来ていたと思わせるために持ち込んだジャージを利用するのを忘れてしまったのでは?」


 先生は何も言わない。衣擦れの音すらしない。

 その様子がなんだか不気味に思えた。


「終わったことをいつまでもいつまでも……あのガキが死んだのは、もう二年も前のことだったのに!」


 ついに先生は、うつむいたまま感情を醜く露呈させた。


「過去のこと、ですか。耳が痛いですね。私も、推理するのは過去のままでいいと思っておりましたが、うまくいかないものです。

 ところで、ハルノアイカはもう死亡しているんですか?」


 先生はまた黙り込んだ。


「無謀だったとは思いますが、彼女に非はありませんよね。間違いを正そうとした、まっすぐな少女です。あなたと関わったばかりに、運命を狂わされたわけですが」


「……んだ」


 上手く聞き取れず、携帯を耳に押し付けた。が、すぐに後悔した。


「あのクソガキがいけなかったんだよ!」


「おっと?」


「悪いことしてない? 盗聴と脅迫してきたんだよ! あんなガキ、し――」


「秋吉さん」


 次の言葉を止めたのは若宮先輩だった。


「あ?」


「柊は?」


「ひーらぎ? ああ、あのバカか。手紙で呼び出した場所に調子に乗ったガキの眼鏡置いといたら簡単に引っかかったよ。あの程度でよくも、まあ」


「若宮くん。それ以上は、さすがに庇えなくなる」


 本田刑事は静かに諫めた。

 何があったか音だけではわからなかったし、その後、先輩は教えてくれなかった。

 やがて凪いだ声色で先輩が告げた。


「なぜ、私がこんな大掛かりな小芝居をうっているのか、見当はつきませんか?」


「んだよ? まだ終わんねえのか、探偵ごっこはよ」


「権力と労働力が必要だったんです。あ、到着しましたね」


 降車した音を確認してから足音だけが響く。足音が聞こえなくなった代わりに、周囲が騒がしくなったことが分かった。


「正面だからでしょう。二本の桜の木のうち、一方がもう一方よりも生長しているのが分かりますね」


 ―― ガラス張りの階段からの景色は、学校にしては珍しいものだろう。

    緑に満ちた中庭の美しい噴水。その奥には一本の桜の木が

    陽の光を受けながら愛らしい薄紅色の花を咲かせている。


   「何が見える?」

   「噴水と植物と空と建築物」

   「噴水も桜も空も校舎も、今じゃなくても見られるから。戻ろう」

   「……はぁい」――


 ――「すみません、もう一つ。よろしいですか? 気になってしまって。

    あ、ご存じでなければ大丈夫なんですけど、いいですか?」

   「なあに?」

   「桜の木がいつ植えられたか、ご存じですか?」

   「二本とも、去年の春休みよ。正確には、三月二二日」

   「どうしてそんな正確に」

   「中学の生徒会での最後の仕事だったから」――



「この桜の木。隣の木よりも葉ぶりや幹の太さがいいですよね」

 先輩の言葉でようやく違和感の正体が分かった。噴水側の方が幹が太く枝ぶりも良いから、その奥の木がちょうど重なってしまい、隠れて一本にしか見えなかったのだ。

 先輩は冷たい声で呟く。


「この木が植えられたのは、去年の春。三月二二日にソメイヨシノを二本、ここに植えました。それでは、なぜこの同じ種類の木は育ちにここまで差があるのか。日光、気温、湿度……条件はどちらも同じ。あとは何が成長を左右するのか……。

 生物の教員ならばお分かりですね? 植物の生長条件は日光、気温、養分です」


 喧騒が心なしか大きくなるが、何と言っているのかまでは聞き取れない。


「少女が失踪したのは二年前の秋。最後に目撃されたのは、校内。平日、こんな都会から遺体を運び出すのは怖かったのでしょう。まあ、人一人が一晩で掘れる深さは、たかが知れていますからね。後は、警察の方々に頑張っていただければ、やがて彼女は姿を現すでしょう」


 事件における推理を人に披露するのは久しいと聞いていた。しかし、その割には玲瓏さが伺えた。

 この人を名探偵と呼べたのは二年前までらしいが、今日、間違いなく彼は名探偵だった。

 深い声色、丁寧な言葉遣いによって暗闇の中で紡がれる明朗な推理に耳を澄まさずにはいられなかった。

 僕はその推理を、ずっとゆかしがっていたのかもしれない。

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