魔王サマ Lv1
じっと手を見る。
「……ん?」
視界に映る私の手は、猫の肉球にも負けないくらい、ぷくぷくして小さい。
「……んん??」
その手で頬に触れると、びっくりするくらいすべすべしていて、ふくふくしい。
「……んんんん???」
とてつもなく、嫌な予感がした。
もし、ここが私の部屋なら、壁際に鏡があるはずだ。そう思って、ぎぎっと首を巡らせ、その方向に視線を移す。
果たして、鏡は記憶どおりの場所にあった。あった……が。
「~~~~~~~~!!」
鏡を見た瞬間、私は声にならない叫びを上げる。
そんな私を、誰も責めることはできない。
なぜなら、鏡の中から不思議そうな顔で私を見ている私は、私の知っている私ではなかったからだ。
……。
…………。
………………。
あまりに動揺しすぎて、意味不明な説明になってしまったが。
つまりは、こういうことだ。
鏡の中の私は、幼い頃の私の姿……幼女化していたのである。
一体なんで、こうなった?
混乱しながらも、私はここに至るまでの経緯を必死に記憶の底から探り出した。
☆
「お前に問いたい」
深い森に囲まれた魔王城……つまり私の家なんだけど……の広いホールで、私はその人に問いかけた。
その間にも、私の持つ魔王の杖と、彼の持つ勇者の剣が甲高い音を立てて交差している。
魔王滅すべしという力のこもった攻撃を、全体重をかけてギリギリと凌ぎながら、私は彼に問いを重ねた。
「一体、私が何をしたというの?」
そう、私はこの上なく人畜無害な魔王だったと自負している。
生まれてこの方、人を殺したこともない。ひたすら魔王城に引きこもって調合のためのハーブを育てているだけの、歴代最高に存在感の薄い魔王だったはずだ。……自分で言うのも情けないことだけど。
そんな私のどこに、人間の王は不都合を感じたのだろう。純粋にそれが知りたかった。
しかし返ってきた答えは、
「何も」
というものだった。
勇者は軽く首を竦めて、こう続けた。
「お前に何か非があるわけではない。ただ、お前の存在が目障りな人間がいるってことだろう」
つまり、こういうことか。理由などない。ただ魔王というだけで征伐の対象だということか。
(……大した正義だこと)
人の王の言う正義とはその程度のものかと呆れるが、その答えを聞いて理解したことが一つある。つまり、
(話し合いの余地はない、ということね)
ということだ。
魔王だから倒さねばならないという論理を振りかざす輩の頭には、交渉だの外交だので解決するという気は毛頭ないだろう。
(どうする?)
剣戟を交えながら、彼我の力量を冷静に推し量る。
(私の方が、少し上かな)
全力を尽くせば、必ず自分が勝つし、殺そうと思えば殺せるだろう。
けれど。
(勇者は二十歳を少し過ぎたくらいか)
対峙する青年は大人びた精悍な顔つきをしているが、彼から発されるマナから察するに、そのくらいの年頃だろう。
私の外見年齢も二十歳前後なので、端からは同世代のように見えるだろうが。
(私も、もう二百歳越えの大台なのよね)
二百を越えた時点で、年を数えることも止めてしまった。
くだらない理由で殺されるのは業腹だが、反面、もう十分生きた、という気持ちもある。
(未来ある若者を殺すこともないかな)
そんな考えが浮かんだ時に、私の命運は決まったようなものだった。
私の体から我知らずふっと力が抜け、決定的な隙が生じる。
その隙を逃す勇者ではない。彼は渾身の力を込めて私の杖をはじき飛ばすと、
「魔王、覚悟!」
という声と共に、剣を振り上げる。
最期に視界に入ったのは勇者の剣。それは、シャンデリアの光に照らし出され、場違いなほどに美しく輝いていたのを妙に鮮明に覚えている。
☆
……というわけで。
(取りあえず冷静になろう、冷静に、冷静に……)
何度も自分に言い聞かせる。まずは状況把握が必要だ。
ぐるりと辺りを見回す。見慣れた家具と見慣れた配置。よく見知った景色で、ここが私の部屋であることを確認する。
上半身を起こしているこの寝台も、いつも私が使っている、二百歳越えの腰に負担のかからない優れもののベッドだ。
これらの状況から判断できることは一つ。
「わたし……いき、てる……?」
ということだ。
ただし、姿は幼女だが。
いや、変わっているのは姿形だけではなかった。
よく観察すると、普段この部屋にあるもので、今は見当らないものがある。
(私の杖……)
私が、先代から譲り受けた魔王の証である杖。いつも、すぐに手にすることができるよう寝台の脇に立てかけていたが、それがどこにも見当らない。
それに加えて、
(何、この格好)
と突っ込みたくなるような格好をしているのだ。自分が。
鏡の中で呆然とした表情のままに映っている私は、幼くなっているだけではなく、服装も奇妙奇天烈だ。
そう、やたら、ヒラヒラしているのである。
黒を基調としたデザインだけれど、袖はふわっとしていて、胸元には小さなリボンがいくつもあしらわれている。スカートは見事に緻密なレース仕様で、とにかく綿菓子のようにふわふわだ。
子供の頃からシンプルなのが好みだった私は、こんな服を買ったこともないし、着たこともない。
(それに、真っ平ら)
元の体も、あまり大きくなかったが、幼女になった今は首から腹までストンと綺麗な直線を描いていて、とても……そう、そても残念な体型だ。
……というか。
(誰が着せたの……?)
この服装に、何か妙な妄念みたいなものが垣間見えて、すごく気持ちが悪い。
もう少し詳しく状況を把握したいと思った私は寝台から体を下ろした。いつもより目線が低いせいか、視界に違和感がある。
と、その時。
ぎぃっと軋む音を立てて、扉が開いた。この扉が私の意志に反して開くこと自体、明らかな異常事態で、私の体が緊張するように強張った。
やがて、戸を開けた人物の姿が露わになる。
そこに立っていた者は二人だ。
(この人は……)
そのうちの一人の姿は明らかに見覚えがある。この精悍な青年の顔は、この部屋で目覚める前に、嫌になるほど見たものだった。
「ゆうしゃ……」
そう口ずさむ私の口調は、やっぱり幼女のもので、どこか幼い。
そんな私の声を聞いた勇者は、厳しい顔をして私を睨み付ける……と思いきや、何故かぱあっと顔を輝かせる。そして、
「アイリーン、起きたのか……!」
と言いながら、全速力でこちらに駆け寄ってくる。
(な、なんなの!?)
私の中の危険を察知する何かが、けたたましく叫び出す。「これ」はお前にとって極めて危険な人間だ、と。