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46 チアガール その5





「南郷! バックスクリーンはあっちだぞぉ! そんなんで潤一のストレートが打てるのかぁぁぁ!!」


 よく知る可愛らしい声が、一瞬しずまりかえったスタジアムに響き渡る。そして観客が沸く。






 ふ、ふふふ。


 真剣勝負のさなかだというのに、自然と口元が緩む。だが南郷賢は、自分の表情を引き締める気にはならなかった。


 あいかわらずだな、あのお嬢様は。


 そして、マウンドの男を見る。琴似潤一は、ライト側のスタンドを憮然とした顔で眺めている。そして、俺を見る。睨みつける。ついさっきまでヘラヘラ笑っていた表情が変わった。こいつ、怒っているのか?


 琴似潤一と彼女は親しい仲とは聞いていたが、……わかりやすい男だな。琴似よ、おちつけ。冷静になれ。あの彼女のことだ、さっきの声援は決して俺を応援したつもりはないと思うぞ。


 南郷賢は直感的に理解した。


 おまえが、……琴似潤一という男が野球をやる理由は、自分自身のためではない。西高のチームメイトのためでも、マネージャーのためでもない。あのお嬢様に褒めてもらいたいから、ということか。


 南郷の口元がさらに緩む。


 その理由。半分は、この勝負に勝ちの目が見えたこと。


 あんな声援だけで冷静さを失い怒り狂うようなアホな単細胞なら、奴は何が何でもストレートで俺を仕留めようとするに違いない。あのストレートは確かに凄まじい速度だが、百パーセントそれが来るとさえわかっていれば、俺ならば、打てるかもしれない。


 のこりの半分は……。


 なるほど。自分でも信じられないが、俺は琴似潤一に対して優越感を抱いているらしい。奴が知らぬ間に俺は彼女とちょっとだけ親しくなった。そして、この真剣勝負のさなか、そんな彼女が俺に声をかけてくれた。ついでに、アホな琴似潤一がそれに嫉妬しているという事実に。





『今のバッティング、南郷君はあえて外したボールを打ちにいったんですか?」


『そうでしょうねぇ。琴似君が一球はずすことをよんだ上で、それを狙って待っていたんですね。さすが南郷君、うまくバットの先端にボールをのせたのですが、ちょっと体勢が崩れすぎました。ほんの少しでもボールが内側に入っていたら、あのまますくい上げてホームランだったかもしれません』


『たとえ外したボールといえども、南郷君には気をぬけないということですね。とはいえ、ツーストライクと追い込まれた状況はかわりません。ピッチャーの琴似君、南郷君に対して次は何を投げるのか。……おや、琴似君、サインに首をふっていますね。これまでより若干表情がこわばっているような気もします』


『今日の琴似君なら、フォークがきちんと低めに決まりさえすれば、まず打たれることはないと思いますがねぇ。だからこそ南郷君は先ほどの外したカーブをむりやり打ったのです。問題は、そのフォークをいつ投げるのか、ということでしょう』


『なるほど。さぁ、サインは決まったのか。四球目、琴似君、いつものトルネードから、……なげた!』





 思った通りストレート! それも、この試合最速のボールがここでくるか!!


 南郷の口元は、緩みを通り越して笑っていた。


 文字通り、うなりをあげてボールが迫る。プロだってここまでのボールを投げるピッチャーはそうはいない。少なくとも現役高校生では、間違いなく最速だと断言できる。


 だが、やはり少々冷静さを欠いているのか。おそらく先ほど外したカーブと対角線の内角高めを狙ったであろうボールはしかし、若干外側の高めに入ってきた。


 そうだ。この凄まじい速度のストレート。いかに俺でも、いかにヤマをはっていたとしても、このコース以外なら打てなかっただろう。だが、ここならば……。





 南郷は、ストレートのタイミングしか考えていなかった。二球目のストレートと同じタイミングでヤマをはり、それは完璧に当たった。しかも、もっとも得意なコース。


 ほんの数秒後の光景が頭の中にうかぶ。ジャストミート。振り抜くバット。バックスクリーンに向かって一直線に飛ぶボール。それを見ている彼女。しかし……。





 キンっ!


 金属バット特有の音が球場に響く。


『琴似君、渾身のストレート! 南郷君、それを打った!! ……しかし、ボールはふたたびライト線、観客席に向かってきれていきます。するどい飛球がスライスしながらスタンドに飛び込んでいきました』


『一瞬ジャストミートかと思ったのですが……、バッターほんの少し振り遅れましたね。八回になって、あれだけの速度のボールが投げられるとは。あのボールをバットに当てて弾き返した南郷君もあっぱれですが、琴似君のストレートはそれ以上でした』





 くそっ!


 ライト側の応援団席、ついさっきとほとんど同じ場所に向かっていく打球をみながら、南郷は自分の両手をみる。


 完璧だと思ったスイングだったが、……芯で捕らえられなかった。振り遅れだ。いまだに手が痺れている。


 こつん。自戒の意味を込め、南郷はバットの握りで自分のヘルメットをたたいた。


 打球の行方を確認するまでは、勝負は終わっていないということか。


 そして、ため息をつく。あれでも打てないのか。あいつに勝つためには、いったいどうすればいいんだ?


 ……ん?


 南郷は気づいた。ライト側のスタンドが騒がしい。


 なんだ?





『なんでしょう? ライト側の応援団席でなにかありましたか?』


『とても鋭い打球が飛び込んでいきましたからねぇ。誰かに当たったのでなければ良いのですが……』





 打球は、ふたたび西高応援団が陣取るライトスタンドにむけて飛んだ。


 またか。多くの人はこう思ったはずだ。ついさっきのファールボールは、チアガールが素手で捕球できた。今度も危険なことはないだろう。むしろ、鋭い打球がフェアグランドに向けて飛ばなかったことに安堵する雰囲気だ。


 しかし、ちがう。さきほどのへろへろフライとは根本的に違う。力と力の勝負の結果、潤一の渾身のストレートを南郷の腕力が弾き返した鋭い打球。しかも若干スライスしながら、放物線を描かずに一直線に飛んでくる。


 俺は、例によってダンスはおざなりに二人の勝負にばかり気を取られていた。だから打球の行方もしっかりと目で追っている。このままだとグランドに背を向けたチアガールのリーダーさんに当たってしまうことも直感でわかった。そして、もっとも近くにいるのは俺だ。そこまでほんの数メートル。


 こんななりでも俺は野球部だ。危険な打球を放っておくわけにはいかない。とっさに口と身体が動いた。


「あぶない! 避けろ!!」


 えっ?


 多くの人間は、とくに女の子は、危険が迫っていると感じたとき反射的にその場に屈む。リーダーの子もそうだ。俺の声に反応して、とっさにその場にしゃがみ込んだ。しかし、運が悪いことにボールはちょうどその頭めがけて飛んでくる。硬球が、凄まじい速度で一直線に。


 女子の叫び声。騒然となるライトスタンド。


 俺はスタンドのコンクリート階段を飛ぶように駆け下りる。ほんの数メートル先をめざして必死にはしる。手が届きそうで届かない。段差が邪魔だ。オンボロ球場が!


 プラスチック製のこ子汚い椅子をむりやり飛び越える。脚がもつれる。顔から落ちる。目から火花が出る。痛ぇ!


 しかし、かまわない。這って、這って、よつん這いで、それでもボールの落下点にむかって。くそ、この身体は手足が短すぎるんだよ。


 チアリーダーの子に覆い被さる。間に合ったのか。ギリギリ間に合ったはずだ。なぁに、俺は打球を素手でキャッチするのは得意なんだ。出来れば右手は傷付けたくないが、非常事態だ。しかたがない。振り向いて、……打球はどこだ? 目の焦点があわない。とっさに距離感がつかめない!


 ……ゴチン!!


 ふたたび目の中に火花がとんだ。そして、意識が遠くなる。




 

 

2016.04.11 初出

 


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