68 予選二回戦 その3
プレイボール! 球審の手が上がる。
我が美香保学園は後攻だ。マウンドに居るのは当然、俺。……球場はちょっとおかしな雰囲気だが、そして俺の心臓のドキドキは今だ収まらないが、それでもここは俺の場所だ。誰にも譲る気は無い。無いったら無い。強く自分に言い聞かせる。
拓馬君のサインに頷く。ほんとワンパターンだとは思うが、やっぱり初球はこれしかない。チームメイト達も、そしておそらく観客も期待しているだろう。もしかしたらバッターも期待しているかもしれないが、打てるものなら打ってみろ!
一転、水を打ったよう静まりかえるスタジアム。
沈黙の中、俺はセットポジション。いつもどおり左脚をあげ、思い切り前に踏み出す。上半身を折り曲げ体重移動。右膝が地面をこする。腕がしなる。手首が地面スレスレを走る。
よーし、いい感触で縫い目に指が引っかかった。ボールに体重が乗った。
全身全霊のボールが空間に放たれる。思い描いたとおりの軌道、寸分違わず18メートルを駆け抜ける。目を丸くして仰け反るバッターの顔。拓馬君のミットの音。すべてが心地いい。
どうだぁ!!
球審のストライクのコールの瞬間、俺は無意識のまま拳を握っていた。そして、おもわずガッツポーズ。気持ちいい!! しかし……。
うおおおおおおおーーーー!
自分の耳か、あるいは頭がおかしくなったのかと思った。投球後の一瞬、陶酔から我に返ったその瞬間、俺の身体は爆発的な地響きに巻き込まれたのだ。
ひぃぃぃっ!
凄まじい大歓声。その音量は入場の時の数倍以上。空気が震えるとはこのこと。反射的に身がすくむ。身体がうごかない。
な、なに? え、うそ。これぜんぶ観客の歓声? 俺、一球投げただけなんだけど?
去年の秋の大会、俺が潤一だったころの最後の試合。甲子園をかけた準決勝。あの試合もなかなか凄い雰囲気だったことを覚えているが。しかし今日のそれは比較にならない。しかも、お客さんすべてが俺に、俺ひとりにむけて叫んでいる。
「落ち着け夢実! スタンドの声援はみんなお前の味方だ」
キャッチャーの拓馬君が叫ぶ。
そ、そうなの? し、し、しかし、それにしたってこの大歓声、ていうか怒号は、いくらなんでもちょっと異常じゃない? これが試合終了まで続くのか?
「夢実ちゃん! もう一回深呼吸して! まわりを見て! みんな夢実ちゃんを応援してるんだよ」
セカンドの一希ちゃんの声。言われたとおりふたたび深呼吸。そして、おそるおそる左右を見渡す。
我が美香保学園には応援団もチアガールもいない。ブラスバンド部はあるが、地方予選の二回戦くらいではでてこない。もちろん全校応援などあるはずがない。
だから、超満員の観客席の人々はほとんどが美香保学園とは関係ないはずだ。なのに、そのほぼ全員が、マウンドの俺を見ている。みんなが俺に向けて何か叫んでいる。みんな、拍手をしている。本当に、本当に、俺を応援してくれている?
予測はしていたが、これほどとは……。
中沼高校ベンチ、ユニフォーム姿の中年男性がひとりごちる。
彼は中沼高校体育教師にして野球部監督。腕を組み、しかめ面でグラウンドを睨みつけているが、これは生徒達の手前、威厳を保つためのポーズにすぎない。彼の内心は、彼が指導する生徒達と同じだ。経験したことのない大歓声、甲子園予選とは思えぬ球場をとりまく異様な雰囲気に圧倒され、あっけにとられている。開いた口が塞がらないとはこのこと。さっさと生徒達をつれて逃げ帰りたい心境だ。
彼が率いる中沼高校野球部員の特徴をひとことでいえば、とにかく『真面目』につきる。
中沼高校は、もともと女子校であった。成績次第で系列の大学までエスカレータ式に進学可能なこともあり、偏差値は平均よりも高い(西高ほどではないが)。体育系の部活動は盛んだが、勝利にはあまりこだわらない部が多い。どちらかといえば、大人から見て『おとなしいいい子』があつまる学校だ。
世間の風潮にしたがい数年前から男子もうけいれることになったが、校風はあまり変わらない。そして、いまだ男子生徒は少数派である。
彼の野球部員達もいい子ばかりだ。突き抜けた才能を持った子はいないが、みな厳しい練習に真面目に取り組んでくれる。これは自画自賛というか手前みそに過ぎないかもしれないが、部員達はみな野球という競技を通じて人間的に成長しつつ、充実した高校生活を送ってくれている、と、思う。
実力だって、地味な練習の積み重ねの結果、基本的なプレーの質だけならば高校生の平均を上まわる。甲子園常連の強豪高に勝つことは無理でも、少なくとも対等な試合くらいはできるはずだ。
だから、美香保学園が相手ならば、勝算は十分にあるはずだった。
あの女子ピッチャーは確かに凄い。複数の変化球を投げ分け、しかも抜群の制球力。本物だ。あの投球が最後まで続くのなら、今のうちの子達が打ち崩すのはとても不可能だろう。
しかし、スタミナ不足はあきらかだ。じっくりとボールを見極め、球数が増えたところで足を絡めて確実に得点を取りに行けば、なんとかなるにちがいない。
いや、たとえそれでも勝てなくたって、子供達には良い経験になるはずだ。自分よりも見ため小さな女の子に実力でねじ伏せられる悔しさは、かならず今後の人生の糧になるはずだ。
しかし、しかしだ。
なんだこの大歓声は。しかも、そのすべてがあの少女を応援している? アイドルか?
球場内の歓声だけじゃない。予選が始まってからネットでも雑誌でもテレビでも、彼女に関する大騒ぎは異常だ。常軌を逸している。彼女にも、野球という競技に対しても、失礼だろう。
『史上初の女子選手、甲子園出場なるか!』などの見出しならまだましだ。『華奢な身体で高校球児をもてあそぶ』やら『七色の変化球でお仕置きよ!』やらの見出しをつけるお昼のワイドショーやタブロイド紙の関係者は、頭がおかしいのではないか。
そして、それに簡単に乗せられる一般の高校野球ファン。その結果、球場の異様な雰囲気に呑まれているうちの部員達。
実力で負けるのならば納得できる。だが、大歓声の圧力で実力を出し切れないまま負けるのは納得できない。どうする? どうすればこの試合、うちの子達に全力を尽くさせることができる?
「か、監督?」
視線をあげれば、不安そうな顔の選手達。スタンドからまたしても地響きのような大歓声。一番バッターが三振したようだ。
しまった。試合から目を離してしまった。監督が平常心を失ってどうする。
「いいか、みんな。事前の作戦通り、追い込まれるまで手を出すな。すこしでも相手ピッチャーの投球数を増やすんだ。後半勝負でいくぞ」
スタミナの問題だけじゃない。最低三球、じっくりボールを見ていれば、少しはおちつけるかもしれない。この雰囲気に慣れるかもしれない。平常心を失ったままバットを振り回していつの間にか打席が終わるよりは遙かにましだ。
はい!
よーし、いい返事だ。半ばヤケクソのようにも聞こえるが、平常心をとりもどすきっかけになるだろう。
「スタンドの歓声は気にするな。……もしこの試合勝てたら、全国ニュースで報道されるかもしれないぞ」
冗談めかし、むりやり笑顔をつくる。選手達も笑う。多少引きつっていても、笑える余裕があればなんとかなる。なってくれ!
「ストライク! バッターアウト!!」
アンパイヤが叫ぶ。これでスリーアウト。一回表の終了だ。
とりあえず初回、一番バッターはホップするストレートを二球続けて見送った後、外角ぎりぎりシンカー気味のごく普通のストレートに手を出さず、あっけなく三球三振。
二番バッターはスライダ、シンカーを見逃した後、三球目のスライダを引っかけて三塁内野ゴロ。三番も似たようなものだ。二球目まではまったく手を出すそぶり無く、三球目のナックルで綺麗に空振りでチェンジ!
うをーーーー!
またしてもスタジアムが大歓声に震える。だが、俺はもうビビらない……、ホント言うとちょっとだけビクッと身体が縮んでしまったが、たぶん隠しおおせたはずだ。
拍手の渦の中、駆け寄る一希ちゃんとハイタッチ。肩を抱かれながらふたり一緒に小走りでベンチに帰る。ビビった俺を励ましてくれているのか? 一希ちゃんやさしいなぁ。
……自分で言うのもなんだが、美少女ふたりが肩を寄せ合いながらグランドを走る姿って、こんな光景は高校野球史上はじめてだろうなぁ。
「夢実。あいつら、打つ気ないわ」
ベンチの中、味方の先頭打者を応援しながら、拓馬君がつぶやいた。
……うん、俺もそう思う。早打ちせずツーストライクまで徹底的に待って、俺のスタミナを消費させる作戦だろうな。
「バカだなぁ。コントロール抜群の夢実のボールを待ったって、追い込まれるだけなのに。それに、打たないとわかっているなら、追い込むまでスタミナを消耗しない投げ方だってできるのに」
余裕たっぷりに言う拓馬君。うん、信用するよ。しっかりリードしてくれ。
「そうね、夢実ちゃん。このおかしな雰囲気の中、夢実ちゃんに立ち向かわなきゃならない相手も可哀想だとは思うけど。……向こうがその気なら、がんがんストライクで攻めて積極的に三振を狙っちゃいましょうか」
ねぇちゃんが言う。監督がそう言うならしかたないなぁ。やってやろうじゃないか。
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。
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2021.01.03 初出




