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28(嫌気)

「誰?」うつむいたまま少女が訊いた。

 岸辺はロッドをベルトに差し込み、云った。「たぶん君と同じ」

「何が?」少女が顔を上げた。頬に泥がついている。岸辺は少女の隣に、スラックスが汚れるのも構わず尻をついて座った。「逃げてきた」

 そんなんじゃない、と小さく少女は口にした。「昨日、電話、借りた人?」

「うん。電話、借りた人。たぶん君が抱えているそのまるいのが、」

「カナミ」

「そう。そのカナミを探していたんだ」

 少女の瞳に強い警戒の色を見て、岸辺は慌てて語を継いだ。「過去形。今は違う」

「なら、何?」

 カナカナと、どこかでセミが鳴いていた。

「君を探すよう、君の叔母さんに頼まれた」

「なんでしーちゃん……叔母さんは来ないの?」

「来れないんだ」カナミを指さし、「この子が問題でね、今、捕まってる」

「どうして?」今度は不安に駆られた瞳。「しーちゃん何もしてないよ、何もしてないのにどうして捕まってるの?」

 岸辺は不用意な言葉を口にしたことを悔いた。「ちょっと語弊があった。家から出られないだけで何かされているわけでない」

「なら、わたしが帰ったら叔母さん、どうなるの?」

「元の生活に戻れる」

「カナミは?」

 嘘を云ったところで意味はない。岸辺はゆっくり答えた。「取り上げられる」

「しーちゃんもカナミも何もしていないのにどうして? 悪いのはわたしなのに、どうしてわたしだけ怒られないの? どうしてわたしじゃないひとが嫌な目に遭ってるの? カナミを見つけて、カナミを連れ出したのはわたしなのに、」

「君は罰せられたいの?」

「だって、……悪いのはわたしだもの」

「そうだろうか」

 少女はきゅっと唇を噛んで、今にも泣き出しそうな顔をした。岸辺はどうしたらいいのか分からなくなった。しかし口は勝手に動いていた。「ぼくは昨日、上司に云われてここへ来た。探し物。見つかるとは思ってなかった。ただのお題目だよ。時間潰し。予算の消費。なんでもいい、とにかくそんなことが仕事なんだ。今日はあすこ行って来い、はい分かりました。明日はあすこだ、はい分かりました。今日は何もないから古い報告書でも整理して。終わらない? 適当でいいから。明日でもいいから。終わったら困るから」ふぅと、一息。「万事がそんなものだ」

「変な仕事ですね」わずかながらも少女が微笑んだように感じた。

「そう。変な仕事だ。誰のためか何のためか。だけど今、ここへ来たのはぼくの意思だ」

「……どうして?」

「さぁ、」しかし、どうしたことか素直に答えられた。「云われたことだけするだけの仕事なんて嬉しくもない」

 少女は伸ばした足の、泥のついたつま先に目をやった。「しーちゃんが、叔母さんがいってたけど、出来ない仕事なんてひとつもないけれども、やりたくない仕事はあるんだって」

「叔母さんはやりたくない仕事はどうするんだろう」

「やらないんじゃないかな」

「たぶん、やるよ」

「イヤなのに?」

「それが仕事だから」

「仕事って面白いの?」

 その質問は難しく思えた。岸辺は首を振った。「ぼくはたぶん、その質問に対して適切な回答ができない」

「おじさんはカナミを捕まえるの?」

「君とカナミをだよ」

「イヤだよ」

「そうだね。ぼくもイヤだ」

「でも仕事なんでしょ?」

「だからその仕事に嫌気が差したんだよ」

 カナカナと鳴くセミの声に割り入るように、ひううっと長く息を吸い込むような音がして、一拍の後、空が破裂した。花火だった。

 ドーン、ドーン、と空気を震わせ、腹にずしりとくる爆発音が無性に心地よかった。岸辺は愉快に思った。あの怖いお兄さんが手引きしたに違いない。六課は出し抜かれたのだ。

「いい目くらましだ」少女に微笑みかけ、彼女の腕の中の球を見て、「でも、この子たちの仲間には誤解はされたくないな」

「大丈夫です」穏やかに少女は云った。「だって、こんなにきれいだから」

 確かに暮れかけた空に咲く大輪の火の花は美しい。風に乗って火薬の匂いがする。なかなか田舎もいいものだ。その時、目の前が光り──ひとりの女が立っていた。

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