08.秘密特訓 その1
「私にはわかる。夢実ちゃん、あなた野球大好きでしょ。私といっしょに野球部に入部しない?」
はぁぁぁぁっ?
どうして突然そんな話になるのか理解できない。
「実はね、昨日みちゃったんだ。夢実ちゃん、学ランの男の子と野球の練習していたでしょ。普段のあなたからは想像もできない姿だったんで、私びっくりしちゃった」
へ? 見られてた? 確かに昨日の放課後、琴似潤一と会っていろいろと相談していたのだが。別に珍しいことじゃない。退院して以来、お互いの日常の情報交換のため、あいつとは毎日のように連絡をとっている。都合があうときには、直接あうようにもしている。
そんで、昨日も会った。ついでにキャッチボールもしてしまった。
「私もね、実は野球大好きなの。でも、ひとりで野球部に入るのはさすがに恐いし。だから、おねがい。ね!」
はぁ?
それは昨日の放課後の事だ。例によって帰宅部の俺は、あらかじめ潤一と約束して落ち合ったのだ。
場所はマンションの前の公園。子供用にブランコにすわってお互いの日常生活の作戦会議だ。もちろん茨戸さんもさりげなく近くに控えている。話は聞こえないふりをしてくれるが。
「夢実……ちゃん。君の、じゃなくて、僕、琴似潤一のご家族は、いい人ばかりだ。うらやましいよ。お父さんは有名なプロ野球選手で、お姉さんは美香保学園の先生だったんだね。全然しらなかった」
家族のことを褒められてイヤな気持ちはしない。
「いや、白石夢実の爺さんもいい人じゃないか。外見はむっつりしているが、ちゃんと夢実のこと心配してくれているぞ」
俺達は、お互いを、お互いの身体の名前で呼ぶようにした。つまり、俺は潤一の身体を『潤一』とよび、潤一は夢実の身体である俺を『夢実』と呼ぶのだ。
当人にとっては少々まぎらわしいのであるが、入れ替わったことを知らない第三者から見た時、この呼び方が正しいに決まっている。
「お爺さまが? ……そんなことはありえないよ」
「いや、あの爺さんが冷たさそうに見えるのは、単なる恥ずかしがり屋だと思うぞ。俺にはわかる」
「恥ずかしがり屋? お爺さまが? まぁ、……そういう見方もあるかもしれないね」
うーーん。なぜか白石の爺さんの話になると口調がつめたくなるんだよなぁ、夢実は、……じゃなくて潤一は。たった二人きりの肉親だったのに、いったいどんな家族生活を送ってきたんだ? あまり詮索するのも失礼かもしれないが。
「それにしても、俺、学校で誰も話しかけられないぞ。もしかして、白石夢実って友達いないのか?
「ごめんなさい。……あまり人付き合いは得意な方じゃなかったの」
潤一が、ちょっと悲しそうに俺から視線をそらす。
「あああああ、謝るな。べつに非難してるわけじゃないぞ。うん。友だちづきあいのやり方なんて、人それぞれだしな」
「君、じゃなくて僕、潤一の方は、学校では人気者だったんだね。登校した途端、みんなに心配してもらったよ」
「ああ、まぁ、悪友ばかりだけどな。適当に仲良くしてやってくれ」
「それから、ある女子が、とても心配して、かいがいしくいろいろと気をつかってくれるんだ」
「あーーー、十軒ひかるだな。ガキの頃からの腐れ縁で野球部のマネージャーもやってる。あいつの言うことも適当に聞き流しておいてくれよ」
「今は記憶喪失ということになっているけど、潤一の中身が他人に入れ替わったと知ったら、彼女はきっと悲しむのだろうね。泣いちゃうかもしれない。いいのかい? せめて、本人から本当のこと話してあげれば……」
「……話したって、どうしようもないことだろう?」
そうだ。どうしようもない。世の中には、どうあがいてもどうしようもないことが、沢山あるのだ。いたたまれなくなった俺は、話をそらす。
「そんなことよりも。おい、潤一。この夢実の身体、すこし細すぎじゃないか? 体力不足も甚だしい。インドア派にもほどがあるだろう」
「ごめんなさい。君の方は、ずいぶん身体を鍛えてきたみたいだね。いくら食べてもお腹が一杯にならないのには、自分でも驚いたよ」
「ああ、俺もびっくりしてるよ。まさか小さなお茶碗一杯のご飯で腹いっぱいになってしまうとは……」
「ははは。夢実はスポーツなんてほとんどやったことがなかったからね。反対に、琴似潤一は凄いピッチャーだったそうだね。十軒さんに野球部の部室に連れて行かれて、部員のみんなとお話ししたんだ」
ほぉ。連中はなんて言ってた?
「みんなね、潤一にはすごく期待していたみたいだよ。だけど、私は野球のことなんて何も覚えていなくて。……それを言ったら、……みんなひどくがっかりしちゃって」
そ、そうか。
「『潤一がいるから甲子園も夢ではないと本気で思ってたのに』と声が聞こえたときは、さすがに申し訳なくて……。おもわず部室を飛び出してきてしまったよ」
ちょっと涙ぐむ潤一。おい、そのゴツい身体で泣くな。うっとおしい。
「そ、そうだ。潤一、おまえ、野球やってみないか?」
「興味ないことはないけど、私には無理だよ」
「興味はあるんだな。よし!
「なに? とつぜん立ち上がって」
「特訓だ! スポーツ根性ものにつきものの秘密特訓をするぞ!」
茨戸さんが、どこからともなくグローブとボールを用意してくれた。さすが有能秘書。ボールは軟球だし、ふたりとも制服姿だが、しょせんお遊びだからいいだろう。
「潤一、投げてみろ」
「うん。……えい!」
でっかい身体の潤一がボールを投げる。が、まったくもってちぐはぐな動き。ボールはたった数メートルさきの俺まで届かない。
うーーむ。こりゃひどい。手足がばらばら、いわゆる女の子投げってやつだ。
「ごめん……」
「いいよ。俺が手取り足取り教えてやる」
えーと、左手は投げる方向にむけて。右手の肘をあげて、……ちがう、もっと、こうして。
「ゆ、夢実、そんなに密着しないで……」
「何言ってるんだよ。こうしないと教えられないだろ」
「でも、夢実の胸が僕の肘に」
「あほ、もともとお前の胸だろ。なに意識してるんだよ!」
そうそう、そのまま体重を前に移動して……。くそ、身長差がありすぎて、腕の動きを教えずらいな。くそ、くそ、すげぇ胸板だな。こいつ。
「だいたいわかったか? もう一度、俺に向かって投げてみろ」
潤一がふたたび投げる。ぎこちないながら、今度はそれなりに形になっている。山なりボールだが、俺の手元までちゃんと届いた。
「おおおお、うまいじゃないか、潤一」
「そ、そうかい? スポーツであまり褒められたことがないから、いい気になっちゃうよ」
いや、まじに凄いって。俺が肩と腕を支えて教えてやったといえ、いきなりここまでできるとは思わなかった。ていうか、もともとつい数日前まで百五十キロのストレートを投げていた身体なんだから、当然といえば当然だが。
それにしたって、これだけ覚えがはやいと教えてる方も楽しいな。すこしづつ距離をはなれて、キャッチボールしようぜ。
だが……。あ、あれ?
ちょっと距離をはなれただけで、まったくとどかない。潤一ではない。俺、夢実が投げたボールだ。今まで通りに投げたつもりなのに、いくつかバウンドしてやっと潤一の足元にころがるヘロヘロボール。
潤一のゴロの捕り方も酷いものだが、これについては教えてやればすぐに治るだろう。それよりも、……夢実の身体って、ここまで力がないのか?
「いいかい、夢実。投げるよ!」
おお、今度はかなりはやいボールがきた。ちゃんと胸元に来るのも凄い。
ばしん! キャッチした勢いに負けて、身体が後ろに飛びそうになる。すげぇボールだな。俺の腕の力がなさすぎるのか。くそ。
今度は潤一まで届くように、思いっきり投げる。……よし、なんとか届いたぞ。
「ゆ、夢実、スカートなんだから、そんなに脚をあげないで!!」
「仕方ないだろ。思い切り投げないと届かないんだから。……どうせお前と茨戸さんしかみてないし、かまわないだろ!」
「そーゆー問題じゃなくて。……もう!」
キャッチボールを重ねるほど、潤一は目に見えるように上手くなっていく。ボールが速くなっていく。
「野球っておもしろいね。うん、僕も野球できそうな気がしてきたよ。甲子園にいけるかな?」
「甲子園って、そ、そんなに簡単にいけるわけないだろう!」
おまえ、俺がどれだけ練習して、どれだけ身体鍛えたと思ってるんだ?
その一方で、夢実の身体は全くダメだ。痛い。すでに腕が痛くてたまらない。ボールを投げるたび、キャッチする度に、思いっきり痛い。
あれ? あれ? あれ? あれ?
だめだ。息があがった。もう腕が全然あがらない。たった数球じゃないか。どうしてこんなにひ弱なんだ。
「ど、……うしたの?」
突然うごきをとめた俺を心配して、潤一が近づいてくる。
「な、なんでもない。疲れたから、ちょっと休む」
ふたたびブランコに座るふたり。
「夢実、もしかして、泣いてるの?」
「泣いてるわけないだろ。泣いてなんて……」
くそ。涙がとまらない。くそ。くそ。この身体、ひ弱なだけじゃなく、涙腺がゆる過ぎだ。普段から涙を我慢しないからこうなるんだ。くそ、くそ、くそ。
隣にいたのが他の女だったら、俺は絶対に泣かない。しかし、こいつは、……俺だ。俺の前なんだから、俺がちょっとくらい泣いてもいいだろう
「あんなに練習したのに、俺、もう野球できないのかなぁ……」
「ごめん、夢実。調子に乗って」
「いいんだ。誰が悪いわけじゃない。誰も悪くない。ただ、よくわかった。俺、……やっぱり野球好きだ。こんな可愛らしい身体になっても、野球が死ぬほど好きだ。野球ができないなら死んだ方がマシだ」
隣の潤一は黙ったままだ。何も言わない。
「なぁ。潤一。この夢実の身体、ちょっとだけ無理してもいいかな。ちょっとだけ鍛えて、筋肉つけて、もしかしたらたまに傷付けちゃってもいいかな。女の子の身体だけど、野球やってもいいかな?」
「夢実。その身体は君のものだ。これからは、君の思うとおりにしていいんだよ」
「……ありがとう。恩に着るよ」
メリークリスマス!
2015.12.24 初出