3 英雄はいらない
森の中を駆け抜け、十分に距離を稼いでから岩の陰に倒れ込む。
エピカ・ネムコは暴れる心臓をなだめるため、必死に呼吸を繰り返した。白銀の髪に葉っぱが絡みついているが、取る気力もない。
――失敗した。どうしよう。
赤髪の少年――ミュータ・アカネザワを人目を避けて捕縛し、とある人物の元へ連れて行く。それがエピカに課せられた仕事だった。
自己嫌悪で全身をかきむしりたくなった。せっかく誰より早く彼を見つけ出せたのに、鼻歌なんて歌っている場合ではなかった。馬鹿すぎた。
彼が目を覚ましたとき、人の気配を感じて身を引いてしまったのもまずかった。でもまさかこんなところで他の人間と偶然行き会うなんて思いもよらなかったのだ。
――なんなの、あいつら。特にあの白衣の男!
人類と魔法使いの二人組がエピカが召喚した主蟲の大軍を全滅させてしまった。
何かの間違いだと思いたい。普通の人間、ましてや非力な人類には絶対に不可能な芸当だ。
――なんてざまなの!
もっとたくさん召喚して追い打ちをかけるべきだったかもしれない。しかし白衣の少年のあまりの強さに動揺し、心を乱してしまった。この精神状態での召喚は危険すぎた。
計算が狂った。いや、自分が狂わせてしまったのだ。あの人が組み立てた完璧な計算を。
目尻に浮いた涙を拭い、携帯端末を手に取る。番号はたった一つしか登録していない。
『もしもし、エピカ? どうしたの?』
優しい声を聞き、エピカは申し訳なさで胸を痛めながら口を開く。
「ごめんなさい、私――」
全てを話し終えると、電話の相手はくすくすと笑った。
『大丈夫だよ。これくらいじゃ僕の計算は狂わない。むしろ面白くなってきたじゃないか』
エピカはほっと胸を撫で下ろした。なんて頼もしいのだろう。
『それにしても、そう。やっぱり彼が出てきたか』
「知っているの? あの白衣の男のこと」
『有名だよ、リオウ・シャルマーは。とびきり優秀で有能だけど、目に余るほどクレイジーな男さ』
リオウ・シャルマー。その名前をエピカは胸に刻み付ける。この借りはいつか返さねばならない。
『さぁ、次の指示を与えよう。エピカ、少し残酷なことを頼んでしまうけど、頑張ってくれる? この世界に英雄を生み出さないために』
「ええ、もちろんよ。今度は失敗しない。どんなことでも成し遂げてみせるわ」
強い意志を込めてエピカは頷いた。
英雄になるべきなのはミュータではない。言葉にこそ出さなかったものの、エピカは心の底から信じていた。主蟲に囲まれて情けない姿を晒した少年よりも、どんなときでも涼しい顔を崩さないルドこそ“英雄”にふさわしい。
「見ていて、ルド。私はあなたと一緒にこの世界を変える。この不平等な世界を、覆してみせるわ」
そのためなら、たとえこの手を汚しても構わない。