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17.美香保学園高校野球部 その5



「まだだ。拓馬! そこに座れ。キャッチャーだ。俺、……じゃなくて、私のボールを受けるんだ」


 俺は、マウンドに向かう。ボールを持つとセットポジション。呆然とこちらを見ている拓馬を睨む。しかし、拓馬は自分が何を言われたのか理解できてはいないようだ。


 まぁ、そうだよな。この外見の少女がマウンドにいっても、まともにピッチングできるとは思わないよな、普通は。実をいうと、俺も思わないんだ。


 それでも、せっかく肩と肘と腕と手首と身体と、……なによりも野球が大部分を占める俺の脳みそが、やっと暖まってきたんだ。ここまできたら硬球で投げてみたいじゃないか。潤一達との秘密特訓したといっても、所詮はお遊びだ。本物のマウンドで、本物の硬球で、この身体で、どこまでできるのかためしてみたいじゃないか。本気で投げてみたいじゃないか。


 俺はセットポジションでボールを保持したまま、拓馬を見つめる。


 やっと付き合ってくれる気になったのか。それとも俺の迫力に押されたのか。拓馬はついに観念したかのようにホームベースの後ろに移動。その場に座る。キャッチャーの構えだ。


 ついでにキャプテンまでバッターボックスに立ってくれた。うむ。いいぞ。そういうノリのよい男の子は大好きだ。まるで実戦みたいじゃないか。





 拓馬がへろへろしていた表情を引き締める。ほぉ。おバカだけど野球大好き少年というのは、本当らしい。様になってる。ちょっとだけ格好いいぞ。


 グローブの中、ボールを握りなおす。俺が潤一だった頃、箸を握っている時間よりも、鉛筆を持っている時間よりも、こうやってボールを握っている時間の方が長かった。


 いまの夢実の身体では、まともなボールを投げられるはずがない。そんなことわかっている。わかっていてもキャッチャーの姿が目に入ったら、もう止まらない。


 俺は制服姿。スパイクもはいていない。それでも、ここは神聖なマウンドだ。もう俺の目にはキャッチャーのミットしか見えない。





 まずは、ボールの感触を確かめる。


 感じる。潤一だった頃よりも、夢実の細い指の方がしっくりくる。指先の神経は、この身体の方がよっぽど繊細だ。まるでボールに吸い付くような感触。これなら、皮の表面、縫い目、ボールの重心まで、完璧に操れるような気がする。その上、手首の関節が柔らかい。指と手首だけで、どんなボールだって投げられそうだ。


 できる。きっとできる。できないはずがない。


 縫い目にあわせ、ボールを握る。セットポジションだ。身体が一旦制止する。


 はやく投げたい。野球がやりたい。全身の細胞が叫んでいる。拓馬の表情がもう一段階かわった。いいぞ男の子の顔だ。


 三度の飯よりも好きだった野球。親父のマネをして、何度も何度も練習した投球フォーム。身体が入れ替わっても忘れるはずがない。頭の中はおどろくほど冷静だ。そして俺の身体は止まらない。実戦モードだ。いくぞ!





 夢実は肩幅よりちょっと脚を開き、ボールを両手でお腹に保持している。セットポジションだ。……まさか、本当にこのまま投げるのか?


 夢実の視線は、当然のようにキャッチャーである拓馬に向けられている。拓馬はおもわず息をのんだ。まっすぐに自分を見つめる夢実の表情に魅入られてしまったのだ。


 凜々しい。……拓馬の頭の中には、それ以外の形容詞が思い浮かばなかった。口元はキリリと結ばれ、その瞳は一点の曇りもない。これほど真剣な人間の表情を生で見るのは初めてかも知れない。ここだけのはなし、視界に入る限り夢実の姿はいつも目で追っている俺だが、あんな表情は初めて見る。


 俺は、……いま、彼女のボールをうけるキャッチャーとして、ふさわしい顔をしているだろうか。





 セットポジションから、モーションはいきなり始まった。左足を折り曲げ、重心側に引き戻される。黒いソックスと白い太ももが胸まで持ち上がる。


 ……と思った瞬間、細くて白い脚が前方に向けて踏み出された。重心が下にさがる。短いスカートが盛大に翻る。


 しまった。この場にいるのは俺だけではない。部員がみんな夢実をみている。拓馬は今さらながら、制服のまま夢実をキャッチボールに誘ったことを後悔する。しかも、キャッチャーの目線は低い。視線はどうしても細くて白くて綺麗な脚、まぶしい太ももに引き寄せられる。そしてスカートの中に一瞬見えた白い下着。


 しかし、しかし、しかし、次の瞬間、拓馬の視線は強制的に現実に引き戻された。


 ア、アンダースロー?




 いつのまにか、夢実の上半身が低く折り曲げられているのだ。


 ひとつまばたき。あわてて視線を引き戻す。折り曲げられた上半身の向こう、細い腕がしなやかに振り下ろされた。まるで鞭のように。


 低い。ボールを握った手首が、地面ギリギリを通過する。あの握り。……なんだ、あの手首の角度は。そして、リリース。


 くっ!


 あまりに地面に近くて、ボールの出所がわからない。地面の中から噴き出したような軌道でボールが迫る。


「出た! 夢実ちゃんの魔球!!」


 横で叫んでいるのは野次馬の藻岩一希か。このボールを見たことがあるのか? それにしても魔球? 球速は決して速くない。いや、むしろ男子高校生平均よりも遅い。だが、速度が遅いだけに、見える。独特の回転。ジャイロ? ちがう。全然違う。むしろ回転はソフトボールのライズに近い。


 まったく回転軸がズレていないのだ。横成分の回転もジャイロ成分の回転もない。完璧に地面に平行なバックスピン。ある意味、完璧なストレートとも言える。


 地面ギリギリの極端に低い地点からリリースされたボールが、アンダースロー独特の軌道で迫る。バッターが本能的に予測する放物線の頂点を越えても、ボールはまだ落ちない。そしてバッターの手前で、……もう一段、さらに浮かんだ?


「うおっ!」


 絶対に予想できないボールの軌道。おもわず声をあげたのは、バッターボックスの中のキャプテンだ。バッターにとって、ボールが自分の顔をめがけて加速するかのように見えるのだろう。





 バシンッ


 拓馬がボールをキャッチできたのは、半分以上が偶然だったかもしれない。

 

 


 

 

2016.01.02 初出

 


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