死にたがり転生
「判決、地獄行き」
※
その時、目の前には大男がいた。視界に収まりきらないほどの大男が。
私は命を落とした。それは紛れもない事実である。車同士の玉突き事故に、互いの車に挟まれるという巻き込まれ方で無残にも死んだのだ。
先程聞こえた気がする地獄行きという言葉からして、目の前に鎮座しているのはきっと閻魔大王なんだろう。私の両手は体の後ろで縄によって拘束されていて自由がない。その縄の先は、恐らくは地獄の住人であろう異形の者が持っている。
辺りは薄暗く、壁らしい壁はなく、風も通らぬ地の底の底、岩肌に囲まれた空間はなんとも息苦しい。もちろんその息苦しさは空間そのものを圧迫せんとする大男の体躯にも原因はあるだろうけど。まあ、流石は地獄の入り口と言うべきだろうか。
「罪人よ、汝の罪を問う。偽りなく答えるが良い」
「……ええ、勿論」
荘厳な声。静かな視線。
「罪人よ、汝は罪を犯した。殺生の罪である」
「……ええ、認めます」
「罪人よ、汝は罪を犯した。窃盗の罪である」
「……ええ、認めます」
「罪人よ、汝は罪を犯した。妄言の罪である」
「……ええ、認めます」
機械的に。淡々と。私は表情ひとつ変えることなく目の前の大男からの問いに返事をしていく。私だけじゃない。この場にいる誰もが表情を変えることはなく、全員が人形ようにじっとそこに佇んでいる。
はあ、と小さい溜息を聞いた。それは目の前の大男、つまるところ閻魔大王が発したものだった。
「汝は正直に応えるのだな」
「ええ、まあ」
意外とでも言わんばかりの問いかけに、思わず緊張感のない言葉を返してしまった。
「この期に及んで妄言を重ねる必要があるでしょうか」
「大抵の罪人は地獄を嫌い罪を認めぬもの。しかし、汝は違う」
「ええ、違います。私は地獄を嫌いません。嫌ってなどいません。いえ寧ろ、地獄のために生をまっとうしたと言っても過言ではないでしょう。私の生は地獄行きのためにありました」
「それは、何故」
「簡単なことです。人生はつまらない、人生はくだらない。わかるでしょうか? 人間の存在する処は悪意に充ちている。いじめ然り、差別然り、人は誰しも他を見下して息を吸う。そしてはたと気づくのです。嗚呼、生きるということはなんて空っぽなのだろう。と」
だからこそ私は犯罪に手を染めた。日常という砂漠を潤すオアシスを求めて。空の私を埋めてくれと欲することのみを望み続けて、咎められようと蔑まれようと、私は罪を重ね続けたのだ。
けれど、私の虚空を埋めてくれるに足るものは何一つとして存在してくれなかった。血を浴びるほどの罪ですら、たったの一雫にもなり得てくれはしなかった。
「その歳でか。汝は齢20にも満たぬ」
「ええ、しかし永く生きたところで無駄でしょう」
そして死ぬ時、私は最後の罪を犯した。自らを殺すという罪を。赤信号を渡ってしまえと思ったところで車同士の玉突き事故に巻き込まれるまで計算していたわけではないのだけれど。それはともかくとして、どうにかして死んでやろうと、20歳を迎える前に死んでやろうと、そう意気込んでいたことは確かだ。
「それで、私はどこの地獄へ行くんでしょう? 黒縄地獄? 大叫喚地獄? ああ、阿鼻地獄でもいいですよ。だって、親を殺したんですから、それくらい当然でしょう?」
「つまり、汝は地獄において最もの責め苦を望むと」
「ええ、私はそれほどの罪を犯したのです。なればこそ釜茹でだろうと針山だろうと、ひいては炎熱地獄の業火であろうとこの身を委ねる覚悟にあります」
「つまり、汝は地獄において死してなおの死を望むと」
「ええ、まあ。……というより、問が多いですね、閻魔大王?」
さてはて、こんなに無駄な時間を費やすほど十王による審問は多かっただろうか? 他の大王、つまりは前四つの審問では特に話すこともなく通過させられたというのに、何が不満だというのだろう。
私は地獄、ひいては無間地獄とも言われる阿鼻叫喚地獄へと送られる気でここに立っている。閻魔大王の元で行われる生前の善悪に対する質疑で時間を取るのもまた面倒なことだと思って、全て正直に対応すると決めてここまで来た。何が足りない。何が望まれる。
また、ふぅ、という溜息を聞いた。それはまるで、何かを心に決めたような。
「どうやら、汝の判決を見直さねばならぬようだ」
「……はい?」
今、彼はなんと言った? 判決を見直すと言った? なんの判決を見直すと言った? そもそも、私はまだ判決を下されてはいない。どこの地獄に送られるのか、知ることさえ許されていない。
一体全体、私に対するなにを、なんの判決を、見直すというのだ! 私はただ地獄送りにされればそれで構わないというのに!
……地獄? 言われてみれば以前にも判決は下されていた気がする。ああ、そうだ、私に与えられた判決。初めての審問で告げられた判決。
『地獄行き』
「汝には転生を言い渡す。生を渇望せずして死に執着する者よ、汝は生を以て罪を償うのだ」
「何故……何故!? 私は犯罪者、大罪人、地獄に堕とされるべき悪人! どうして転生など無意味なことを!?」
「地獄に送られ罰されることを強く望む汝に、地獄行きは不釣り合いであろう。罪人が望む場に送ること、即ちそれを罰とは呼ばぬ」
よって、と彼は言葉を紡ぐ。
「汝に与えられる罰は人生のやり直しである。勿論、死を望むことは許されぬ、許しはせぬ。その魂尽きるまで生を全うするが良い」
※
生まれて初めて発した言葉はなんだったか。今更そんなことは思い出すこともない。少なくとも“私”という自我を得てからは寡黙な少女であったと自負している。
地獄の入り口で転生を言い渡された私は、何の変哲もない家で、何の変哲もない少女として生を受けることになった。朧気ながらも、両親の悲鳴に近い歓喜の声がまだ耳の奥に残っている。
自分で言うのもなんだが美少女である。一人っ子美少女である。まあなんと言うか、私は女という性で二度目の人生を送ることを強要されたのだ。不便があるかどうかと聞かれると、あるはずもない。何せ私は初めから女であるのだから。元から美少女であったかどうかという点については触れないでおくとして。
私が私としての自我を改めて得たのは2歳の誕生日だったと記憶している。簡単に説明してしまえば、転生しろと言われてからしばらくうたた寝していたら2歳だった、みたいな感じだ。私が私であると理解した時にはローソク2本のバースデーケーキをうまうまと食べていたのだ。それ以前の記憶は朧気で、はっきしとしたことはよくわからない。
まあどうせ幼年期など成長してしまえば忘れ去られる記憶であり、最も古い記憶はいつかと聞かれた人間がこれ程の歳の記憶を話すことはない程度には人間として特に重要性はない時期だ。喋り始めたとか歩き始めたとか、せいぜいその程度なのだから。
ところで閻魔大王は私をどうしたいのだろう、と考え始めたのは小学生に上がる少し前の事だ。どういうわけか、私はいわゆる前世の記憶を保持していた。
そう、私にはかつて生きていた時の記憶があるのだ。あのくだらない人生が脳裏に焼き付いたまま消え去っていはいないのだ。さらには性別すらも変わってはいないではないか。目新しさの欠片もないこのどうしようもない環境下で、一体何をしろと言うのだ。死を望まぬ更生だと? 馬鹿馬鹿しいことの上ない。私は既にこの世界の無意味さとくだらなさを知っている。今更変えようもない事実だ。
さてはて、ゆるゆると人生を送りつつある私なのだが、決して死を諦めた訳では無い。むしろこの理不尽極まりない転生によって死の渇望は増すばかりだ。端的に言えばじゃじゃ馬である。天邪鬼である。死ぬなと言われたら余計に死にたくなる、そんな簡単な人間の心理だ。
けれど私は生きている。ゆるゆると人生を送っている。死ぬことができないのだ、それはもう不思議な程に。死を望めば望むほど、死は私から遠ざかっていく気がするのだ。
天寿の全うを、なんていう閻魔の企みを早々にぶち壊してやろうと意気込んで、幼年期の内に自殺を――まあ、お手軽に首でも吊ろうと――試みたのだが、悲しいかな、お子様の体は軽すぎて自らの首を絞めることは叶わなんだ。意地でも締め上げようとバタついてみるも何の効果もないわけで。そうこうしている内に親に見つかり遊びの挙句に絡まったのだと判断された結果、わんわん泣かれるわ、一人の時間をこれでもかという程に奪われるわ、完全に失策に終わったのだった。
ちょうどその頃だっただろうか、私の住む家――我が家はなんの変哲もない一軒家なのだが――の隣に、私と同い年の男の子を連れた一家が越してきたのは。
「閻魔様の命令だ。お前が死なないように俺が見張るからな」
なんてインパクトのある自己紹介だろう。初めて二人きりで遊んだ時の第一声がこれである。炎のような見事な赤毛が印象的な彼は、後にも先にもたった一人の私の友達は、閻魔の犬だった。
彼――獄寺炎の登場は、私から死をさらに遠ざけた。流石は地獄からの使者なのか、私が自殺の算段を立てようものなら確実に先手を打ってくるもんで、文字通り手も足も出ない。こいつは私の思考でも読んでいるのか。
「ある程度はな、わかるよ」
「顔には出ていないはず、だと思う。みんな、何考えてるかわからないって言うんだけど」
「お前が死ぬことを考えてる時はわかりやすいな。すごくわかりやすい」
「ほう、具体的には?」
「言うわけないだろ」
なんだこいつ、とひっぱたいてやりたくなるのも束の間。幼さの残る三白眼がニヤリと笑うとどういうわけか、私は反論する気を失ってしまうのだ。自分は気の強い人間であると自負しているのだがこれ如何に。ともすれば少なくとも人ではない炎に敵うはずがないというのか。それはそれで反骨精神満載の私には耐えがたいのだが。
「というかさ、お前はなんでそんなに死にたいんだよ。地獄に行ったって何もいいことないぞ」
「いいことなんて求めてなんかないさ。私はただ、生きるということに絶望しているだけなのだからね」
「その理由が知りたいんだって。死ぬ奴はいつも生きたがって死んでるんだ。特に地獄はみんな嫌がってる。それなのに自分から地獄に落ちたいなんて言うのはお前くらいなんだよ。だから、俺はお前が生きることを嫌う理由が知りたいんだ」
理由? 私が生きることを嫌う理由?
そんなの決まっている。人間が嫌いなんだ。誰かを見下さずには生きてはいけない奴らに囲まれて生きていくのが苦痛でしかないのだ。なにより、そう思っている私自身も、そういった人らを見下しているのだ。
「炎は、私がかつてどんな人間だったか知っているのかい?」
「いいや。俺はお前のことは何も知らない。閻魔様は死にたがりの奴がいるからとしか教えてくれなかった」
「じゃあその閻魔様にでも聞いてくればよろしい。きっと教えてくれるだろうさ」
「それは無理だ。お前が天寿を全うするまで地獄には戻れない決まりなんだよ」
「はいご愁傷様」
もちろん天寿を全うする気など私にはない。かといってわざわざ彼に昔話をしてやるつもりも毛頭ない。私が死にたくて仕方がないのと同じほどに、似たような気分で苦しんでいればいいと思う。そうやって悩んでいるうちに私はぽっくり逝ってるかもしれないけどな。
なんて、馬鹿みたいに健やかに人生を送っているうちに、気づけば転生してから早15年が経過していた。
さすがに見飽きた桜の季節がやってくる。とうに過ぎたはずの高校時代がやってくる。私にとっての二度目の高校生活。そんなに甘いものなど待っているはずがないと私は知っているのだけれど、同級たちのなんと輝く目をしていることか。
そんな彼らを横目に私は思案するのだ。今年の命日は何をしてやろうか。どうやって死を目論んでやろうか。どうせまた炎に妨害されるのだろうけど、私にとっての記念日なのだからと素敵な死に様へ想いを馳せるのだ。
もうじき来てしまう私が死んだ日を、私は迎えずに済むように。
喧騒に包まれた朝。誰もいない横断歩道で、輝く赤を見ながら私はそっと振り返った。