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54 文化祭 その2


 ここは……。


 ひかるが俺の手を引き強引に連れてきたのは、校舎の中。二年生の教室だ。


「わたしと、……潤一君のクラスよ」


 そうだな。知ってる。


 俺は二年生になった直後に事故に遭ってしまったから、この教室そのものにはそれほどなじみがあるわけではないが。しかし、それでもこのクラスには一年生の頃からの友達が沢山いる。教室の前でゾンビの仮装をして呼び込みをしているのも、よく知っている元悪友だ。


 なるほど、このクラスはオバケ屋敷をやってるのか。


「幽霊の衣装とか、私も作ったの。いっしょに入りましょうよ」


 俺の手を握ったまま、ひかるがオバケ屋敷の入り口へ向かう。


 西高は美香保と違って学校も生徒の家庭もそれほどお金があるわけではない。オバケ屋敷をやるのはいいが、内装や衣装に関しては生徒自らが工夫してお金をかけずに自作せざるを得なかったにちがいない。しかも、もともと西高は女子が男子の半分ほどしかいないし、いまどきの高校生にしては珍しく裁縫が得意なひかるは大活躍だったのだろうなぁ。


 ひかる。野球部のタコ焼き屋の準備だって、どうせおまえが中心になって働いたんだろ。なんでもとことん全力で頑張っちゃう性格は、相変わらずだな。





 教室の入り口では、お岩さんの仮装している女子が受付をしていた。


「あ、ひかる。野球部の方はいいの? ……あー、白石さん! 来てくれたんだ!!」


 お岩さんは嬉しそうな顔で、大げさに俺を抱きしめる。


 彼女は、春の大会で俺が南郷のファール直撃を喰らったとき、庇うかたちになったチアガールのリーダーだ。俺が入院中、わざわざ家族いっしょにお礼に来てくれて以来だな。


「あの時は本当にありがとう。もう目は痛くない? 傷も残ってないのよね?」


 お岩さんにより俺の両肩ががっしりと固定され、至近距離から顔を覗き込まれる。


 ち、近い。顔が近いぞ。おまけにいい匂いがするぞ、お岩。そんなに近くから覗き込まないでぇ! ……って、なにニヤニヤして見てるんだよ、ひかる! 俺が女の子にドキドキするがそんなに面白いかよ?


 熱烈歓迎の儀式が終わったあと、お岩さんは俺とひかるの顔に、なにやら意味ありげな視線を向けた。


「白石さんとひかるの二人でオバケ屋敷にはいるの? ふたりとも、……いいの? 琴似くん放っておいて」


「いいのいいの。潤一君は野球部の屋台で女子にチヤホヤされて嬉しそうだから」


 へぇ……。お岩さんはまたまた意味ありげな視線を俺とひかるに向けたあと、俺達をオバケ屋敷の入り口に送り出した。





 なんだ、さっきの? どうして潤一がでてくるんだ? あの視線の意味がさっぱりわからない。


「……どうやらね、私とあなたと潤一君が三角関係で揉めている、ということになっているらしいわ、私の知り合いの中では」


 入り口を入ってすぐ、暗闇の中、俺が心の中でつぶやいた疑問を察したように、ひかるが応えてくれた。ため息をつきながら。


 はぁっ? 三角関係? 俺もその中に入ってるの?


 俺が、ひかると潤一で二股してるってことか? ……なわけないよな。だったら、潤一が、俺とひかる相手に二股ってことか? いやいやそんなはずがない。だって、『潤一』の相手はひかるに決まってるんだ。『潤一』がガキの頃から、そう決まってるんだ。こんな身体になってしまった俺はもう、ふたりの関係に割り込む余地はないし。


 混乱している俺の心中が顔に出てしまったか。その瞬間、もうひとつひかるがため息をついた。


「はぁ……。あなたって、ほんと呑気者、というか、もしかしたらバカなのかもね」


 なんだおまえ。喧嘩売ってんのか?





 さて、オバケ屋敷である。


 所詮は高校生の出し物だと気楽に入り口のカーテンをくぐったのだが、……そうだった。ここは西高。くだらないことに青春の全てをかける連中の巣窟なのだ。


 こ、これは……


 おそらく教室の中を大量のホワイトボードで、あるいは机を積み上げて迷路をつくり、ありったけの暗幕で光を遮ったのだろう。


 真っ暗闇の中、おそるおそる歩を進める。懐中電灯やLEDライトを改造したのだろうか、おどろおどろしい色彩の照明がところどころで不気味に点滅する空間。どこからともなく聞こえてくる不気味なBGM。これは、なかなか、恐い、ぞ。


 俺、男だった時代から、こういうのはちょっと、……かなり苦手なんだよな。


 ひかると繋いだ手を、あらためて握りしめる。うん。あいかわらず小さくて柔らかい手だな。だが、その温かさが心強いぞ。


「白石さん、そんなに強く握らなくても大丈夫よ。しょせん作り物なんだから」


「わ、わ、わ、わかってる。わかってるけど……」


 そりゃおまえは、このオバケ屋敷の構造も仕掛けも全て知ってるんだろうけど。


「私はどこにも行かないから、安心して。それにしても白石さん、小さな手よねぇ。こんな指の女の子が、よくあんな変化球、投げられるもんだわ」


 妙におちついたひかるの声が、ごく耳元の近くから聞こえた。いつの間にか、ふたりは密着している。いや、正しくは、俺がひかるの腕にすがりついているのだが。





「きゃーーーーーー!」


 道ばたにわざとらしく置かれた張りぼての井戸。絶対なにか出てくると思った。わかっていたんだ。なのに、わかっていても、蛍光塗料で描かれたガイコツが飛び出てきた瞬間、俺の心臓は一瞬とまった。そして絶叫。隣にいるひかるの腰に抱きついた。


「はいはい、大丈夫よ。……これだけ驚いてくれれば、ガイコツ役も本望よね」


 小声で何かぶつぶつ言いながらも、俺の頭を撫でてくれたひかる。男前だな、おまえ。頼りになる奴。ほんと、ガキの頃から変わってないな。


「ほらほら、次に進まないと、後ろがつかえるんだから」


 腰にすがりつく俺を、ヘッドロックのような体勢のまま引きずるように、ひかるは通路を進んでいく


「ま、まて、待ってくれ。脚がふるえちゃって……」


 あー、突然思い出した。昔、そっくりな事があったな。その時もたしか……。


「だから、私がいるから平気だっていってるでしょ。男のくせに、なさけないわねぇ」


 その瞬間、今度はわざとらしい張りぼて墓石が、こちらに向けて倒れてきた。その後ろから、斬バラ髪の落ち武者があらわれる。


「ぎゃぁあぁあぁぁぁぁぁ」


 俺は、正面からおもいっきりひかるに抱きついた。






 ひかるも俺を抱きしめる。見えないが、顔がすぐ近くにある。いつもと同じシャンプーの香り。息づかい。


「潤一君……」


 闇の中、まったく余裕がなく、完全にテンパっている俺。そんな俺を、不意にひかるがよぶ。いつも通り、まったくいつも通りの口調。俺も自然に応える。いつも通りに。


「な、な、な、なんだ、ひかる」


「覚えてる? 小学校の頃、一緒に縁日のオバケ屋敷はいったよね」


「あ、ああ。そうだ、そうだな。おれ、こわくてベソかいちゃったんだ。今と同じように、ひかるに手を引いてもらって……」


 自然に答えてしまってから気付いた。って、あれ? 俺、いや、ひかるの奴、誰と会話してるつもりんだ?


「そうよね。あの日、私は思ったのよ。潤一君って、やっぱり私が居なきゃだめなんだって。私はずっと潤一君のそばにいるんだって……」


 俺を抱きしめるひかるの腕が、こまかく震えている。俺は、……何も言えない。


 ガシッ。


 突然、ひかるの両手が、正面から俺の顔をつかむ。暗くてほとんど見えないが、俺は下からひかるの顔を見上げているはずだ。顔のすぐそばで、ひかるの吐息を感じる。


「潤一君。そんな身体になって、あなたこれからどうするの? ……私は、これからどうすればいいの?」




 えっ?

 

 息がとまった。身体が硬直した。


 ど、ど、ど、ど、どうするって、そんな事いわれても、俺は……。


 俺は、……俺は、俺は……


 ………ごめん。俺はもうおまえの潤一じゃないんだ。


 ごめん。ごめん。俺は、今でもひかるが大好きだけど、……だけど、こんな身体じゃ、もう夢実として生きるしかないんだ。俺はおまえの期待に応えてやることはできないんだ。


 ごめん………。本当にごめん。お、おまえは、今の潤一と……。


 ぽろ。……あ、やばい。涙が。ぽろ。ぽろ。ぽろ。とまらない。ぽろ。ぽろ。ぽろ。ぽろ。


 いったいどれくらい、俺は泣いていたのか。その間、暗闇の中、ひかるはどんな表情をしていたのか。


 パーン!


 突然、ひかるの両手が俺の頬から離れる。そして、両側からビンタをくらった。


 痛さよりも、いきなりそんな事をしたひかるにびっくりした。一発で涙が止まってしまった。


「お、男のくせに、めそめそ泣かないの!」


 ひかるの顔がさらに近づいたのがわかる。おでことおでこがくっつくほど。体温が直接感じられるほど。ひかるも泣いていたのがわかってしまうほど。


「……素直に運命を受け入れて、その姿でも前向きに生きようという姿勢なのは潤一君らしいと思う。でも、私の気持ちを置き去りにしたのは減点だわ」


 へっ? 俺の頬に添えられたひかるの両手にちからが込められる。俺は口をとんがらせたヒョットコのような顔になってしまった。な、何をする。


「あのね、ひとつだけ大事なことを教えてあげる。いま西高にいる潤一君は潤一君だけど潤一君じゃないの。潤一君とは別な人間なのよ。わかる?」


 え? よくわからん。


「彼は私にとって潤一君の代わりにはならないの。そして、彼の気持ちだって潤一君とは同じじゃないの。わかった?」


 あ、ああ?


「ああ、もう、本当にバカなんだから。……まぁいいわ。一番つらいのはあなたですものね。私もうじうじしないで前向きにいきることにするわ」


 そ、そうか。よくわからんが、そうしてくれると俺もうれしいぞ。


「だから、私の事は気にしないで。……平気だから」


 わかった。





「……で、潤一君、じゃなくて夢実ちゃん。甲子園、今でも行きたい?」


 数秒の沈黙の後、ふたたびひかるが口を開いた。今度は妙にあかるい声だ。


「あ、ああ、もちろんだ」


「誰のために?」


 誰のため? え? 誰のためって、……えっ? あれ? 誰のためだろう?


 自分でも驚いた。まさかこんな問いに即答できないとは。


 今も昔も、俺は死ぬほど野球が好きなのは、間違いない。やるからには、負けるよりは勝ちたい。これも間違いない。

 

 でも、俺が潤一の頃は、甲子園にそんなにこだわってなかったような気がする。勝利も、敗北も、辛い練習も、親父の真似も、仲間達と一緒の時間、野球に関するすべてがただただ楽しくて。それがいつまでも続けられればいいな、とだけ思っていたような気がする。


 親父も甲子園いかないままプロになったし、何よりももともと呑気者だからかもしれない。そもそも、去年の夏くらいまでは、甲子園なんて完全な夢物語だったし。


 もしかして甲子園にいけるかも、と思い始めたのは、去年の秋の大会が始まってからか。そして、南郷にそれを阻まれたあの瞬間、俺は何を思った?


 ……ああ、そうだ。思い出した。俺は、自分が甲子園に行けないことじゃなく、ひかるを甲子園に連れて行ってやれなかったことを申し訳ないと思っちゃったんだ。もしかしたら、あのとき南郷に勝てなかったのは、そのせいかもしれないな。


 でも、今は?


「今は、……俺自身が行きたい。俺が甲子園に行きたい。そして優勝したい」


 こんな身体になってしまって、一度は野球が出来ないとあきらめた。きっとそれからだ。それから俺はかわったんだ。今は、とにかく強い相手と戦いたい。そして勝ちたい。そのために、俺は甲子園に行きたいんだ。


「わかった。……よかった」


 なにが?


「もし、そんな身体になっても『おまえを甲子園に連れて行ってやる』とか言われちゃったら、どうしようかと思った。わたし西高を裏切って、女の子同士ということも忘れて、あなたを応援しちゃったかもしれない」


 え? ええええ?


「でも、私だってあなたと同じくらい野球が大好きなのよ。プレーはできないけどね。そして、甲子園に行きたい。残念だけど、今年の甲子園は私達西高がいただくわ。あなたにも南郷君にもわたさない」


 なんだと?


「いつのまにか西高が誇るエースが女々しくなっちゃったのがいまいち不安だけど、私が根性をたたき直す。……いいわよね?」


「えっ? あ、ああ。今の潤一はあいつだ。俺の許可なんか必要ないよ。ただ、あいつ、ちょっと引き籠もりのコミュ障でついでに腐女子だけど、根はいい奴だから。お手柔らかに頼む。……もしあいつが野球をやめたいと言ったら、無理強いはやめてくれよ」


「言うわけないじゃない! 自分でも気がついてないでしょうけど、『彼』はもう野球の魅力に取り憑かれちゃってるわよ。完全に」





 その後、真っ暗な迷路の中、俺とひかるはキャーキャー悲鳴をあげながら、オバケ屋敷を堪能したのだ。そして、遠くに出口のあかりが見えた頃。


「あ、そうそう」


 思い出したように、ひかるが口をひらく。


「だいじなこと忘れてたわ。ちょっとこれを見て」


 ひかるが俺のおでこの前あたりに手をかざす。


 見て、っと言われても、この暗闇の中じゃ。


 俺は上を見上げ、必死に目を細める。


 ちゅっ。


 な、な、な、生暖かいものが、唇に触れたぁ! なんだ? こんな出口間際でも仕掛けてくるのかオバケ屋敷!


 混乱する俺を無視して、ひかるはひとりで出口から出ていってしまった。そして、振り返る。見慣れた笑顔。


「予選、がんばってね」


 あ、ああ。お互いにな。



 

 

2016.07.18 初出

 


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