幻影の秋 3
白瀬先輩から受け取った書籍と手作りらしいぬいぐるみをしばらく観察していたが、中断して一気にカフェオレを飲み干した。通学カバンから新品のノートとシャーペンを取り出し、机に広げた。
罫線を気にせず、三名を記してみた。
春野愛花 さん
岩本夏樹 さん
秋吉 先生
二年前に消えた春野さん、亡くなった夏樹先輩、先日重傷を負った秋吉先生。
書いてみると、やはり考えが可視化できて思考が整理される。
出来過ぎていると思うが、現実は小説よりも奇なりとも言う。
春夏秋冬、これで一年が巡る。あと足りないのは、冬。名字か名前のどちらかに冬という漢字が入っていればいいんだ。
冬城智博。
彼の名前にも、入っている。
偶然か、姿の見えない犯人の意図が反映されているのか。いや、待った。春野さんがきっかけだとしても今回の犯人によって失踪したとは言い切れない。冬が名前に入るのは、彼だけじゃない。次の事件が起きる前に何とかできれば……この件は、名探偵に投げることにする。
大丈夫。若宮先輩は、二年前の名探偵は、すごい方だ。どうにかしてくれる。
だから、今はもう一方について考えることにする。
『桜の舞う頃に』の該当する文章を思い出し、こちらもノートに綴った。
次に、左手でこめかみに触れ、岩本先輩が握りしめていた紙の内容と秋吉先生に届いた手紙の内容を正確に思い出した。
春は、拍動。生を享受する
夏は、衝動。罪に気がつかない
秋は、消失。やり直すには遅い
冬は、幻影。そこには何もない
これこそ偶然かもしれないなと思いながらも、文章に傍点を乗せた。
冬には、隣で小春が笑っている日常があると信じていたけど、それは結局、幻影になった。それからは、はじめからそこには何もないことが真実だったのかもしれないと思うようになっていた。
(文章は、七ページ十六行目から引用)
あの夏の出来ことは、衝動的だった。本当は違うけど、そう自分に言い聞かせて、私は罪に気がつかないふりをしたの
(文章は、四二ページ五行目から引用)
小春は、しばらく自分の心臓の拍動を僕に聞かせた。全身で生を享受する彼女に、僕は何も言えなくなった。
(文章は、三〇八ページ四行目から引用)
秋ちゃんは気づいてるよね、記憶から私を消失させた方が楽になれるって。それなのに、やり直すには遅いんだよって言ってくれたの、本当に嬉しかったよ
(文章は、三八九ページ十三行目から引用)
先ほどと同じ言葉をもう一度声に出す。
「冬、夏、春、秋……春夏秋冬」
偶然か。いや、春野さんが失踪する前に妹に渡していた本からの抜粋だから、何か意味があるかもしれない。何かを残そうとしたか、それとも、思い出作りか? 先輩方の話だと姉妹仲は良かったことに想像はつく。
そこまで思考が至ったとき、ノック音が聞こえてきた。
部員でもないのにどうぞと許可を出すのはおかしいか。立ち上がり、ゆっくりと扉を開けた。
「あ、あの……すみません。今、ちょうど先輩方は」
誰もいない。ビビッて損した。座って考え直そうと背を向けた。
突然、どこかからか人影が飛び出してきた。
振り上げた両手には、一瞬煌めいた長細い何かが握られている。
僕は、咄嗟に頭に浮かんだ映像通りに応戦した。
「痛―っ……」
黒い布を頭から被り尻もちをついた侵入者を前に、やっと我に返った。僕は、竹刀の代わりにシャーペンを構えていた。シャーペンに目立った傷が増えていないことや全く怪我がないことを考慮すると、煌めいた長細い何かの正体は、そこに転がっている日本刀のレプリカだったらしい。
「あ……あの、す、すみません!」
どこか痛めてしまったらしい不審者に駆け寄った。
カジョウボウエイだったろうか。否、誰だってレプリカとはいえ日本刀を持ってこられたらさすがに全力で対抗するだろう。
「いや、問題ない。正直、ここまでとは思わなかったよ! あっはっはっ」
しばしの間、彼は笑い続けた。あっけにとられてしまったが、僕はこの声を知っている。
「若宮、先輩ですか?」
「正解だ。いきなりこんなことをしたのは謝るよ。悪かったねぇ」
決まり悪そうに黒い布からその端正な顔を覗かせ、背後に花が咲くような麗らかさ漂う笑顔で言った。
「君に何かある気がするという推測を確かめたい好奇心から、つい」
へぇ、僕は好奇心から刀振り下ろされたのか。ははは、笑えない。
「下手したら死んでるんですけど」
「あれは剣道部から借りたレプリカさ。さすがにホンモノは危ないからね。ほら、諸刃の剣っていうだろう? 良い武器も使い慣れてなければ怪我する。それはさておき、雰囲気のために演劇部からこの布を借りてきたが、想定よりも動きにくかったな」
あっはっは、と楽しそうに笑う様子だが、こちらは言い返さないと悔しい気がした。
「当たれば痛いことに変わりありません」
「一応、寸止めか外すか勢い弱めるか、できる準備はしていたよ」
「で、でも」
「まあまあ、落ち着き給え。ほら、仲直りの握手だ」
このおふざけを始めたのは向こうとはいえ、僕がやりすぎてしまったことには変わりない。納得はしていないが、若宮先輩に差し出された左手を握り返した。
「すみませんでした」
「かまわないよ、仕掛けたのはこっちだからね。それで?」
先輩は立ち上がると、すでに高い背をもっと伸ばしながら窓辺へと歩いていく。
尋ねたくせに、聞く気はないのだろうか。
「誰か来ていたのかい?」
先輩の視線が『桜の舞う頃に』とクマのぬいぐるみを捉えた。
「あ、あの!」
「どうかしたのかい?」
「木に縁りて魚を求むような馬鹿なこと、時間の無駄だと思うんです。なので、あの、少し、よろしいですか?」
「今更だね。何かな?」
優雅にソファーに腰を下ろす。そんな彼に問いかけた。
「事件について、先輩はどこまでご存じですか?」
「友人から伝え聞いた程度なら」
そうのたまう若宮先輩に今まで、九条先輩にたきつけられる前の情報も含め、手に入れた情報をすべて開示した。最後のほうには、先ほど思いついた可能性のことも付け足した。
「ふむ。また同じ犯人による事件が発生する可能性は、君の推測によると非常に高いようだね。しかし、なぜ岩本少年が殺害されたのか、なぜ秋吉先生が巻き込まれたのか。それがわからなければ、冬の犠牲となる人物を絞り込むことはできないだろう?」
「それはそうなんですけど、でも……岩本先輩は春野愛花さんと親しく、彼女の失踪について調べ続けていました。ですから、似た条件の人物はいないかと考えてみたんです。白瀬先輩の名前は怜奈さんですし、神谷先輩は奏太さんです。生徒会の方々や演劇部の先輩の方々にも名前に冬が付く方はいらっしゃいません」
「だからと言って、智博が該当すると考えるのはあまりにも乱暴ではないか? 何の関係があるというんだ?」
「秋吉先生の事件、体育倉庫だったんですよ? それに、ちょうどバスケ部の部活がある日でしたし」
「君の考えはわかる。春野愛花の失踪について隠したい犯人からすれば、調べる人物は止めたいだろう。どんな手を使おうとも。まあ、これについては私に任せてくれ。良い気分ではないが、心当たりがある。
さて。では、本題だ」
若宮先輩はソファーから体を起こし、僕の鼻先に人差し指をずいと寄せた。
「君、雑なんだよ」
「と、言いますと?」
「聞けばちゃんと教えてくれるが、面倒だよ。自分が可能な限り一回で情報くれないかい? 話にしても、文章にしても、曖昧な点が多い。こちらも超人ではないのだ。きっかけはともかく、正確な情報がなければ正確に推理することができない。ただでさえ出遅れている自覚はある。君が無意識に言ってくれない情報こそ、重要である可能性もある。わかるかい?」
「は、はい。すみません」
「では、やりなおし」
若宮先輩はあくび交じりに指示した。
可能な限り、一回で……僕は左手をこめかみに当てながら、正確に“検索”したことを話し始めた。
それから数十分。
「そうしたら」
「長い!」
若宮先輩は癇癪を起したように話を遮った。
「ながっ……? え? だって、一回で可能な限り」
「簡潔に、という言葉を知らないのか? 鳥が二羽飛んでたとか、そいつらが東に飛んでいったとか」
「北東です」
「そういう内容は、今は要らない。細かく言おうとするほど思い込みが含まれ、正確な情報が埋もれてしまう。先ほどのほうがまだ良かった」
彼の言い分にムッとして言い返した。
「賭けてもいい、絶対に客観的な情報です」
「そんな細かく記憶できるものか。意図していなくても、記憶のねつ造はありえる」
記憶力を言及されるような状況になると、いつもならごまかすか話題を変えるか、どちらかを選択するようにしている。しかし、このとき、僕は言い返してしまったこともあり、そうするのは我慢できなかった。
「絶対にしません。僕は、一瞬あればすべてを正確に記憶できます」
「そうか。そこまで言うなら」
すると、どこからかトランプの束を取り出し、若宮先輩はそれらを宙へ広げるようにして投げ飛ばした。
トランプが算を乱す。
「わっ……」
直後、若宮先輩は僕にブレザーを頭から被せ、尋ねた。
「トランプ、投げてないのは?」
そして、挑発的に言った。
「一瞬あれば、充分なんだろう?」
意図を察し、すぐに先輩の挑戦を理解し、左手でこめかみに触れた。
「スペードの四、七、K。ハートの九。クローバーは該当なし。ダイヤは二、五、七、八、Q、K。計一〇枚です」
完璧な答えに満足し、ブレザーを取り払った。目の前では若宮先輩がうつむいている。
その様子に勝ちを確信した……のだが、
「ははははっ!」
先輩は突然笑い出した。それがおさまってから、涙をぬぐい拍手した。
「すごいね、あたりあたり。いやあ、君、やっぱり面白いね」
一〇枚のトランプを両手に先輩が楽しそうに言ったとき、背後から
「ナオさん、後輩で遊ばないでください」
加藤先輩の声が聞こえてきた。いつ入室したのか、全く気がつかなかった。目が合うと、彼が顔の前で両手を合わせて軽く頭を下げたから、苦笑を返した。
「どうぞ、ご所望のものです」
「早かったですね。ありがとうございます」
「では、もう戻ります」
「ああ。構わないよ」
加藤先輩は若宮先輩に数枚の紙を渡すとすぐに退室した。
「事実を埋れさせてはならない」
呟いた先輩に視線を戻す。
「私の尊敬する方の言葉でね。どのような意味か、わかるかい?」
「さあ、どういう意味なんですか? 創作の世界の、刑事みたいな言葉に聞こえますが」
「私も知りたい」
「え?」
「君もわからないか。非常に残念だ」
何のための質問だったのか。
首をかしげていると
「それでは、君の話を整理してみようか」
若宮先輩は居住まいを正した。
「二年前の少女の失踪は、ある人物、今は、謎の人物としておこうか。この人物に仕組まれたものであった、と」
急いで机の上に放置していたノートに駆け寄る。
「今度は岩本少年を殺害、秋吉先生を手に掛けようとしたが失敗し……次にあと一人の命を狙っているとのことだったね。可能性の話では、冬を名前に持つ人物や今までの被害者と近しい人物。春野愛花と岩本夏樹は親しかったそうだし、演劇部員だった春野愛花を顧問の秋吉教諭が知らないとは思えない。ふむ、春野愛花と親しかった、または、かかわりのある人間が被害者の選定条件か。そう考えると、智博は次の被害者となる可能性から外していいのではないか?」
新しいページを開いた。焦って、数ページ分が捲れたが、気にせずシャーペンの芯を出した。
謎の人物、春野愛花、岩本夏樹、秋吉先生、白瀬先輩、の春夏秋冬を目立つようにして矢印や線を足して相関図を作り、名前の下には、それぞれ該当する“詩”の節を書いた。
「はい」
岩本先輩の名前の下に死亡、春野先輩の名前の下に行方不明と綴った。
「ほう。君の手腕は、敏腕刑事を思わせるね」
いつの間にかノートを覗き込むようにしていた先輩が耳元で呟いた。
「本当ですか? 身近に刑事がいる環境だったからかもしれません」
「へえ、そうなのか」
「今の保護者もですけど、父も、警察官だったんです」
僕の言葉に穏やかに微笑むと、ノートを閉じた。
「やはり、情報は正確で新鮮なものだね。移動しよう」
「移動って、どこに」
「来るなら、準備することだね」
若宮先輩はいつの間にかフラワーホールにあのカラフルなバッチを付けていた。通学カバンを肩にかけ退出しようとする背中を見送りそうになったが、急いで僕も通学カバンに白瀬先輩からうけとった書籍やぬいぐるみなどをしまい込み、急いで追いかけた。