59 予選一回戦 その4
『おちつけ。投げ急ぐことはない。……あいては美香保だ、まだなんとかなる』
雁来高校のエース中沼は、マウンドの上で大きく深呼吸した。そして自分に言い聞かせる。
そうだ、相手は美香保学園だ。三点ならばまだなんとかなる。なんとかなるに違いない。
雁来高校キャプテンとして参加した予選の組み合わせ抽選会、一回戦の相手に美香保学園を引き当てた時、彼はナインやマネージャーに向けてガッツポーズをして見せた。
彼が入学して以来、雁来高校は公式の大会で二回戦まで勝ち上がったことがない。なぜか一回戦で当たるのは、小別沢や円山など全国的にも有名な強豪校ばかり。今年の春の大会では、いきなり西高にノーヒットノーランのおまけ付きで完敗。もしかして、このまま一度も勝てぬままで高校生活が終わってしまうのかと悲観していたところの、今回の予選の組み合わせだ。
相手の美香保学園は、全国的にも有名なお坊ちゃんお嬢ちゃん学校だ。いったいどんな生徒が通っているのか、のどかな田舎の学校である我々からは想像も出来ないが、しかしともかくここ数年の野球部の成績に限れば、雁来高校とそれほど大きな差はない。運が良ければ、……いや、自分たちの実力さえ出し切れば、十分に勝てる相手のはずだ。
初勝利を夢見て意気揚々とのぞんだ一回戦、しかしプレーボール前から歯車は狂いだした。
球場に一歩足を踏み入れた直後から、なぜか妙な違和感がただよう。彼らが知るいつもの予選とは雰囲気が違う。
なぜ、こんなにマスコミが集まっているんだ? 予選一回戦だというのに、カメラが多すぎやしないか? もしかして、……予選史上初めての女子選手が目当て?
なんとなくいつもと違う球場の雰囲気に、俺達は浮き足だっていた。落ち着くにはどうすればいい? こういう時はとりあえず深呼吸だ。……だが、平常心を取り戻す前に、試合が始まってしまう。そして一回表、彼女がマウンドに上がった。
ちいさい。
それが、お人形のような美香保学園エースを見た第一印象だった。
彼女のことはよく知っている。
例の地元プロ野球での始球式。春の大会の連続奪三振の快投。春の大会決勝戦でのチアガール姿は、中継を録画してある。
高校野球関連のTV番組では何度も取り上げられている。野球専門誌では小さいながら特集ページが組まれ、ネットの野球関連の掲示板ではすでにアイドル扱いだ。いまや全国で彼女のことを知らない高校球児などいないだろう。
しかし、実物を見たのは初めてだ。声を聞くのも、生の投球に立ち向かうのも、もちろん初めてだ。……ていうか、彼女に関する情報は、試合関連の記録とTVで放映された映像以外にはほとんど見かけない。これだけ話題になっているのに、マスコミはもちろん、ネットにさえ、試合とは関係ない本人の詳しい個人情報などが掲載されたことがない。嘘か誠かネットでみかけた情報によると、この国の政界と裏社会に君臨するアンタッチャブルな家のご令嬢だとかで、インタビューや密着取材は全て拒否。家も学校も野球連盟すらも彼女に関しては異様にガードが固いらしい。
それはともかく。
彼女が今や日本一有名な女子選手だということは確かだが、しかしいま俺達にとって重要なのは、目の前にいる実物の彼女はあまりにも小さくて華奢な女の子に過ぎないということだ。
七色の変化球を投げわけ針の穴を通すコントロールも持ち主といっても、球速は高校未勝利の自分と比べてさえもかなり遅い。スタミナもないし、実際春の大会では打者一巡しかもたなかった。物珍しさで騒がれてはいても、彼女ひとりの力で美香保学園がいきなり強くなるはずもない、というのが大方の見方だったはずだ。
もちろん俺もそう思っていた。一回表の攻撃が終わった今でも、そう思っている。
地面の下から湧き上がり、顔に向かってホップしてくるストレート? 確かに魔球だが、あんなボールを投げ続ければすぐにスタミナが無くなるだろう。
まったく同じフォームから横に滑るスライダと超スローボール? どのみち速度自体はかなり遅い。スタミナさえ無くなればきっと打てる、たぶん。
常識ではありえないアンダースローからナックル? ……どうすればあんなの打てるんだよ! と、と、とにかく、スタミナが無くなればあんなボールは投げられない、……はずだ。
そう、スタミナだ。彼女のスタミナが尽きるのを待って、それから打ち崩せばいいのだ。雁来高校エースである俺の役目は、それまで相手に得点を与えずにひたすらガマンすることだ。
できる。絶対に出来る。いや、やらねばならない。女の子なんかに負けてたまるか!!
一回裏、マウンドに上がる。味方の打線は三者凡退に斬ってとられてしまったが、俺の気合いは十分だ。
抑える。抑えてやる。絶対に抑えてやる。
頭の中で何度も何度も繰り返す。脳味噌の温度があがる。
……なのに、なぜストライクが入らない? なぜ、身体が思うように動かない?
落ち着け!
相棒のキャッチャーが、両手のひらを下に向け、しつこいくらい合図を送ってくる。
わかってる。わかってるって。俺は落ち着いているよ。大丈夫、大丈夫、大丈夫。あれ? 失点? いつの間に? ランナーは何人出たんだ? あれ、あれ? アウトはいくつ取った? カウントはなんだっけ? と、とにかく、はやく投げなきゃ。
乾いた金属音。レフト線に鋭い打球が飛ぶ。現実感がない。遠くから大歓声が聞こえてくる。いったい何人のランナーがホームに帰ってきたんだ?
訳のわからないうちに、気がつけばスコアボードに記されている三点。なぜ? いつのまに?
パシン!
頬に痛みを感じた。マウンドまで来たキャッチャーが身体を密着させたと思ったら、審判に見えないように軽く頬をはたかれたのだ。
そして、相棒はささやく。
「おちつけって! 投げ急ぐことはないんだよ。……あいては、あの美香保だ」
『あの美香保』の一言で目が覚めた。
「恐いのはあの四番だけ。三点ならまだまだなんとかなるから」
俺も、相棒の言葉を繰り返す。
「おちつけ。投げ急ぐことはない。……あいては美香保だ、まだなんとかなる」
……そうだ。まだなんとかなる。
一気に気持ちが楽になった。さすが相棒、頼りになる奴だ。あぶなく一回裏で試合が壊れてしまうところだったぜ。
もともとコントロールは良い方ではないが、それでもなんとかストライクが入るようになってきた。長い長い一回裏も、なんとかかんとかツーアウトまでこぎつけた。ランナーは一二塁だが、打順は八番。ここを抑えればなんとかなる。
『八番、セカンド藻岩一希さん』
しかし、アナウンスと共に打席に向かうバッターが目に入った瞬間、とてつもなくイヤな予感が彼をつらぬく。
一礼して打席に入るのは、ショートカットの女の子だったのだ。
愛らしい目。整った鼻筋。サクランボのような唇。明るい笑顔が眩しいほどの美少女。お人形のようなピッチャーとは正反対のタイプだ。顔だけじゃない。すらりとした体躯に長い手足。そして、素振りをするたびに躍動する胸……、じゃなくて、ユニフォームの上からもわかる抜群のスタイル。
……ストライクゾーンが、狭いぞ。
「一希ちゃん、頼むよ!」
「まっかせといて! 女子選手初の場外ホームラン打ってやるから。夢実ちゃんも私の後に続いてね」
「お、おう」
俺の声援に送られ、一希ちゃんが意気揚々と打席に向かう。
俺と一希ちゃんは、お互い高校生になってからまだ数えるほどしか試合に出ていない。よって、打率の数字だけならば、ほとんどかわらない。しかし、練習時間のほとんどをピッチングとスタミナ造りに費やしている俺とはちがい、一希ちゃんは一生懸命に、そして実に楽しそうに打撃練習をしている。俺がバッティングピッチャーやってても、打球を外野まで運ばれることもある。あんなに細い腕のどこにそんな力があるのか知らないが、とにかく、彼女はもともとバッティングが大好きなのだ。いまも、バッターボックスの中でやる気満々で素振りをしている。
一方で、相手ピッチャーの方はやりにくそうだ。女の子に打たれたら格好悪いとでも思っているのか? 一希ちゃんを舐めてると、痛い目にあってもしらないぞ。
……って、ん?
俺は気づいてしまった。なぜピッチャーが投げにくそうなのか。彼の視線がどこに向かっているのか。
もしかして、あのピッチャーの視線は、……素振りの度にゆれる一希ちゃんの胸に吸い寄せられている? そのたびに必死に目をそらして、それでもまた吸い寄せられて……。
いや、わかる。その気持ちは俺にもわかるぞ。俺だけじゃない。実は美香保のチームメイト達も、あれに慣れるまで大変だったんだ。
もともスタイル抜群の一希ちゃん。ユニフォーム越しにも、もちろんその胸は膨らみは隠すことなどできない。あくまでも上品に、凛として、それなのにストライクゾーンにせり出してまで己が存在を主張するふたつの膨らみ。ピッチャーとして彼女と対峙して、あれを見ない振りなど出来るわけがない。俺もバッティングピッチャーの時、一希ちゃんの内角には投げにくいもん。
だけどな、いまは試合中だ。少しはひかえろ、このむっつり純情メガネめ!! ……そのスケベ心が致命傷になってもしらないぞ!
一話一話が短くてもうしわけありません。予選一回戦の終了まであと二話くらいかかりそうです。
はじめは百話くらいで完結する予定だったのですが、いざ書き始めてみると書きたい事が多すぎて、もう少しかかりそうな雰囲気になってきました。できれば最後までお付き合いいただけると幸いです。よろしくお願いいたします。
2016.09.25 初出




