10 残念な訪問者
面白くない。
ああ、面白くない面白くない。
リオウは頭を抱えた。
まずミュータだ。帰る方法が見つかってすっかり舞い上がっている。
タイムマシンが実在するなどリオウには信じられなかった。開発の噂どころか足がかりになりそうな理論すら聞いたことがない。ミュータが現にこの時代に来ているのだから、あると認めざるを得ないが、騙されている気がしてならない。
次に、マリッタ王女の関与もリオウを悩ませた。
ミュータは知らないだろうが、マリッタ王女は知略に優れた方なのだ。アイドルをやっているのも政治的に有利になるよう国民の人心掌握に励んでいるからで、明るく純粋な振る舞いも全て演技に過ぎない。
今更ながらリオウは気づいた。
巻き込まれた。利用されている。おそらく昨日のミュータとの出会いも偶然ではなく仕組まれた。リオウが事前に立ち入り申請を出していたから、ミュータはあの森に放置されていたのだ。
リオウは東地区では名の知れた学生だ。ミュータの滞在場所として都合よくアパートも所有している。騎士団に籍を置いていたことで経歴も行動パターンも政府はしっかり掌握している。ミュータの護衛としても適任だろう。
例え一国の王女だろうが、誰かに駒のように動かされるのは気に入らない。
そして、最も気になっているのは主蟲の襲撃だ。
どんな目的があるにせよ、ミュータはユニヲン王家にとって大切な客人のようだ。この世界を知ってもらうためのデモンストレーションにしては主蟲達の数が多かったし、実際にミュータは死にかけた。よって王女の差し金とは思えなくなってきた。
ならば、どこの蟲客が何の目的で襲ってきたのか。
――やはりオレ狙いだったのか?
リオウには蟲客と因縁がある。主蟲を見ると興奮するのも、執拗に強さを求めるのも、全て過去のある事件のせいだ。
胸に黒い感情が滲み、穏やかではいられない。
そんな苛立たしい夜、来訪者があった。
「…………」
美しい白銀の髪と神秘的な紫の瞳。この世の美しさを凝縮したような少女。
少女はエピカ・ネムコと名乗った。
アパートの談話室を貸しきり、リオウはエピカとソファに座って向き合った。
「私、この春からユニゾン学園に入学するんだけど、まだ部屋が見つかっていないの。どうかしら? こちらのアパートに住まわせてもらえない?」
人にものを頼むにしてはツンとした態度でエピカは言う。
「新学期まであと五日だぞ。何で住居がないんだ?」
「それは、その……私は蟲客なの」
「知っている。蟲客でネムコと言えば、六大主蟲の加護を受けた一族だ。その名前を姓に持つということ
は、お前は蟲客の中でも特別な存在……姫宮だろう」
痛いほどよく知っている。エピカを一目見たときからリオウは悪夢を見ている気分だった。
「そこまで分かるなら話は早いわ。蟲客の姫宮って、ほら、その……察しなさいよ」
「予想するに、異能レベルゼータ指定の姫宮を嫌ってほとんどの寮やアパートが入居を拒否した、というこ
とか?」
エピカは不愉快そうに顔を背けたが、否定はしなかった。
「まぁ、そういうこと。でも不動産屋を回るうちにここの噂を聞いたの。なんでも困っている学生を積極的に引き受けてくれるとか。私、困っているの」
「そうか。頑張れ。きっと明日には良いことがある。じゃあ気をつけて帰れよ」
リオウが立ち上がると、エピカは服の袖を掴んできた。
「ちょっと待ちなさいよ! 帰る場所がないって言ってるでしょ!」
「そんなわけないだろ! 留学は諦めてネムコの村に帰れ!」
「嫌よ! あそこには絶対帰らない!」
悲鳴混じりの声だった。エピカは袖から手を離すと、それきり黙ってしまった。
リオウの苛立ちはピークに達する。
――冗談じゃない。蟲客の姫宮なんてそばに置いておけるはずがない。しかもこの女は……。
どうやって追い返すべきかリオウが悩んでいると、談話室の扉がゆっくりと開いた。
「あの……ちょっといいか?」
ミュータが現れた。その後ろにはシアンもいる。盗み聞きしていたのは知っていたので驚きはしない。
「エピカ、だったよな? 昨日森にいなかったか?」
「なんだと?」
「そんな怖い顔するなよ。いや、二人に拾われる前に、人を見かけたんだ。エピカだったような気がするんだけど」
エピカに視線が集まる。
「し、知らないわ。気のせいじゃない?」
「怪しすぎる。まさか、あの主蟲の襲撃もお前か?」
「何のことかしら」
エピカは白銀の髪をいじり、そっぽを向いた。
「え? それはないだろ。こんな女の子が人を襲うなんて……」
「あれだけの数の主蟲を操れる蟲客はそうそういない。だがこいつにはできるはずだ。何せ姫宮だからな。六大主蟲の配下には何万もの主蟲がいる。昨日森にいたのなら犯人はこの女だ」
「それ、何の証拠もないじゃない」
「状況証拠としてなら十分だ。動機はなんだ? 誰を狙った? ミュータかオレか、まさかシアンではないだろうが――」
ミュータが閃いたと言わんばかりに手を叩く。
「あ。もしかして、エピカは森で野宿してたんじゃないか? それで食うに困って追いはぎを?」
「失礼ね! 私は姫宮なのよ。そんなみっともない理由で犯罪に走るわけないでしょ!」
「ごめん。じゃあ、どうして? どうしてあんなことを?」
ミュータの悲しげな視線を受け、エピカは狼狽した。
「わ、私じゃないって言ってるでしょ。もう! とにかく私はここに住みたいの! 住まわせてもらえるまで動かないんだから!」
背負ってきた風呂敷を抱え、エピカは固く目を瞑った。
それきり本当にエピカはさなぎのように動かなくなった。限りなく疑わしい。十中八九、襲撃の犯人は彼女だろう。
このまま警察に突き出すべきだ。エピカの犯罪が実証されなくとも、住むところがない以上蟲客の領土に強制送還になるはず。そうすればリオウの憂いは消える。
「なぁ、リオウ。エピカのこと、どうしても置いてやれないのか?」
口を開いたのはミュータだった。
「は? なぜだ。こいつは明らかに怪しいぞ。限りなくクロに近い」
「でもさ、決定的な証拠はないんだろ。それなのにエピカを追い返したら可哀想だし、このアパートの外聞も悪くなるんじゃねぇか。同じ日に俺は入居させて、エピカだけ断るっていうのも、なんか申し訳ないというか……」
リオウは呆れた。ミュータの判断は甘すぎる。虫唾が走るほどだ。
「この際外聞なんてものは気にしてられん。蟲客の姫宮だぞ。入居を拒否しても誰も不思議がらない」
と言ってから、ミュータが不思議がっていることに気づき、リオウは舌打ちをする。
「そうよ。もしこのまま力ずくで追い出されたら、町中であなたの名誉を陥れる言葉を叫ぶわ」
「そしたら次は法廷で会うことになるが、構わないな?」
言葉を詰まらせるエピカ。なんて浅慮な少女だろう。リオウはいろいろと戦意を喪失した。
「面白くないが……いいだろう。入居を認めてやる」
エピカが小さくガッツポーズをしたのをリオウは見逃さなかった。呆れる混じりの視線に気づき、エピカは顔を赤くした。
「ただし、条件がある」
些細な反抗心を掲げ、リオウは鼻を鳴らす。
「は? 何よそれ。私だけお家賃を高くするとか?」
「そんなことはしない。オレの研究を手伝ってもらう。雑用は山ほどあるからな」
「え!? ちょっと――」
「今まではシアンに手伝わせていたが、ドジがひどすぎて危ないからな。代わりシアンにはミュータの護衛と世話係を命じる。どうだ?」
「分かりました! ミュータさんのことはわたしに任せてください!」
沈んだ様子だったシアンは一気に浮上した。いつも通り目をきらきらさせている。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。私はまだ認めてないわ。そんな横暴な――」
「文句があるなら今すぐ出ていけ」
その一言でエピカは黙った。
リオウは腹をくくった。もういっそそばに置いてこの女の目的を見極めて暴いてやる。マリッタの差し金なのか、はたまた全く別の目論みがあるのか。
危険を厭って臆したと思われるのも癪だ。
もうどうにでもなれという気分だった。
こうしてアパートの住人が予定外に二人も増え、リオウの前途多難な一か月が始まった。




