10 秘密特訓 その3
「潤一、いくぞ!」
「いいよ、夢実」
潤一が座る。そこから十八メートルほど離れ、俺がセットポジションにはいる。
できる。きっとできる。信じればできるにちがいない。
しかし、まさに投球動作を開始しようとした瞬間、思わぬじゃまがはいった。
「……潤一君、なにやってるの?」
公園前の道路、エコバックに買い物をぶら下げたメガネにおさげの女の子がこちらを見ている。見知らぬ女の子とキャッチボールをしている潤一を睨む。目つきが厳しい。
やべ。ひかるか。そういえば彼女の家、ここからすぐそばだったな。
彼女は十軒ひかる。潤一のいわゆる幼馴染みで、高校も同じ西高。今は野球部のマネージャーだ。
「あ、十軒さん。これは秘密特訓さ」
「特訓? その子と?」
いぶかしげな目で夢実を見るひかる。
「えーと。私は白石夢実です。美香保学園の一年生で、琴似潤一君と同じマンションに……」
「十軒です。……潤一君、野球の練習するなら、野球部のみんなとやればいいじゃない」
おいおいひかる、夢実のこと無視かよ。視線すら合わせないのかよ。何を怒ってるのか知らんが、そんなに俺を敵視しなくてもいいじゃないか。
「あああ、なるほど。そんなことを心配していたのか。ごめん、十軒さん。僕と夢実はそんなんじゃなくて……」
ん? 潤一には、ひかりがなに怒ってるのかわかってるのか?
「ごめん、ってなに? なにを謝ってるの? それに、私の事は『十軒さん』で、その子は『夢実』なんだ」
あー。こうなっちゃうと、ひかるはちょっと面倒くさいぞ。どうする? えーい。こいつは理屈ぽいけど、俺より頭いいし根は優しくていい女だ。きっとわかってくれると信じよう。
「ひかる!」
えっ? 潤一に詰め寄るひかるが、とつぜん名を呼ばれびっくりしてこちらを向く。
「あなた、どうして私の名前を……」
「ひかる。潤一と俺は特訓しているだけだ。だから、頼むから黙ってみていてくれないか。そして、お前の目で、俺のフォームを修正してくれ」
俺の迫力におされたのか、それともお人形みたいな少女がいきなり男言葉をはなすのにびっくりしたのか、とにかくひかるは黙る。納得はしていないようだが。
「わ、わかったわよ」
と、一言つぶやき、ベンチに座る。
うん、いいぞ。それでこそ俺のひかるだ。さて、仕切り直し。セットポジションから、いくぞ。
どうだっ!!
渾身の力をこめたボールが、潤一のミットに吸い込まれた。
球速はまったくない。せいぜい百二十キロくらいか。そんな事は投げる前からわかってる。しかし、要はバッターが打ちにくければいいのだ。
「すごいよ、夢実!」
潤一はニコニコしている。が、こいつは野球経験まだ数週間だ。あてにならない。かわりにベンチに腰掛けているひかるを見ると、……目をまん丸にしていた。
「潤一君のお父さんと同じフォーム? 今時珍しいフォームなのに、どうしてあなたが。それに、球速はお話にならないけど、軟式とはいえ何あの変化。……握りは? 握りを見せて!」
やはり食いついたか。ひかるは潤一の親父のファンだからな。でも、ボールを握る俺のちっちゃい手を、目をギラつかせながらかぶりつきになって観察しているひかるは、ちょっと恐い。本当に食いつかれそうだ。
「へぇ。強いて言えばふつうのピッチャーのスライダみたいな投げ方よね。なのに、あの軌道のボールになるの? なんて器用な。手首が柔らかいって事? ……ねぇ、他の変化球は投げられる? コントロールは良さそうだから、組み合わせによっては通用するかも……」
おお。さすが知識だけは解説者並みの野球オタク女。本性があらわれてきたな。いいぞ。
「どうせその身体じゃ球速は期待できないんだから、バッターからリリースポイントが見えづらいように肘はもっと後ろから落としたらどうかしら。それと、これは私の趣味だけど、右膝が地面とすれるほど上体を落とした方が格好いいと思う」
『趣味』って何だよ。『格好いい』って何だよ。まぁ、確かに親父はよく地面に膝すりながら投げてるけど。
ん、なんだ? ちょっと遠くで黙って腕組んで眺めていた茨戸さん。いつのまにかスーツの上着を脱いで、潤一の隣、バッターボックスに立ってるぞ。
「実は私は学生時代野球やってましてね。皆さんの様子を見ていたら血が騒いじゃって。どうです、バッターがいた方が投げやすいでしょ?」
あ、ああ。確かにそうだけど。
「あーーー、夢実ちゃん。また他校の子と秘密特訓してるの? わたしも混ぜて」
突然停車した黒塗りの高級車のドアが開いたかと思うと、ショートカットの元気な娘が飛び出してきた。一希ちゃんだ。彼女も近所に住んでるのか。
もう秘密特訓でもなんでもなくなったけど、楽しいからいいか。さぁ、特訓だ!
というわけで、やっと野球部に入部です。
2015.12.26 初出
2015.12.27 左右の間違いと誤字脱字をちょっとだけ修正




