52 初勝利!
はぁ、はぁ。
暑い。息がきれる。
頑張れ、俺。もう少しだ。あと一人抑えれば試合は終わる。
マウンドに汗がしたたり落ちる。暑い。疲れた。暑い。暑い。なんて暑いんだ。さっさと試合を終えて帰りたい。
得点は二対一。俺たち美香保学園がリードして、イニングは九回裏。ツーアウト。
くそ。疲れた。肩も腕も限界だ。それなりに鍛えてきたつもりだったのに。この身体で一試合完投するのが、こんなに大変なんて。
俺達が試合をしているのは、市内にある円山高校のグラウンド。美香保学園は、円山高校に練習試合をお願いしたのだ。
円山高校は、この地区では中堅として知られている。十年くらい前には甲子園にいったこともあるらしい。夏の予選まであと一ヶ月ほどしかないこの時期、練習試合の相手としては最適だろう。……ていうか、よくこの時期にうちみたいな弱小校との試合を受けてくれたな。もしかして、弱い相手に大勝して気分良く勝ち癖をつけたかったのか? もしそうなら、このまま勝って一泡吹かせてやる。
美香保学園高校、先発ピッチャーはもちろん俺だ。そして、九回裏までひとりで投げ続けている。
ここまで打たれたヒットは六本。無四球。失点は一。奪った三振は三つだ。
試合前、俺は監督から三振禁止令が言い渡された。今日の試合は、あえて三振を取りにいかない。打たせて取る省エネピッチングに徹し、スタミナを温存。そして、なんとしてでも完投するのだ。
ホップするストレートで仰け反らせておいて、力まず丁寧にコーナーをついてジャストミートさせない。ランナーが出たらスライダで引っかけさせる。単純な作戦だが、試合開始からしばらくはそれなりにうまくいった。
しかし、やはり打順が一巡してバッターの目が慣れてくると、徐々に鋭い打球が外野に届き始める。もともと球速がないから仕方がない。そして俺の体力の限界が近づき、さらにボールの速度と切れが落ちるにつれ、バットの芯で捕らえられる。単発のヒット、そして連打、ついに失点。
要所要所で限界を超えた力を振り絞って頑張って、守備陣の堅守に助けられ、なんとか失点一に抑えてはきた。しかし、それもそろそろ限界かもしれない。そりゃそうだ。ここまでの投球数は約七十球。数字だけみれば、打たせて取ることに徹した結果として上出来だろう。しかしそれでも、こんなに投げたのはこの身体になってから初めてなのだ。
はぁ、はぁ、はぁ、はぁ。
完全に肩で息をしている俺。まだ夏でもないのに、どうしてこんなに暑いんだ? これが温暖化ってやつか? 真夏になったらどうなるんだ?
もうだめだ。もう限界だ。俺が監督にそう訴えれば、キャプテンがリリーフしてくれる。あと少しだけ、切りのいいところまで頑張ればいい。次のイニングまで、……次のイニングこそ、俺はマウンドを降りる。だからこのイニングだけはなんとか……。
五回くらいより後は、ずっとそれだけを思い続けてきた。気がつけば、いつの間にか九回になっていた。
試合開始直後、相手のピッチャーの油断をついた拓馬君のホームランは、もう遠い昔の出来事のような気がする。まるで奇跡のような美香保打線の連打と相手のエラーでむしり取った追加点は、いったい何回のことだったか。手書きのスコアボードを改めて見る。何回見直しても、確かに我らが美香保学園がリードしている。信じられないが、あと一回。そうだ、ここを抑えれば、俺達の勝ちだ。
俺の視線の先、バッターボックスにいるのは円山高校の四番。どこかの野球マンガの主人公のような、ちょっとふくよかな体格の男だ。でっかい弁当箱を愛用しているにちがいないこいつは、このあたりでは好打者としてそれなりに有名な奴だ。もちろん南郷の足元にも及びはしないが。
しかし、その好打者に、俺はここまでヒットは打たれていない。完璧に抑えている。
……えーと、こいつはたしか『ストレートにはめっぽう強いが、小技がきかない』だったよな。
試合直前に必死に覚えたこいつのデータを脳裏に思い出す。つい数時間前にゲットしたばかりの情報だ。
実は、今日の朝のランニングの時、俺はひかるからメモ一枚を渡された。
「今日練習試合でしょ。これ、あげるわ」
「これって、……円山高の選手のデータ?」
「そうよ。私が作ったの。あなたコントロールいいから、このメモを元にバッターの苦手なコースを丁寧に攻めれば、もしかしたら最後まで抑えられるかもしれないわね」
「そりゃ助かる。……けど、いいのか? これもともと西高のためのものだろ?」
「要点だけのメモだから問題ないわ。……練習試合といえども、一回勝てば美香保ナインの自信になるでしょ?」
そう言いながら、ひかるは俺の肩をたたいたのだ。明るい笑顔で。
なんか久しぶりだな、ひかるのこんな笑顔みるの。こいつ、俺があの事故に遭ってからずっと思い詰めた表情ばかりだったからな。昔に返ったような気分だぜ。……そういえば、俺が潤一だった頃から、西高野球部はひかるが集め分析したデータに助けられてきたんだった。なつかしい。
「で、でも、どうしてこんなものを、とつぜん俺、……じゃなくて私なんかに?」
「えーと、お互い甲子園を目指す女の子ということで、ライバル同士なかよくやりましょうよ」
よくわからんが、……そういえばここ数日、ひかるの態度、というか俺を見る目がなんかおかしいんだよね。毎朝ランニングのたびに、俺を黙って見つめていたり、俺の身体を触りたがったり。うーん、女心はよくわからん。
まぁ俺としては、ひかるとスキンシップがとれて嬉しいんだけど。かわりに潤一の奴が、そんな俺とひかるを見て、ちょっと機嫌悪いんだよな。うーん、男心もわからん、……って、潤一の場合はやっぱり『女心』なのか? どうでもいいけど。
とにかく、せっかくデータをくれたひかるの期待に応えるためにも、この試合きっちり抑えて勝つぞ!
きわどいボールがコーナーぎりぎりに決まった。ツーストライク。追い込んだ。
バッターは、あきらかに苛ついている。そうだろう、そうだろう。俺達みたいな弱小校にここまで追い詰められたんだ。苛つかないわけがない。しかもピッチャーは女の子だし。
ここは三振を狙ってもいい場面だろう。監督の顔を見ると、頷いている。よし、いくか。ホップするはずのストレートは、握力不足でもうほとんどホップしない。ならば必殺、変態ナックルでいくか。拓馬君のサインは、……やっぱりナックルか。いいぞ、拓馬。気が合うな。ちゃんと捕れよ。
これで決めてやる! 俺は、残された体力を振り絞り、全身全霊の力をこめて投げる。
あれ? 思ったよりボールに速度がのらない。ボールの揺れが少ない。やばい。限界なのか? これじゃあ……。
カキンッ!
円山高校のふくよかな四番が思い切り振ったバットが、俺のへろへろナックルを捕らえた。しかし、運がいい。やはりこいつは小技がきかないバッターだ。ひかるのデータに間違いなどあろうはずがないのだ。ボールはバットの芯にはあたらず、ゴロとなって内野を転がっていく。
一希ちゃん!
ぼてぼてのセカンドゴロ。しかし、セカンド一希ちゃん、ダッシュが遅い。ボーッとしている?
一希ちゃん!!
やっと気づいた。慌ててボールを処理して、ファーストへ投げる。が、……うそぉ。名手一希ちゃんが暴投?
ボールはファーストの頭を越え、転々と転がっていく。
ランナー一塁を蹴って二塁へ。バックアップされたボールも二塁へ。よ、よし、ランナーの脚はあまり速くない。なんとかなる。なってくれ。タッチはきわどいタイミング。審判は円山高校の控え選手だが、……アウト!
やれやれ。なんとか勝ったか。
美香保学園キャッチャーの南郷拓馬は、おおきく息をついた。そして、殊勲の我らがエースに視線を移す。
今日の夢実は、例の敵を睨みつけるような凜々しい表情はほとんどしなかった。特に試合終盤は、蓄積していく疲労を隠す努力すら放棄して、ただひたすら修行僧のように投げ続けた。体力的な余裕がなかったのはもちろんだが、夢実にとって今日の戦う相手は円山高校ではなく自分自身だったということだろう。
やったぁ!
そんな夢実が、勝利の瞬間飛びはねた。……本人は反射的に飛び上がったつもりなのだろうが、実際にはほとんど飛んでいない。すでに体力の限界を超えているのだろう。かわりにガッツポーズ。
そして、キャッチャーの俺をみる。夢実の視線が俺を捕らえた瞬間、おもわず俺は息をのんだ。見とれてしまったのだ、夢実に。
満面の笑み。もう体力ないくせに。ついさっきまでヘロヘロで泣きそうでゾンビみたいな顔してたくせに。泥と、汗と、ほこりと、疲労にまみれたその顔は、くっ、……な、なんていい笑顔だ。まぶしい。美しい、というか神々しい!!
そして、その場に動けない俺にむけて、夢実が駆け寄る。信じられない。夢じゃないのか。夢実が、夢実が、夢実が、俺に抱きついてきたのだ!
「勝ったぁぁぁ! 初勝利だよ、拓馬くん!!」
「ゆ、ゆ、ゆ、夢実!」
俺はどうしていいのかわからない。夢実はプロテクターごと俺の身体を抱きしめているが、俺の背中まで手は届いていない。そして俺の両手はというと、気をつけの姿勢のまま硬直している。
「チーム初勝利だよ、一緒にもっと喜ぼう!!」
で、で、で、でも、夢実は兄貴と結婚の約束までしたって……。親父や白石のジジイもそれを認めてるみたいだし、おまえはオレなんか初めから眼中にもなかったくせに……。
夢実は、身体を固めたままの俺の顔を見上げる。あああ、そんな、そんな目で俺を見上げないでくれ。おまえ、残酷な奴だな。やっとあきらめたのに。やっと兄貴に負けを認めたのに。
「試合の最中に面倒くさいことは考えなくていいから。野球マンガでは勝利の瞬間バッテリーは抱き合って喜ぶのがお約束だろ!!」
「そ、そうか。そうだよな。うん、俺達はバッテリーだ。それくらい当然だ」
よし、抱きしめるぞ! 俺も両手を広げる。さ、さあ、抱きしめるぞ。夢実の華奢な身体が壊れないように、力を抜いて。やさしく。そおーっとだ。
悪いな、兄貴。たとえ誰だろうと、試合中のバッテリーのあいだに割り込むことはできないんだよ!……しまったぁ、抱きつかれる前にプロテクター外しておけばよかったぁぁぁぁ!
だが、俺が両手で夢実の身体をだきしめようとしたその時、もうひとりの男が声をかけてきやがった。キャプテンだ。
「白石さん、初勝利おめでとう!」
「キャプテン! 私の勝利じゃなくて、みんなの勝利ですよ!」
夢実は振り向く。そのまま俺からはなれ、キャプテンと堅い握手。さらに続々とあつまる美香保ナイン。ひとりひとりとハイタッチをかわす夢実。
お、俺の腕は? 夢実を抱きしめよう広げたこの俺の腕は、いったいどうしたらいいんだ?
うん、やっぱり勝利っていいなぁ。
ナイン全員とハイタッチした後、俺は改めて喜びを噛みしめる。
「ほらほらぁ、みんな、はやく整列してね!」
監督が叫んでいる。主審の円山高の先生も渋い顔している。はいはいわかりましたよ。
「ご、ごめんね、夢実ちゃん。あんなエラーしちゃって」
ひとりだけ暗い表情した一希ちゃんが、頭をさげる。俺に目をあわせないまま。
いいの、いいの。アウトにできたんだから良しとしましょう。だから、元気出して!
……でも、ちょっと心配なんだよな。一希ちゃん、今日だけでエラーふたつ。内野の守備に関しては、チームで一番上手いはずなのに。そして打撃の方も三振ばかり四つ。
そもそも、最近、一希ちゃんどうも元気がないような気がするんだよね。それに、もしかして私を避けてる? いつも一緒に食べてたお昼も、一人でどこか行っちゃうし。いったいどうして?
うーん、せっかくの初勝利なのに、頭が痛い。予選まであとわずか。どうしたものかなぁ。
どうも最近更新に時間がかかってしまいますが、気長にお付き合いいただけると幸いです。よろしくお願いいたします。
2016.06.26 初出
2016.06.27 ちょっとだけ修正




