20 森羅万象王
第三課題 『ユニヲン王国の建国について学び、思うところを書くこと(原稿用紙十枚以上)』
四月も半ばに差し掛かったある日。
新しい課題が届き、ミュータは図書館島に足を運んだ。
その名の通り図書館がある島だ。悪霊やヴァンパイアが住んでいそうな陰鬱な屋敷風の建物で、いかにもロウソクの炎が似合う。が、さすがに利用者の視力と防火の観点から図書館内は明るい電灯が使われていた。
「ミュータさん、この本は読みやすくてオススメですよ。あとこっちは当時の写真がたくさん載っています」
学習机の一つに陣取ったミュータの元に、シアンが歴史の本を運んできた。
「ありがとな、シアン」
「いえいえ、これも大事な司書のお仕事ですから」
シアンは隣空人クラスを修了し、現在は人類に混じって図書館司書育成コースに在籍している。放課後は実習の一環で図書館での貸出業務を手伝っていた。ようするに図書委員みたいな仕事をしている。
「もう少しで当番が終わるので、後でまた来ますね」
シアンは微笑んでカウンターの方へ戻っていった。
――今日はご機嫌だな。やっぱりシアンは笑ってた方が可愛い。
司書コースは一般の生徒と区別するために異なる制服を着ている。水色のワンピースタイプの制服で、頭に同色のベレー帽をちょこんと乗せたスタイルだ。清楚な女子校のお嬢様のようでシアンにはよく似合っている。
目の保養ができたところで、ミュータは張り切って本に向き合った。まだこの時代の文字――ユニヲン語は読めないが、携帯端末の日本語辞書ツールを使って翻訳しながら読み進めていく。
五百年前のことを知るのは少し怖い。
しかし元の時代に戻ることを考えると、知っておくべきだとは思っていた。この課題はいい機会だ。何より課題に打ち込むことで、形のない煩悶を頭から追い出してしまいたかった。
「旧暦二〇二八年、四月。後の〈森羅万象王〉が〈維新電神〉を用いてサイバー攻撃を行い、各国の主要施設と軍司令部を同時にジャック。全世界に向けた『終結勧告』は受諾され、人類最終戦争は終結、と」
ミュータは学習机に歴史書を広げ、ノートに要点をまとめていった。それから黙々とユニヲン王国記を読み進めていたが、どうしても分からない箇所が出てきた。
「どうですか? 進んでます?」
シアンが当番を終えてやってきた。渡りに船とばかりにミュータは尋ねる。
「ごめん、ちょっとここの翻訳だけ手伝ってくれないか? 難しくってさ」
「ああ、初代国王〈森羅万象王〉の終結勧告ですね。口語文なので独特な文法が用いられています。お任せください」
シアンは咳払いをする。
「……えっと『各軍の司令部に告ぐ。三日以内に全面降伏をしろ。さもなくば、諸君らの兵器で自軍領土内の非戦闘区域を空爆する。避難した家族、恋人、罪なき同胞の命が惜しければ、ただちに戦闘を放棄せよ。抵抗を試みるつもりならば、コンピュータ管理下にない武器を使うことをお勧めする。こちらは地球上の全コンピュータの総力でお相手しよう。さぁ、まずは僕を見つけるところからだね。一番に見つけられた人は、僕の王国造りの手伝いをさせてあげてもいいよ』……です」
ミュータは率直な感想を述べた。
「なんか、性格悪そうな王様だな。愉快犯のハッカーみたいだ。これが伝説の英雄なのか?」
とても五百年続く王国の基盤を築いた人物には思えない。
「そうですよ。〈森羅万象王〉は歴代で最も冷酷な王様と言われています。印象的エピソードを言えば、王は晩年、数十年間ともに働いた腹心の宰相の病床に、弔いの花を投げ捨てたとか。『働けないなら用済みだ。さっさとくたばれ』と」
「性格悪いどころじゃねぇな」
その宰相に恨みでもあったのだろうか。でなければ人格破綻者だ。
「森羅王は臣下からも家族からも恐れられ、自らも孤独を好んでいたようです。それでも史上最悪の戦争を終わらせた偉人ですから、今なお国民の人気は高いんです。ミステリアスなところがまた魅力的なんですよね。プロフィールも現在までほとんど公表されていません。映像はおろか写真や肖像画、音声の一つも残ってなくて、本当は女性だったとか、複数人いたとか、そもそもそんな人物はいなかった、という説まであるくらいです」
森羅王はクーデターや部下の裏切りを恐れ、個人を特定されないようにしていたらしい。かなり疑り深く、臆病な人物だったのだろう。それだけ社会を立て直すのに必死だったのかもしれないが。
「王の外見の特徴は、側近の手記でわずかに語られている程度ですね。『ユニヲン王国の紋章にある炎のたてがみを持つユニコーン。それは森羅王の燃えるような赤髪を表している』」
「燃えるような赤髪、か」
ミュータが自らの髪を一房つまむと、シアンは目を輝かせた。
「実はわたし、面白い仮説を考えていたんです」
「ん? どんな?」
「ミュータさんが、〈森羅万象王〉なんじゃないかって」
突拍子のない発言にミュータは目を丸くする。
「だって、わざわざ五百年前から連れてきたんですよ。よほどの重要人物じゃないですか」
「そんな……たまたま偶然、誰でもよかったのかもしれねぇぞ」
「それを言ってしまったらおしまいです。根拠はそれだけじゃないんです。わたし、ミュータさんのおかげで日本という国に興味が沸いて、最近ずっとずっと調べてたんです。それで知ったんですけど、四字熟語って日本の文化ですよね?」
「多分、中国から伝わったもんだと思うけど」
「中国では成語と言い表すそうです。でも〈森羅万象王〉が定めた森羅言という典範には『王の号に四字熟語を使うこと』とされています。そのことから森羅王は日本人である、という説が有力視されているそうですよ」
「森羅王が日本人……」
ユニヲン語はアルファベットに似た表音文字を使う英語に近いものだ。しかし王家や政治に関連する物事には漢字が用いられている。〈維新電神〉が「以心伝心」からきていると考えると、五百年前の漢字圏の人間が王というのは頷ける話だった。
「きっと、今のユニヲン王家にとって都合の悪いことが五百年前にあったんです。それを変えるためには、後の森羅王であるミュータさんに事情を話さないといけない。だからこの時代に連れてきたんです。そもそもミュータさんがこの時代のことを知った状態で帰れば、何かしら歴史が変わるのは間違いないですからね。ミュータさんは選ばれた人に違いありません」
マリッタ王女のメッセージを思い出す。
『タイムパラドックスや歴史改変など、難しいことは考えなくても結構ですよ』
今考えてみると随分と杜撰な発言である。ミュータが未来の情報や技術を過去に戻って広めたら、歴史が大きく変わってしまうかもしれない。それは危ぶむべきことのはずだ。
――いや、俺じゃない。
幼い頃から理解していた。自分は何かを大きなことを任されるような人間ではない。
選ばれるとしたら、それは――。
心臓が早鐘を打ち、汗が手の平に滲んでいた。
考え出すと止まらなかった。
ミュータの妹、シエル・アカネザワは天才だった。
一度見聞きした知識は忘れず、並行して別々のことを思考し、凡人が一生かけても辿り着けない真理を一瞬で閃き、人の心をいともたやすく読み取ってしまう。
特にプログラミング能力は一流で、開発したセキュリティソフトは大企業から契約の話が来るほどだった。
――もしかしたらシエルが〈森羅万象王〉になるのか?
それで兄である自分に何かをさせるため、この時代に連れてきたのだろうか?
嫌な可能性ばかりが脳裏をよぎり、不安を誘う。父親だって同じ天才のはずだが、ミュータの頭に浮かぶのはシエルのことばかりだった。
「ミュータさん?」
「ああ、うん。反論を考えてたんだ。……実は俺のこの髪は地毛じゃない。染めてるんだ。本当は黒髪。日本人は大抵黒だぜ」
シアンは自らの黒髪をいじり、「じゃあお揃いなんですね」とそわそわと呟いた。
「森羅王も染めてるのかもしれないけど、赤毛ってだけで断定するのはどうかな。それに俺と森羅王じゃ性格が違いすぎる。俺にはこんな大胆な終結勧告できねぇし」
「そ、それは確かに……ミュータさんみたいに優しくて思いやりのある人だったら、森羅王みたいにひどいエピソードが残ってるわけないですよね」
ミュータは自分自身に言い聞かせる。
妹のシエルは栗毛色の髪だった。それに性格だって善良とは言い難いが、兄の身内びいきを差し引いても悪くはなかったはずだ。とても歴史書に辛辣なエピソードを残すような人格ではない。
「王女様も言ってたじゃん。『この時代への永住をご希望でしたら、なんなりとお申し付け下さい』ってさ。もしも俺が王様になるなら、この時代に残っちゃダメだろ。大変なことになる」
その瞬間、シアンの顔から表情が抜け落ちた。
「どうした?」
躊躇いを滲ませながら、シアンはポツリと呟いた。
「どうしても、ダメですか? どうしてもこの時代に残ることはできませんか?」
シアンは俯き、ミュータの制服の裾を掴んだ。
「だって、だって、五百年前には戦争があるんですよ? 危ないです。わたし、たくさん調べたんです。ミュータさんが住んでいた東京は空爆されて、地下シェルターに入れた人は少なくて……たくさんの人が死んでしまったんです。東京だけじゃないです。日本中が、世界中が、爆撃されたり毒を撒かれたり、発展途上国も先進国も関係なく、人口の半分が犠牲になってしましました。戦争が終わってユニヲン王国ができてからも数年は犯罪やテロが絶えなくて、激動の時代だって、歴史書に書いてあって……」
シアンの声は震え、どんどん湿っていく。
「でも当時の記録はあやふやで、分からないんです。ミュータさんがどこに行けば安全なのか……どれだけ調べてみても、生存者の中にも死亡者リストの中にも、どこにもミュータさんの名前はなくて……見つけられなかった……っ」
「シアン」
「帰っちゃダメです。二分の一の確率で死ぬような世界、あなたみたいな優しい人は生き残れません。ううん、例えミュータさんが運よく助かったとしても、絶対に辛い思いをしちゃいます。だって、だって、大切な人を一人も失わずに済むなんて、そんなことは――」
「シアン!」
言葉の続きを聞きたくなくて、ミュータは珍しく声を荒げていた。ただでさえ静かな図書館の空気がピンと張りつめる。
通りがかった職員が咳払いをした。
「お静かに。人の迷惑になるようなら退館を命じますよ」
「……すみません」
ミュータが頭を下げると、職員は苦い表情で去って行った。ミュータの袖を掴んだまま、シアンは首を横に振った。
「帰らないで、ミュータさん……」
「……ごめん」
「どうして? 戦争が怖くないんですか?」
「確かに、戦争は怖いよ。でもそれはこの時代でも同じことだろ。人間いつ死ぬかなんて分からない」
シアンはきっぱりと言い放った。
「そんなことないです。この時代にさえいてくれれば、わたしがミュータさんを守ってあげられますから!」
どこまでも真っ直ぐな青い瞳に、ミュータは不覚にもときめいてしまった。
やっと分かった。シアンがこの頃浮かない顔をするのは、元の時代に帰ることを心配してくれていたからだ。胸が温かくなると同時にじくじくと痛んだ。
「……ありがとう。でも、やっぱり俺は帰る。帰らなくちゃダメなんだ。守ってあげなくちゃいけない妹がいるから」
たとえ戦死すると分かっていても、ミュータは迷わず過去に帰ると決めていた。この時代に残って生き続けても、もう会えない家族のことを思うだけで死にたくなるだろう。そんな人生は御免だった。
「どうしてそこまで妹さんのことを」
「俺の妹は、本当は一人で生きていけるくらい賢くて強い。自分より出来の悪い兄貴を立てて、頼ってくれたんだ。俺が生きる意味に困らないように、存在価値があるように」
知っていた。
シエルは一人では何もできない子を装い、引きこもっていた。何もかも完璧すぎれば、ミュータが劣等感に苛まれるからだ。それは彼女が茜沢の家で生きるための戦略だったのかもしれない。
シエルがそのように振る舞ってくれなければ、きっとミュータはダメになっていただろう。
中学生の時にそのことに気づいて以来、ミュータは常に心がけてきた。
明るく前向きに、辛いときでも誰かのために笑えるくらい強くなりたい、と。
他ならぬシエルが罪悪感で苦しまないように。
「お互いが自立するためにはむしろ離れた方がいいのかもしれない。でも、俺はまだシエルのそばにいたいんだ。天才には理解者と支えてくれる家族が必要だって、親父も言ってたしな」
シアンはしゅんと肩を落としながらも、頬を膨らませた。
「いつも、いつも人のことばかり考えて……ミュータさんはお馬鹿さんです……!」
読んでいた本を抱きしめ、シアンは走り去った。追いかけようと立ち上がりかけ、ミュータはその場にとどまる。
深く考えてはいけない。この時代の人々の事情に関わってはいけない。
「…………っ」
例えシアンが自分に特別な感情を持っていてくれたとしても、どうすることもできない。気まずい思いをするだけだ。
しばらく文字の羅列を眺めていたが、集中を取り戻すことはできなかった。今日は切り上げることにし、本を書架に返すため、背表紙にラベルを参考に歴史コーナーを歩き回った。
「すげーな……」
森羅王が人気だったというのは本当で、一つの通路が丸ごと関連書籍で埋め尽くされているようだった。文字が不自由なく読めれば何冊か読んでみたいくらいだ。
「きみ、森羅王に興味があるの?」
振り返ると、一人の少年が人懐っこい笑顔を浮かべて立っていた。
さらさらの茶髪と赤い瞳。爽やかな風貌をしており、ミュータと同じくらいの年頃だ。
「うん、まあ……」
「とても興味深い人物だよね。カエサルやナポレオン、ジャンヌダルクに並ぶほどなのに、中世以前の偉人よりもよほど謎に満ちている。悲劇の英雄は人々を強く惹きつけ、憶測を呼ぶ」
悲劇。森羅王が悲惨な目に遭ったという記述はまだ読んでいない。ミュータは自分の無知を隠すため、苦笑いを浮かべて頷いた。
「こんな話は知っているかな? 〈森羅万象王〉の隠し部屋の噂」
「隠し部屋?」
少年は歌うように言葉を紡ぐ。
「王都の地下には〈維新電神〉のメインコンピュータがあるのは知ってるよね? その操作室には現行の王以外は入れないんだけど、王にすら入れない部屋がその近くにあるらしいよ。その部屋について、森羅王は子孫にこう言い残した。『世界の誰もが求めてやまない秘宝を封じた。扉を開ける鍵はただ一つだけだ』と。でも鍵は未だに見つかっていない」
「秘宝……へぇ、それは面白いな。そのお宝が何なのかは分かってないのか?」
「王族なら知っているかもしれないけど、一般には知らされていない。興味をそそられるよね。もしも僕が次の王に選ばれたら、全力でその謎に取り組む。僕は森羅王の大ファンだから」
少年はごく自然な動作で右手を差し出した。
「僕はルド・ジェイミー。ルドって呼んで。ここで会えたのも何かの縁だ。きみとはぜひ仲良くしたい」
ミュータはルドのペースに飲まれ、気付いたら名乗って握手に応じていた。
不思議な少年だった。優しい雰囲気なのにどこか鋭い印象があり、目を離せない。
これがカリスマ性というものだろう。彼の言葉には魅力があり、説得力がある。
「ところで、きみのお友達は相変わらず?」
「お友達……誰のことだ? というか、俺のことを知っているのか?」
「もちろん。リオウ・シャルマーのところで暮らしているんでしょう? 彼は目立つから」
ルドはにこやかなまま言う。
「お互い様だけど、彼ってとっても目障りな存在だよ。それだけ認めているってことだけどね。それがまた
腹立たしい。ああ、今すぐ存在を抹消したい」
「……は?」
とぼけたようにルドは笑う。
「きみには期待しているんだよ? 彼にたーくさん迷惑をかけてね。同じ時期にきみと蟲客のお姫様、問題児を二人も抱え込んで、精神的に参ってくれると嬉しいな」
ミュータが絶句していると、ルドはさらに言葉を重ねる。
「きみはあえて周りを見ないようにしているのかな? それは賢い判断だけど、結果的には愚かな行動になる。どうせきみに勝ち目はないんだ。被害を最小限にするためには、もっと積極的に動くべきだよ。知っておいたほうがいい」
「何を? どういう意味だ?」
「今、全てを教えたら面白くないでしょ。でも友達として忠告はしてあげたよ。くれぐれも真実から目を逸らさないようにね。じゃあまたいずれ風の強い日に会おう」
ルドは軽い足取りでミュータと距離を取り、道化めいた仕草で手を振った。




