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さようなら、長春色の追憶  作者: 視葭よみ
File01 出会いの季節
18/32

衝動と冬 2

 到着したのは、第二の凶行の現場、体育館倉庫だった。


「遅かったね、来ないかと思ったよ」


「それはすみません。のんびりしていました。それで、この事件に関しては私も少年も大した情報を持っていません。お伺いしても?」


「ちょうど今日の午前中に当時居合わせた生徒に話を聞けて状況が整理されたところだよ。

 まずは被害者について。生物教諭の秋吉保さん三四歳、腹部を一度刺されているところを発見。病院の話では、ギリギリ急所を外れていたらしい。昨晩のうちに峠は乗り越えたらしいが意識はまだ戻っていないとのこと。また、発見に居合わせた生徒らによると、動いていなかったため生きているかどうかよくわからなかったそうだ。当時、彼は布を噛まされ、両手を後ろ手で手錠で拘束されており、そこの跳び箱のキャスターに固定されている状態だったというが、救急隊員が到着するころにはどちらも外されていた」


「外されていた? 生徒が外したということですか?」


「順を追って話そう。

 初めに発見したのは、中学二年生の女子生徒。彼女に続いて、三年生三人がここへ駆けつけた。かなり冷静に、養護教諭に助けを求めに行ったり警察や救急に通報したりしたらしい。で、警察・救急が到着する前に、三年生の男子生徒が被害者の生存に気がつき、血だまりを飛び越えて布を外したと話してくれた。体を横にしたほうが良いと思った、ともね。まあ、事実、生きているならその対処は間違いではないけれど……犯罪現場という視点で見ると、微妙な反応をしてしまう」


「中学生の判断としては、優秀でしょう?」


「そうだね。ああ、そうだ。それで、このとき手錠に邪魔されたため切断しようと近くの棚の下に落ちていた刃物に手を伸ばしたと言った。触れてはいないそうだけどね」


「ほう。では、どのように拘束を外したんです?」


「一年生の女子生徒に、直前で止められたらしい。それから自分のヘアピンを利用して拘束を外した、と」


 本田刑事の咎めるような視線がこう兄に向けられた。


「あの子には確認しましたよ」


「警部が、お一人で。ご苦労様でした」


「仕方ないでしょう、恥ずかしがり屋さんなんですから」


「捜査に私情を挟むの、良くないと思う」


「一般市民、それも未成年に指摘されていますが?」


 思わず口を挟むと本田さんが乗ってくださった。

 こう兄はいつ妹に聞いたんだろう。夜中かな。起きたのも帰ってきたのも気がつかなかった。


「本田さん」


 突然の先輩の呼びかけに、三人で視線を落とした。

 先輩は跳び箱に触れながらしゃがみ、本田さんを見上げていた。


「当初、秋吉教諭がいたのはこちらですか?」


「ああ、そこで跳び箱に背を預けているようにしていた」


「刺された位置は、正確にはどのあたりですか?」


「治療を担当した医師によると、左下腹部付近を刺され、脾臓を傷つけていたらしい。あと数分ほど発見や治療が遅ければ、手遅れだったかもしれないとの話だった」


「なるほど。左下腹部でしたら、血だまりが広がるのは入り口側でしょうね。内蔵が傷ついたなら、出血量も多かったでしょう。被害者に近寄った三年生の男子生徒は血痕を踏まないようにするために飛び越えて反対側へ行った、ということでしょうか」


「そのとおり。本人が話した理由と同じだよ」


「そうですか。では、ピンを用いて拘束を外したという日野少年の妹さんも血だまりを飛び越えたのだろうか?」


「そうだと思います。あの子、咄嗟のときは言葉ではなく手で止めますから」


「ほう。なぜわかる?」


「人間と話すの苦手なんですよ。ゆっくりペースに合わせてもらえるなら問題ありませんけど。しかしあの場で、三年生の男子生徒、おそらく水島先輩が刃物に触れるのを止めるなら手で制止して、凶器かもしれませんから触るのダメです。とかなんとか。その後に理由を話して制止します。乱暴な推測だと思うなら、まあ、付き合いの長さによるカバーだと思って納得してください」


「確かに、機材や資料に触れられそうになったとき、あの子の止め方はまさにそれだよね」


「その話を信用したとき、該当する刃物は場所を動かされていないという認識でよろしいですか?」


「鑑識によると、凶器はそこの棚の下に滑り込んでいた刃物で間違いないそうだ。現場検証時にも動かされた痕跡は最初に投げるようにして棚の下にたどり着いたそのときだけだったと判断していた」


「ほう、そちらの棚ですか」


 先輩は跳び箱に背を預けるようにして床に座り、腕を組んだ。奥行きは五〇センチメートル程度あり、幅は一メートル程度だろう。いくつも並列に設置されている。本田さんが指定しているのは、そのうちの一つ、ちょうど先輩の正面から右に三〇度ほど傾き一メートルあるかどうか微妙な距離にある。ボールやラケットなど、いろいろな部活で使用されるだろう様々な道具が並べられていた。


「日野少年、携帯電話を持っていたら貸してほしい」


「先輩のは?」


「刑事殿の車の中だ」


 カバンに入れたままにしてしまったのだろう、と。何の疑いもなくポケットから取り出し渡してしまった。

 どこに連絡を取りたいのか何を撮影したいのかと眺めていると、先輩はカーリングのストーンのように携帯電話を床に滑らせた。進行方向に立っていた本田さんが後ろに飛びのく。

 見事、携帯電話は凶器が見つかったという棚の下に到着した。

 は? 何してくれてんだ、この人。


「ふむ」


 ふむ、じゃないんですけど。

 何か思いついたように立ち上がると先輩は体育倉庫を後にした。


「ちょっ、若宮先輩?!」


 無視されたが、追いかけるよりも携帯を救出することが優先だ。


「本田さん、若宮くんについて行ってください。すぐに追いつきます」


 もう二度と先輩に携帯を貸さないと心に誓い、こう兄に「わー、すごく奥まで行っちゃったね。諦める?」などと妄言を聞かされながらも、なんとか救出した。

 気に入っている水色のケースがわずかに黒く汚れた。

 絶対に若宮先輩にはもう二度と物を貸さない。




 若宮先輩と本田さんは中庭にいらっしゃった。桜の木を眺めながら、何か話している。勢いをつけて飛び蹴りでもかましたい気分を押さえて「お待たせしました」と呼びかけた。先輩は、片手をあげて微笑んだ。なんだ、この調子の良さは。


「すまないね、気になることがあったんだ」


「僕のスマホである必要、ありました?」


「いいや、全く。携帯電話である必要すらなかった」


 あああ。飛び蹴りしたい。僕が怪我するからやめておくけど。


「ああ、それから。移動中に第一の凶行について考えさせておきながら悪いが、そもそも本田さんは死亡推定時刻を一七時前後一時間と断言した。つまり、犯行は一六時から一八時の間と考えられるんだ。

 それに加え、殺害場所が生徒会本部と断定できるため、我々があの部屋へ赴き滞在しただろうおよそ一六時五〇分から一七時くらいまでの間には犯行は行われていないと断言できる。それ以前か、それ以後か、どちらか一方であると言い切ることはできないがね。まあ、面白そうだから泳いでもらったが、想定以上だったよ」


 もういいや。この人に必要以上のことは期待すまい。

 心よ、仏に成れ。


「とにかく、遺体があそこに落とされたときは教諭の多くや生徒らは授業中だったのだろう。でなければ、警備員が巡回中に気がつかないことは無いだろうし、九時過ぎまで誰も気がつかないなんてことは無いだろう。いかがです?」


「確かに引きずって運ぶよりは高所から落としてしまうほうが楽で時間はかからないね。異論はないよ」


「そうですよね。あの日、生徒会本部に最後までいたのは」


「神谷先輩だと思います。あの日は一七時半に帰ったと言っていました」


「そうか。そうだったね。では、このことからわかるのは?」


「犯行は、一六時から一六時五〇分までの五〇分間か、一七時半から一八時の三〇分間のどちらかで行われ、た?」


「本当に?」


「違うんですか?」


「神谷少年の主張では、我々が去った後も一七時半まであの部屋で作業していたという。では、なぜ生徒会の会議に出席していないのだろう?」


「会議ですか?」


「あの日は中学生都会役員で会議があったはずだ」


 先輩の言う場面を“検索”する。


 ――「やっぱいた! 神谷、先週の……ごめん、今日中なら後でいいや」

  「先週の議事録なら共有したけど」

  「それが見れなくて……」

  「マジ?」

  「お急ぎでしたらお先にどうぞ」

  「先輩、見れました」

  「は?」

  「ごめんなさい」

  「不信任案可決されとけ」

  「お取り込み中、すみませんでした」――


 議事録というのは役員の会議の、という意味なのかと納得した。

 先輩の仰る通り、あの日会議があるなら神谷先輩はどうして参加しなかったのか。大した内容じゃなかったからとか? いや、神谷先輩を呼びに来た不破先輩は同じく三年生だ。

 では、なぜ?

 もし、神谷先輩の話が嘘だったらどうだろう。僕らが生徒会本部の部屋に到着する前、もしもすでに犯行が行われ証拠が隠滅し終えたところだったら。鍵が閉められていたのは、隠滅のミスがあった場合に他の人に見られないようにするためにかけておいたのだとしたら。

 犯行前で生きている岩本先輩が隠されていたのだとしたら。僕らが去った後に犯行が行われたのだとしたら。

 おっと、待て。これだと、まるで神谷先輩が


「まあ、こんなの憶測にすぎないがな。本人に話を聞くことができれば合理的で正確な回答を得られるさ」


 そう言って、先輩は噴水のふちに腰かけた。

 この人は、どうしてこの事件にどこか興味がなさそうな素振りをみせているのに、こんなにも……。

 一つ、聞いてみたいことを尋ねてみたいと思った。

 彼の近くまで歩み寄り、声をかけた。


「先輩は……もう、事件がどんな結末を迎えるか、わかっているんですか?」


「いいや、まったく」


 特に考えることなく、そう答えた。

 先輩の視線の先にある桜の木に目を向けてみた。どちらの木も、花弁は無く新緑が生い茂っている。






 車内で、若宮先輩は淡白に話した。僕が春夏秋冬の話をしたときに考えついたそうだ。名前の漢字に季節の漢字単体が入っている必要は無いのではなかろうか、と。春野さん、夏樹先輩、秋吉先生。この時点では漢字単体だから確信はないというが、表情から察するに、嫌な予感らしきものはあるようだ。

 そこまで話したときに、先輩が言わんとしていることを理解した。


 ――「あ、ごめんね。高校二年生の先輩でね、木偏に冬で柊、空と人偏に左で空佐って書いてヒイラギアサさんっていうの。もともとチョウケンの人だったんだけど、会ったことある?」――


 建設中のビルの七階、いくつもあるテナントの一つ。

 今朝、仕事をしに来た作業員が首をつっている状態の女子高校生を発見した。


「発見時、被害者は首吊りの状態でした。死因は窒息。首には、首をつられたときのあざが矛盾なくついていました。そして、少し離れた足元には倒れたいすが放置されていました」


「発見時のままですよね?」


 先輩が静かに尋ねると、本田さんは首肯した。ぼんやりと天井を仰いだ。先輩に倣って天井を見上げた。

 丈夫そうなフックが固定されている。フックには、細いロープの一方が結わえ付けられていたような傷跡が残っていた。


「外傷は?」


「手足に防御創が多くみられました。側頭部に致死には至らない程度の打撲痕、首筋に小さな点の内出血があったようです」


「側頭部の打撲は殴られたものとして、その内出血の原因は?」


「断定はされていない。内出血は、ちょうど索状痕のすぐ下に見られた」


 こう兄がぶっきらぼうに答えていく。。


「しかし、ロープは固い素材ではなかったから、可能性は低い。俺が見た限りでは、注射痕くらいの大きさに見えた。まあ、監察医のお墨付きだよ」


「そうですか」


「まだあるかな?」


「いえ。それでは、お暇しようかと思います」




 移動中、車内の会話は何もなかった。

 重い雰囲気で到着したが、続いての目的地では一変する。


「斯波さん」


「わあ、また来た」


 長い黒髪の女性はこう兄の呼びかけに振り向くと「これあげる」ファイルを突き出した。こう兄は受け取ると流れるように本田さんに渡した。


「あなたの能力に敬意を抱いている故ですよ」


「日野さんならそう言ってくれると思ってた。ちょっと来て。資料とか全部あるから」


「おや、手際がよろしいようで」


 弾むような足取りの斯波さんについて行く。おしゃべりらしく、まくしたてるまではいかないものの、沈黙が存在しない。


「日野さん、スタンドプレーがお好きでしょう? 来ると思ったの。本田さんを相棒に、だけど」


「そうでしたか」


「コーヒー、飲む? あ、本田くん、連絡ありがとう。聞いてね、良い? 急速に血液が失われると、体温や死斑や硬直からは死亡推定時刻を割り出せないんだよ」


「飲み物はいらないですし、おそらくそのご遺体ではありません。それから、慣れていない人間もいるので抑えていただけますか、斯波さん?」


「そう? それはごめんな――あ、わかったわ。そのファイルの山の下から二七つ目よ。勝手に見といて」


 慣れていない人間というのはおそらく僕のことを指しているのだろうが、まだ斯波さんの視界に入っていない気がするから彼女にとっては何の話かわからないのだろう。

 特に気にする様子もなく、オフィスに到着すると机に積まれた大量のファイルを指さした。


「上から数えたほうが早くないですか、これ」


「え? 私、どの事件までまとめ終えたの?」


「知りませんよ」


「だったら私も知らないわ。把握しているの、あおちゃんだもの」


 本田さんはため息をかみ殺してファイルを下から数えて探し始めた。ファイルタワーは四〇段ほどあるだろうか。絶妙なバランスを保っている。

 白衣の女性・斯波さんはなかなか勢いがある方だ。降車直後、本田さんにがんばれと応援された意味を理解した。


「何か手がかりはありますか?」


「久しぶりだね、名探偵さん。えーっと、全部で五つってところかなぁ。法務省のお偉いさんの次男だから急がされたの」


「へえ、拒否されなかったんですね」


「切り刻むのは許す。だから、さっさと返せってね。あ、再解剖はできないよ。返しちゃったし、もう火葬されただろうから」


「斯波さんを信用してます」


「私ちょろいから、あまりそういうこと言わないほうが良いよ? もう遅いけどね。あ、ねえ、聞いて。今朝、面白い人を」


「と、こ、ろ、で。何か手掛かりは?」


「岩本夏樹については、もう日野さんに特別教えた情報で全部だよ。捜査本部にも資料は提出したし、あおちゃんが確認してくれたから情報漏れは無い気がしなくもないかなーぁ。あったらごめんね いてっ」


 顔の前で両掌を合わせる斯波さんの頭部にファイルがぽすりと落ちてきた。


「あったら困ります、気をつけてください。該当するファイル、これですか?」


「うん、それ。お疲れ様。コーヒーは」


「いりません。それよりも、解説をお願いします」


 淡々と話を進めるあたり、本田さんは斯波さんの扱いに慣れているらしい。こう兄の扱いよりは楽か。


「自殺とも他殺とも断定できないかな。あおちゃんを使って実験したんだけど、手錠って自分で後ろ手に拘束することができるの。だから、首つり自殺のために自分で拘束したか、殺人犯が抵抗されないように拘束しておいたか。

 どっちかわかんないんだよねー。うん、残念!」


「死亡推定時刻は?」


「二日前の一九時から二一時って書いてない?」


「それで、発見されたのは今朝ですか」


「みたいだね」


「なぜタイムラグが生まれたのだろう」


「あ。金曜日は休みだったからじゃないですか?」


 先輩のつぶやきに思いついたことを言ってみた。


「ビルの入り口に工事予定って大きなやつが張られてて、昨日の欄には休みと書かれていました」


 先輩は何も言ってくれなかった。良い線いってると思ったのだが。それとも気に障ってしまったのだろうか。いや、工事の予定が気に障ることなんて無いか。


「古典的な方法で時刻をずらされた可能性は?」


「無いと思うわ」


「確実ではありませんか」


「このやり取り、久しぶりね。ちゃんと確認したわ。私が解剖した時点で、ご遺体は亡くなってから二四時間経過してなかった。知ってる? 一日って意外と短いの。時間の偽装は難しい。直腸温度の他に推定する方法で調べても、時間に大差はなかった。詳しく言うと、血液検査と眼球検査。血液検査は温度や酸素、二酸化炭素などの濃度を調べた。眼球検査はね、死んだあと眼球の赤血球が破損しカリウムが生成されるの。四枚目の写真、その濁りが副産物。それぞれの方法で詳しく調べたら、どれもズレは無かった。

 納得できないなら二時間を好きなように動かして」


「ご丁寧にどうも。しかし、日野刑事と同様に、私も貴女の能力に敬意を抱いていることをお忘れなく」


「あら、嬉しい言葉ね」


 斯波さんが微笑んだそのときだった。勢いよく扉が開かれた。


「おっしゃる通りでしたよ、クソ上司さま。鑑し、き、から」


 手に抱えるファイルから目を離した途端、言葉が弱まっていく。茶色の短い髪の女性は斯波さんに視線を向けた。


「ねえ、あおちゃん。私、ファイルいくつ終わらせたっけ?」


「三八です。コーヒー飲んでても構いませんが、さっさと続き進めてください。

 あの、本田さん、日野さん。失礼いたしました。一刻も早くお伝えしようと参りました。というのも、ですね。第三の現場から第一の事件で消えた被害者の眼鏡の破片と血液が見つかったんです。」


「あのビルといいますと、柊美空の遺体発見現場ですね?」


「はい。あ。これが、鑑定結果です」


 あおちゃんさんは本田さんにファイルを差し出した。


「以前話した通りなんですけど、この斯波さんから話を聞くよりも文章のほうがまだわかりやすいと思います」


「あおちゃん毒舌ーぅ」


「はいはい、どうも。ああ、斯波さんでも一応日本語は扱えるみたいですね」


「本田さんも毒舌ーぅ」


「斯波さんうるさいです。まずいコーヒーでも飲んでいてください」


「今日はイジワルなの? まあいいや。ねえ、あおちゃん。もうひとつは?」


「ああ、はい。あの……」


 あおちゃんさんは一度ファイルを机に置いて該当するものを探し始めた。斯波さん、今日の彼女の当たりが強いのは第三の事件の再現を手伝わせたのが原因だと思います。それか、日ごろの行いですかね。

 思わず視線がこう兄に向いてしまった。ちょうど彼は斯波さんに「もう一つというのは?」と尋ねた。


「ひい……第三の事件の被害者のレントゲンを撮影したとき喉におかしな影があったの。正体はガラス。それを鑑定してもらったの。ああ、そう。舌骨が折れてなかったんだよね、喉から出血があったのに。不思議でしょう? だから気になったの」


「ああ、はい。舌骨、喉の骨ですよね。へーぇ、そうでしたか」


「そしてこちらが鑑定書です」


「どうも」


「舌骨」


 本田さんの興味なさそうな言葉を思わず繰り返すと、若宮先輩は耳打ちする。


「喉の奥にある小さな骨だ」


「U字型というかY字型の、首を絞められたら特有の骨折をする、あの舌骨ですか?」


「……」


「本で読んだんです。その目、止めてください。

 まあ、これは置いといて。折れてる必要、ありますか?」


「お? どういう意味?」


 斯波さんが器用にいすを回転させて、そこから嬉々として身を乗り出した。あおちゃんさんが「危ないです」と言いながらいすを支える。

 彼女の問いに深呼吸してから落ち着いてなるべく答えた。


「素人意見で悪いけれど、他殺が濃厚になったように思うなぁ。自殺で舌骨はめったに折れないし。あと、ほら、ガラスを飲み込むなんて、普通の状況ではするものじゃないでしょう? 飲まされたか、飲んだか。どちらかと言うと、飲まされたほうに天秤傾かない?」


「証拠を犯人から守るために飲み込んだことも考えられます。事実、鑑定結果は」


「一致している。第一の被害者の眼球から検出されたガラス片と第三の被害者の現場と喉から検出されたガラス片は同じ物質だよ。商品が同一かどうかまでは断定できないけれどね」


 視線を向けると本田さんが答えてくれた。先輩の付き添い、なかなかネームバリューがあるらしい。

 とにかくもらった情報を基に、妄言もとい推測を固めた。


「つまり、喉からガラス片が検出されたからと言って他殺側に天秤は傾きません。それから、首のアザは自殺の場合で相違ないとのことでしたが、自殺ではめったに折れないと聞いたことありますけど、同時に、未成年の骨は成人よりも柔軟性があると聞いたことがあります。舌骨が折れるのは、首を絞められた時にY字の内側へと負荷がかかるからですよね? あの、それです、すみませんどれでしょう。ああ、あれです。現場を見せていただいた素人の意見を述べさせていただきますと、吉川線は無く線条痕は首吊り自殺の場合と類似していたのは、後ろ手に手錠をかけられていて地から足が離れても十分に抵抗ができなかったからのように思えます。

 おっしゃる通り、あの状況では自殺で亡くなったときとのほうが類似点が多いです。ですが、この件に関して言えば、舌骨の骨折の有無が自殺か他殺か判断できる材料にはならないと思います」


「ほへー。面白い見解だねぇ?」


 斯波さんはにっこり笑った。


「舌骨。そう、あれは面白い骨でね。人体を構成する骨の中で唯一、どの骨とも関節を介してつながっていないんだよ。さて、ぜひとも二時間ほど」


 さらに身を乗り出した斯波さんの体はグイッと襟首を掴んだあおちゃんさんによって後ろに傾いた。


「それについてはいつか、そうですね五〇年後ほどでいかがです?」


「えー、あおちゃんイジワルー!」


「斯波さんの二時間は六時間じゃないですか。あ。報告は以上ですよ、刑事さん御一行」


 あおちゃんさんの言葉で、僕らは暇を告げた。

 時間もだいぶ遅くなってしまっているので、その車で家へ送ってもらえることになった。行き程ではないが、車内の空気は重くて沈黙が保たれていた。いままで先輩を見ていて、今回亡くなった柊先輩とただの知り合いではなかったことはわかっているつもりだ。だが、ショックがどれほど大きいか、想像がつかない。

 ひとまず、僕はノートを膝に広げて事件の情報を整理することにした。不意に、こう兄がバックミラー越しに目が合った。


「さーくん。それは何?」


「ただの紙、文字が書いてあるだけ」


「反抗期、いつ終わるの?」


「始まってないから終わらないよ、残念」


 こう兄は窓の外へ視線を動かした。続いて、隣から質問がかけられた。


「日野少年、君の朝は早いか?」


「遅くはないと思いますが」


「明日の朝、別館のほうにいる。気が向いたら来ると良い」


「え、今日じゃダメですか?」


「は?」


「こう兄」


「若宮くんが大丈夫なら構わないよ。迎えもこちらで手配できるし」


「妹ならもう寝てます。ご安心ください」


「その心配ではなくて……やけに早いな。まだ二〇時前だが」


「基本的に十九時過ぎに寝るようにさせてるので」


「なぜそんなことを?」


「でないと、翌朝学校へ行けないからですよ」






「おかえ……り」


 起きてました。

 円禾ちゃんから寝かせたとメールが来ていたのに。


「ただいま。ご存知の通り、若宮先輩。悪いけど、話したいことあるから部屋にいてもらえる?」


 コクリとうなづくと足早に去っていった。


「お噂はかねがね。随分と可愛らしい子だね」


「屈託ありますが、良い子ですよ」


「双子か。いやはや、どれくらいの人口を占めているのだろうね」


「一〇〇〇人につき三.五人ですよ。小さいころ、妹に同じ質問をしたら教えてくれました。その後の良くわからない話は割愛します」


「そうかい。助かるよ」


「あの先輩、覚え書きです」小脇に抱えていたノートを先輩に差し出した。


「用意周到だな。ああ、車内で書いていたね。

 つまり、君は、この一連の事件の解決に必要な情報は既に提示され尽くし、この覚え書きとやらに過不足なく要約されている、と。そう言うんだね?」


「はい。いえ、ああ、その。全部かどうかまだわかりません。まだあるかも」


「随分と書いたね」


「頑張りました! あの、若宮先輩ならこの事件を砂上の楼閣として瓦解させることができると思います」


「いまさら聞くのもおかしいが……本気かい?」


「冗談でこんな善光寺参りみたいなことしませんよ」


「引いてるのは牛ではなく君の好奇心、つまり、君自身らしいが」


「戸惑いはありますが、自分の興味に勝てないだけです」


「応援しておくよ」


「飲み物、用意してきます。コーヒーでいいですか?」


「ああ、ありがとう」


 扉がそっと開けられる音がしたが、無視してキッチンへ逃げ込んだ。

 なんだか、自分のしていることが、こう……大丈夫なのか。不安になった。いまさらだけど、失礼なこと言っていないかとか、変な考えをしていないかとか、そういうやつを一旦リセットしたくて、逃げ込んだ。

 リビングの声を聞きながら、コーヒーの準備を進めた。


「気になるのかい?」


 先輩が驚くほど穏やかな声色でそう言った。


「おいで。いくつか聞かせて欲しい。君は、あの日、現場にいたんだよね」


「……あのね、まさに話したの。悪い人のこと、話したの」


「どんな話か、お聞かせ願えるかい?」


「えっとね、あのね、まずね」


「君はもう寝てください」


 こくりと頷き、部屋へ駆けて、消えた。

 言い訳するように口調になってしまったが、先輩に理由を話す。


「話すの、まだ苦手なんです。それに、何を聞いても新しい情報は無いですよ」


「詳しいね」


「そんなことありませんよ。それに、保護者がもう話を聞いたそうなので気になるなら明日、刑事に聞いてください」


「君が聞いても不思議はないと思うが、理由があるのかい?」


 何と答えればいいか思いつかず、黙り込んでしまった。しばらく先輩に観察されたが、やがて「さて、お暇するよ」そう言ってどこかに携帯で電話をかけた。それからしばらくノートを読み込んでいると、先輩の携帯がバイブレーションで震えた。数分もしないうちに暇を告げ、外へ出たところで「先輩」と声をかけた。


「僕はあの子の話、聞いてあげられないんです」


「それでいいのかい?」


「もういい加減、裏切るわけにはいかないので」


「そうかい」


 先輩を見送り、すぐに家に戻った。扉を開けると、すぐ側に妹が立っていた。驚いて数秒間ほど停止してしまった。


「寝ないの?」


 かろうじてそう尋ねた。


「眠くない」


「明日どうするの?」


「ふぇ?」


 もういいや。別に。


「何か飲む?」


「喉乾いてない」


「そっか」


 そう言いながら靴を脱いでリビングへ向かった。妹をソファーに座らせ、僕はリビングの食卓のいすに腰掛けた。


「ねえ。あやはどう考える?」


「……言わないとダメ?」


「ムリなら大丈夫」


 数秒ほど考え込むと、一度部屋へ戻りウサギのぬいぐるみを持ってきて再度ソファーに腰を降ろした。気になってテーブル上のノートに視線が移った。先輩が置いたときから少し角度が変わっている。おそらく、彼女は目を通した。


「ヒイラギアサは、ハイリスクな被害者だと思う。だから、有益な情報はローリスクを選ぶイワモトナツキ、アキヨシタモツの事件からのほうが得られる。被害者は背後から襲われた。犯人はあまり社交的じゃない人、自信がないから会話で気軽な雰囲気を作ることもうまく騙して被害者を操ることもできなかった。犯人と被害者は親しくはないが知り合い程度の関係。どうして被害者は他のたくさんの候補から選ばれたのか、どのようにして殺されたのか。この二つの疑問の先に、誰が殺したのか。この疑問の答えがある」


 彼女の言葉を催促してみようと、質問してみた。


「撲殺、刺殺、絞殺。手口は違うけど?」


「どの被害者に対しても、犯人は不意をついてる。抵抗されたくなかった。イワモトナツキのときは咄嗟にだったから少し異なっているけど、後の二人に対しては拘束してから殺害を試みている」


「どうして岩本先輩のときは咄嗟だったってわかるの?」


「凶器が現場にあるものだった。遺体の処理について後で偽装はしているけれど、だいぶ雑」


「殺害と遺棄は別だったってこと?」


「犯人がイワモトナツキを殺したのは夕刻。遺体の処理が当日なら翌日、誰かが授業前に気がつくはず。行われたのは一時間目の授業が始まったころ。生徒は授業で教室。先生も授業があるなら教室、そうじゃないなら……職員室?」


「そうだね。先生も授業が無いなら校内を歩き回ったりすることも無いね」


「うん、無いね。うん、その場でなんとかしようとしてるってことだから、元々、準備はしてなかったんだよ。準備してないってことは、咄嗟って言うんでしょう?」


 少しずつ曖昧な発音になっていき、視線は虚空で漂っていく。それでも彼女の分析は正確なのだろう。


「被害者はイワモトナツキ、アキヨシタモツ、ヒイラギアサ、私立翔衛学園関係者が三人。二人目は先生だから学園の関係者だってことは外見からだけじゃ分からない。制服着てないし、先生たちは学園の外で会ったら普通の会社員みたいで統一はされていない。校内で襲われたなら関係ないね。諭槻ヶ丘駅の半径一キロ圏内に会社は数十、学校法人は五。本人を知らないと学園関係者として襲撃できない。三件目が学園の外だった理由は分からないけど、一件目と二件目は学園内で犯行が行われてる。うん、そう。犯人は学園関係者。

 ゲーム性が無いし、犯行をショーにしようとして無いから、快楽殺人じゃない。理由は……動機は、自分の利益のため。事故なら、殺意が無ければ、遺体を隠そうとしても損壊しようとまではしない。イワモトナツキの死因は転落死じゃないとすぐに判明したはず。凶器は犯行現場の置物。殺害の準備はしてなかった。すぐに殺すつもりは無かった。腕に防御創、一撃目は正面。被害者は警戒していたか、あまり親しく無かったか。それなのに、どうして殴られたのか。殴られると思ってなかった。相手が想定外の行動を取ったから、何が起こったのか一瞬、判断が遅れた。親しくないのに、被害者は犯人の人格をある程度わかってるつもりだった。もし襲われたって、どうにか出来るつもりだった。犯人はイワモトナツキよりも小柄、もしくは同じくらいの体格でも体を鍛えていない、運動してないタイプ。

 短期間、週の終わり。撲殺、刺殺、絞殺。手口、バラバラ、無規則。どうしてか」

「あや」

「動機は一貫してる。可能性が高いのは、口封じ。秘密の暴露を防ぐため」

「もういいよ」

「イワモトナツキはヒイラギアサに情報をもらって、秘密を理解し、それを犯人に問い詰めた。だから、殺された。アキヨシタモツは、キーパーソンで証言されたら不利益。だから、殺されかけた。ヒイラギアサは、もっと知ろうとした。だから、殺された」




『闇を纏うミネルヴァの梟

 月明かりは 輪を結び

 星の歌に 祈るだけ


 その先には何もない』




 ふわりと雰囲気が変わる。ようやく瞳に光が戻った。

 まだ僕らが幼いころに父が歌っていた。妹が泣くと、父は妹を抱き上げて子守歌のように口ずさんだ。似たような歌も詩も見つけられなかったから、出どころは未だわからないままだけれど。


「いじわる」


「ごめんね。大丈夫?」


 そう尋ねると、小さく頷いてくれた。


「まだ続けるの?」


「もうすぐ解決するだろうから。大丈夫だよ」


「しなかったら?」


「するよ、大丈夫」


 どうして、と黒い双眸が問う。


「名探偵がもう動き出してる」

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