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55 野球バカの詩



 さて、監督の命に従い西高の文化祭で遊んでいた我々だが、実のところ本当はこんなにのんびりしている暇はないのだ。


 既に夏の甲子園予選の組み合わせは決まっている。一回戦、美香保学園の登場はいきなりの初日だ。


 一回戦の対戦相手は雁来高校。まったくの無名高だ。運の良いことに、前評判的にはあまり強くない。もちろん甲子園出場経験無し。……まぁ、一回戦の相手が決まった直後に喜んだのは、おそらく相手も同じなのだろうが。





「運がいいわぁ。一回戦勝利の勢いのまま、翌日の文化祭も楽しめるわよ」


 組み合わせ抽選の結果をみた後、ねぇちゃんの第一声がこれだ。ねぇちゃん、呑気すぎるだろ。


 そう、我が美香保学園の文化祭は、偶然にも予選大会のまっただ中。ちょうど一回戦と二回戦の間なのだ。


 もともと学校行事の日程に野球部の都合なんて関係ないのはあたり前ではあるが、野球部員にとっては酷い話だ。せっかくの文化祭なのに、準備とかどうするんだよ。


 ……って、いかんいかん。俺達までねぇちゃんのペースに巻き込まれてはいかん。まずは、しっかりと一回戦に勝つこと。文化祭はその後の問題だ。


 ちなみに、西高は美香保とは逆のブロック、ついでに小別沢は同じブロックだ。俺達は本気で優勝するつもりであるから、準決勝で南郷を打ち取り、決勝で潤一に投げ勝たねばならんわけだ。……できるかなぁ。





 さて、一回戦当日の朝。天候はあいにくの曇りだが、気温はそれほど高くない。これならば、いける。完投できるだろう。


 部員達は部室に集合し、全員そろってバスで市営球場へと向かう予定になっている。


 俺が部室前に到着した時、そこにいたのはねぇちゃんだけだった。生徒はまだ誰も居ない。


 ……早すぎたか。なんか朝からじっとしていられなかったから、つい早めに出てきちゃったんだよな。俺、試合前から興奮しすぎかもしれない。


 ねぇちゃん、つまり美香保学園野球部顧問兼監督は、当たり前だがユニフォームを着用している。なにやらブツブツ独り言をつぶやきながらウロウロしているようだが、何やっているんだ? 両手に持っているのは、封筒と紙?


「あ、夢実ちゃん、……ちょっとこっちに来てくれる?」


 俺に気づいたねぇちゃんは、周囲を見回し誰も居ないのを確認した後、そっと手招きをした。


 そんなこそこそと、いったいどうしたんだ?


「あのね、夢実ちゃん。まだキャプテンにも言ってないんだけど……。今朝、これが学校の私宛にとどいていたの」


 ねぇちゃんが見せてくれたのは、一枚の紙だ。


「なに、これ? 差出人は、……一希ちゃん?」


「そう、藻岩一希ちゃんの退部届よ」





 えっ? ……えええええぇ? 退部届ぇ? うっそだぁ!


「ほんと、嘘だったらいいんだけどぉ。残念ながら本当なの。……ねぇ夢実ちゃん、藻岩さんから何か聞いてる?」


 俺は首をふる。そんな事、きいているわけがない。ありえない。この予選直前の大事なときに、いやそもそも野球大好きな一希ちゃんが退部するなんて……。


 と、とりあえず、話を聞いてみなきゃ。しかし、スマホで連絡しても返事はない。ならば、いまから一希ちゃん家まで迎えに……。


「だめよ。もう間に合わないわ。今日は藻岩さん以外のメンバーで試合するしかないわね。夢実ちゃん、このことはまだみんなには内緒にしていてね」


 た、た、たしかに助っ人の山口先輩もいれれば、ぎりぎり九人で試合はできるけれども……。一希ちゃーん!






 グランド沿いの校舎のかげ。野球部の部室がぎりぎり見える場所から、夢実と監督があわてている様子をコソコソ覗いているひとりの少女。そのさらに後ろから少年が近づいてくることに、彼女は気づいていない。


「藻岩一希、……なにやってるんだ?」


 後ろから突然声をかけられ、野球部室を覗いていた少女、藻岩一希は飛び上がった。


「きゃ! ……なんだ拓馬君か」


 振り向くと、そこにいたのはキャッチャーの南郷拓馬だった。藻岩一希と南郷拓馬は幼い頃からの家族ぐるみの付き合い、いわゆる幼馴染みの仲だ。


「なんだじゃないだろ。もうすぐ市営球場に向けて出発だ。さっさと部室に行こうぜ」


「……わたし、いかない」


「はっ? なに言ってるんだおまえ。夢実達が待ってるんだから、早く行くぞ」


「行かないっていってるでしょ! わたし野球部を退部したの!!」


「おまえ、冗談はいいかげんにしろよ!」


「冗談じゃないの! わたしもう野球なんてやめるの。だから、放っておいて」


 振り向き、その場からダッシュで逃げようとする一希。しかし、拓馬ががっしりとその腕をつかんで離さない。


「おまえが野球やめるわけないだろ。ガキの頃から、兄貴とキャッチボールするのが大好きだったくせに。高校野球に女子選手が解禁されたとき、あんなによろこんでいたくせに!」


「うるさい! だまれ、拓馬のくせに! もう野球も賢にいさんもどうでもいいの。放っておいてよ!」


 一希の瞳から大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。






「いま、一希ちゃんの声が聞こえたような……」


 夢実と監督が振り向く。しかし、とっさに物陰に隠れた二人の姿は見えなかった。改めて、監督が夢実の正面に向き直る。


「気のせいでしょ。……あのねぇ、夢実ちゃん。ひとつ確かめたいことがあるの。もしかして、あなた、……小別沢高の南郷君となにかあった?」


 えっ? えええええっ? ななな何をいいだすんだぁ、突然!


「……あったのね。真っ赤になっちゃって」


 ないないないない。なにもないぞ!


「隠さなくてもいいじゃない、あなたと私の仲でしょう」


「だだだだだって、だって、あれから会ってないし、……まだ、ちょくせつ何も言われたわけじゃ、ない、し」


「ふーーん。そっかー。かわいい、夢実ちゃん。いつの間にかすっかり身も心も乙女になってしまったのねぇ」


 そんなわけあるかぁぁぁぁ!!!


「私はね、そんな身体になっちゃったあなたの将来のこと、本気で心配してたのよぉ。だから、私としてはうれしいわ。だけど、……藻岩さんが退部届出すのもしかたないかもねぇ」


 お、俺の将来の事と一希ちゃんの退部届けとどう関係あるって言うんだよ!


「彼女はあなたの顔なんか見たくない、という事よ」


 えええええ? ど、どういう意味?


「本気でわからないの? そんなところだけ、全然変わってないのねぇ、あんたは」


 ねぇちゃんが、大きな大きなため息をつく。


 い、いや、正直にいうと、……ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、思い当たる節がないことも……ない。かも。






 小声でやりあう夢実と監督の声、しかし「小別沢高の南郷君」という単語が、一希と拓馬の耳にもかろうじてきこえた。きこえてしまった。


 あー、そういうことか。


 やっと拓馬は理解できた。一希が退部届けを出した理由について。


 南郷拓馬は知っている。最近うちの親父が、兄貴と夢実の婚約だとか結納だとかで妙にはしゃいで盛り上がっていることを。そして、兄貴本人が、自ら藻岩一希に会いにいったということを。


 生真面目な兄貴のことだ。夢実本人に言う前に、一希に対して自分の正直な気持ちを言いに言ったんだろうなぁ。自分の口からはっきりと、たぶん『一希ちゃんは妹ととしか思えないんだ』とかなんとか。我が兄ながら、バカな奴だ。


 とにかく、ガキの頃から兄貴にひっついていた一希にしてみれば、夢実は顔も見たくない相手ということか。


「……まぁ、とりあえず、さ。そんなに落ち込むなよ。おまえの気持ちもわからんでもないよ」


 きっ!


 音がきこえそうなほど、鋭い視線。一希が拓馬を睨む。


「うそだ! 拓馬君なんかに、私の気持ちがわかるもんか!」


 ごく至近距離から、幼馴染みだからこそのまったく遠慮の無い罵声が飛ぶ。


「突然、賢にいさんに『一希ちゃんのことは妹にしかみえない』なんて言われて、一瞬なんのことかわからなくて、やっと意味がわかった瞬間、世の中が真っ暗になって、とにかく悲しくて、悲しくて、死ぬほど悔しくて。……いつもぼーっとしている拓馬君なんかに、私の気持ちがわかるわけがないわ!」


 だが、拓馬はひるまない。幼い頃からずっと一希の天真爛漫な天然の迫力に圧倒され、日常会話でも彼女に口答えなどしたこともない拓馬だが、今日だけは、一希の罵声にも屈することはなかった。


「わかるさ。おれ、わざわざこの学校に来たのは、夢実がいたからなんだぜ。なのに、これから毎日学校と部活であいつと顔をあわせなきゃならないんだぞ。そのうえ、家に帰れば兄貴がいるわけだ。殴り倒したいくらい憎い恋敵の兄貴がな。……俺はお前の二倍はつらいね」


「ば、ば、ばかじゃないの。私なんて、三日三晩泣いて泣いて泣いて泣いてないて、勢いで退部届だして……。もう夢実ちゃんの顔もみたく……、みたく、みたくな、い、んだ、から」


「ふん。……じゃあ、今日はなんでここに来たんだよ」


 一希の呼吸がとまる。なにかしゃべろうとするが、口をぱくぱくするだけで言葉にならない。


「……野球部の試合が心配だったんだろ?」


 小さく小さく、だまったまま頷く。


「別にいいんじゃね?」


「?」


「夢実と会いたくない。顔も見たくない。だけど、チームメイトが心配なんだろ? 野球やりたいんだろ?」


「……うん」


「野球をガマンする必要ないんじゃねぇの? 別に夢実のこと嫌いなままでも、チームメイトとして一緒に試合はできるだろ?」


 一希は何も言えない。






 がっくりと肩を落としうつむく夢実に、監督が諭す。


「仕方ないわ、夢実ちゃん。こればっかりは理屈じゃないもの。一希ちゃんのことは、あきらめましょう」


「ででででも、一希ちゃんあんなに野球好きなのに、俺のせいで退部なんて……」


 またしても、ねぇちゃんが大きなため息をついた。そして、珍しく声を荒げる。


「じゃあどうするの? 夢実ちゃん、あなたが野球部やめる? そしたら藻岩さん帰ってくるかもよ」


 え? え? え? そんな。……無理だ。俺は、野球が好きだ。絶対にやめたくない。一希ちゃんには申し訳ないけど。


「無理でしょ? ……そういうことなのよ」






「……そういうことなんだよ」


 藻岩一希はまだ黙っている。


「俺も、夢実の顔見てるとつらいけど、でも、おれは野球やめられない。兄貴に負け犬といわれても、夢実の変化球を捕球できない自分が情けなくて死にたくなっても、それでもやっぱりやめられない。こんな俺でも、この学校ではレギュラーとして使ってもらえる。だからせめて、練習も試合も精一杯頑張りたいと思うんだ。……といっても、自分がこんなに野球好きなんだって自覚したのは、つい最近だけどな」


 一希は顔をあげ、拓馬を見詰めた。


「おまえは、いまさら野球やめられるのか? それでもやめたいというなら、俺はとめないよ。こーゆーのは理屈じゃないから、しかたないもんな。じゃ、おれは部室行くから」


 歩き始めた拓馬の腕を、今度は一希がつかむ。


「待ってよ。……拓馬君、あなた、そんなに格好良かった?」


「はぁ? 単に開き直っただけ、……い、いや、もうちょっと格好良く言うと、ついに俺は悟りをひらいたんだよ。いろいろと辛い思いをしたからな」


「……いつも賢にいさんの後ろでおどおどしてる小僧だったくせに」


「うるせーよ」


「夢実ちゃんの眼中にも入ってないくせに」


「うるせーっていってるだろ!」


 いつのまにか、一希の涙がとまっている。多少こわばってはいるが、いつもの笑顔。ああ、そうだ。それでいい。それでこそ、幼馴染みの一希だ。





「……そうだ! いいこと思いついた! 賢にいさんはくそまじめだから心変わりなんてしないだろうけど、夢実ちゃんは優柔不断だから最終的に琴似潤一君を選ぶかも知れないわ」


 はっ? おまえ突然なにを言い出すんだ? あれれ? 藻岩一希って、こんな性格だったか? 


「その時、夢実ちゃんに振られて失意に沈んだ賢にいさんを、私は慰めてあげるの。そして賢にいさんはやっと気づく。やっぱり俺には藻岩一希しか居ないんだって……」


 ちょっとまて。それを言うなら、夢実が選ぶのは兄貴じゃなくて、琴似潤一でもなくて、最後には俺を選ぶ可能性だってあるかもしれないぞ。


「それはないわ」


 即答かよ! まぁいいや。……せめて大好きな野球やってるときくらい、面倒くさい事は考えないで、甲子園を目指そうぜ!


 そうね。そうするわ。……ありがとう、拓馬君。






 集合時刻が迫り、続々と部員が集まってくる。まだ来ないのは……。


「遅くなりました!」


 ひときわ大きな声は、拓馬君だ。俺も、みんなも、そして監督もそちらに気を取られた瞬間、別の影がすばやく監督に近寄る。そして、反射神経のとろい監督の手の中から、封筒をひったくった。


「えーと、監督。これ、間違いだから、返してもらいますね」


「えっ? も、藻岩さん? どこから?」


「一希ちゃん!」


 俺はおもわず叫ぶ。


「遅れてごめんなさい。さぁみんな、行くわよ!」


 一希ちゃんは俺を見ない。目を合わせてくれない。ちょっとショック。


 で、でも、大丈夫。大丈夫だ。大丈夫なはずだ。俺達はチームメイトだから、試合が始まればなにも問題ない。……たぶん。


 なぜならば、俺達にとってもっとも大事なのは野球なんだから。





 

2016.08.07 初出

 


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