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45 チアガール その4



『ピッチャー琴似君の快投が続きます。バッターボックスの南郷君、ここまでの二打席は内野ゴロが精一杯、バットの芯にあたりません』


『しかも、回を追うごとにストレートの球速はますます速くなっていますからねぇ。もうこのまま完全試合をやってしまっても、私は驚きませんよ』


『琴似君のピッチングは、大谷地さんでさえ匙を投げるほどということですね。しかし、何がおこるかわからないのが高校野球です』


『そうですね。ここは、南郷君の打席を見守りましょう』






 バッターボックスに立つ南郷賢は、マウンドに仁王立ちの男を睨む。


 琴似潤一。去年の秋に対戦した時も、たしかにこいつは凄いピッチャーだった。荒削りだがとんでもない才能を秘めたピッチャーだと確信していた。しかし、この短時間でまさかここまで成長するとは思わなかった。


 ……それにしても、この決勝の真剣勝負の場で、どうしてそんなにヘラヘラ笑っていられるんだ、こいつは。


 南郷は、多くのライバルと戦ってきた。彼らは敵ではあるが、野球が好きな者同士、……もっと正確に言うと、野球しかできない野球バカ同士、その心の中には通じる物があったと信じている。


 しかし、いま目の前に立ちはだかる男、マウンドに立ちながら脳天気な笑顔をうかべるこいつのことだけは、どうしても理解できない。南郷はあまり感情が豊かなタイプの人間ではないと自覚しているが、いま自分は少々いらついた表情をしているに違いないと思う。


 まぁそうはいっても、俺も自分では真剣な顔をしているつもりなのに、他人からはよく表情がない仏頂面と言われることがある。真剣勝負に挑む際にどんな表情をするかなんて、人それぞれということか。


 ふと脳裏に、つい数日前の光景がうかぶ。完全に息があがりスタミナ切れの少女。しかも指にケガをしてギリギリの状態であるにもかかわらず、それでもバッターの俺を睨みつけるあの表情が……。


 ぞくり。


 背筋に電気がはしった。イライラが静まっていくのを感じる。


 そうだ。彼女が見ているのだ。あんなヘラヘラ男に負けるわけにはいかない。






『さぁ、注目の対決です。南郷君に対して、マウンドの琴似君、いつものように大きく振りかぶり、背中をこちらに見せて第一球、投げました!」


 空振り!


 それも、身体が半回転するほどの。


 ……初球からカーブだとぉ?


 南郷は、不様な自分の姿に苦笑いを抑えきれない。追い込まれてからあのフォークがきたら、手も足も出ない。だから、早いカウントからもっとも早いストレートに山を張っていたわけだが。


『初球から大きなカーブ! 南郷君、空振り—!!』

『南郷君、完全にタイミングが外されましたねぇ』


 いい度胸だ。誰のサインだ? あの脳天気な顔をして、奴にそんな度胸があるのか?


 いや、違う。奴は、たしかにピッチングは凄いが、どうも野球というスポーツに関してあまり知識が無いように見える。


 今までの奴の試合を偵察した範囲では、バッティングはほとんど素人レベルだし、ランナーとしての走塁時の判断はメチャクチャ。守備の時だってベースカバーのセオリーをまったく知らない。奴は、身体能力はずば抜けているが、野球という競技をあまり知らないのだ。知識としてはいろいろ知っていても、身体が勝手に動くレベルではない。だから、奴にこんな投球の組み立てができるとは思えない。


 とすると、キャッチャー、……ちがう、一球ごとにバッテリーの二人ともベンチを見ている。もしかして、ベンチの中で一番えらそうな、あの女子マネージャがサイン出しているのか? 一球ごとに?


 うーむ、戦術もチームごとそれぞれ、バッテリーがマネージャーの指示に従うチームがあっても全然構わないが、しかしそこまで完全に依存しなくてもいいんじゃないか?





『初球、南郷君はストレートに山を張っていたんですか?』


『そうでしょうねぇ。西高バッテリーはここぞという場面ではベンチのサインに従っているようですが、南郷君への対策をよく研究しています』


『してやったりの表情の琴似君。ベンチからのサインに頷いて、さぁ二球目、トルネードのフォームからいったい何を投げるのか?』





 二球目。どうする。まさか同じカーブはないだろう。少なくともストライクにカーブはありえない。山を張るならば、空振りを狙う内角高めのストレートか低めのフォーク。……たとえヤマがあたっても、どちらもそう簡単に打てるとは思えないが。


『第二球、……投げた! 今度はストレート!!』


 速い!!


 南郷はおもわず息をのんだ。


 ボールがほとんど見えなかった。この終盤にきてあのボールを投げられるのか。しかも伸びる。あの彼女のストレートほど露骨に浮き上がりはしないが、これだけの速度と伸びのあるボールで内角高めに攻められたら、高校生に打てるわけがない。反則だろ。


 西高の内野陣がピッチャーに声をかける。得意そうな顔でそれに応える琴似。次にベンチを見る。そしてスタンドを見る。嬉しそうな顔で……。


 なるほどね、わかったような気がする。あのピッチャー琴似の脳天気で楽しそうな顔は、野球そのものが楽しいというよりも、チームのみんなが褒めてくれるのが、そしてみんなが喜んでくれるのがうれしいのか? おまえ、自分のために野球をやってるんじゃなくて、喜んでくれる人々のために野球をやってるのか? それが悪いとは言わんが、……やっぱり俺には理解できない。





『うなりをあげるストレートに南郷君空振り! 大谷地さん、いまのストレート速かったですね』


『そうですね。たぶん百六十キロくらい出ていたんじゃないですか? この球場にスピードガンがないのが残念です』


『さぁ南郷君、追い込まれました。ピッチャーの琴似君、ここは三球勝負でしょうか?』


『うーん、いかに琴似君が絶好調とはいえ、相手はあの南郷君、秋の大会ではサヨナラホームランも打たれている相手です。手を出してくれたらラッキーということで、一球は外してくるんじゃないですか?』





 ……くそ。これで追い込まれた。どうする。あの鋭すぎるフォークが低めに決まったら、わかっていても振らざるを得ない。そしてバットに当たるはずがない。


 いや、さすがに奴だって疲れているはずだ。万が一フォークがすっぽ抜けたらやばいことくらいわかっているはずだ。俺のまぐれの一発を警戒しているはずだ。……警戒してくれていると思いたい。特にあのお堅そうなマネージャーなら、堅実に慎重に攻めてくるに違いない。


 ならば、ここは一球はずしてくる。はずしてくるはずだ。三振を決めるつもりのないボールならば、バットにさえ当たれば前に飛ばすことくらいはできるかもしれない。たとえストライクゾーンでなくても、バットが届くところならばむりやり打ち返してやる。





『さぁ注目の第三球は……、投げた』


 琴似が三球目を投じた瞬間、南郷はわずかにほくそ笑む。外にはずしたカーブ。


 ……予想通り。


 見逃せばボールだが、かろうじてバットが届く。届きさえすえば、前に飛ばすことさえ出来れば、……そして俺の力ならば。頼む!


 腕をのばし、無理矢理バットを振る。打つというよりも、バットの先端にボールをのせる。そのまますくいあげるのだ。……だが、あまりにも体勢が悪すぎた。ボールは前には飛んでくれない。


『ああ、南郷君、外したボールを強引に打った! ……体勢を大きく崩しながら打った打球は、しかしライト線あきらかにファール。打球はふらふらとライトスタンドに向かって飛んで行きます』





「きゃー」


 当たり損ないのファールフライが、ライトスタンドの応援席に向かってフラフラと飛ぶ。女子の叫び声がひびく。……しかし、ボールは誰にも当たることはない。たまたま落下地点のすぐそばに居た俺がキャッチしたからだ。もちろん素手で。


「あぶないなぁ。南郷のやつ、どこにむかって打ってるんだ?」


 至近距離からのピッチャーライナーを素手で捕りにいって痛い目にあった俺だが、こんなヘロヘロフライをキャッチするくらいなら素手だって楽勝だぜ。


 わぁ!!


 応援団がわく。俺に対して盛大な拍手がわき起こる。


「すごーい、夢実ちゃん!」「さすが野球部!!」


 へ、へへへ。いやぁ、それほどでも。おもわず頭をかく。




『ファールボールにご注意ください』


 呑気なアナウンスが球場に響く。


『ライトスタンドが沸いています。どうやら、応援団が素手でボールをキャッチしたようですね』


 この時おれは、周囲から褒められてつい調子にのってしまったのだ。グラウンドにむけて、というかこの打球を打った男に向けて、ヤジをとばす。


「南郷! バックスクリーンはあっちだぞぉ! そんなんで潤一のストレートが打てるのかぁぁぁ!!」


 おそらく偶然。その一瞬、球場全体の歓声が途切れた。静寂の中、俺の声だけがグランドに響きわたったのだ。


 観客も選手も、もちろん南郷と潤一も含めて、ライトスタンドに視線を向ける。視線の中心にいるのはチアガール姿の俺だ。そして、再び球場全体が沸く。


 ……どどどどうして、あの瞬間に限って、スタジアムがしんとするんだよ? どうして俺の声ばかり響くんだよぉ?



 

 

2016.04.03 初出

 


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