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薄紅色の……。

 君は今何をしているだろう。同じ空の下で幸せになっただろうか。

 同じ空でも、こっちは灰色のかすみがいつも空を覆っているんだ。そっちにいた頃の空はどこまでも抜けていて、それを思うと心の中が淋しいんだ。こっちの空はそっちのようにならないのかな。


***


「明日。明日にしよう。今日家に帰って荷物を詰めて。そうだな、出来れば電車が動いている時間がいいな。そのままこの地を離れられるから」


 高校に入ってすぐに彼女と付き合い始めた。明日、その高校も卒業する。俺は都内の大学へ進学、もちろん彼女も同じ大学に合格していた。学生結婚になってしまうが、お互いが二十歳になったら結婚しようと誓った。しかし、彼女の両親が大学への進学を了承しなかった。大学へ進学することを駄目といっているわけではない。遠く離れた都内への進学を承知しなかったのだ。


 俺は離れていても大丈夫。この心は絶対揺るがない。そうやって何度言っても彼女は納得せず一緒に行くと言い張った。離れてしまったら終わりになってしまうと泣きながら縋り付いてきた。どうして俺を信じられないんだと、少し強く説得した。彼女は言いづらそうに、両親が二人の交際に猛反対していることを教えてくれた。


 ここは都心からかなり離れている田舎町だ。東京に行くとなると国内旅行だと言ってもいい。閉ざされた地域ではないが未だに名家めいかだの家柄いえがらだのを重んじる。そもそも、これだけ情報網が発達し交通も便利になった現代に閉ざされた地域など存在しにくい。だが、家の仕来しきたりやら人々の考え方はインターネットのようには急速に発展しなかった。そして、彼女の家はこの辺りで知らない人はいない。


「一真が東京に行っている四年の間に絶対お見合いになって結婚が決まる。私が付き合ってる人をお父さんが認めたなら問題ないんだけど、一度ダメだと言ったら絶対認めてくれない。お姉ちゃんがそうだった」


「お見合いを断ればいいんじゃないの?」


「そんなこと出来ない。お父さんの言うことは絶対。少なくてもあの家で生活する以上は。だから私は家を出る。家を出て一真と一緒にいく」


 家を出たとしても、俺の足跡そくせき辿たどればいずれ連れ戻しに来ることは目に見えている。たとえ反対されても根気よく説得を続ければいいと思った。彼女を親と絶交させることだけはしたくない。だが、彼女の懇願こんがんするような、絶望を見据えているような、とても悲しい目を見ると「大丈夫だよ。きっといつかわかってもらえるよ」などと軽々しくは言えなかった。


「上り最終電車の二十一時五分に乗ろう。駅舎えきしゃの外にあるベンチで待ってる」


 小さな駅舎の右隣りに設置されているベンチ。駅前はロータリーではなく、細い道が一本横切っているだけで、一時間に一本も出ない町内循環バスが停車するところだけ少し広くなっていた。ベンチの後ろには大きなサクラの木が植わっていて、この時期は薄紅色の花びらが、はらり、はらり、ともの悲しげに降り続く。俺の言葉に、彼女は重くゆっくりと頷いた。


「一真! 絶対、絶対だよ。絶対来てよ」


 彼女は帰り際にそう叫んだ。俺は笑いながら大きく何度も頷いた。



 二十一時五分。最終電車のベルがなり、先頭車両に繋がるもう一両を離さぬように音をたてて動き出す。俺は腕にはめた時計をみた。暗くて良く見えなかったが、丁度、道の左から来た車の廻る赤いランプが時を刻みつづける針を見せてくれた。やっと見えた時間を邪魔するように、サクラの花びらが文字盤にのった。


***


「一真」


 相変わらず灰色の霞が掛かった青空を見上げたとき、後ろから名前を呼ばれた。それはとても懐かしく、何よりも聞きたかった声だった。俺は心臓が鼓動を早めるのよりも先に振り向いた。そこには、俺の好きな優しい笑みを浮かべた彼女がいた。


「元気だった?」


 俺は彼女の両肩を掴んで「なぜ、なんで、どうして」と、息も継がずに問うことしかできなかった。


「うん。ごめんね。あの時、ちょっと色々あって」


 本当はもっともっと何かに駆られるように言葉を続けたいという突き上げる衝動があったが、俺は息を吸って、そして、大きく吐きだして訊いた。


「色々って?」


「うん。色々は色々だよ。ただね、最後にどうしても一真に伝えておかないといけないと思って会いに来たの」


 薄々はわかっていた。彼女が二十一時五分に現れなかったときから。俺はずっと納得しようとしていた。だが、どうしても納得できなくて彼女の幻影を追いかけ続けた。でも、やはり俺はふられたのだと。


「なに?」


 俺の言葉に、少しだけ間をおいて彼女は言った。


「私は幸せよ。とてもとても幸せ。だから一真、あなたにも幸せになって欲しいの。私を早く忘れて、前を向いて歩いて」


 彼女の顔は笑っている。あの時のように絶望を見据えた目ではなく、何かを慈しむように愛おしく。


 俺の目の前を、晩秋の冷ややかな風が吹いた。その風が砂を遠くへ運んでいくように、少しずつ目の前から彼女は消えていった。


――俺はその時すべてを悟った。


 彼女の消えた視界に、薄紅色の花びらが一枚落ちてきた。



- FIN -



※最後までお読み頂きありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] なるほどー、巧いですね。読後に春の柔らかな風が吹いたような気持ちになりました。古典的な恋愛ものの文法を使いながら現代風に軽やかにアレンジされたあたり、さすがです。それにとても情景的だと感じ…
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