05.チェンジ その4
目の前に俺がいる。
俺って、……こんなにでっかかったのかぁ。パジャマの上からでもわかる。こんなに筋肉があったのか。こんなに胸板が厚かったのか。必死に練習したからなぁ。すこしでも速いボールを投げようと、筋トレもやりまくったしなあ。
いや、それだけではない。おそらく、この白石夢実の身体が小さすぎるのだ。
「すいません。ふたりにしていただけますか?」
なにか言いたそうな『俺』を制し、俺はまず茨戸さんにお願いした。
「……もうしわけありません。お嬢様。私は護衛ですので」
「そこをなんとか」
「茨戸さんの立場としては、こんな夜中に個室で二人きりにするわけにはいかないのさ。大丈夫。茨戸さんは信用できるよ。私が幼い頃からずっといっしょにいてくれたんだから。……茨戸さん、いっしょに話をきいてくれてもいいけど、これから私達が話すことは、お爺さまにも内緒にして欲しいんだ。おねがい」
俺と茨戸さんの間に、琴似潤一の太い声が割り込む。両手を合わせて片目をつむりながら、茨戸さんにお願いしている。……仕草は可愛らしいけど、そのごっつい身体にはまったく似合っていないぞ。
「な、なぜ、君が私の名を……」
茨戸さん、かなり混乱しているようだ。サングラスの上からでもわかる。そりゃそうだろう。
「お願いします」
俺もいっしょにお願いする。その異常な状況におされたのか、ついに茨戸さんも折れてくれた。
「わかりました。秘密にします。ただ、それが白石家のためだと私が判断したら、旦那様にもおはなしするかもしれませんよ」
茨戸さんは、俺ではなく、琴似潤一の身体に向けて返事をした。
「と、とりあえず、まずはお礼をさせて。事故の時、私の身体を助けてくれて本当にありがとうございます。……あなたが特別室に入院しているのはわかっていたけど、二人きりになる方法が思いつかなくて」
俺の身体から俺がお礼を言われる。妙な感じだ。しかも、助けられた身体がいまの俺だし。あー混乱する。
「いや、こちらこそ申し訳ない。まさかこんなことになるとは、……本当にもうしわけない」
それにしても、……この夢実ちゃんって女の子、すごい神経の持ち主だな。こんな異常な状況なのに、パニックにもならず、冷静に状況を受け入れている。
「病室に駆けつけてくれた潤一君の家族のおかげ。私のこと、……じゃなくて潤一君のことを本気で心配してくれたのがわかったわ。でも、私は潤一君じゃなくて。それが申し訳なくて、パニックになる余裕もなかったの。……あなたこそ、ちょっと呑気すぎるとおもうわよ」
ああ、まぁ、呑気者とはよく言われるけどな。パニックになっても仕方ないし。
まずふたりで確認したのは、中身がいれかわったことはできるだけ秘密にするということだ。
白石の爺さんもそうだが、琴似潤一の家族だって『目の前の潤一の中身は別人で、潤一の精神は他人の中にいる』なんて言われても、混乱し悲しむだけだ。いつか元に戻るかも知れない記憶喪失と言われた方が、まだましだろう。
元に戻る方法は、おいおい一緒に考えるとしよう。でも、もし元に戻れなかったら……。
「ごめんな。そんなむさ苦しい男の身体で。しかも一般庶民だし」
「なにを言うの!」
突然の大声。野球をやってる『潤一』の身体は、大声を出すことにもなれている。『夢実』の小さな身体が、びっくりして反射的にとびあがった。
「謝るのは私の方じゃないの。本来あなたは怒らなきゃいけないのよ。ちょっと呑気すぎるわ」
「あ、そ、そうかな。呑気者とはよく言われるよ。ごめん」
「だから、謝らないでって。本当にもう。……今日だけでわかったわ。琴似潤一、あなた、本当にいい人なのね。ご家族もお友達もいい人達ばかり。なのに、中身がこんな私で、本当に申し訳なくて」
「友達も見舞いに来たのか。でも、お前の家だって、茨戸さんも、そして爺さんも、いい人だと思うぞ」
「そ、……そうね」
爺さんのことを話したとき、潤一がちょっとだけ視線をそらしたような気がする。……まぁ、家族の間にはいろいろあるのだろう。
ここまで黙って聞いていた茨戸さんが、はじめて口をひらいた。
「信じられませんが、だいたいの事情はわかりました。お嬢様、そろそろ遅いですし、お部屋にもどりましょう」
事情はわかったのに、俺をお嬢様として扱ってくれるのか?
「いまお二人がおっしゃったように、この件は旦那様には秘密にしておいた方がよろしいでしょう。たしかに、中身が別人になってしまったというよりは、記憶喪失の方がまだショックが少ないと思います。ならば、白石家に仕える私にとってお嬢様はあなたしかいません。……まぁそれはともかく、私に出来ることがあれば、お二人の力になりますよ。琴似潤一君とはおなじマンションですしね。なんなりとご相談ください」
「ありがとう、茨戸さん」
潤一の身体の夢実が、深々と頭を下げる。
「ところで『潤一』。さしせまった相談があるのだが」
夢実の身体の中身の『俺』が、潤一の身体の中身の『夢実』に切り出す。実をいうと、あまり余裕がない。
「自分のことを『潤一』と呼ばれるのは、なれるまでちょっと照れくさいわね。で、なに?」
「とりあえず、……トイレにいきたいのだけど、行ってもいいか?」
なぜそんな事を聞くのだろう、という顔をする潤一(中身は夢実)。だが、すぐにその意味を理解する。そして、潤一の目がまんまるになる。
「ちょ、ちょっとまって。その身体で、……私の身体で、いくの?」
そりゃそうだ。それ以外にどうしろというのだ。
「だ、だめよ。だめ。行かないで」
おお、さっきまでかなりクールな言葉遣いだったくせに、突然女の子っぽい口調になったな。無理もないか。それはともかくとしてだ、俺だって、……中身はうら若い男の子だからな。できればこんな身体でトイレなんて行きたくはないのだが、こればっかりはどうしようもないわけで。
「ち、ちなみに、君はどうするんだよ。俺の身体で、トイレとか風呂とか」
「わ、わたしは、……さっき、行って、き、ちゃった、……わよ」
ええええええええええ! み、見たのか。触ったのか。『俺』のものに!
「じゃあ、俺もいく、文句ないな」
「だめぇ、だめよ。やめてぇ!」
「おふたりとも。そろそろ夜も遅いので、大声はひかえてください」
茨戸さんが務めて冷静な声を吐く。でも、サングラスの上からでも、噴き出すのを必死にこらえているのがわかる。そりゃ他人から見れば笑い話だよな、この状況は。
「わかったよ。目をつむってするよ」
「いやー!」
……俺、これからどうなるんだろう。もう野球できないのかなぁ。
2015.12.21 初出