31.俺が始球式? その3
「あの、その、……引退って、嘘ですよね」
試合前、練習中の親父を問いただしたのは、つい先ほどのことだ。
「ああ、あの記事ね。カマかけてきた記者がいたので、ついポロッと本音を漏らしちゃったんだ」
本音? 本音なのか?
「格好良く言うと、闘う気力がなくなった、ってところかな」
「ど、どうして?」
「若い奴の才能に嫉妬しちゃっている自分に気づいたのさ。で、このままじゃ自分は野球選手というか人間として失格だと悟ってしまったんだ」
若い奴?
「でででも、同じアスリートなら、たとえ相手が若くたってライバルですから、嫉妬しても当然じゃ……」
「それが息子でも?」
へっ?
「潤一と仲の良い君だから話すけど、俺、潤一が野球始めた時すごくうれしかった。俺と同じフォームを必死に練習しているのを見て、涙を流して感激していたんだ」
そ、そうか。
「だけど、あいつ、いつのまにか俺よりでっかくなって、フォームも変えて、俺より速い球投げるし、将来は間違いなく俺よりも凄いピッチャーになるだろう。俺は親なんだから、祝福して応援してやらなきゃならないのに、……なのに、去年甲子園を賭けた試合であいつが負けたときね、俺はホッとしてしまったんだ。まだ俺は追い抜かれていない、ってね」
淡々と語る親父に、俺は何も言えない。
「そんな自分に気づいた瞬間、俺は野球選手としての自分がイヤになっちゃったのさ。……その直後にあの事故だろ。俺は、これからは親として純粋に息子をサポートしてやることにするよ」
親父が、ちょっと悲しそうな顔でそう言ってから、ほんの数十分後。その親父はいまマウンドの上、俺の隣にいる。
「さっきは、つまんない話きかせちゃったね。君は関係ないのに、ごめん」
関係なくないんだ。……それに、さっきの話を聞いて、あんたの息子はすっごく喜んでいるんだよ。嫉妬されるということは、あこがれていた親父に一人前だと認められたってことなんだから。
……でもな、引退云々は別の話だ。
『さぁ始球式ふたりめはこちらのお嬢さんです。お名前は?』
マウンド上、アナウンサーの若いお兄さんが俺にマイクを向ける。あー、うるさいな。俺は親父と話すのにいそがしいんだよ。さっさと済ませてくれよ。
『……白石夢実』
『こ、こちらはクールなお嬢さんですね。オウルズの誰のファンですか?』
『琴似投手』
『いま目の前に琴似選手がいらっしゃるわけですが、何か伝えたいことはありますか?』
この時、俺はマイクを向けられている事を忘れていた。反射的に親父にむけて言ってしまった。
『……引退、しないでください』
『えっ? でもね……』
『わたし、甲子園にいきます。そしてプロ野球選手になります』
元の姿に戻れるのかどうかわからない。しかし、どちらにしろもう野球をやめる気はない。絶対にやめない。
『だから、それまで現役でいてください。私に投げ方を教えてください』
『ご近所なんだから、いつだって教えてあげるよ』
『そうじゃなくて、……俺はプロで、あんたと対戦したいんだよ!』
TV中継の都合で時間がきたのだろう。審判がコール。アナウンサーが俺に投げろと指示をする。
俺の気持ちがわかったか? 理解してくれたか? 俺がプロになるまで待っている気になってくれたか?
セットポジション。
何度も何度も練習した、あんたのフォームだ。風は強い向かい風。うまく指がかかれば、さぞかしボールがホップすることだろう。あんたと同じフォームから投げられる俺のボールをよーく見てろよ、親父。そして、俺と勝負する気になってくれよ。引退を思いとどまってくれよ。
脚を思いっきり上げて、いくぞ!
『……し、失礼しました。あまりのことに、放送席の私達も言葉をうしなっていました。始球式に挑んだ女子高生が、まさか往年の琴似選手ばりの豪快なアンダースローを披露してくれるとは』
『いやぁ、見事ですね。完全に物まねの域を超えてます。球速こそ速くはありませんが、地面ギリギリからリリースされたボールが、目の前でとんでもないくらいホップしたんじゃないですか? あんなアンダースローからのストレート、初めて見ましたよ。プロだって初見じゃ打てない魔球でしょ、あれは』
『解説の大谷地さんも興奮ぎみですが、マウンドの琴似選手も唖然としています。バッターは今になって思い出したようにスイング』
『あまりに凄いボールにびっくりして、空振りするのを忘れていたんでしょうねぇ』
『スタジアム全体が割れんばかりの大歓声。投げた白石さんは、……あ、スカートを抑えて真っ赤になっています』
『ああ、フォームが豪快すぎて、ちょっとスカートがね……。ちょうどいいタイミングでつむじ風が吹いたし』
(こら! 誰がリプレイ映像を何度もながせといった!)
(でも、せっかく女子高生のパ……)
(あほ! これはワイドショーじゃねぇんだよ。スポーツ中継だ。下品なのはやめろ)
(で、で、でも、パンチラはともかく、あの凄い投球はリプレイする価値が十分あるかと)
(バカ野郎!! あの藻岩オーナーの娘のご学友だぞ! 一般庶民のわけないだろ。もしクレームでもきたら俺の首が飛ぶかも、って、……白石? あの子、白石っていったか? ま、まさか)
『と、とにかく、これで始球式は終了です。オウルズの大ファンというおふたり、ご苦労様でした。さぁ、引退が噂される先発の琴似、ファンの期待に応えられるか!』
……結局その日、親父は変化球で打たせて取るピッチングが見事にはまり完封勝利。完全復活をアピールした。
次の日、潤一とのランニングの時、俺はさんざん怒られた。でも、親父が俺に感謝してる、そして引退はやめることにしたと伝えられ、ちょっと嬉しかった。潤一にもその点は感謝されたしな。うん、やってよかった。
ちなみに、テレビ局に対して白石の爺さんと藻岩家と学校が文句言ったらしいから、だれかの首がとんだかもな。ざまあみろ。
2016.01.24 初出




