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プロローグ 黄泉路への旅立ち

 これは、一人の少年が家への帰り道を探す物語である。


 西暦二〇二七年、春。

 第三次世界大戦の気配が日常を脅かし始めた頃。






 明るく前向きに、辛いときでも誰かのために笑えるくらい強くなりたい。

 そんな目標を抱いて生きてきた少年だったが、「さすがに今は笑えねぇ」とスプーンを手放した。

 出されたコンソメスープに毒を盛られたらしい。気づいたときにはすでに床に転がっていた。激しい眩暈と耳鳴り、ねっとりとした汗にまとわりつかれ、あまりの気持ち悪さに体を脱ぎ捨ててしまいたい。


 少年の名は茜沢あかねざわ美宇太みうた――ミュータという。

 名前を正しく発音してもらえないことと燃えるような赤髪以外、平凡というカテゴリーに分類される高校生である。


 否、家族構成は少々特殊だった。

 父は宇宙工学の分野で名声を得た天才科学者で、現在は東洋連盟軍に招聘されて新型ミサイルの開発をしている。ミュータは今日、父から「手伝ってほしいことがある」という不明瞭なメールで軍の研究所に呼び出されていた。


 研究所は最新技術の粋が結集している割に洗練された印象はなく、すでにこれから始まるであろう戦争の殺伐とした空気を纏っていた。

 ラウンジのような場所で肩身を狭くして待っている間、見知った顔に「戦場用の非常食を試食してみないか」と誘われ、こうして殺されかけている次第だ。暗殺用の毒物の試食だったのだろうか。いやいや、そんなはずがない。ミュータの意識は朦朧としており、すでに思考力を失いかけていた。


 なぜ一介の高校生に過ぎない自分がここに呼ばれたのか、不思議に思っていた。

 妹のシエルなら分かる。あらゆる知的才能が兄とは段違いだ。シエルは父すら凌駕する天才的頭脳の持ち主で、研究の手伝いならば圧倒的に彼女の方が適任である。


 しかしようやく理解できた。自分は騙されたのだ。この呼び出しにまともな理由なんてない。そもそも父が関わっているかどうかも分からない。


「最後の晩餐の味はどうだったかな、ミュータ君」


 その青年は目を細め、ミュータが苦しむ様子をじっくりと観察していた。もう何年も父の助手を務めている男である。室内に他の人間の気配はなく、助けを呼ぶこともできない。


「なん、で……?」


 言葉を紡ぐだけで喉が火傷しそうだった。熱い。体が炎に巻かれているようだ。


「さぁ、どうしてきみはこんなところで死にそうになっているんだろうね? もう会うこともないだろうし、教えてあげよう。僕、冥土の土産を人にあげるのは初めてだよ」


 青年はにこやかに言う。こんなに性格の悪い喋り方をする人だったのか。ミュータは拳を握りしめた。


「僕の造った《神様》が言ったんだ。あと三年四か月と二日で人類は滅びる。知ってしまった以上、止めないといけないでしょ? 僕はまだ死にたくないし、他のみんなだってそうだ。だから苦渋の選択の末、ミュータ君に犠牲になってもらうことにした。いやぁ、本当に残念だよ」


 表情筋が引きつる中、なけなしの根性で青年を睨み付けてやった。


「はは、怒っちゃった?」


 青年が無邪気に声を上げた途端、怒りがブラックホールに吸い込まれていくような虚無感を覚え、抵抗する気力を思わず手放してしまった。


「きみは世界のにえだ。試算の結果、きみのおかげで五十億人は助かるみたい。素晴らしいことじゃないか。たかだか高校生一人の命で救われる滑稽な世界。どんな未来が待っているんだろうね。今から楽しみで仕方ないよ」


 体中の熱が燃え尽き、今度は寒気に襲われた。もう手足は一ミリも動かない。猛烈な眠気を振り払う力はもはやミュータには残されていなかった。


 ――ダメだ、俺。帰らなきゃ。


 脳裏に甦るのは、妹の寂しそうな背中だ。

 好き嫌いが多くて、人見知りで、何でもできるくせに、一人では何にもできない女の子。

 ミュータが世話を焼くと怒るのに、少し目を離しただけで拗ねたり、慌てたり、この世の終わりのような顔をする。

 そばにいてあげなければならない。

 一人にしてはいけない。

 自分が死んでしまったら、妹はどうなる。


 ――シエルが待ってるんだ。帰らなきゃ……。


 ミュータは無念さを噛みしめながらゆっくりと目を閉じ、肺に残っていた息を吐き尽くす。


「ごめんね。ゆっくり、おやすみ」


 青年の優しい声を最期に、ミュータの意識は霧散した。



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