「私」の最後の夢
緒賀けゐす、その男の執筆速度山の如し!
...いや、書きたいんすよ?
私は今、夢の中にいる。
その事実だけは心のどこかで理解できた。
自分でもどうしてそう確信できているのか、いまいちよく分かってない。
茜色に染まった空の下、ひたすらに駆けて行く足音だけが鳴り響く。
場所自体に見覚えはある。アップダウンが激しくて、坂道が張り巡らされた、町とはいうが集落といったほうが合ってる町。
紛れもなく私の生まれ育った町だ。
エスカレーター式で中学校まで進み、また人もいないためメンバーは幼稚園から一緒の人がほとんど占めているような田舎である。
とはいえ、あまりにも静か過ぎる。
無音。
足音以外私の鼓膜に届く外的影響が存在していない、今まで味わったことのない不思議な感覚だ。
しかし、無音だからといって何もいないわけではなかった。
私の20メートル程後方の道路上。
ぼやけた『何か』が、そこにいた。
墨汁を水面に垂らしたようにぼんやりと佇むそれは、違和感という名の恐怖を引き起こす。
目の焦点を合わせようとしても必ずぼやけ、本能的に増された恐怖が私の脚を自然と逆方向へ運ぶ。
動いている様子もない。何かしようとする気配すら感じないほどだ。
しかし、私がいくら脚を動かそうとも、『何か』との距離は縮んでいなかった。
進んでいないわけではない。あちらが距離を詰めて来ているのだ。
単純に、怖い。
「ハッ...ハッ...ハァ...」
既に数分走った。息も上がって、脚も自由が利かなくなってきた。おかしいな、夢なのに。
そう、これは夢。
何故か「知っていた」。
そしてはっきりし過ぎている自分の意思が、今ここで存在している。気付いているのに、いや、気付いているからなのか、歩みを止めることは出来なかった。
そして次の瞬間、走る私の背中に大きな衝撃が走る。
「っ!?...うわっ...!」
後ろからの力に、為す術も無く前に倒れ込む。いきなりの事に身体が反応しきれなかったのか、肺の空気が気管をつまらせ嗚咽する。苦しい。
苦痛に耐えながら、必死に上体を捻り振り向くと、さっきまでかなり離れていたはずの『何か』がすぐ後ろに立っていた。
どうやら凄まじい速さで私にぶつかってきたらしい。
距離が詰まったからだろうか、少しずつ鮮明に見えてきた。
少女だ。
目新しさのない、どこにでもあるようなセーラー服。私の通っている高校の制服だ。抜群とは言わずとも、人よりはすらりとしたスタイルである。
顔は黒い靄のようなものな遮ぎられ、見ることができない。それでも直感的に同い年くらいに感じられた。
『何か』であったその少女は右手を差し伸ばすと、私の手ではなく、私の頭を鷲掴みにした。
「ぐっ...うっ...!!」
悲鳴にならない声が漏れる。軋むような痛々しい音と私の声だけが聞こえていた。
気がつくと私は頭を掴まれたまま宙に持ち上げられていた。そして、私はそこで少女の顔を初めて「認識」できた。
その顔にはよく見覚えがあった。
貼り付けたような笑顔はいつものままで、ショートカットの黒髪の少女、小白浜玲夢。
「っ!?...わた、し?」
紛れもない、私がそこにいた。
理解しようとしたのもの束の間、生々しい音と共に更なる鈍痛が腹部を襲う。
「っ...うっ!!」
私が知っている痛さとは比べ物にならなかった。そりゃそうだ。彼女の空いていた左手が、私のお腹に突き刺さっていたのだから。
大声で叫ぶほど余裕もない。めちゃくちゃ痛い、おかしいな、夢のはずなのに。
滴る赤い鮮血が、二人の制服を赤に染め上げていく。
「あな、た...は、いっ...たい?」
残った力で声を絞り出す。同時に口の中に鉄の味が広がった。
「新しいあなた...そう言えばいいのかしら、玲夢」
優しさを含めたようで、冷たくて、突き放されるような声音。淡々と彼女はそう言い放ち、私の腹に刺さった手をゆっくりと抜いた。
「うわああああ!!」
激痛と同時に、私の中の何かを盗られて、心が空になったような感覚に襲われる。
次の瞬間、目の前のもう一人の私はまたさっきのように影へと姿を変えた。
頭を掴んでいた手も消えたため、首に掛かっていた負担が一気に消える。代わりに軽い浮遊感と足に地面の感触がした。
しかし私にはもう立てるほどの力は残っておらず、そのまま崩れ落ちた。
「うっ!...はぁ...はぁ...」
呻くことしか出来ない私を、見下すように佇む影。
すると少しずつ形を変え、やがて大きな口へと変形した。
そしてその口は、大きく開き私を飲み込もうと襲いかかってきた。
「いやあああ!!!」
現実でも口に出したことのないような悲鳴と、反射的に突きだしていた手と同時に、突然視界が真っ白になった。
「何!?この力は...!?ぐわぁぁ!!」
私の声よりも少し低く、ノイズの混じったような声が脳に響く。きっと影の声だろう。
どうにか目を開くと、私の手から強い光が放たれていた。
何だかよく分からないが、どうやらそれが影に効いているらしい。
そして心なしか、体の痛みが軽くなっている。
軽くなったといっても、動けない程の激痛が動くたび激痛がする、となっただけ。
駆け出し冒険者にレベル90の敵とレベル99の敵に大差などないのだ。
深く考える事を諦めた私は、痛みをこらえ、気合七割で立ち上り、ゆっくり、ゆっくりと後ろへと下がっていく。
「ぐぐ、うがぁぁぁ!」
「くっ、うぅ...」
その間も手からは強い光が放たれている。脳に響く影の呻き声と、私の口からこぼれる呻き声が聞こえる。
ここから逃げられるかも。
そう思った矢先、後ろに出した足が着こうとした地面が無かった。
「えっ...」
力の残っていない身体はそのまま後方へと倒れ込む。
振り向いた後ろは見慣れていたものではなかった。
遥か彼方まで続く、無限の階段。
無機質で、機械的にも見える細く長い白の階段。その周りは何もない暗闇だ。
私の知っている町に突如現れたその光景に、私は一種の感動のようなものを感じた。それと同時に、ここが夢であったという確証を手に入れた安心感。そして恐怖を。
角度を変えていく世界の中、背中に衝撃が走り、さらに視界が目まぐるしく変化する。
なすがまま階段を転がり落ちていく時、一瞬だが影を視界に捉える。
影は、またしても私の姿に変わり、怪しげな笑みを浮かべていた。