15 入学式
春休みも終わりに差し迫ったある日、ミュータの元に携帯端末が届いた。
日本語翻訳に対応した特別製で、電子マネーも当面の生活に困らないくらいチャージがされていた。ちなみにリオウの口座にも一か月分の家賃と敷金礼金が振り込まれていたらしい。
ミュータが端末の操作に慣れてくると、一通のメールが届いた。
第一課題 『ユニゾン学園に入学すること』
待ちに待った課題だが、これには慌てた。新学期まであと何日もない。
「大丈夫ですよ。ユニゾン学園は誰でも入学できるんです」
シアンはにこやかに答えた。
「誰でも? 入試はないのか?」
「人類の文字が読めない隣空人は免除されます。ミュータさんも事情を話せば大丈夫だと思いますよ」
「なんかいい加減だな」
「とんでもないです。ユニゾン学園の教育理念はとってもとっても素晴らしいですよ!」
シアン曰く、ユニゾン学園及びユニゾランドは三百年前のユニヲン国王〈日進月歩王〉によって建設された。
かの王は全ての若者に自由に学ぶ権利とのしあがるチャンスを与えた。
ユニゾン学園の学費は無償で、入試は基本的な学力を図るだけ。
学内の施設は生徒なら自由に使うことができ、多種多様な授業コースが用意され、文字の読み書きから各分野の専門技術までまんべんなく学ぶことが可能である。
入学における条件は「学ぶ意志を持つ二十二歳以下の若者」という一点のみ。保護者の許可さえ必要としない。大切なのは本人の意志だ。
たとえ余命三か月の命でも知りたいと願うなら歓迎しよう。
たとえ犯罪者でも刑期を終えていれば問題ない。
学園の門はあらゆる者に開かれる。
それがたとえ、異世界からやってきた生命体であっても。
「五百年前からやってきた俺でも?」
「はい、きっと」
その言葉を信じ、急ごしらえで願書を作って提出したところ、すんなり入学許可が下りた。もちろんリオウに相談していろいろと工作して身分を偽ったが、もしかしたらユニヲン政府から学園側に働きかけがあったのかもしれない。
そしてあっという間に入学式当日がやってきた。
ユニゾランドの七つ島の一つ、コロシアム島。
その名の通り古代の闘技場をモチーフに造られた建物で、イベントや式典で大在の生徒が集まるときに利用されるらしい。イベントホールみたいなものだ。
ミュータはとても居心地の悪い思いをしていた。
入学式の最中、ひそひそと噂する声が聞こえ、周囲から露骨な視線が集まってくる。隣の席でエピカが制服のスカートを握りしめ、恥ずかしそうに俯いていた。
「あの子、ヤバくね? 超綺麗……後で声かけてみようかな」
「バカ、知らないのか? 彼女、蟲客の姫宮だってさ。関わらない方が良い」
やっと入学式が終わり、それぞれのクラスの集合場所が告げられる。品のない好奇に晒され、ぽつんと立ち尽くしていたエピカにミュータは鷹揚に声をかけた。
「俺たちって同じクラスだよな。一緒に行こうぜ」
振り返ったエピカはむっとしていた。
背筋の伸びた立ち姿は凛として、スカートから覗く脚線美は眩しい。白銀の長髪をシュシュで束ねて肩から流しており、白いうなじが妖艶な色気を漂わせている。
目立つのは仕方ない。新入生はみんな同じグレーのブレザーの制服を着ているが、エピカが着ると別のもののように感じる。大抵の男子は釘付けになってしまうだろう。
ちなみに人類であるミュータの制服の胸元には、ユニヲン王国の紋章である『炎のたてがみを持つユニコーンと赤いコスモス』が刺しゅうされているが、エピカたち隣空人は無徽章だ。分かりやすい。
「……いいわ。あなたを男避けに使わせてもらおうかしら。少々頼りないけど」
「高慢だなぁ。さすがお姫様」
「そうよ。どうせ私は蟲客の姫宮よ。どうしようもないじゃない。文句ある?」
「なんでそんなに卑屈な喧嘩腰なんだよ?」
エピカはつんと顔を背け、ゴンドラ乗り場に歩き出した。ミュータは苦笑して後を追う。
「エピカってさ、一人っ子? それとも末っ子か?」
「なんでそんなこと聞くのよ」
「いや、そんな感じがしてさ。なんか俺の妹にちょっと似てるんだよな。つれないところが。いや、エピカほど綺麗じゃないけど、そこそこ可愛くて」
「聞いてない」
一緒のアパートで暮らし始めて数日。お互い引っ越しと入学準備に追われていたが、食事のときはよく顔を合わせた。
驚いたのはエピカの世間知らずっぷりだ。
電子レンジで金属の器に乗せた生卵を温めたときは後片付けが大変だった。シアンと同じくリオウに料理禁止を言い渡され、エピカは「人類の電化製品の使い方なんて知らないわよ」と立腹していた。聞けば済む話なのに、プライドが邪魔して人にものを尋ねられないようだ。そういうところがまた世間知らずの姫っぽい。
「私には姉が一人いるわ。でも、私が小さい頃に亡くなったから、実質一人っ子……いえ、親もいないから孤児ね。これでいい?」
ミュータは冷や汗をかいた。
「……ごめん。変なこと聞いて」
「そうね。蟲客に家族構成を聞くときは気をつけなさいよ。ちょっと間違っただけですぐ主蟲に食べられてしまうんだから。姫宮の血筋ならなおさらよ」
ミュータはシアンに聞いた蟲客の歴史を思い出し、迂闊な自分を呪った。
「蟲客の社会は主蟲によって支配されています。大昔、人間は主蟲にとって力を得るための重要な餌でした。主蟲は無秩序に人間を食い散らかしていたそうですが、やがて人間の絶対数が減り、食事に困るようになります。そこで知恵ある主蟲は人間を集めて飼育することにしました。それが蟲客の村の起源だと言われています。
あるとき、主蟲にとって極上の美味しい血を持つ少女が現れました。力ある主蟲たちはこぞって少女の血肉を求め、殺し合いを始めます。生き残った六体の主蟲――六大主蟲を前に少女はとある提案をしました。
『私を食ったものは比類なき力を得るでしょう。その力で他の人間を守ってください。その代わり、私の子孫の心臓を捧げ続けることをお約束します』
六大主蟲はその提案を受け入れました。他の主蟲に抜け駆けされることを恐れたのです。少女は約束を魂に刻むために呪を歌い上げ、六大主蟲と契約しました。以来、人々は少女の血族を姫宮と呼び、崇め奉るようになったのです。そうして姫宮から主蟲と契約する方法が伝えられ、普通の人間も主蟲と契約できるようになったと言います。
姫宮の子孫は各地に散り、六大主蟲もそれぞれの村を守るようになりました。今はエピカさんがネムコ一族の代表として、六大主蟲の一体と契約しているはずです」
あまりにも陰惨な歴史にミュータは衝撃を受けた。
蟲客と主蟲の契約関係は対等ではない。主導権は主蟲の方にあり、命令を聞かない場合もある。周囲の人間はもちろん蟲客自身も常に命の危険に晒されているのだ。
隣空人が多く暮らす東地区のアパートや寮ですら、こぞってエピカの入居を拒絶した理由がようやく分かった。蟲客の姫宮が問答無用でレベルゼータ指定というのも頷ける。
リオウからきつく言いつけられた。絶対に二人きりになるな、余計なことは喋るな、おかしなことが起きたらすぐに報告しろ、と。
襲撃犯の疑いがある以上、警戒しなければいけないのは分かる。
しかしミュータはエピカ個人を怖いと思えなかった。陰謀や悪巧みといった言葉と彼女の姿が結びつかないのだ。失礼な言い方をすれば、あまり物を考えて行動しているように見えない。
今まさに混雑したスクドラ乗り場に近づけず四苦八苦している姿を見るとなおさらだ。
――まぁ、大丈夫だろ。
学園には常に人目がある。アパートではリオウとシアンのどちらかと一緒にいる。護身用として壱角銃も携帯させられている。エピカに襲われる隙はまずない、と思う。
「何をぼさっとしているのよ。さっさと行くわよ!」
エピカがミュータの腕をからめ捕り、スクドラの列に突入した。
――うわぁ……やっぱり大丈夫じゃねぇかも。
腕に密着する柔らかい感触と甘い香りに意識が遠くなった。




