08 ボンネット上の攻防
ランチタイムのダイナー”サークル・テン”は修羅場と化した。
店の内外に配置された円十字セキュリティサービスの男たち。
蛍光グリーンの衣装に身を包んだ殺し屋・アマガエル。
そしてニコを護るエースとネオン。
三者がそれぞれの目的のため、互いに銃口を向けあっている。
「ヤツを撃ち落とせ!」
いきなり現れて仲間を殺した緑色の狂人に対し、円十字のエンブレムをつけたスーツ姿の男たちが次々と発砲した。
しかしフロッグマンはその呼び名のごとくカエルのように飛び跳ねる。ダイナーのテーブルから壁、そして天井へと素早く移動して狙いをつけさせない。
「邪魔じゃまジャマァッ!」
銃弾をかわし、目にギラつくグリーンのジャケットに包まれた肉体がとんでもない爆発力を解放した。天井に張り付いた状態から、フロッグマンは一直線にエースに向かって跳んだ。陸上アスリートの走り幅跳びの勢いに匹敵する三次元機動である。
エースは一瞬の判断で銃を撃ち返すことを諦め、薬莢と食器と窓ガラスの破片で無茶苦茶に荒れたダイナーの床を滑り、円十字セキュリティの男たちの陰に回り込んだ。
「がッ」
「ぐぇッ!」
悲鳴。フロッグマンの全力飛び込みタックルを受け、男たちのサングラスが吹っ飛び、折れた血まみれの歯が空中に赤い軌跡を描いた。
「逃げるなよエースくぅぅん!」
円十字の私兵を体当たりでどかし、フロッグマンはソードオフしたショットガンをエースに向けた。
その引きつったような満面の笑顔。
ついそれを見てしまったニコは、言い知れぬ恐怖に下腹がキュッと引き縮んだ。
しかし引き金を引くには至らない。エースは円十字セキュリティの肉の壁が生んだわずかな隙を突いて、イカれたアマガエル男の手を蹴り飛ばした。銃口が上を向き、暴発。ダイナーの天井に無数の穴が穿たれる。
機を逃さず、エースはフロッグマンに銃弾を撃ち込んだ。銃火が走り、腹と腿に命中する。
悲鳴も上げずにフロッグマンは倒れ、食べかけのプレートが載ったテーブルに背中から思い切り叩きつけられた。
「逃げるぞ、ニコ」
床にしゃがみ込むニコの背中をエースが軽く手のひらで叩いた。飛び交う怒声と銃声に気が動転していたニコははっと顔上げ、大げさに何度もうなずいた。ただでさえ白い肌から血の気が失せている。
フロッグマンがぶち破った窓からこれ幸いにと抜け出し、直接駐車場へ。
「おい、いたぞ!」
叫んだのは駐車場に展開していたスーツとサングラス姿の円十字セキュリティだ。待ち構えていた彼らは躊躇なく銃口を向けてくる――が、撃ってこない。
「武器を捨てろ! 投降するなら危害は加えない」
「あんなイカれたカエル野郎を呼び込んでおいて、何の冗談だ」エースは駐車場に停められた車を盾に身を隠しつつ、怒鳴り返した。「先にてめーらから武器をしまえ、それなら話を聞いてやる!」
サングラスの男たちに動揺が走るのが、エースの背後で身をすくませているニコにも伝わってきた。彼らは元々”密輸品”――つまりこのパンダシティの”外”から持ち込まれた品物の話がしたいと言ってきた。命が目的ではないはずだ。
「待て、あいつは我々の知るところでは」
ない、と男が言い切る直前に、サークル・テンの店内で二発の銃声が響いた。悪いことにそれはショットガンのものだった。セキュリティの男が撃ったのではなく、エースに銃弾を撃ち込まれたはずのフロッグマンがその引き金を引いていた。
「う~、痛え……」
血に染まったダイナーからよろよろと出てきたフロッグマンは、後頭部からわずかに血を流していたが健在であった。
蛍光グリーンのジャケットを払うと、いろいろな破片がパラパラと落ちた。脇腹と太ももに小さな銃痕があるが、血は流れていない。
「防弾仕様か!」
エースは苛立ちを吐き捨て、車のボンネットに肘を乗せるようにしてフロッグマンを撃った。今度は頭を狙っている。
しかし異形の緑色はまたも強力な全身の筋力で跳躍した。2階建ての建物を飛び越えるほどの高さである。それがそのまま放物線を描き、降ってきた。エースたちが身を隠すハッチバックのルーフに着地、粉々に割れた窓ガラスが降り注ぐ。
「エェース君ん! また会えるのを楽しみにしてたよぉぉ!」
壊れた車の防犯装置がけたたましい警戒音を鳴らす中、フロッグマンはショットガンの銃口をエースに向けた。みすぼらしく薄くなった頭髪が額に垂れ下がり、男の異様さを際立たせる。
ショットガンが火を吹き、横っ飛びにかわしたエースの背後で別の車が蜂の巣になった。
「こっちゃ色々立て込んでるんだ、てめーみたいな変態野郎と遊んでる暇はねえッ!」
エースが撃った。立て続けに四発。
フロッグマンは人間離れした反射神経と身体能力でそれらを全てかわした。
反対に、手近にいた円十字セキュリティのひとりに飛びかかり、長い手足を絡みつけて押し倒し、首を捻り折って殺した。
「ヤロウ……」
エースは強く奥歯を噛み締めた。こめかみに太い静脈が浮かぶ。
瞳の奥に、漆黒の光が灯り始めた。
*
「二年前、あのフロッグマンはエースが半殺しにして、警察に引き渡したんだ。そういう依頼を受けてね。諸々の罪で牢屋にブチ込まれてて、そう簡単には出てこれないハズなんだけど……」
金庫型ロボットのネオンは、駐車場に停められた車の陰を縫うようにしてニコを先導しながら、音量を抑えた声で蛍光グリーンのカエル男のことをそう説明した。
「エースは”殺し屋”だって……」発砲音が断続的に響き渡る中、ニコは姿勢を下げて必至にネオンの後ろを追う。「……依頼って、殺し屋を捕まえる依頼?」
「そうだよ。清掃業者は仮の姿、裏では犯罪者を非合法に”掃除”してる。”掃除屋”エース。それがボクらのチーム名だ」
あっさりと言ってのけるネオンに、ニコはどう反応していいのかわからなかった。エース、そしてネオンがただの一般市民でないということは間違いないだろう。
「でもなんでフロッグマンがいきなり襲ってきたんだろう? よりによってこのタイミングで……」
ニコは遠慮がちに、「エースに恨みがあったから……?」
「それはもちろんだけど。でも円十字のセキュリティまで構わず皆殺しにしてるし、なんかできすぎてる」ネオンのエモート・インジケーターに疑念の煙が湧き起こる。「誰かに雇われたかな?」
「誰かって?」
「うーん……っと、ちょっとストップ」
ネオンの制止に、ニコは慌ててその場でしゃがみこんだ。
視覚器の視線の先にはエース清掃のバンと、その運転席のドアの前を警戒する円十字セキュリティの男の姿があった。
「そのまま待ってて」
ギリギリまで音量を落としたネオンのささやき。ニコは言われるままに息を潜め、埃っぽい小型トラックのタイヤの横でじっと身を縮めた。
ネオンはそのままかすかな機械音とともに先行し、目を離した隙にどこかへ消えてしまった。
「……ネオン?」
不安に襲われ、ニコは愛嬌のある人工知性体の名をつぶやいた。背中にしっとりと汗がにじむ。
「おい、そこの女」
急に低い声が聞こえた。ビクリと顔を上げると、バンに張り付いていたセキュリティが立っていた。見つかってしまったらしい。
ニコはその場から逃げようとするが、足がもつれて立ち上がる前に姿勢が崩れてしまう。
「動くな、我々と一緒に来い」
セキュリティの男はぬうっと手を伸ばし、恐怖に目を見開くニコの肩を掴もうとする……。
と、その直前。
チチチッ、とガスレンジの火がつく時の音がしたかと思うと、屈強なサングラスの男がいきなり駐車場のアスファルトに朽木倒しになった。
いったい何が起こったのか――ニコは大きな目をぱちくりとさせて周囲を見た。
男の足元にはネオンの姿があった。フレキシブルアームを男の足首に接触させている。先端から電撃端子を伸ばしたスタンガンモード。つまり、ニコに注意をわざと向かせて背後から近寄り、高圧電流で失神させたというわけだ。
「さ、早く乗って、ニコ」
悪びれもせず、ネオンはバンの扉をさっと開いて器用に運転席へ登った。
ニコはもう何も考えずとにかくネオンに従って助手席に乗り込んだ。
安堵の一瞬を感じる暇もあればこそ。ネオンはエンジンをかけるやいなやバンを急発進させた。
*
装填されていた最後の散弾を撃ち尽くし、フロッグマンは手にしていたショットガンをぶん投げた。
エースは腰をぐっと落として飛んでくるそれをかわし、代わりに拳銃を撃ち返す。一発は頬をかすめ、もう一発が左腕の付け根に命中する。
「ぐぇッ……!」
カエルが潰れたような悲鳴を上げ、フロッグマンはボンネットの上でもんどり打って転倒。防弾仕様のジャケットは致命傷を防いでくれるようだが、弾丸一発分の運動エネルギーを全て帳消しにするほど高性能ではないらしい。
エースはその機を逃さず自身もボンネットの上に飛び乗り、蛍光グリーンの服に包まれた胸めがけて踵を踏み降ろした。
「シェエエッ!」緑の奇人は奇声を上げて、全身の筋肉をよじってエースの足を逆に掴んだ。「甘まままーいッ!!」
肩に浴びた衝撃は強烈なはずだが、動きが鈍らない。異常興奮によるアドレナリン過剰分泌の賜物か。ともあれエースは足首を極められ、フロッグマンはそこにひねりを加えた。靭帯をねじ切られないためには、ひねられた方向に自ら倒れるしか無い。結果、エースはフロントガラスに背中から叩きつけられた。
「ぐ……!」
エースはうめきながらも意識を手放さず、右手の拳銃を構えてフロッグマンの眉間を狙った。
しかし一瞬遅い。
異様に長い筋肉質の脚が飛び、エースの右手は蹴り飛ばされた。拳銃は放物線を描いて駐車場のアスファルトに落ちた。
「えええエース君! この時を待ってたよォッ!」
よだれまみれの長い舌をべろりとはみ出させ、フロッグマンは狂乱の笑顔を浮かべた。エースの腰を背中側からクラッチすると、手足の筋肉をパンプアップさせて頭上まで持ち上げた。190センチ近いエースの身体を軽々持ち上げるには、よほどの鍛錬を積むか、薬物やサイボーグ化に頼るか、いずれかであろう。
この場合、後者である可能性は高いがいずれにせよエースは進退極まった。上下逆さまに持ち上がった身体は、まるでプロレス技のようにボンネットに叩きつけられようとしている。フロッグマンの膂力とエースの体重が脳天に集中すれば、頭か首の骨がへし折れてしまうだろう。
「エーーース!!」
叫んだのは、バンを急発進させたネオンだった。エースとフロッグマンが掴み合う車に向かってスピードを上げる。
その瞬間。
フロッグマンの注意がごく短い時間逸れたその一瞬を狙い、エースはぎらりと瞳を漆黒の光で輝かせた。
「むふぉッ」
エースの脚が、フロッグマンの首っ玉に絡みついた。そのまま脚を引っ掛け、全身のバネをフル活用させて長身をスイングさせる。フロッグマンの身体が、エースの力と体重に引っ張られて大きく傾いた。
信じられないことが起こった。
脚をフロッグマンの首に絡めたままエースは車の上で逆立ちする状態になり、指先をボンネットの隙間に引っ掛けると、総身の力を振るって天地をひっくり返した。
フロッグマンは脚で投げられて、空中で身体を一回転させて頭からフロントガラスに突っ込まれた。先程の攻防ですでにクモの巣状にひび割れていたガラスは完全に砕け、フロッグマンは上下逆さになって運転席にはまり込み、シートに首をめり込ませた。
「エース!!」
再び、ネオンの叫び声。
ちょうどのタイミングでバンがやって来る。
エースは開けられた後部荷室のドアに飛び乗った。
逆さになって車に突っ込んだ蛍光グリーンのイカれた男、そして円十字セキュリティの生き残りたちを振り切り、エースたちは修羅場と化したダイナーを後にした……。