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12.ねぇちゃん



 ある日の朝のこと。


 さて、今週は、一希ちゃんといっしょに野球部に入部届を出しに行くぞ。


 ちょっと緊張するな。夢実と一希ちゃんがとつぜん野球部の部室に乗り込んで入部届をだしたら、部員のみなさんはどんな反応をするだろう? 仲間として受け入れてくれるだろうか?


 俺が潤一だった頃、……本気で甲子園を目指していた頃、とつぜん女の子が野球部に入ってきたらどう思っただろう? ……邪魔くさいと思ったかもしれないなぁ。


 てなことを考えていたら、お腹痛くなってきた。




「おはよう、夢実ちゃん。……どうしたの? 顔に縦線がはいってるよ」

「一希ちゃん、おはよう。朝から身体がだるくて……」

「あらら。無理しないで、保健室でも行ったら?」

「いや、そこまで酷くはないんだけど。……ちょっとトイレいってくる」


 トイレの中。うーん、ほんとうに身体全体がだるい。お腹が痛え。早引きしちゃおうかな。……と、下を見て絶句。


 なんじゃこりゃああああああ!





 美香保学園高等部、生物学担当教師のオフィス。学園の中でももっとも若手教師である琴似優は、着信音がなる自分のスマホをいぶかしげに眺めている。


 もうすぐ授業が始まるというのに、知らない番号からの着信だ。どうせワン切りか間違い電話だろうと予想しながらも、一応でてみるか。


「もしもし」

「ね、ね、ね、ねぇちゃん、助けてくれ!」


 鈴を転がすような可愛らしい声。


「えっ、誰?」


 相手が誰なのか見当がつかない。自分の事を『ねぇちゃん』と呼ぶのは、弟の潤一しかいないはずだ。しかし、潤一は記憶を失ってから私の事を『お姉様』と呼んでいる。気持ち悪いからやめて欲しいのだが。


 それに、潤一は美香保学園ではなく西高の生徒だ。今朝もひかるちゃんと一緒に野球部の朝練にいった。そもそも、弟からの電話ならば名前が表示されるはずだ。そのうえ、奴はこんな可愛らしい声ではない。ごっつい体格の潤一は、声もやはりゴツいのだ。


「お、俺だよ。わからないのかよ。たいへんなことになったんだ。助けてくれ! 俺にはねぇちゃんしか頼れる人がいないんだよ!!」


 新手の詐欺の手口だろうか? 


 いやまてよ。記憶を失う前の潤一が私を『ねぇちゃんと』と呼ぶとき、どんな口調だった? ……声こそ可愛らしいものの、口調だけならまさなこんな感じだったような気がしないでもない。


「まさか、じゅん、……いち?」

「そうだ。いま東棟三階の女子トイレにいる。頼むからはやく助けに来てくれよ!」




 美香保学園の保健室。あきれ顔のねぇちゃん。その前に座るベソをかいている女生徒、……俺だ。保健の先生には席を外してもらっている。


「ごめん。……校内で、ねぇちゃんしか頼れる人が思いつかなかったんだ」

「頼ってくれるのは構わないんだけどぉ。でも、あなたが潤一で、うちにいる潤一が白石夢実さんだっていうの? ……信じられないわぁ」

「本人の俺だっていまだに信じられないよ。だけど、こんな……」


 女の子なら月に一回こんなことがあることくらい、知識としては知っていた。でも、いざ自分の身に起きてみると、あまりにも生々しくて。びっくりして。


「確かに外見は白石さんだけど、……その様子だと、中身が男の子というのは本当みたいねぇ」


 そ、そうなんだよ。俺は男なのに、男なのに、こんな……。


「……しっかりしなさい!」


 ねぇちゃんが怒鳴る。俺の身体が反射的に飛び上がる。


「月に一回そんなにテンパってたら、女なんてやってられないわよ!!」

「は、はい」


 普段のふわふわしたねぇちゃんからは想像できない迫力。こわい。おんなこわい





 俺は、口をへの字に曲げて、ねぇちゃんから目をそらす。


(……ああ、これは確かに潤一だわ。このわざとらしい目のそらしかた。子どもの頃お父さんにしかられた時と同じ反応だもの)


 俺の様子をみてねぇちゃんが妙に納得した顔をしているが、もちろん俺は気づかない。




「で、これからどうするの? お父さんやひかるちゃんには、事実を話しちゃっていいの? うちにいる潤一は実は別人なんだって」


 やっとショックから立ち直った俺。冷静になってみると、やばい状況だ。他に頼る人がいなかったとはいえ、ねぇちゃんに事情がバレてしまった。


「い、いや、できれば、言わないでくれ。俺は大丈夫だから、今の潤一をよろしく頼む。あいつあんまり友達いないみたいだし、白石家でも上手くいってなかったみたいだし、せめてねぇちゃんが家族として接してやってくれないか」

「ふーん。まぁ、私はあんたが無事なのがわかればそれで構わないけどぉ。でも、ひかるちゃんは『潤一』をかいがいしく世話してるみたいよぉ」

「そうか。……でも、親父やひかるにも内緒にしておいてくれ。知ってる人はできるだけ少ない方がいいと思う」


「そうかもねぇ。うちもだけど、白石さんの家の事情もあるだろうし。膨大な遺産を引き継ぐたったひとりの孫娘の中身が別人、……というのは、法律上はともかく、人情としてトラブルの元にしかならないでしょうしねぇ」


 えっ。なにそれ。そんな面倒くさそうな事は、考えたこともなかったぞ。……潤一(夢実)はわかってたのか?


 ま、まぁいい。今は他に大事なことがある。ねぇちゃんにバレてしまったことは仕方がないが、しかしこの機会をいかさない手はない。


「ねぇちゃん。実はもうひとつお願いがあるんだ」

「なぁに?」

「俺、……じゃなくて私、白石夢実は、野球部に入りたいんだ。頼むよ?」


 そうだ。目の前に居るねぇちゃんこと琴似優先生は、美香保高校野球部の顧問にして監督なのだ。





 その晩、潤一との電話。


「あ……。夢実の日々の生活に関わることについて教えるのに必死で、女性にとって一番大事なことを教えるのを忘れていたね。わかっていたはずなのに。ごめん」

「い、いや。もうだいじょうぶだ、たぶん。それよりも、おかげでねぇちゃんにバレてしまった。すまん」

「そういえば夕食の時、お姉様が僕を見る目がなぜか生暖かいなぁとは思っていたんだけど……。そうか、僕の中身が夢実のだということを知っていたんだね。うーん、何を思われていたんだろう?」

「ねぇちゃんの事だから、男女で入れ替わった俺達をネタにいろいろとあることないこと妄想していたんだと思う。本当にすまん」

「いや、仕方がないさ。夢実があやまることないよ。それにお姉様が僕たちの事情をしっているのなら、僕もいろいろ相談できて助かるし」

「潤一、その『お姉様』ってのやめた方がいいな。本人も、横で聞いている親父も気持ち悪いだろうから、『ねぇちゃん』にしてくれよ」

「そ、そうかな。でも、夢実、……じゃなくて潤一のお姉様だよ。失礼にならないかな」

「大丈夫、大丈夫。ねぇちゃんだから。……それにしても、月一回のこれ、お腹痛くてだるくてつらいんだけど、なんとかならんのか?」

「そればっかりは女の子だからしかたがない。あきらめて。どうしても辛かったらお薬のめばいいよ」


「そうか。はぁ。……くっそー、負けねぇぞ!」


「……強いね、夢実は」


「はっ? お前だってそんな身体になって苦労してるんだろ?」


「夢実には申し訳ないけど、僕は今の環境が楽しくて仕方がないんだ。本当に凄いよ夢実。女の子の身体になっちゃったことも、白石家の人間になっちゃったことも、……僕がイヤでイヤで逃げ出したくてたまらなかったことを全てうけいれて、跳ね返しちゃてるのだもの」


「なんのことかよくわからんが、今が楽しいならそれはなによりだ。これからもその身体をよろしくたのむよ」



 

 

2015.12.28 初出

 


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