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さようなら、長春色の追憶  作者: 視葭よみ
File01 出会いの季節
10/32

動き出した夏 3

 週明け。

 たった三日前の事件は無かったように、学園は通常運転だった。教師陣が情報規制を徹底して生徒を守っているのだろう。しかし、人の口に戸口は立てられないものだ。


 早めに家を出たおかげで教室には一番乗り、電気すらまだつけられていなかった。

 教室から目的地への最短経路は、中庭が見える階段を利用する道筋だ。荷物だけ置いて早足で向かった。

 不意に視界の端で異質を捉えた。

 噴水の奥、大きなブルーシートで覆われた空間。テレビでしか見たことはなかった。目の当たりにして、はじめて鮮明な雰囲気がわかる。

 そのもっと奥では何も知らない立派な桜の木が孤独に、しかし、堂々と若葉を生かしている。

 奇妙な悪寒を誤魔化すため、さらに足を早めた。

 今朝もニュースでは岩本先輩の死について報道されていた。屋上の鍵が壊されていたこと、血を流し倒れていた場所から、屋上から飛び降りた可能性がある、と。

 深い親交は無かったが、会話はした。彼が亡くなったのは、その翌日だった。しかし実感が無いから、不快に感じている。

 これ以上は無駄だと、思考を別のものに移そうと試みる。


 ……自殺か、偽装自殺か。


 一般人の推理力や入手できる情報量ではわかりもしないが、思考から離れてくれないらしい。

 いつの間にか、目的の扉の前に到着した。

 幸い、廊下にわずかに光が零れている。確かに有人らしい。せっかく朝早く訪れたのだから、心の準備に手間取るつもりは毛頭なかった。だからといって、平常心でこの扉をノックできるわけではないけれど。

 さて、どうしたも――


「何してるのぉ?」


 ワンテンポ遅れて、茶髪の先輩に顔をのぞきこまれていることに気が付く。


「ぴゃいっ、何でもございませんでございます!」


「何でもないのに生徒会室に来る人、いないんだよぉ。知ってたぁ?」


「あ、ええっと、それは……先輩は、どうしてこちらに?」


 彼女はあからさまに話を変えられても嫌な顔一つせず、ノックして扉を開けた。入室を促され、従う。

 ネクタイ、リボンから察するに、室内にいらっしゃったのは中等部の先輩方だ。僕らの入室に伴い、話し合いを中断させてしまったらしい。

 白瀬先輩は僕を一瞥すると彼らに向き直って


「どうしたんですか、不破先輩、前橋先輩、田村くん?」


 左の方から順に指さしながら呼んだ。

 真ん中の女子生徒、前橋先輩が代表して答える。


「少し、相談事だよ。けいちゃんは?」


「忘れ物でーすぅ。この子は、なんか入りたそうにしてましたぁ。理由は知らなーい。ではではーぁ!」


 彼女は棚からノートを抜き取ると、暇を告げた。視線が集中し、沈黙が流れる。空気を大きく吸い込んでから声を出す。


「あの、その……少しお伺いしたいことがありまして」


 三人は顔を見合わせると、前橋先輩が代表で対応することにしたらしい。


「どうしましたか?」


「気分を悪くさせてしまったらすみません。皆さんがお話なさっていた内容は、土曜日が臨時休校になった理由と関係はありますか?」


   前橋先輩は戸惑いつつも微笑み、後ろの二人は顔を見合わせた。ビンゴか大外れか、判断がつかない。


「お時間、今、難しいですか? でしたら、今でなくても、大丈夫です。ただ、情報が欲しいんです。岩本先輩、最近、何か様子がおかしかったり異常に気にかけていることがあったりするなら、教えていただけると、その、はい。助かり、ます!

 それでは、失礼いたしました!」


 暇を告げ、教室へ逃げ帰った。

 チキンという勿れ。これが僕の精一杯である。



 

 教室に戻る途中、一年一組の教室を覗いた。


「あや」


 周囲の声と視線は、黙殺した。

 手招きすると、小走りしてやってきてくれた。壁に肩を預け、妹に尋ねる。


「ごめん、今日は一人でおうちに帰れる? 言い忘れてたんだけど、帰る前に行きたい場所あるんだよね」


「新しい本、買ったばかりなのに、いいの?」


「本屋さんじゃないよ」


 自宅の最寄駅からならまだしも、一人で電車を利用させて帰らせることには、不安しかない。連れて行くにしても、この子に聞かせたい話ではないのだが、子守りがいなければ聞くだろう。

 どうしたものか、と視線が遠くに向かう。

 ちょうど登校した智博と視線がかちあった。タイミング、最高。手招きすると来てくれた。妹は何かを察知して僕の背に隠れる。


「おはよ」


「おはよう」


「おは、よう……」


 視線を妹に投げると、すぐに意図を察して隠れつつ顔をのぞかせた。これなら、恥ずかしがり屋さんで通せるだろう。

 智博に向き直ると背を向けられていたが、構わず尋ねた。


「今日って暇?」


「放課後? まあ、部活ないから暇だけど」


「じゃあ、子守り、頼める?」


 妹を智博に差し出すように前に立たせる。

 数秒の沈黙が流れる。


「え?」


「ムリ?」


「あ、いや。何すればいいの?」


「子守り」


「もっと、こう……具体的に」


「あやの興味を引いてくれるなら、何しててもいいよ」


「ハードル高いな」


「そう? 知らないこと多いし、何にでも簡単に食いつくと思うけど。それに、智博ってそういうの得意でしょ?」


「何をもってそう言ってんの?」


「入学式の件を含めた現在までの学生生活を踏まえてますけど?」


「……宿題で忙しいって言ったら見逃してくれる?」


 これは困った。

 学生の本分は勉学だ。優等生のそれを妨害するのは気が引けるかもしれない。だが、どうせ無駄なあがきである。打開策を、僕は知っている。

 妹に「見上げて、じーって見つめて」と、さらに耳打ちする。「ダメ? って首傾げてごらん」と。振り向こうとした頭をさっと押さえ、とりあえず見上げていただく。そっと手を離すと、こてんと首を傾げた。


「ダメ……ですか?」


 はい。よくできました。

 老若男女問わず拒否できた人物はごく一部であり、通用しなかったのは断る側にどうしようもない事情があった場合だけであり、人にもよるが、その場で土下座したり、後日に何か貢いだりしている。

 この条件下、人間である彼に断れるのか。

 顔を覆い、壁に張り付いているところに「智博?」と声をかけてみた。


「……かしこまりました」


 はい。子守り、ゲットです。想像よりチョロかった。


「じゃ、そういうことだから。帰るときに声かけるから教室とかで智博と一緒にいてね」


 暇を告げた直後、ブレザーが引かれる。振り向くと、妹が両手で裾を握っていた。


「何?」


「一緒にご飯、食べよ?」


「赤嶺さんは?」


「めいちゃん、午後から来るんだって」


「なんで?」


「LINKsで聞いたら、用事あるんだって」


「そっか。学食だから下でいい?」


「うん」


「じゃ、智博。そういうことだから」


「ぅうぇっ!? 俺も?」


「は? 違うの?」


 どうして妹と二人でランチすると思ったのだろう。

 いや、待て。ちょっとこいつで遊びたい。妹に耳打ちして、そのまま言ってもらった。


「冬城くんは、あたしと一緒じゃ、いやですか?」


「い、いえ! 滅相もございません!」


「じゃ、お昼にまた来るね」


「うんっ、またね」


 周囲の声と視線は黙殺できるが、あやの見えないように隣から睨まれる。彼には「ごめん」と顔の前で両手を合わせておいた。






 昼休み。

 席の確保は智博と妹に頼み、食券と引き換えに学食を入手した。二人はすぐに見つかった。四人席に、隣り合わせで何か話している。生けるランドマークは伊達じゃない。


「日野くん」


「ぴゃいっ、不破先輩、何でしょう御用でございますでしょうか!?」


 感心していると、真面目そうな男子生徒に呼び止められた。


「あーっと、ごめんね。タイミング悪かったね、ごめんね。あの、昨日さ、何でもいいから情報が欲しいって言っていたけどさ、それって、若宮先輩に伝えるためだったりするのかな?」


「どうしてそう思うんですか?」


「友達に聞いた。先週の水曜日と昨日、どっちも同じ中学一年生が別館に出入りしていたって。月曜に別館を使う部活は調査技術研究会だけだし、水曜日には部活がなくても若宮先輩がよく出入りしているのは中三以上なら知らない人はいないし。先輩が何に使っているかは知らないけどね」


「若宮先輩、有名なんですか?」


「あれ、知ってて関わっているわけじゃない感じ?」


 やらかした。

 返答を間違えた。

 しかし、この機会を逃したくない。彼が情報を飲み込んでしまうのを阻止するべく、適当なシナリオを語った。


「あの、いえ。そう、それは……はい、先輩はシャイな方です。そう、恥ずかしがり屋さん。ですから、自慢するような発言はなさいません。それに、僕、入学したばかりなのでお話させていただくようになったのは最近で。それで、あの、なので、オカナ、あー、うー……いえ、ご心配なくです。ご心配いただかなくとも、お話していただいた内容はしっかりと若宮先輩にお伝えいたします。はい。お伝えいたしますとも、一言一句違わずに!」


「……それじゃあ、今日か明日の帰る前に、少し、時間いいかな」


「あ、はい。では、明日。下校前に」


「ありがとう。教室にいてくれたら、迎えに行くから。じゃあ、よろしくね」


 面食らわれたり苦笑されたりしたが、気にする余裕はない。早足で席へ向かう。

 到着する直前、智博はすっと手を差し出して頭を下げた。


「友達になってもらえますか?」


 ノンフィクションの世界では、初見である。(意訳:マジかこいつ)


「なぜ冬城くんは自分から進んでからかいのネタになることを実行してしまうのでしょう?」


「なぜでしょうね」


 自然に受け答えできたが、直後、肩を震わせ振り向いた。赤嶺さんは「おはようございます」とほほ笑む。なんとか「どうも」と返した。


「いいの……?」


「うん」


「ありがとう」


 妹よ。

 ならば、彼の差し出した手を掴んであげてくれ。手持ち無沙汰なその手が嘆かわしい。


「赤嶺さん、お昼は?」


「まだです」


「でしたら、一緒にいかがです?」


「本当ですかっ?」


 嬉しそうな顔が、近づく。

 甘く爽やかな香りが、鼻孔をくすぐる。


 ああああ。無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理……


「何してんの?」


「何、でしょう……」


 トレーを頭上から下ろして智博の隣の席に着いた。赤嶺さんは妹の隣の席に荷物を置いて財布を取り出す。


「めいちゃん、おはよっ」


「おはよう。ギリギリだけど間に合っちゃった」


「間に合ってよかった!」


「ありがとう。それじゃあ、少し待っててね」


「うんっ」


 妹の恥ずかしがり屋さんは、全員に適用されるものではないらしい。

 智博とともに昼食を入手しに行く赤嶺さんの背中を眺め、そう思った。


「何の話してたの?」


「あのね、あたしはお弁当なのに、まさは学食だねって。面倒見は良いけど、本当は面倒くさがり屋さんだからって言っておいたよ」


「そりゃ、どーも。他には?」


「明日、部活の見学に来ませんか? って言われたから、お友達いないの怖いって言ってね。そうしたら、お友達になってくれたの」


「へぇ、おめでとう」


 嬉しそうに、恥ずかしそうにはにかんだ。

 周囲の声と視線は黙殺する。

 直後、ミスター・社交力と赤嶺さんが戻ってきた。


「わざわざハンカチの色をラッキーカラーにしてるなんて、律儀ですね」


「いいことあるなら多いほうが良いじゃん。芽生ちゃんは、占いは信じない派?」


「いえ、自分に都合の良いものは信じますよ」


「ミサンガしてるくらいですからね」


「さすが日野くん。目敏いですね」


「めいちゃん。なあに、ミサンガって」


「アクセサリーの一つかな。お願いが叶ったら、切れるの」


「お願い事って?」


「それは、秘密」


 赤嶺さんは人差し指を口元に立てる。妹はこくこくりと頷いた。


「それで、誕生日は?」


「さあ、いつでしょう」


 知っているかな、と、お弁当を開けようとしている妹に尋ねた。


「あや、赤嶺さんの誕生月日は?」


「〇四二――」


「あやちゃん」


 注意されたことに目を丸くして赤嶺さんを見つめる。しかし、妹に非はない。赤嶺さんは仕方なさそうに「何でもないよ」と視線を逸らした。

 

 ――最下位は、おうし座のあなた。なぜだか周囲と足並みがそろわない一日。秘密の計画が崩れちゃうかも……。そんなあなたにおすすめなのは、ご飯をゆっくり噛んで食べること。――

 

「それでは、今日も元気にいってらっしゃーい」


「……ご丁寧にどうもありがとうございます」


「あ。すみません」


 こういうとき、コミュ障は困る。拗ねてしまったが、フォローの仕方がわからない。


「最下位あたりだと無視したくなるよね。で、双子さんの誕生日は?」


 今日のやぎ座のラッキーカラー白のハンカチがはみ出ていることを指摘すると、雑に奥へと押し込んだ。


「三月二七日。おひつじ座」


「あー、なんか、っぽいね」


「なにそれ」


「言われてみれば、確かに。三月っぽいですね」


 二人以上で談笑しながらの食事は久しぶりだった。

 

 

 



 放課後。

 隠すつもりはなかったが、気になるから一緒に行く、と妹が言い出したので三人であの先輩の生息地へ赴いた。

 僕がうだうだする前にミスター・社交力が扉を開けた。


「やっほー、るりちゃん」


「智博、どうしたの?」


「友達に誘われた。このにおい、アップルパイ?」


「ふふっ、正解。食べる?」


「いいの? やったー!」


 MAJI☆DESUKA?

 ここまでくると、もはや社交力オバケである。目を瞬かせざるを得ない。


「二人も食べるでしょ、って何してるの?」


 こちらのセリフである。君のせいで兄妹そろって扉の陰で室内の様子をうかがうことしかできなかった。

 大人しく入室して、彼に尋ねる。


「知り合いなの?」


「うん。兄貴の婚約者だよ」


   おー、ハイソサエティ・ピーポーでしたか。

 それは、失敬。婚約者ってあれだ、ふぃあ……


「…………は?」


 詳細を訪ねようとしたが、すでに妹とともに長机の、最も離れたところでアップルパイにフォークを入れていた。


「話があるのは、日野くんね」


「い、あ、え。……はっ、はい。あの、若宮先輩は」


「ええ、珍しくまだみたい。今日はこちらが空いているから」


 直後、廊下が騒がしくなる。乱暴に扉が開かれると一組の男女が入室する


「離してってば!」


 女子のほうが叫ぶように抗議しながら、掴まれた手を振り払おうとする。

 今は名札を付けていないが、以前会ったときに着けていた名札には


 ――柊 空佐――


 アサこと柊先輩は再度、乱暴に腕を振り払うと若宮先輩の手は離れた。


「なんなの、いきなり」


「わからないのか?」


 相手を威圧する低音が続ける。


「事実を伝えられて彼はどうした?」


「人を救えるのは事実だけ。人を殺すのも事実だけ。でも、それが知るべき人から事実を隠す理由にはできない。彼はハルノさんの」


「あれは自殺ではない、殺人だ」


「論拠は? 警察でもまだ断定していないのに」


「彼らの怠慢だ。何もわかっていないくせに」


「わかっていないのは」


「アサ、ナオ!」


 口論を遮ったのは九条先輩だった。ティーカップとソーサーを二組ずつのせた小さなお盆を手にしている。


「二人とも周りが見えているなら、いったん落ち着いてくれる? 声を荒げる必要は無いでしょう。ほら、座って」


 九条先輩が若宮先輩の腕に触れた。

 次の瞬間、お盆ごと九条先輩の腕を弾き飛ばす。

 そして、ティーカップたちは宙を舞い、一直線に妹の方へ。

 庇おうにも、距離が離れすぎていた。

 僕の代わりに、突然のことに動けない妹への動線を遮るように智博が通学カバンを掲げて立ちはだかる。

 思わず、目をそらした。

 しかし、カップが床に落ちる音はいつまでも聞こえてこない。

 恐る恐る視線を向ける。


「お怪我はありませんか?」


 いつの間にかいらっしゃっていた加藤先輩。

 飛ばされたティーカップとソーサーとお盆を両手に持った彼が、背に庇った後輩に尋ねる。


「あ……はい、ありがとうございます」


 お盆を机に静置すると、無音でソーサーとティーカップを設置する。

 それから、ヒートアップしていた先輩らに向き合う。


「何があったのか存じ上げませんが、いつもの冷静さはどちらに?」


 凪いだ視線とともに、普段より幾分か低い声でゆっくりと尋ねた。


「……すま」


「加藤くん、だっけ? ごめんなさいね。怪我はしてない?」


「自分は別に」


「そっか、良かった。ごめんね、騒がしくして。それじゃあ失礼するね」


「アサ」


「ごめんね、ルリ。ティータイムはまた今度しようね」


「……ええ、わかったわ」


 柊先輩が去ると、室内は重苦しい空気に支配される。

 沈黙が続く。


「尚将くんのそれ、久しぶりに見た」


「……気にするな。智博はどうした?君がやってくるとは思ってなかった」


「あー、用があるのは俺じゃなくて」


 背を向けたままだが、声色は優しい。張り詰めた空気が、和らいでいく。

 きまり悪そうに智博の視線が向くのとほぼ同時に、若宮先輩は振り向いた。


「所在ないので、来ちゃいました」


「何の用かな?」


「相談事がありまして」


「勘違いしないでくれ。私は名探偵の器ではないんだよ」


 その言葉に、何も言えなくなった。

 先輩は「話は終わりだ」と隣接された部屋に身体を滑り込ませた。

 感情は言葉にすると、簡素に変わる。ここでは、僕は自分の感情を細かく言葉にすることが可能ではあるが、やはり、複雑さは消える。他人の言葉では、その傾向は顕著に表れる。

 先輩の言葉の底が、暗くて見えなかった。

 これ以上は尋ねてはいけないと、悟らされたのだ。


「私で良ければ、話は聞くわ」


「ありがとうございます」


「ごめんなさいね、驚かせちゃって」


「いえ……えっと」


「訪問理由を、教えてくれるかしら」


「あ、はい。前回、前々回、ここに来たとき、あの本棚に並んでいるファイルを見ていたので、それで」


 奥の部屋を仕切る壁に沿っておかれた本棚に歩み寄り、所狭しに並べられたたくさんのカラフルなファイルのうち二つを手に取った。


「この、三年前の都内連続殺人事件。それから、迷宮入り確実とまで言われたにもかかわらず、早期解決を果たした五年前の会社員射殺事件。どれも、名前は伏せられていたものの、学生が解決に大きく貢献した事件だと、ニュースで見たことがあります。それに、調査技術研究会という名前。自らの技術で事件を調査したり研究したりする会だと思ったんです。昨日のこともありましたし。それなら、こんなにも身近で発生した事件、調べないわけがないんじゃ、ないかって……そう思ったんですけど」


 九条先輩の表情を見て、言葉を止めた。それに気が付き、はっとした先輩が代わりに言葉を繋ぐ。


「ええ、そうね。この部活の創設宣言はそういう内容だったと思うわ。日野くんの言う通りそのファイルを作成した当時、尚将さんは四つ上の先輩とも良いコンビだったし、いろいろと順調だったわ。だけれどね……少し前に、大きな失敗をしちゃったの。尚将さんも私も、もう繰り返すものかって気をつけていたはずなのに。だから、その分ショックが大きくて、あまり自分の周りに後輩を置きたがらなくって事件にも関わるのも消極的になっているの」


「柊先輩とは、どのようなご関係なんですか?」


 言葉を詰まらせると「……同級生よ」と苦笑なさった。

 楽屋落ち的な事情はある。

 しかし、これ以上の詳細は教えてくれないだろう。


「先輩は、もう、動いてはくださらないんでしょうか?」


「どうかしら。このバッチはまだ持っていたし、先日は君のために動いたでしょう?」


 九条先輩はポケットから取り出したカラフルな六角形を手のひらで転がした。


「そのバッチって、何のために……いや、あの、どういう意味が、あれ、えっと」


「この部活のシンボルなの。初代会員が卒業するときに記念に作ったもので、今では部活中につけるの。本当はね」


 差し出してくださったそれを、丁重に受け取り、観察する。

 ひまわりのような花と鍵のモチーフが中央でクロスしていて、その背後で一葉ごとに色が違うクローバーが、桃色、藍色、黄緑色、白と重なる。上部には“I.F.A.”とあり、全体的におしゃれな装飾が成されている。


「I.F.A.……?」


「Investigation For Answer。答えのための調査、という意味よ」


「答えのための、調査……」


 答えは、昨日出た。若宮先輩の名探偵スイッチを入れる。他の答えは、何一つ導けない。

 だからと言って、どうすればいいのかわからないし、スイッチを入れる方法もわからない。


「調査はね、調べるだけで終わりではないのよ」


 その言葉で顔を上げた。彼女は瞳を閉じたまま言葉を続ける。


「ある事象について調べて、わからないことを明確にする。それが調査であり、集めた情報を有効活用して、初めて調査が完了する。

 だけれど、人には得意不得意、向き不向きがあるでしょう? 一人で行う調査にはどうしても限界がある。

 だから、調査技術研究会は創設されたの。情報を集めることが得意な人が、分析や精査、活用に特化した人に情報をすべて渡したとしたら、どうなると思う?

 誰かがいれば、補い合って支え合える。きっと、そういうことでしょう?」


 九条先輩は微笑む。

 いつの間にか、六角形を強く握りしめていた。手に跡が残っている。

 急いでバッチを返した。


「もし、もしもの話なんですけど、あの……実際にやってみたら、うまくいくと思いますか?」


 先輩は穏やかに微笑んだ。



 

 その後、ふるまわれたアップルパイに舌鼓を打ち、レシピを簡単に教えてもらった。お礼と暇を告げて、基盤をいじっている加藤先輩に張り付いていた妹を剥がし、帰路についた。

 九条先輩にたきつけられたことは否めないが、結果、ようやく自分がするべき行動が明確化された。

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