8 アパートで朝食を
日課の早朝ランニングを終え、リオウは帰ってきた。
ライオンのあくび荘。
オレンジの外壁と茶色の屋根の組み合わせのログハウス風のアパートだ。リオウの自宅兼研究室と同じ敷地内にある。
昔は叔父夫婦が切り盛りしていた学生寮だった。リオウが相続したとき、さすがに寮の経営はできないのでアパートに改修した。それでもキッチンや談話室はそのままで、入居者の共有スペースになっており、リオウも朝食はこちらでとっている。
郵便受けを確認し、アパートを見上げる。
幼い頃、両親とともに何度か遊びに来ており、それなりに思い出深い場所だ。
叔父夫婦は苦労人に弱く、行く宛てのない問題児を快く引き受け、親身に世話を焼いていた。今でも元寮生が叔父夫婦を慕って訪ねてくるくらいである。人情が売りの学生寮を譲り受けた身としては、その精神を無視できなかった。
だからだろう。ミュータのことを放り出せなかった。
あの少年が五百年前から来たという話をリオウは信じた。ミュータにいくつか質問し、彼の持つ五百年前の記憶を検証した結果、本物である確率が高いと判断したのだ。
――どうしたものか。
政府は明らかに何かを企んでいる。騎士団や警察に引き渡すべきか迷う。
叔父たちならどうしただろう、とリオウは柄にもないことを考える。
「…………」
そんな感慨をぶち壊すように、アパートの一階の窓から黒い煙が上がっていた。こめかみの血管がぶちりと音を立てる。
「どこの馬鹿だ!」
慌ててキッチンに向かうと、換気扇が全開で回り、流しに黒こげになったフライパンが浸かり、犯人とおぼしき少女がしゅんと肩を落としていた。
「いいか。フレンチトーストを焼くのに強火はいらねぇ。あとバターはフライパンと一緒に熱するといいぜ。すぐ焦げるからな」
「はい、すみません……猛省します」
シアンは今にも泣きだしそうな様子で立ち尽くしている。ミュータは火事にならなくて良かったなと笑い、てきぱきと片付け始めた。
すでに的確な説教は受けたようだが、リオウの腹の虫は収まらなかった。
「シアン。前に言わなかったか? 火を使う料理は禁止だ、このドジ放火魔女。自ら火あぶりになりたいのか」
「うう、ミュータさんに美味しい朝ごはんを食べてもらおうと思って……」
「ほう。ポイントを稼ごうとして撃沈したか。目も当てられんな」
シアンはがっくり項垂れた。
「うわっ、すげぇ色の卵だな。パッケージのこの爬虫類のシルエットは何なんだよ。普通の鶏卵はどこだ?」
「……お前は何をしている」
ミュータは冷蔵庫を漁っていた。失敗の片づけは一通り終わっている。なかなかの手際である。
「いや、朝食の準備だろ? 俺に任せてくれ。一宿の恩を返す。シアン、手伝ってくれるか?」
「……! はい、もちろんです!」
シアンは嬉しそうにミュータに駆け寄った。
十数分後、食卓に人数分の朝食が燦然と並んでいた。
切れ目にバターがしみ込んだトースト、キャベツと玉ねぎのトマトスープ、ふわふわのチーズオムレツ、綺麗に皮をむかれたリンゴ。
急ごしらえの献立とは思えない出来である。シアンは調理器具の場所と家電の使い方を教えただけで、実質調理は全てミュータが担当していた。
「知ってる食材しか使ってないから、大丈夫だと思う。まぁ、五百年で人類の味覚が変わってないことを祈るぜ。隣空人の口に合うかはさすがに分かんねぇけど」
召し上がれ、と促され、リオウとシアンは料理に口をつけた。
「美味しいですっ!」
「む……オムレツの焼き加減も申し分ない」
やや薄味で物足りないが、外食とインスタント食品と薬に慣れている自覚があるため、本来これくらいがちょうどいいのだろう。馬鹿舌だなんだと言われているものの、本当に美味いものは分かるリオウだった。
「ミュータさん、料理が得意なんですね。よく作っていたんですか?」
「ああ、おふくろは料理できない人だったし、妹のご機嫌取るためにもって頑張って覚えたんだよ」
「ご機嫌取り、ですか?」
「放っておくと部屋から出てこなかったからな。美味いもんの匂いで釣るしかなかった」
「それは……大変でしたね。でもでも、ミュータさんみたいなお兄さんがいるなんて、妹さんが羨ましいです!」
ミュータは少し寂しそうに笑った。
「それで、これからどうするのか決めたか?」
朝食の片づけまで終わったところで、リオウはミュータに問いかけた。
「ああ。ユニヲン政府の人に話を聞きたいと思ってる」
「いいんですか? 政府は怪しいですよ」
壱角銃を持たせて森に置き去りにしたのは、間違いなく政府の関係者だ。もしかしたら、主蟲の襲撃も政府が一枚噛んでいるのかもしれない。この世界のことを知らないミュータに対して酷な仕打ちに思える。
「他に手がかりないからな。偉い人に聞けば、俺がどうしてここにいるのか多分分かるだろ」
一晩経ってだいぶ落ち着いたのか、ミュータの言動はしっかりしていた。顔色も良い。開き直ったようだ。
「そうか。では、お前にこれを渡す。間違いなくお前宛てのものだろう」
リオウは郵便受けに入っていた封筒を差し出す。宛名はなく、消印も押されていない。誰かが直接投函したものだろう。手紙すら添えられていなかったが、中身を確認して半ば確信した。
ミュータがリオウの元にいることなど、政府には手に取るように分かるだろう。元々壱角銃には発信機がついているし、向こうには〈維新電神〉がついている。この地上で起こる全ての事象を把握していると言っても過言ではない。
それにしても、『彼女』がミュータにまつわる一連の出来事の首謀者なのだろうか。だとしたら先が思いやられる。嫌な予感しかしない。
「なんだ、これ」
封筒の中身を検め、ミュータは首を傾げた。
きらきら光る紙切れには今日の日付が印字されている。
リオウは気怠さを感じながら答えた。
「それはこの国の王女殿下に拝謁できる魔法のチケットだ」