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R市市警事件目録

R市市警事件目録 fire

作者: 手羽 サキチ

この小説に登場する人名、団体名、地名はすべて架空のものです。また、内容もすべてフィクションです。


一部放火などの描写を含みます。

挿絵(By みてみん)

2月19日 9時

R市市警刑事課の第三会議室にはリチャード警部率いるR市市警刑事課第2班の刑事たちが集められていた。会議室には二人一組で座る折り畳み式の長机が並び、壁には味気ないデザインの時計が掛けられている殺風景な部屋だ。シズカは一番後ろの席に腰掛けた。会議室の後ろのドアからコンビを組んでいる先輩刑事のレオンが上着を片手に部屋に入り、シズカの隣に座った。会議室の時計は9時1分を指している。1分の遅刻だとシズカは思った。レオンは1分2分の遅刻が多い。本人が言うには低血圧で朝は苦手だそうだ。リチャード警部はレオンが到着したのを見て中央の机の前に立った。

「全員揃ったから始めよう。昨夜午後21時30分にB区×番地の空き家で火事が起きた。通報により消防が出動したため延焼もなしで負傷者もいなかった。そして、現場からは数本のマッチの燃えカスが落ちていた。よって、放火と考えて間違いないだろう。また、2月10日にも昨日の現場より600mほど離れたごみ捨て場で21時20分にぼや騒ぎが起きている。よって市警は連続放火事件として捜査本部の設置を決定した。捜査を担当するのは私たち刑事課第2班だ。」

リチャード警部の言う通り、2月10日にB区の住宅街のゴミ捨て場でぼや騒ぎが起きていた。その時も付近の住民が発見し、すぐに消火されていた。同一犯による犯行だと仮定してこれ以上犯行を野放しにしていればいずれ負傷者や死者が出る可能性もある。だからこそ捜査本部を設置したのだとシズカは思った。A国R市市警では1~10班の刑事課のチームが存在し、ローテーションを組んであらゆる種類の刑事事件を扱うシステムが採用されている。同じ種類の事件を扱い続けることによる心労や考えの偏りを防ぐためにそのような方法が取られている。従って、扱う刑事事件は多岐にわたる。更にリチャード警部は言葉を続けた。

「…そして、気になる点が一つある。二つの事件の通報者は声紋鑑定の結果、同一人物である可能性が高いそうだ。通報者は身元を名乗らなかった。いずれも二つの現場から近いB区の××公園の付近の公衆電話から掛けられていたと判明した。今からその音声を聞いてもらう。」

「…あの、××番地の青い家のゴミ捨て場の近くで、火事が起きている。早く消防車を呼んでくれ。」

これが一本目の通報だ。

「…××番地の空き家で火事が起きてる。消防車を早く、呼んでくれ。」

いずれも10代くらいだろうか、少年の声だった。

スパイクが声を上げた。

「…犯人は自分で放火し、通報を繰り返しているということでしょうか?火が広がらない内にすぐに通報しているのは不自然です。」

確かに2件の事件の通報者が同じなら、スパイクの言う通り、自分で火を点け、自分で通報しているかもしれないとシズカは思った。

「いや、単なる偶然かもしれない。だが、その人物は事件や犯人を目撃している可能性がある。今日は皆に現場周辺で情報収集と通報者の特定に当たってほしい。以上だ。」

刑事たちは了解、と返事をした。


2月19日 11時

リチャード警部率いる8人の刑事たちはワゴン車とセダンでB区の郊外にある犯行現場まで向かい、有料駐車場に車を停めた。リチャード警部は駐車場でそれぞれの聞き込みの分担を指示した。レオンとシズカは二つの現場から近い中学校での聞き込みを割り当てられた。通報者の声をシズカは思い出した。この付近には1校の中学校と1校の高校がある。通報者の少年はこの2校のどちらかに通っているかもしれない。

「おい、シズカ。さっさと行くぞ。」

レオンはそう言うと中学校の方向へ歩き出した。シズカは返事をしてレオンと並んで歩き出した。道路には昨日降った水っぽい雪が泥に変わっていた。犯人は、雪の中で何を思って空き家に火を放ったのだろうか。犯行時刻はいずれも21時30分付近だ。犯人が通報の少年だとすれば、子どもが外を歩くには少し遅い時間帯だとシズカは思った。

「先輩、通報者の少年どう思いますか?」

するとレオンはあくびをしてから返事をした。

「まだ何とも言えないんじゃないか?犯人とは断定できない。ただ二回とも火が放たれたのを見てすぐに消防を呼んでいるとすればすごい偶然だ。」

「すごい偶然は、必然かもしれませんね。」

「ああ、そうかもな。いずれにしても、通報した少年の特定は必須だ。お、中学校が見えてきたぞ。」

校門付近にはコートを着た学生たちが歩いていた。シズカは不思議に思った。時刻はまだ11時だ。下校には早すぎるだろう。レオンは校門から出てきた二人組の女子学生に手を振り、声を掛けた。

「こんにちは。俺はR市市警の刑事のレオンでこっちはシズカ。君たちに少し聞きたいことがあるんだけど、時間大丈夫?」

レオンは二人の女子学生に黒い警察手帳を見せた。赤毛のそばかすがかわいらしい少女が目を輝かせた。

「本物の刑事さん?私、刑事ドラマ大好きだから本物に会えて嬉しい!毎日再放送見てるんだ。今日は期末テストの1日目だから早帰りなの。いいわよ。私、カナっていうの。ね、いいでしょメール。」

するとカナはレオンとシズカに手を差し伸べて一回ずつ握手をした。レオンは笑顔でカナと握手をしていた。メールと呼ばれた黒髪の三つ編みの少女はええ、と返事をした。なるほど、期末テストで中学校は早帰りなのだ。

「まず、この中学校の付近の二か所で火事が起きたのを知ってる?」

するとカナが頷いた。

「ええ、昨日は塾のテストでイライラしてたのにサイレンがガンガン鳴っててすっごくイライラしたの。で、私放火した犯人、分かってるかもしれないの。」

シズカは思わず自分の耳を疑った。犯人が分かっているかもしれないと確かにカナは言った。

「それは、どういうことですか?」

シズカはそう尋ねた。

「きっとキースによ。あいつ、うちのクラスの不良よ。あいつだったら夜もウロウロしてるの見たことあるし、前に万引きで捕まってるし。小学校の時には校庭で火遊びして怒られたことあるのよ。それがエスカレートしたんじゃない?」

するとメールが茶色のコートを着たカナの肩をゆすり、カナをにらんだ。

「ちょっと、カナ。キース君が犯人だなんて言いすぎよ。」

「メールはそう言うけど、メールが2年生の時に学級委員長としてキースに毎日あいさつしてたけど、あいつ無視してたじゃない。そんな冷たいやつかばう必要ないわよ。」

シズカはメモ帳に二人の証言をメモした。次々とよくしゃべるカナはシズカの交通課の元同僚で友人のエリ―にどことなく似ているとふと思った。カナは不良のキースが犯人だと言っている。もう少し話を聞く必要がありそうだ。

「そのキース君はどういう子なのかな?」

レオンが再び尋ねた。

「ああ、キースは私たちと同じ3年生で今は違うクラスなの。小学校の頃から手が付けられないくらい乱暴で、5年生の時校庭で新聞紙燃やしてたのよ。火事になる前に先生がバケツで水掛けて拳骨で殴ってたけど。中学校1年生の時近所のバカ高校の不良とつるんで一回万引きして補導されたの。最近は大人しくしてたけどね。」

するとメールが口を開いた。

「…カナ、もうその辺にしておきなって。すみません、私たち受験生で勉強しなくちゃいけないんです。それじゃあ失礼します。」

するとメールはカナのコートの袖を引っ張って歩いて行った。

「…キース君が事件に関係していると考えるのは尚早じゃないでしょうか。」

「いや、だが小学校の時に火遊びをしていたって話が気になる。もう少し探ってみよう。」

レオンはそう言い、校門を通りかかった男子生徒に声を掛けた。その少年は黒髪で眼鏡を掛けているまじめそうな子だ。少年はレオンを見て少し後ずさりした。シズカは前に出て、警察手帳を見せた。

「私たちはR市市警の刑事です。このあたりで発生している放火事件について捜査をしているんですが、何か知っていることがあれば、教えてくれませんか?」

すると少年は頷いた。

「…僕は、リックといいます。3年生です。ぼや騒ぎの時は、数学検定の帰りで消防車が来ていたのを覚えています。…それ以外は知りません。」

レオンが腰をかがめてリックに視線を合わせた。

「君と同じ学年にキースっていう子がいるでしょ。あの子について何か知っていることない?」

「キース、あいつは怖いやつです。授業中に暴れたりしていました。…僕も小学校の時に突き飛ばされたことがあります。あ、そうえいばぼや騒ぎの時に走ってるキースとすれ違ったんです。急いでるみたいで、走って行きました。」

「キースはどの辺を走っていた。」

「えっと、公園の方から走ってきました。」

「分かった。ありがとう。」

レオンはそう言った。するとリックはそそくさと鞄を抱えて去って行った。ぼや騒ぎの時にキースは公園の方から急いで走っていた。もしかして、事件の時に2回とも消防に通報した少年はキースかもしれないとシズカは思った。公園の近くの公衆電話で通報し、走って逃げたとしたら。レオンが真剣な顔でスマートフォンを取り出し、リチャード警部にキースの情報を伝えていた。おそらく聴取に出ている刑事全員でキースについて調査するのだろう。しかし、本当にキースは犯人なのだろうか。決めつけてしまうには少し早すぎるのではないかとシズカは思った。


2月19日 18時

市警の第三会議室には聴取を終えた8人の刑事たちが並べられた長机に座り、中央の机の前にリチャード警部が立っていた。

「よし、それでは聴取の結果を話してもらおう。」

するとスパイクがまず立ち上がった。

「私たちの聴取の結果では、昨夜通報の発信源だった公衆電話で金髪の××中学校の制服を着た少年が電話を掛けている様子が近くを通りかかった会社員の男性に目撃されています。」

次にトムが報告を始めた。

「キースという少年は近所の住民の女性によると、小学校の頃から素行が悪く、友達とトラブルを起こしたり、塀に落書きをしたりしていたそうです。父親は印刷会社に勤めるサラリーマンで母親はスーパーでパートとして働いています。歳の離れた大学生の兄がいて現在一人暮らしをしていて家を出ているそうです。」

三番目にジャックが立ち上がり、銀縁の眼鏡のつるを押さえた。

「キースは中学1年生の頃に高校生の不良グループとつるんでいたそうですが、昨年に縁を切ったそうです。制裁を受けて血まみれで倒れていたキースの姿を見たと同級生の少年が証言していました。」

最後にレオンが立ちあがり、今日の聴取の内容を発表し、中学校で入手した卒業アルバムのために撮影したキースの写真を掲げた。彼の髪は金髪だ。

リチャード警部は頷き、顔を上げた。

「すると、会社員の男性が目撃したのはキースかもしれないな。その時間帯に金髪で××中学校の制服を着た生徒はそう多くないはずだ。明日、彼に任意で事情を聴取しよう。今日は解散だ。」

刑事たちは会議室から次々と出て行った。レオンはこの事件は意外と早く解決しそうだと思った。キースは事件現場付近で急いで走っていた。そして公衆電話で通報したのもキースである可能性が高い。だとすれば、自分で放火し、通報する。そして現場から走り去る。そして素行も悪く小学校の時に火遊びもしていた。キースが犯人で、まず間違いはないとレオンは思った。シズカは立ち上がり、リチャード警部に歩み寄った。

「警部、キースを任意同行する前に、一つ確かめたいことがあります。時間外の聴取を認めてください。」

リチャード警部はシズカの目をまっすぐ見ている。

「まずは理由を聞こう。話してくれ。」

「一件目の事件の日は2月10日です。その日は数学検定があったとリックという少年が証言しています。そして、二件目の事件の日は2月18日。その日は塾のテストがあったとカナという少女が証言しています。だとすると、テストのストレスで、犯人は犯行を繰り返した。そう考えられませんか? だから、学習塾で調べたいことがあります。それに、キースは去年不良グループと縁を切っているんですよね。それは回心したいと思った証拠じゃないでしょうか。その少年が今年になって放火するのは不自然です。」

するとリチャード警部は顎に手を当てて少し考えた後、頷いた。シズカの仮説は少し乱暴だとレオンは思った。だが、シズカはキースを一方的に犯人と決め付けることが気に食わないのだろう。シズカの思考にはそのような傾向がある。そして関係者の心を開くこともできるのはシズカの長所だ。

「現状ではキースが犯人である可能性は高い。いずれにしても明日彼を任意同行するという結論は変えられない。だが、君は事件の日付と犯行日が一致していることが気になっているのか。分かった。行ってきなさい。レオン、君も一緒に行ってくれ。うちの班は二人一組の行動が原則だ。」

シズカが振り向き、お願いしますと言って一礼した。レオンはすぐに帰らなかったことを少し後悔した。


2月19日 19時

シズカとレオンは1時間掛けて朝から聴取を行っていたB区の××中学校の近くまでシズカの運転で戻った。二人は有料駐車場に車を停め、駐車場に下りた。辺りはすっかり暗くなり、空には星が見えた。

「今調べたんだけどこのあたりに学習塾は一軒ある。サンライズ学習塾だとよ。ここから近い。」

レオンはそう言うと歩き出した。シズカも返事をしてレオンの横を歩いた。

「お前さあ、犯人が塾のテストでイライラして放火してるって考えの方が暴論じゃないの?」

「だけど二件の事件の日付はぴったり重なっています。そしてカナさんとリック君の証言と照らし合わせるとテストが終わった後に放火が行われている。それにキースは去年暴行を受けてでも不良グループから抜けたっていう証を聞いて疑問に思ったんです。そんな子が今年になって放火するでしょうか?」

レオンは深くため息をついた。

「不良グループを抜けたのも、気まぐれかもしれない。それこそ偶然放火の日が重なっただけかもしれない。どっちにしたって明日にはキースを任意同行するんだ。それまでは黒か白かは分からないだろう。」

「だからこそ、明日までに調べたいんです。」

レオンはここだ、と言い足を止めた。そこには2階建ての建物があり、サンライズ学習塾という看板の文字が白く光っていた。教室の前には数台の自転車が停められていて、窓からは蛍光灯の白い光が煌々と漏れている。シズカは学習塾のドアを開いた。建物の入り口には事務室と書かれた部屋がある。また、長い廊下があり、たくさんのドアが見えた。おそらくこの一つ一つの部屋で授業が行われているのだろう。レオンがドアを閉めると、事務室の部屋の中から中年の女性が顔を出した。

「あの、何か御用ですか?」

シズカが上着から警察手帳を出して見せた。

「R市市警の刑事のシズカと申します。放火事件の捜査でこちらの塾でお聞きしたいことがあるのですが、よろしいですか?」

すると女性は不思議そうな顔で頷いた。

「はい、いいですけど。どうぞ、こちらに。生徒たちは授業中ですので。」

女性はそう言うとシズカとレオンを事務室の中に通し、低いテーブルの近くにある椅子に座るように促した。シズカとレオンはその通りに椅子に腰掛け、紅茶を淹れて二人の前に置いた。シズカはありがとうございますと礼を言った。女性もレオンとシズカの向かい側の椅子に座った。

「ここの塾の生徒で2月10日に数学検定を受験し、2月18日にテストを受けている生徒を教えていただけますか?」

シズカは本題を切り出した。すると女性は立ち上がり、グレーの机に置かれたパソコンを操作した。

「ええ、確かに2月10日は数学検定の2級を実施しました。そして2月18日は入中学3年生向けに入試対策の試験を実施しました。ちょっと待ってくださいね…確か2級は高校生向けだから…受けた中学生は…ああ、いました。2名です。」

女性はその2名の名をシズカとレオンに教えた。自分の仮説に従うならば、その二人のどちらかが犯人だ。そして、キースとの接点があるのは、あの子に間違いないとシズカは思った。


2月20日 7時

シズカとレオンはリチャード警部の指令でB区にある一軒家の前に来ていた。家の白い壁は少し汚れてくすんでいる。狭い庭には植物の鉢が6個ほど置いてあった。冬を迎えて枯れたままにしているのだろう。レオンは庭を通り、インターフォンを押した。すると、中からエプロンを着た恰幅の良い中年女性が現れた。レオンは警察手帳を取り出した。

「R市市警の刑事のレオンと申します。息子のキース君に一昨日の放火事件についてお聞きしたいことがあるのですが、息子さんご在宅ですか?」

するとキースの母親は驚きの表情を浮かべた。不良息子に警察が尋ねてきたのだ。ついに、なにかやったのだと思っているのだろう。この反応は当然だ。

「…息子が、何かしたんですか?」

レオンの横にいたシズカが前に出た。

「いえ、少し事情をお聞きしたいだけなんです。私たちはキース君を逮捕しに来たわけではありません。ただ、任意でお話しを伺いたいんです。」

するとキースの母親は分かりました、と言うと玄関から見える階段を上がって行った。3分ほどすると、中学校の詰襟の学生服を着た金髪の少年が母親に手を引かれ、歩いてきた。

「キース、刑事さんに嘘をついちゃだめよ。ほら、行ってきなさい。」

するとキースはシズカとレオンを切れ長の目でにらみつけた。

「ああ、じゃあ嘘つかねえよ。だって、放火したのは俺だからな!」

「なんですって!?」

するとキースの母親はその場で崩れ落ちた。シズカはその体を支えている。キースは逃げる様子もなくポケットに手を突っ込んでいた。キースの声は、通報の声と非常に良く似ていたようにレオンには思えた。

「まあまずは市警本部に来てもらうよ。話はそれからだ。」

レオンはそう言った。キースの母親は立ち上がり、キースに掴みかかった。シズカは急いでキースの母親を押さえた。彼女の目には涙が浮かんでいた。

「この馬鹿息子!あんたはついに人様の家に火を点けて人を殺そうとしたのね!一生刑務所に入って反省してなさい!」

「お母さん、落ち着いてください。」

シズカはキースの母親を宥めた。レオンはキースの手を引き、家を出た。シズカはキースの母親に一礼すると後に続いた。

「俺がやったんだよ!だから、さっさと刑務所でも少年院でも連れてけよ!」

レオンは黙ってキースの手を引いた。逮捕状が出ていない以上手錠を掛けるわけにはいかない。キースは自分が犯人だと言い張っている。だが、昨日の塾の聴取でシズカは違う人間が犯人かもしれないと言った。この状況をシズカはどうやって覆すつもりなのだろうか。


2月20日 8時30分

R市市警本部刑事課の第1聴取室の椅子にはキースが座っていた。机を挟んだ向かい側にはシズカが座っている。窓のブラインドは上げられており、窓からは青空が見える。聴取室にはレオンと記録係のラッセルが入っていた。

「これから個人ナンバーR39409年齢15歳キースの聴取を開始します。あなたには黙秘する権利、弁護士を呼ぶ権利が認められています。」

キースは黙って灰色の壁を見ている。

「まず、2月10日と2月18日にB区×番地付近で起きた2件の火災を通報したのは、あなたですか?」

「ああ、そうだよ。俺が火を点けて公衆電話で通報したんだ。」

キースはシズカの目を見ようとしない。

「分かりました。それでは、2月10日の火災の状況を話してください。」

「2月10日に家の近くの青い家の近くのゴミ捨て場にライターで火を点けたんだ。火はみるみる広がって、でも死人が出たらまずいと思って公園まで走って通報した。大騒ぎになって、そこそこおもしろかったから次は誰もいない空き家を狙った。」

シズカは少し体を前に乗り出した。キースは反射的に椅子を引いた。

「あなたはどの道具で火を点けましたか?」

「だから、ライターだって言ってるだろ。」

「おかしいですね。現場検証の結果、現場にはマッチが残されていました。」

するとキースは机に拳を叩きつけた。

「それは、忘れてたんだよ!それにマッチでもライターでもどっちでもいいだろ!」

「どっちでも良くないです。あなたは放火に使われたのがマッチだと知らなかった。」

シズカはそう言い放った。シズカは確信した。やはり、キースは犯人ではない。

「キース君、あなたは1年前に不良グループを抜けていますね。その際に暴行を受けた。その理由を教えてください。」

するとキースはシズカを睨みつけた。

「何となくだよ。あいつらと一緒にいるのが飽きたんだよ…」

「もう一つ。その時期にあなたは学級委員長のメールさんにあいさつをされるようになりましたよね。その時期にあなたは不良グループを抜けている。」

するとキースの手が震えた。

「あなたは幼いころから両親や学校に反発していた。だから、メールさんが自分に毎日あいさつをしてくれたのをきっかけにあなたの中で何かが変わったんじゃないでしょうか。だから、不良グループを抜けた。」

キースは首を横に振った。

「違う!俺が放火したんだ!俺がやった!お前に何が分かるっていうんだよ!」

キースはそう言うとシズカの胸ぐらを掴んだ。キースの強い力でシズカの深緑色のコートが引っ張られた。レオンがキースを押さえつけた。シズカは椅子に座り、キースの目を見た。彼の目尻には、涙が浮かんでいた。

「あなたは、誰かをかばって嘘の証言をしている。違いますか?」

隣にいたレオンが口を開いた。

「場合によっちゃ君も偽証罪に問われるよ。」

キースは手を強く握りしめていた。

「キース君、話してもらえませんか。あなたが仮にあなたが庇っている人の罪を被ったとしてもその人のためにはなりません。それに、その犯人を捕まえないと犯人はまた放火を繰り返すかもしれません。二件の放火では幸い死者や負傷者は出ませんでした。ただ、一歩間違えれば死人が出ていたかもしれない。犯人を今逮捕して犯行を止めなければ、今度は犠牲者が出るかもしれないんです。そうしたら、その人は放火殺人犯になります。」

するとキースは顔を上げ、シズカの顔を見た。

「…あなたが何を見たのか、教えてください。犯人がこれ以上罪を重ねないためにも、その人を救うためにも。」

シズカはキースの目をまっすぐ見た。

「…本当に、助けてくれるんだな。俺が話せば、もう誰も傷つかなくて済むのか?」

キースは腕で目をこすり、涙を拭いた。シズカは頷いた。

「はい、約束します。」


2月20日 14時30分

レオンとトムはB区の事件現場から近い3階建ての一軒家の前に来ていた。建物は真新しく、壁は煉瓦で覆われている。庭は広く、一匹のシェパードが繋がれていた。二人が門の前のインターフォンを押すとシェパードが吠えた。ドアが開き、一人の痩せた中年女性が現れた。

「あの…我が家に何か?」

トムは白い紙を取り出し、女性に見せた。

「お宅の娘さん、個人ナンバーE35860、年齢15歳メールに重要参考人としてR市市警までご同行願います。娘さんはご在宅でしょうか?」

すると女性は細い眉を吊り上げた。

「あなた、失礼じゃありません?いったい何のつもりなの、家の娘が警察に世話になることは何もないわ!来月は受験を控えているのよ。」

シェパードがメールの母親の足元に体を寄せた。

「ええ、ですが娘さんにはこの近辺で起きた連続放火事件についてお話しを伺いたいんです。もっともこの令状には法的効力がありますから首に縄を付けてでも娘さんを連れて行きますよ。」

トムは冷たく言い放った。すると家のドアが再び開き、黒髪の三つ編みの少女、メールが現れてレオンたちの方へ歩いてきた。レオンはメールに手を振った。レオンの方を見たメールの顔が真っ青になった。メールは右手で左手を胸の前で押さえた。

「メールさん、昨日はどうも。なんで俺達が来たか、分かるでしょ。」

レオンはメールに話しかけた。メールの母親はメールの肩を抱きしめた。

「ね、メールちゃん、あなたが放火したなんて、嘘よね。いいわ、今すぐ弁護士を呼んで冤罪事件で訴えるから安心していいのよ。」

するとメールは母親の手を振りほどき、レオンとトムを睨みつけた。

「はい、分かっています。…私が、私が火を点けたんです…」

するとメールの母親は真っ青になり唇はわなわなと震えはじめた。レオンはメールの背に手を掛け、彼女を家の近くに停めてあった市警のワゴン車に乗せた。メールの背からレオンの手に微かな熱が伝わった。この、細い体の小さな少女がゴミ捨て場と空き家に火を点けた。その事実が、レオンはすんなりと受け入れることができなかった。背後からメールの母親の叫ぶ声が聞こえた。


2月20日 15時30分

シズカの目の前にはメールが座っていた。メールはうつむき、三つ編みの二本の房がグレーの机の上に触れている。シズカはメールの黒い瞳を見た。

「…あなたは2月10日21時20分にB区×番地のゴミ捨て場にマッチで火を点けた。…間違いありませんか?」

シズカは優しく語りかけた。

「…はい、そうです。」

メールは素直に返事をした。

「2月18日21時30分にB区の×番地の空き家に放火した。」

「…はい。」

メールは黙っていた。このか細い少女が、どうして放火を繰り返したのだろうか。シズカの予想した通り、彼女はテストのプレッシャーから放火を行ったのだろうか。不安定な思春期の少女が放火を行うケースは少なからず存在するとシズカは本で読んだことがある。だが、それだけで片づける訳にはいかない。

「メールさん、あなたはどうして火を点けたんですか?そして、あなたは人が少ないゴミ置き場と空き家に放火している。その理由を教えてください。」

するとメールは膝のスカートを握りしめた。

「…テストが、怖いんです。テストを受けると、私はたいていいい点数を取ります。98点とか、97点とか。そうすると、次も同じようにいい点数を取ることを期待されます。親だけじゃなくて、親戚にも、学校の先生にも、友達にも。3年生になって受験が始まって、だんだんその期待が苦しくなって、重くなって、検定とか、模試の度に心臓が潰れそうになりました。」

メールは周囲からの期待で押しつぶされそうになり、それが重荷になっていたのだろう。シズカは黙って頷いた。受験のプレッシャーはシズカにも経験がある。先の見えない不安、もし不合格になったらと考えるマイナス思考に押しつぶされそうになる。シズカ自身も大学受験で第一志望の国立大学に落ち、私立大学に進んだ。

「…高校受験では海外の名門大学の付属高校へ進むように言われました。例え試験に合格したとしても、海外で一人で生活するほど私は強くありません。だけど、学校と親の間でどんどん話が進んで、私は何も言えなくて、嫌だって、言えなくて…3月には入学試験がありました。そして、2月10日に数学検定を受けた帰りにゴミ置き場の前を通りました。その時、ふと思ったんす。ここに、火を点けようって。その衝動に突き動かされて、マッチで火を点けました。マッチは学校の理科の実験で使ったものをそのまま持っていたんです。火がゆっくりビニール袋を溶かして、広がりました。その炎を、私は見ていました。すぐに消防車のサイレンが鳴り、私はその場から逃げました。その夜は一睡もできませんでした。そして、次に塾のテストの帰りに一軒の空き家の前を通りました。いや、空き家に行きました。その時も、テストが終わった時にどきどきが止まらなくて、衝動に突き動かされました。その中に入って私は誰も人がいないことを確認して、マッチで火を点けました。そして、その場を離れました。その時もすぐに消防車のサイレンの音が聞こえました。」

「…メールさん、あなたにはご両親や周囲の人から一方的に期待を掛けられ、そのストレスで放火をしてしまったんですね。」

するとメールはか細い声ではい、と答えた。

「メールさん、あなたはとても辛い思いをしていましたね。そして、あなたの心は壊れてしまった。あなたは人がいないゴミ置き場や空き家を狙って火を放ったと言っていましたよね。」

「…はい、でも、誰も死ななかったですよね…」

「それは、偶然です。ゴミ置き場から隣の家に火が燃え移ったり、空き家の中に誰かが寝起きをしていたり、火が広がれば、誰かが死んでいたかもしれないんですよ。そうすれば、あなたは放火殺人犯です。例え、どんな理由があったとしても放火は許されない犯罪です。」

おそらく追い詰められたメールは放火すれば火が燃え広がり、延焼するという当たり前の判断が出来なかったのだろう。メールの黒い瞳にじわじわと涙が浮かんだ。

「ごめんなさい…もし、誰かが死んでいたら…そんなこと、考えなかった…」

メールの顔が青ざめた。もし、誰かが死んでいたら、それを考えて今になって強い恐怖を感じたのだろう。そして隣家への延焼が無かったのはメールが放火したのを見てすぐに通報していたキースのおかげだ。キースはメールが放火したと知っていた。彼女の罪を被ろうとしていた。彼は自分に笑顔で毎日あいさつをしたメールに恩を感じていた。そのことで彼の心は少しずつ変化し、不良グループを自らの意志で抜けたのだ。

「あなたはその罪を償わなけれななりません。大丈夫、もう一度やり直せます。」

シズカは立ち上がり、メールの横にしゃがみ、彼女の背をさすった。

「…はい…でも、もう私は…犯罪者です…それは、一生、変わらない…」

「あなたは去年学級委員を務めたときにキース君のことを気にかけていたそうですね。」

「…はい。一人でいたから、気になっていました。」

「それからキース君は不良グループを抜けています。キース君はあなたのあいさつで変わることが出来た。あなたは、本当はとても優しい子です。…だからこそ、無理をしてしまう。本当はもっとたくさん我がままを言って良かったんです。海外の高校に行きたくないって言って、お母さんとお父さんをもっと困らせて良かったんです。あなたは、まだ子どもなんだから。」

メールの目からはぽろぽろと大粒の涙が次々と零れ落ち、膝のスカートに落ちた。シズカはメールの背を撫でた。

「ごめんなさい…ごめんなさい…」

メールの泣きじゃくる声だけが聴取室に響いていた。


2月20日 17時

メールの身柄は拘置所に移された。彼女は家庭裁判所で裁かれることになるだろう。レオンは第一聴取室のドアを開けた。椅子にはキースが座っている。スパイクがキースの向かい側の椅子に座り、キースに語りかけた。

「メールがすべて放火事件は自分の犯行だったと自供した。だから、君は無罪だ。今回は君がメールさんを庇おうとして嘘の証言をしようとしたことは罪には問わない。ただ、警察に嘘を吐けば逮捕されることになることは覚えておくんだな。」

「…メールは、どうなるんですか?」

キースはそう尋ねた。

「家庭裁判所で裁かれるよ。裁判所の判断は私には分からない。ただ、君は間違いなくメールを救った。君が証言をしなければ、メールは再び放火を繰り返し、今度は殺人罪にも問われかねなかった。誰が何といおうが君が勇気を持って証言したことを私は正しい行動だったと思う。」

スパイクはそう言った。するとキースの目から涙が零れ、キースは腕で涙を拭いた。スパイクは大きな手でキースの頭を乱暴に撫でた。

「おいおい、男がそう簡単に泣くもんじゃない。」

スパイクはそう言って笑った。聴取室の扉が開き、キースの母親が入ってきた。事情はラッセルから説明してある。キースの母親はキースを抱きしめた。

「…よく頑張ったね、キース。あんたにも優しい気持ちがあるって、よく分かったよ…お兄ちゃんと比べてあんたの良いところを見ようとしなかった、ごめんね…お母さんを許してね…」

「離せよ、母ちゃん!」

キースはくすぐったいように母親を押しのけた。傍で見ていた情に厚いスパイクも涙ぐみ、ごしごしと涙を腕で拭いていた。


2月21日 16時

R市市警刑事課第2班の刑事たちはメールを起訴するための書類作成を終え、捜査本部は解散した。刑事たちは一人、二人と自分の机で荷物をまとめて帰って行った。シズカは家に帰る前に、屋上に向かった。屋上のドアを開けると風が吹いた。屋上の古い金属のベンチに座るレオンの姿が見えた。シズカはレオンの隣に座った。

「お疲れ様です、先輩。」

「ああ、今回はお手柄だったな。お前の暴論で事件は2日で解決した。」

「ありがとうございます。…もし、メールさんが心を痛めて放火をしてしまう前に誰かにSOSを伝えたり、誰かがメールさんの異変に気付いたりしていれば彼女が犯罪に手を染めることは無かった。それに、もしキース君や友達のカナちゃんに話すことだできていればって思うと…やりきれないです。」

レオンは大きくのびをした。屋上からは青空に白い雲が流れている。2月ももう中旬を過ぎ、日は少しずつ長くなっている。

「最近は大人しい聞き分けの良い子どもが多いからな。キースの反抗は少し大げさだけど反発したり、親とケンカしたりする子よりも、ストレスを溜めこんで突然爆発する方がずっと怖いと俺は思うね。」

「そうですね。メールさんも衝動に突き動かされたって言っていました。彼女は渦巻く不安を自分の中に抑圧していました。だけど、それがいっぱいになってしまった。」

「大人しくて聞き分けの良い子が皆メールと同じ破裂しそうな風船を抱えていると思うと恐ろしいな。」

レオンはそう言うとポケットから煙草を取り出し、ライターで火を点けた。レオンの言う通り、誰しもがストレスや不安をためこむ風船を持っているのかもしれない。

「受験生たちに、良い春が来ると良いですね。」

「ああ、落ちたって受かったって人生が終わるわけじゃない。」

レオンはそう言うと煙草を咥えたままにやり、と笑った。もう時期春が来る。鳥の群れがビルの谷間を飛んでいった。シズカ自身も大学受験には失敗したが、今こうして元気に生活している。そうだ、生きている限り必ず希望はある。そして道を誤ったメールも罪を償い生き直すことが出来るはずだ。シズカは改めてそう思った


ありがとうございました

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