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7 夢の彼方の少女


 ミュータが妹のシエルと出会ったのは六歳の頃だった。


 シエルは父が愛人に生ませた子ども、つまり腹違いの妹だ。しかも同い年である。

 幼いミュータはその意味を深く理解していなかった。こんなに急に妹ができることもあるのかと素直に喜んでいた。母が父に平手打ちを食らわせる瞬間を見るまでは。


「今度こそ失望いたしました。あなたは夫としても父としても人としても最低です」


「だが、科学者としては最高だ。だから優秀な血を残したいと思う。それが悪いことか?」


 父の研究所での修羅場である。

 ミュータは母親、シエルは父親の後ろに隠れ、おっかなびっくりと様子を見守った。

 周りには助手たちも多くいたが、誰一人止めに入る者はいない。心情的には母の味方だが、立場的には父の味方。シエルは今日までずっと存在を隠され、研究所に閉じ込められて育った。正妻だけが知らない公然の秘密だったのだ。なおさら母に顔向けできなかったのだろう。


「ミュータがあなたの血を引いていないと言いたいのですか?」


「まさか。DNA鑑定はしてある。ミュータは間違いなく俺の子どもだ。残念なことに、才能は受け継がなかったね。その子は凡人だ。シエルを作っておいて良かったよ」


 母はすっと目を細め、シエルを見た。夫とフランス人女性の血を引く少女。肌は白人のそれを差し引いても青白く不健康的。栗毛色の髪はぼさぼさで、体も痩せている。彼女が六歳にして研究所での仕事を一部請け負っていることは、母にもミュータにも伝えられていた。


「あなたは自分の子どもをなんだと思っているんです?」


「何もミュータを愛していないとは言っていない。その子はきみに似て心優しく真っ直ぐで、周囲の人間を幸せにする力を持っている。一方シエルは俺に似て、科学全体を発展させていく才能を持っている。だからこうして知識と技術を与えているんだよ。きみがミュータにあげるおやつと同じさ」


「……おかしいですね。言葉が通じてないなんて」


 母はもう一度父の頬を叩いた。そして呆然とするミュータに声をかける。


「ミュータ。あなたの妹をエスコートなさい。帰りますよ」


「うん?」


「……彼女は新しい家族です。悪い大人から救って一緒の家に帰ります」


 父は肩をすくめたが、何も言わなかった。


 ――お父さんは悪い大人だったのか……。


 少しショックを受けたものの、妙に納得するミュータだった。子ども心にも母が正しいことは理解できた。それに妹ができるのはやっぱり嬉しい。


 ミュータは怯えるシエルににっこりと微笑み、手を差し伸べた。


「帰ろう。今日のおやつはドーナツなんだ。美味しいよ!」


 シエルは何度も父とミュータの顔を見比べ、最終的にはその手を取った。父を内心嫌っていたのか、ドーナツに釣られたのかは分からない。ミュータと手を繋いだとき、ほんの少しだけ嬉しそうにはにかんだ。

 その日から、ミュータとシエルは兄妹になった。






 ――懐かしい夢だったな……。


 いつの間にかリアルな過去の夢から無秩序な夢に切り替わっていた。

 数字が縦横無尽に走っているほかは何もない。ただ白い空間が広がっている。ミュータは膝を抱えて座り込み、数字の羅列をぼんやりと眺めていた。


 シエルとの出会いについて思い返す。当時のことは曖昧にしか覚えていないのに、今見た夢はとても鮮明だった。創造や被害妄想の部分もあるかもしれない。


 ――おふくろは格好よかったな。


 ミュータの母は厳格で公平な人だった。実の子と愛人の子を差別したりしない。だけど、さすがにシエルに優しく接することはできなかったのか、ミュータも厳しくしつけることで平等とした。


 シエルと母の間には常に冷たい緊張が横たわっており、間を取り持つのがミュータの役割だった。家族の中でたった一人、全員と血の繋がりがあったからだ。


 ――シエルは俺を必要としてくれた……価値を与えてくれた。


 傍から見れば、お互いに依存しあう気持ち悪い兄妹だったことだろう。自覚はある。 

 こんなときでもシエルの夢を観るなんて、やはりは俺はシスコンなのかもしれない、とミュータは苦笑した。






「それにしても五百年後の未来、か。参ったな……」


 未だに信じられない。

 人類はコンピュータの神様の下、一つの王国に統一されていた。そして異世界と融合し、日常がファンタジーになっている。

 どうしていきなり五百年後に来てしまったのだろう。原因はさっぱり分からない。


 もしかして、一度死んで生まれ変わったのだろうか。最期の記憶はどうしても思い出せない。


「悲しいの?」


 問いかける声があった。舌足らずな幼い女の子の声だ。


「いや、悲しくはないぜ。途方に暮れてるだけだ。これからどうすりゃいいんだろうな、俺」


「そう。良かったぁ。でも他人事みたいに言うのは、めっ!」


 気づくと、目の前に女の子が立っていた。

 現実ではまずお目にかからない淡いピンクの髪。その髪はどこまでも伸び、ミュータの視界の中には先端が見つからない。ラプンツェルもびっくりの長髪である。


「やっと会えたね、ミューくん。久しぶり」


 女の子は悪戯好きの妖精のように明朗に笑った。


「ごめん。誰?」


「えへへ。あたし? ユメエンジュだよ。言っておくけど、ミューくんの頭が作り出した夢の中の登場人物

じゃないからね。神霊体って言えば分かる?」


「ああ……」


 町で見かけた女性を思い出す。物質に憑依する能力を持っていて、実体を持たない精神のみの隣空人だ。


「あたしのことは怖がらないでほしいな。呪ったりしませーん」


 ユメエンジュはおどけるようにその場で跳ねた。彼女の体は透けてはいない。夢の中だからだろうか。表情が豊かで愛らしく、全く怖くなかった。


「あたし、ミューくんに再会の挨拶をしに来たんだ。ミューくんは覚えてないだろうけど」


「? 俺のこと知ってるのか?」


 ユメエンジュは意味ありげに笑うだけで、答えるつもりはないようだった。


「これから大変だろうけど、どうかこの世界を楽しんで。というか、落ち込んだりウジウジしてたら、大切なことを見落としちゃうよ」


「大切なこと?」


「ここにいる理由とか、お家に帰る方法とか」


 ミュータは目を見開き、ユメエンジュに手を伸ばす。


「あるのか!? 元の時代に帰る方法が!」


 しかしその手は届かなかった。ユメエンジュがふわりと遠ざかっていく。


「それはミューくん次第だと思う。ま、あんまり肩に力を入れず、人生を悲観せず、頑張ってみて」


「教えてくれ! ユメエンジュ! 俺、どうしても家に帰りたいんだ! シエルが待ってる!」


 ユメエンジュは優しく淡く微笑み、首を横に振る。


「それを教えるのはあたしじゃない。あたしの役目はきみを守ること。これまでもこれからもいつだってすぐそばにいるよ。だって、あたしは――」


 最後の言葉は聞こえなかった。

 空間が音もなく割れる。

 直感的に分かった。

 目が覚める。未来で迎える初めての朝が来るのだ。






 ミュータは殺風景な部屋を見渡す。今度こそ夢から覚めた。

 ここはリオウの所有する学生アパートの一室だ。行くあてのないミュータを憐れんだのか、昨晩は家具付きの空き部屋を貸してくれた。


「帰りたい……もうヤだ」


 誰も見ていないのを良いことにミュータは枕に顔を突っ伏し、うだうだと全力で落ちこむ。


 ――シエル、俺がいなくなった後、どうしたんだろう。


 過去の彼方で終わった妹の人生を思い、ミュータの胸は苦しくなった。大戦前の切迫した時期にいなくなった兄のことを恨んだだろうか。それとも悲しんでくれただろうか。

 そもそも戦争で日本はどうなったのか。考えるだけで恐ろしい。リオウやシアンに調べてもらえば分かるだろうが、今はとても頼む気にはなれない。


「ん?」


 そのとき、視界の端で点滅する光に気づいた。

 壱角銃だ。リオウにコードを借りて一応充電してみた。バッテリーが満タンになったのか、今は緑色の光が銃身に宿っている。


 この銃は普段は省エネのためスリープ状態になっていて、持ち主がグリップに触れて声を発すると起動するらしい。通常は青電モードという、「急所に当たらなければ死にませんよ」という威力の青い光線が発射される。もっと緊急時になれば殺傷能力の高い黄電モードが発動する。そのモードチェンジの判断は持ち主ではなく、件の〈維新電神〉が行っているというから驚きだ。コンピュータの神の目はどこにでもあるのだ。


 ふと頭の中に声がよみがえった。


 ――落ち込んだりウジウジしてたら、大切なことを見落としちゃうよ。


 夢の中で聞いた不思議な女の子の姿も浮かぶ。


 ――いつだってそばにいるよ。


 ミュータは無意識のうちに壱角銃に触れる。

 その瞬間、欠けていた心が満ちていくような不思議な感覚が全身に広がっていった。


「ユメエンジュ……ここにいるのか?」


 返答はなかったが、神霊体は物質に憑依できるらしい。ならここにユメエンジュが宿っていてもおかしくない、はずだ。


「……分かったよ。覚悟を決めればいいんだろ? もう一度シエルに会うために」


 元の時代に帰る方法があるかもしれない。まだないと決まったわけではないのだ。

 たった一つの希望にすがり、ミュータは顔を上げた。すると、鼻を掠める異臭に気づく。


「……なんか、焦げ臭いな?」


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