魔王サマ Lv3
かくして私は、脱走を試みる。
一日目。
寝台をこっそり抜け出そうとすると、ぐんと手首が引っ張られる。よく見ると、自分の手首と勇者の手首が赤い縄のようなもので繋がれている。衝撃を感じただろう勇者は、むくりと起き出し、
「ん? どうしたんだ? まだ朝じゃないぞ」
と寝ぼけ眼のままそう言うと、私を抱き込んで、再びくうくう眠りについた。
逃走は失敗に終わる。
二日目。
手首の縄をはさみで切って、寝室を抜け出そうとドアのノブに手をかける。
「……っ!!!」
ビリビリッと衝撃を感じる。静電気の強いバージョンのような刺激だ。思わず飛び退って大音を立ててしまい、またしても勇者に見つかる。
逃走は失敗に終わる。
三日目。
手首の縄をはさみで切り、あらかじめ用意していたゴム手袋をはめ、ビリビリするノブを回す。
ドアが開いて、いざ部屋を出ようとすると、上から何か、濡れたぬらりとしたものが首筋にあたった。
「うひゃぅ……!」
変な叫び声を上げて、それを確認すると、天井から吊されたコンニャクだった。
……今更、こんな古典的ないたずらに引っかかる自分が情けない。
声を上げたせいで、再び勇者に見つかってしまう。
逃走は失敗に終わる。
四日目。
手首の縄をはさみで切り、あらかじめ用意していたゴム手袋をはめ、ビリビリするノブを回して、扉の前で少し待ってコンニャクの飛来をやり過ごす。
(今度こそ……っ!)
そして部屋から飛び出し、城から脱出するための最短距離を選びながら廊下を走っていると。
……落ちた。
見事に落ちた。
(どうして、こんなところに落とし穴が……)
古典的な罠に引っかかった自分が情けないし、穴の底にはふかふかの毛布が何枚も敷き詰められていて、怪我をしないように配慮されているのも、情けない。
自分だけの力じゃ這い上がれない深さだったけれど、様子を見に来たお供の青年ウォレスに苦笑されながら助けられた。
逃走は失敗に終わる。
五日目。
手首の縄をはさみで切り、あらかじめ用意していたゴム手袋をはめ、ビリビリするノブを回して、扉の前で少し待ってコンニャクの飛来をやり過ごし、逸る気持ちを抑えて廊下を慎重に進む。途中何カ所か落とし穴らしき不自然な床があるのを見つけたけれど、私は華麗に回避した。
そうして。
(扉だ……!)
私の目の前に飛び込んできたのは、城と外界を隔てる扉。
ようやく。
そう、本当にようやく、私は城の扉に辿り着くことができた。自分の家の玄関まで、何と遠かったことか。家が広すぎるのも考えものだ。
しかし、この苦難も、今日までのもの。
私は意気揚々と扉を開け、そして外界への一歩を踏み出した。
途端。
カランカランと盛大な音を立てて鳴子が鳴る。
(ここまで来て、こんなものが……!?)
……。
…………ってこれ、私が侵入者対策に作った罠だった。いつもは引っかからないのに、何故こういう時に限って引っかかるのか。ああ、自分の迂闊さが憎い。
当然ながら、勇者とお供が音を聞きつけて、半分目をしょぼしょぼさせながらも「何事か」といった様子で、やってきた。
逃走は失敗に終わる。
六日目。
マンネリ化してきたので、略。
七日目。
休暇日なので、休んだ。私が大人しいのを良いことに、勇者は相変わらず私を抱き枕のようにぎゅうぎゅう抱きしめてくる。とてもうざい。
何度も足で蹴って引きはがすけれど、すぐにこっちに戻ってくる。寝ているはずなのに、執念を感じて怖い。ロリコン怖い。
そうして八日目。
(やった……!)
そう、私はやり遂げた。この次々と襲い来るトラップを、見事に凌いでみせたのだ。
私の足は確かに外へ踏み出している。久々に感じる土の感触に興奮が募る。
(長い道のりだった)
新鮮な空気を大きく一度吸い込んだ私は、でも、ここで感慨に耽っている時間がないことも悟っている。
私は、護身用の短剣のみを懐に、城を飛び出した。
☆
しかし。
城から脱出した私は、ものの10分ほどで自分が考えなしだったことを悟った。
何というか……今まで色々なことを魔力に頼り切っていたので、根本的に体力がない。
ただ、幸か不幸か、若返った効果はあるらしく、二百歳越えの体よりは、持久力があるみたいだ。何とか、走り続けてはいられる。
夜の森は、とても暗い。ホーホーとフクロウが鳴く声が聞こえる。かさかさと何か生き物の気配を示す葉ずれの音も。
闇が怖い、なんて思うことはない。私はやっぱり魔王で、闇は私が属するものだ。しかし、魔力のない私の肉体は、普通の人間と同じ構造をしているようで、夜目が利かないのが困った。
そして。
(……!)
私は、森の住民以外の気配を感じて、足を止めた。
魔力がなくなっても、生き物の放つオーラのようなものは、感じ取れるようだ。
(人間……!?)
その気配は、確かに人間のものだった。
何故「魔王が住む不気味な森」として人の寄りつかないこの森に? と一瞬訝しんだけれど、相手の手に握られた大剣を見て、私は気を引き締めた。
今、この瞬間に「何故」と考えることに、意味はない。相手は殺気をまとって私の前に立ちはだかっているのだから。
私は短剣を構える。
長年の経験が私に教えてくれる。
腕の長さの分、不利だけど、何とかなる。勝てる相手だ、と。
ん? 勇者と対峙した時の「相手は未来ある若者だから、もういいか」という気にはならないのかって?
だって相手は力を失った、しかも幼女の姿の私に向かってきているわけだから、手加減の必要はないでしょう? まあ、殺すつもりはないけれど。
そんなことを考えながら、一歩踏み出そうとした、その時。
ひょい、と私の体は宙に浮いた。
「外は危険だから、ダメですよ」
……既視感を感じる。
そういえば、初めて会った時と同じような言葉をかけられた。その時と同様、声は勇者のお供ウォレスのもので、はっと見やれば、当然のようにウォレスだけではなく勇者も揃っている。
気配に気付かなかった自分を迂闊だと思いつつも、同時に彼らはあくまで選ばれし勇者とその仲間だ、気配を殺すことなどお手のもので、私が気付かなかったのも無理はない、とも思う。
そんなことを考えたのも一瞬のことで、私は刺客の存在を思い出し、そちらに視線を向けると、何故か勇者が剣を構えて、刺客に向かって踏み込んでいる光景が飛び込んできた。
でも、私がその刺客の末路を知ることはなかった。何故なら、不意に勇者のお供の手が私の目の前にかざされ、それと同時に抗うことのできない物凄い睡魔に襲われたからだ。
「さ、おうちに帰りましょうね」
刺客と勇者の殺気に満ちあふれた空気とはかけ離れた、場違いな程にのんびりした口調。眠りを誘うそれが、睡眠の魔法にかけられて寝落ちする私が聞いた、最後の言葉だった。