67 予選二回戦 その2
試合前の練習。グラウンドに一歩踏み込んだ瞬間、それは沸き起こった。
うおおおおーーーー!
な、なんなの?
一瞬、何が起こったのかわからなかった。360すべての方向から凄まじい圧力。とにかく大きな音に圧倒された。
反射的に足が止まる。立ちすくむ。平衡感覚が狂う。空がまわる。自分がどこに居るのかわからなくなる。心臓がドキドキ破裂しそう。
……歓声?
おそるおそる周囲を見渡し、ようやく事態がわかってきた。
それは、凄まじい大歓声。そして拍手の渦。おんぼろ球場を覆い尽くす大観衆。
いったいなんだ、これわ……。
「すげぇ客だな。これみんな夢実を見に来たのか?」
いつまでも動けない俺の背中を軽く押してくれたのは、もちろん相棒であるキャッチャー拓馬君だ。
「た、た、たたたかが地方予選の二回戦なのに、暇人が多いよなぁ。ははははは!」
「おまえ、強がってるけどビビってるのが丸わかりだぞ?」
ななななにを、言ってるのかね、拓馬さん。俺が、ビビることなど、あるわけが、ない、よ。
ちょっと苦笑したのち、拓馬君は急に真面目な顔になる。キリリとした拓馬君らしくない顔で、俺にボールを握らせる。ボールごとやさしく俺の手を包み込んだ大きな手があたたかい。
「この球場全体の変な雰囲気、……夢実、緊張するなといっても難しいだろうが、雰囲気に呑まれるなよ」
あ、ああ。たぶん大丈夫だと思う。思いたい。……けど、最近どうもメンタル弱くなっちゃったんだよなぁ。ついさっきマスコミ相手に瞬間的にテンパっちゃったし。
守備練習中の仲間達を見回せば、セカンド一希ちゃんは大歓声などまったく気にしていないようだ。いつもどおりの華麗なプレー。いや、むしろ楽しんでいる? ……どんな時でも物怖じしないそのメンタルが羨ましい。
他のナイン達も、多少は歓声が気になるのは仕方ないだろうが、一応プレーは普段通りやれているように見える。球場の雰囲気と言えば、俺達の場合は一回戦からちょっとおかしかったからな。多少は慣れたということか。
「この大歓声、ほとんどが夢実と藻岩一希への応援なんだから、気にするな。ていうか、相手チームが可哀想だな」
拓馬君に言われて相手ベンチを覗いてみれば……。うわーー、選手も監督もこの大歓声に完全にビビりまくりだ。みんな落ち着きなく、妙にきょろきょろしている。異様な雰囲気に完全に呑まれている。
「申し訳ないが、相手がビビっているうちに試合を決めさせてもらおうぜ」
ひとつウィンクして定位置へ向かう拓馬君。普段ならウィンクなんて絶対に似合わない男の子のはずなのに、今日は妙に格好良かった。最近とみにでっかくなったその背中も、今日は特にたくましく見える。……南郷(兄)にはまだまだかなわないがな。
よーし、俺も頑張らねば!
マウンドの上、俺はひとつ深呼吸。気合いを入れる。まだドキドキはおさまらないが、平常心を取り戻すのだ。
今日も勝つぞ!
『今年も球児たちの夏がやってまいりました。本日は予定を変更して、甲子園に向けた地方予選2回戦、美香保学園高校対中沼高校の試合をお送りします。実況はわたくし厚別、解説はおなじみ大谷地さんです』
『よろしくおねがいします。いやぁ、全国的にも注目されるこの試合、楽しみですねぇ』
『全国的に注目、とおっしゃいましたが、あらためて伺います。どんな点が注目されているのでしょう?』
『もともと我が県の予選は、勝ち抜くのが難しいことで知られています。選抜で優勝した小別沢高校の四番南郷君をはじめとする強力打線はあいかわらず健在ですし、その南郷君と春の大会で死闘を演じた西高の超高校級エース琴似君。その他、全国的にみても強豪校がひしめいていますからね』
『なるほど。では、中でもこれから行われる美香保学園対中沼高校の試合に関して、注目点はどこになりますか?』
『やはり美香保の女子選手二人の活躍ですね。特に投手の白石夢実さん。先日おこなわれた一回戦では、5回コールドとはいえまさかの完全試合。今日はどんな投球をみせてくれるのか、楽しみな高校野球ファンも多いのではないでしょうか?』
『大谷地さんのおっしゃるとおり、市営球場は超満員。球場の外には入りきれないファンも沢山いるそうですよ。我々もそんなファンの要望に応えるために、急遽中継させていただくことになりました。では、勝敗のポイントを教えてください』
『美香保学園は一回戦はたまたま派手な勝ち方になりましたが、本来は両校とも固い守備をもとに堅実な試合運びで戦うチームです。逆にいえば、ミスをしてしまうと、いつもの試合ができなくなってしまう』
『なるほど。ミスをしない方が有利に試合をすすめられるということですね。女子選手はスタミナが心配されることがありますが、この点はいかがですか?』
『幸いなことにここ数日、夏とは思えないほど爽やかな天気が続いています。気温も控えめですし、グラウンドには心地良い風がふいています。今日に限れば、あまり心配しなくてもいいかもしれません』
『その他、ポイントになりそうなものはありますか?』
『そうですね。さきほど厚別さんもおっしゃったとおり、今日の市営球場は超満員。さきほど私もグラウンドに出てみたのですが、甲子園やプロ野球でもちょっとみられないような一種異様な雰囲気につつまれています。経験したことのない大歓声が選手達に悪影響を与えなければいいのですが……』
『美香保学園の一回戦の相手、コールドで負けてしまった雁来高校も、雰囲気に呑まれたようなところがありましたね。おそらくそれ以上の大歓声の中、今日は両チームとも悔いのない試合をしてほしいものです』
……なーに言ってるのよ。
三塁側スタンド。スマホにイヤホンを繋ぎ、ネット中継を眺めながら少女が毒づく。
独り言にしてはかなり攻撃的な口調だったが、隣にすわる男子は視線をマウンドに集中させたまま気付かない。
少女は西高野球部マネージャー、十軒ひかる。隣の男子はエースの琴似潤一だ。
「球場全体がおかしな雰囲気なのは、あなたたちマスコミが煽りまくったからじゃないの」
高校野球に女子選手が解禁された当初から、たしかに美香保の二人は注目されてきた。しかし、春の大会まではまだ報道も抑制されていたように思う。連盟もマスコミも、高校野球での女子選手をどう扱ってよいのか計りかねていたのかもしれない。
しかし、この予選が始まり一回戦でとんでもない快投をみせてから、特に夢実ちゃんに関するマスコミの報道は地元だけではなく全国的にもの凄いことになっている。彼女が金になることに、今さらながら気付いたというところだろうか。
まぁ、そりゃそうよね。あれだけちっちゃくて可愛らしいお人形さんみたいな少女が、ごっつい男子高校生を相手に健気に必死に歯を食いしばって投げる姿をみれば、普段高校野球なんてみない人だって応援したくなる。ネットに彼女の話題や映像は溢れるばかりなのも理解できる。
でも、だからこそ心配なのだ。
野球マニアである彼女は何度も見てきた。無責任なマスコミやファンが、金になりそうな若いアスリートをさんざん持ち上げたあげく、ちょっとしたきっかけで手の平を返してきたことを。そのたびに、将来ある才能の目が潰されてしまったことを。
特に夢実ちゃんの場合、この国の政財界の裏のフィクサーとも言われる彼女の祖父の問題がある。叩く気になれば、いくらでも叩くことが可能だろう。週刊誌などで、かねてから入院していた白石一将氏は危篤状態に陥ったとか、影響力を失いつつあり対立勢力からの反撃がはじまったとか、おもしろおかしく書かれているのも心配だ。
夢実ちゃん、じゃなくて潤一君は、ただ野球がしたいだけなのに……。
「どうしたのひかるちゃん? ほら、マウンドを見て。夢実を応援しなくちゃ!」
隣にすわる潤一が話しかけてきた。その呑気な口調に腹が立つ。
なに他人事みたいな顔しているのよ! 『あなた』の問題なのよ!!
へっ?
ポカンとした顔の潤一。思いっきり足を踏んでやったが、まったく効いていない様子にまた腹が立つ。 ……とはいっても、たしかにもともと潤一君はこーゆー呑気者、というか何事にも鈍感な人だった。
あらためてマウンド上の少女を見る。以前の『彼』よりもよほど真面目な顔。……いや、あれはちょっとテンパった顔だ。小動物っぽい落ち着きのない仕草。大きな不安をむりやり押し殺しているようにも見える。要するに、もとの潤一君ならちょっと考えられないような表情。
夢実ちゃんも潤一君も、中身の精神が身体にひきづられて影響をうけちゃってるってこと?
ひかるは祈るしかない。
「夢実ちゃん、……じゃなくて潤一君。がんばって」
2020.12.26 初出




