そして俺は中指を立てた
どれだけ時間が経ったか分からないが、俺は牢屋の外に出た。ジジイが言うには、買い手が見つかったらしい。
どんなところに売り飛ばされたのか聞
くのも恐ろしいが、何はともあれ久しぶりのシャバである。
窓が無いのはおかしいと思っていたが、牢屋があったのはどうやらちかしつだったらしい。ボロボロの階段を登り、恐らくジジイの家であろう、散らかった小屋から出る。
久しぶりに嗅ぐ外の匂い。
周りには何もない草原が広がっている。このジジイはこんな場所で、たった一人暮らしているのだろう。
遠くから、地鳴りを鳴らしながら馬車が近づいてくる。
どうやらこの世界には車や電車などの技術は発展していないらしい。数日牢屋で過ごした経験から、恐らく、この世界では「科学」ではなく「魔法」が発達したのであろうことはわかった。
ジジイは夕飯を運んでくるときにも杖で足元を照らしていたし、さっき通った家の中にも電球のようなものは無かった。古びたランプがひとつ、ポツンと置いてあっただけだ。
魔法で出来ることはわざわざ違う力で行うことはない、ということなのだろう。だったら「科学」が発展するはずもない。
もっとも、ただジジイが貧乏だっていうだけかもしれないが。
俺の目の前に大きな馬車が砂煙を上げて止まった。大きな馬車だ。車体にはヒラヒラとレースのような物を纏っている。いかにもお金持ち専用、といった外観である。前方には、馬のような生き物が繋がれている。
「約束の商品を引き取りに伺った」
馬車から降りた男は言った。スーツのような衣服で全身きちんと身なりを整えたその男は、さながらどこかの執事のように見える。
いよいよ別れの時だ。
ジジイは憎いが、何日間も共に過ごせばなんとなく情がうつったような気がする。ストックホルム症候群か何かだろうか。
それにしてもジジイは、こんな場所で一人で暮らして寂しくはないのだろうか。
あんなにヨボヨボの爺さん、倒れちまえばそれっきり――
ジジイは男から受け取った紙幣を満足そうに眺め、嫌らしい顔をして枚数を数え始めた。
前言撤回。こういうタイプの人間は長生きする。心配した俺が馬鹿みたいだ。
「ああはい、コイツがその商品です! 煮るなり焼くなり好きになさってください!」
ニコニコしながらジジイはスーツの男に媚びへつらっている。
煮るなり焼くなりされてたまるか。
スーツの男は俺に値踏みするような視線を向ける。
「君が異世界から来た人間か?」
「ええ、まあ、はい」
俺は適当に答えた。
もうこうなったらあとはなるようにしかならない。とりあえず、飼い主が変な性癖でも持っていないことを祈ろう。
「乗りたまえ」
スーツの男は、馬車のレースのような幌を上げた。その動きはどこか芝居がかったように洗練されている。貴族に仕えているということは、俗にいう執事かなにかなんだろうか。
「ええと、じゃあお邪魔します」
その馬車に言われるままに乗り込む。座席はクッションのようにフカフカだった。
外見に負けず劣らず、中も豪勢な作りだ。
「では、これにて失礼する」
スーツの男も馬車に乗り込む。
馬車の外で、ジジイがなにやら叫んでいる。
「達者でな!」
人を売り飛ばしておいて何たる言い草だ。
「ふざけんな!」
俺は窓から身を乗り出して、ジジイに向かって中指を立てた。馬車が走りだし、少しずつジジイが遠のいていく。
ジジイは見えなくなるまで、それを不思議そうな顔で眺めていた。