表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/70

08.秘密特訓 その1



「私にはわかる。夢実ちゃん、あなた野球大好きでしょ。私といっしょに野球部に入部しない?」


 はぁぁぁぁっ?


 どうして突然そんな話になるのか理解できない。


「実はね、昨日みちゃったんだ。夢実ちゃん、学ランの男の子と野球の練習していたでしょ。普段のあなたからは想像もできない姿だったんで、私びっくりしちゃった」


 へ? 見られてた? 確かに昨日の放課後、琴似潤一と会っていろいろと相談していたのだが。別に珍しいことじゃない。退院して以来、お互いの日常の情報交換のため、あいつとは毎日のように連絡をとっている。都合があうときには、直接あうようにもしている。


 そんで、昨日も会った。ついでにキャッチボールもしてしまった。


「私もね、実は野球大好きなの。でも、ひとりで野球部に入るのはさすがに恐いし。だから、おねがい。ね!」


 はぁ?





 それは昨日の放課後の事だ。例によって帰宅部の俺は、あらかじめ潤一と約束して落ち合ったのだ。


 場所はマンションの前の公園。子供用にブランコにすわってお互いの日常生活の作戦会議だ。もちろん茨戸さんもさりげなく近くに控えている。話は聞こえないふりをしてくれるが。


「夢実……ちゃん。君の、じゃなくて、僕、琴似潤一のご家族は、いい人ばかりだ。うらやましいよ。お父さんは有名なプロ野球選手で、お姉さんは美香保学園の先生だったんだね。全然しらなかった」


 家族のことを褒められてイヤな気持ちはしない。


「いや、白石夢実の爺さんもいい人じゃないか。外見はむっつりしているが、ちゃんと夢実のこと心配してくれているぞ」


 俺達は、お互いを、お互いの身体の名前で呼ぶようにした。つまり、俺は潤一の身体を『潤一』とよび、潤一は夢実の身体である俺を『夢実』と呼ぶのだ。


 当人にとっては少々まぎらわしいのであるが、入れ替わったことを知らない第三者から見た時、この呼び方が正しいに決まっている。


「お爺さまが? ……そんなことはありえないよ」

「いや、あの爺さんが冷たさそうに見えるのは、単なる恥ずかしがり屋だと思うぞ。俺にはわかる」

「恥ずかしがり屋? お爺さまが? まぁ、……そういう見方もあるかもしれないね」


 うーーん。なぜか白石の爺さんの話になると口調がつめたくなるんだよなぁ、夢実は、……じゃなくて潤一は。たった二人きりの肉親だったのに、いったいどんな家族生活を送ってきたんだ? あまり詮索するのも失礼かもしれないが。


「それにしても、俺、学校で誰も話しかけられないぞ。もしかして、白石夢実って友達いないのか?

「ごめんなさい。……あまり人付き合いは得意な方じゃなかったの」


 潤一が、ちょっと悲しそうに俺から視線をそらす。


「あああああ、謝るな。べつに非難してるわけじゃないぞ。うん。友だちづきあいのやり方なんて、人それぞれだしな」

「君、じゃなくて僕、潤一の方は、学校では人気者だったんだね。登校した途端、みんなに心配してもらったよ」

「ああ、まぁ、悪友ばかりだけどな。適当に仲良くしてやってくれ」

「それから、ある女子が、とても心配して、かいがいしくいろいろと気をつかってくれるんだ」

「あーーー、十軒ひかるだな。ガキの頃からの腐れ縁で野球部のマネージャーもやってる。あいつの言うことも適当に聞き流しておいてくれよ」

「今は記憶喪失ということになっているけど、潤一の中身が他人に入れ替わったと知ったら、彼女はきっと悲しむのだろうね。泣いちゃうかもしれない。いいのかい? せめて、本人から本当のこと話してあげれば……」

「……話したって、どうしようもないことだろう?」


 そうだ。どうしようもない。世の中には、どうあがいてもどうしようもないことが、沢山あるのだ。いたたまれなくなった俺は、話をそらす。


「そんなことよりも。おい、潤一。この夢実の身体、すこし細すぎじゃないか? 体力不足も甚だしい。インドア派にもほどがあるだろう」

「ごめんなさい。君の方は、ずいぶん身体を鍛えてきたみたいだね。いくら食べてもお腹が一杯にならないのには、自分でも驚いたよ」

「ああ、俺もびっくりしてるよ。まさか小さなお茶碗一杯のご飯で腹いっぱいになってしまうとは……」

「ははは。夢実はスポーツなんてほとんどやったことがなかったからね。反対に、琴似潤一は凄いピッチャーだったそうだね。十軒さんに野球部の部室に連れて行かれて、部員のみんなとお話ししたんだ」


 ほぉ。連中はなんて言ってた?


「みんなね、潤一にはすごく期待していたみたいだよ。だけど、私は野球のことなんて何も覚えていなくて。……それを言ったら、……みんなひどくがっかりしちゃって」


 そ、そうか。


「『潤一がいるから甲子園も夢ではないと本気で思ってたのに』と声が聞こえたときは、さすがに申し訳なくて……。おもわず部室を飛び出してきてしまったよ」


 ちょっと涙ぐむ潤一。おい、そのゴツい身体で泣くな。うっとおしい。


「そ、そうだ。潤一、おまえ、野球やってみないか?」

「興味ないことはないけど、私には無理だよ」

「興味はあるんだな。よし!

「なに? とつぜん立ち上がって」

「特訓だ! スポーツ根性ものにつきものの秘密特訓をするぞ!」




 茨戸さんが、どこからともなくグローブとボールを用意してくれた。さすが有能秘書。ボールは軟球だし、ふたりとも制服姿だが、しょせんお遊びだからいいだろう。


「潤一、投げてみろ」

「うん。……えい!」


 でっかい身体の潤一がボールを投げる。が、まったくもってちぐはぐな動き。ボールはたった数メートルさきの俺まで届かない。


 うーーむ。こりゃひどい。手足がばらばら、いわゆる女の子投げってやつだ。


「ごめん……」

「いいよ。俺が手取り足取り教えてやる」


 えーと、左手は投げる方向にむけて。右手の肘をあげて、……ちがう、もっと、こうして。


「ゆ、夢実、そんなに密着しないで……」

「何言ってるんだよ。こうしないと教えられないだろ」

「でも、夢実の胸が僕の肘に」

「あほ、もともとお前の胸だろ。なに意識してるんだよ!」


 そうそう、そのまま体重を前に移動して……。くそ、身長差がありすぎて、腕の動きを教えずらいな。くそ、くそ、すげぇ胸板だな。こいつ。


「だいたいわかったか? もう一度、俺に向かって投げてみろ」


 潤一がふたたび投げる。ぎこちないながら、今度はそれなりに形になっている。山なりボールだが、俺の手元までちゃんと届いた。


「おおおお、うまいじゃないか、潤一」

「そ、そうかい? スポーツであまり褒められたことがないから、いい気になっちゃうよ」


 いや、まじに凄いって。俺が肩と腕を支えて教えてやったといえ、いきなりここまでできるとは思わなかった。ていうか、もともとつい数日前まで百五十キロのストレートを投げていた身体なんだから、当然といえば当然だが。


 それにしたって、これだけ覚えがはやいと教えてる方も楽しいな。すこしづつ距離をはなれて、キャッチボールしようぜ。


 だが……。あ、あれ?


 ちょっと距離をはなれただけで、まったくとどかない。潤一ではない。俺、夢実が投げたボールだ。今まで通りに投げたつもりなのに、いくつかバウンドしてやっと潤一の足元にころがるヘロヘロボール。


 潤一のゴロの捕り方も酷いものだが、これについては教えてやればすぐに治るだろう。それよりも、……夢実の身体って、ここまで力がないのか?


「いいかい、夢実。投げるよ!」


 おお、今度はかなりはやいボールがきた。ちゃんと胸元に来るのも凄い。


 ばしん! キャッチした勢いに負けて、身体が後ろに飛びそうになる。すげぇボールだな。俺の腕の力がなさすぎるのか。くそ。


 今度は潤一まで届くように、思いっきり投げる。……よし、なんとか届いたぞ。


「ゆ、夢実、スカートなんだから、そんなに脚をあげないで!!」


「仕方ないだろ。思い切り投げないと届かないんだから。……どうせお前と茨戸さんしかみてないし、かまわないだろ!」


「そーゆー問題じゃなくて。……もう!」





 キャッチボールを重ねるほど、潤一は目に見えるように上手くなっていく。ボールが速くなっていく。


「野球っておもしろいね。うん、僕も野球できそうな気がしてきたよ。甲子園にいけるかな?」

「甲子園って、そ、そんなに簡単にいけるわけないだろう!」


 おまえ、俺がどれだけ練習して、どれだけ身体鍛えたと思ってるんだ?


 その一方で、夢実の身体は全くダメだ。痛い。すでに腕が痛くてたまらない。ボールを投げるたび、キャッチする度に、思いっきり痛い。


 あれ? あれ? あれ? あれ?


 だめだ。息があがった。もう腕が全然あがらない。たった数球じゃないか。どうしてこんなにひ弱なんだ。


「ど、……うしたの?」


 突然うごきをとめた俺を心配して、潤一が近づいてくる。


「な、なんでもない。疲れたから、ちょっと休む」


 ふたたびブランコに座るふたり。


「夢実、もしかして、泣いてるの?」

「泣いてるわけないだろ。泣いてなんて……」


 くそ。涙がとまらない。くそ。くそ。この身体、ひ弱なだけじゃなく、涙腺がゆる過ぎだ。普段から涙を我慢しないからこうなるんだ。くそ、くそ、くそ。


 隣にいたのが他の女だったら、俺は絶対に泣かない。しかし、こいつは、……俺だ。俺の前なんだから、俺がちょっとくらい泣いてもいいだろう


「あんなに練習したのに、俺、もう野球できないのかなぁ……」

「ごめん、夢実。調子に乗って」

「いいんだ。誰が悪いわけじゃない。誰も悪くない。ただ、よくわかった。俺、……やっぱり野球好きだ。こんな可愛らしい身体になっても、野球が死ぬほど好きだ。野球ができないなら死んだ方がマシだ」


 隣の潤一は黙ったままだ。何も言わない。


「なぁ。潤一。この夢実の身体、ちょっとだけ無理してもいいかな。ちょっとだけ鍛えて、筋肉つけて、もしかしたらたまに傷付けちゃってもいいかな。女の子の身体だけど、野球やってもいいかな?」


「夢実。その身体は君のものだ。これからは、君の思うとおりにしていいんだよ」


「……ありがとう。恩に着るよ」






メリークリスマス!


2015.12.24 初出



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ