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メイベル=ラスと黒い首輪

本編はこれでおしまいです


 地下室の片付けもそこそこに僕は猫と共に部屋に戻ることにした。


 もはや諦めたのか白い猫に戻ったメイベル=ラスが僕の後ろをてとてととついてくる。念の為に他の使用人に見つからないよう気を付ける。仮に見られてもまさか白猫(これ)が彼女だとバレることはないだろうが、猫に普通に話しかける僕があらぬ心配されては困るからな。


「しかし、どうやったら元に戻るだろうな」


 僕の質問に、引出しから器用に文字ブロックを引っ張り出すと、口で咥えて並べ始めた。子どもの頃に買って貰った物だが、今も研究に詰まると息抜きに使っているのだ。

 毎朝起こしに来るメイベル=ラスが僕の部屋の中をよく知っているのはわかる。それはわかるが、机の下の引出しの中の物まで把握しているとは驚きだ。ついでだから尋問の項目に追加しておくとしよう。




 それはともかく、並べられた文字を読む。


「なになに……し、ん、ぱ、い、む、よ、う、じ、き、も、ど、る」


 心配無用、じき戻る。か。


 どうやらメイベル=ラスにはこの現象の心当たりがあるらしい。


「じき、ってどれくらいだ?」


 時々前足を使いながらちまちまとブロックを咥えて並べていく猫。事情を知っていてもシュールな絵面である。


「に、さ、ん…に、ち」


 二、三日か。それならそう心配し過ぎることもないか。元々、家のと言うより僕付きのメイドだからいなくてもたいして家事回りに影響はないし。ちなみに一瞬間が空いたのは最初の「に」をまた運んだからだ。




 それから、三日経って。

 本当にメイベル=ラスは人間に戻った。




 その間の食事などは僕の物を部屋に持ち帰り与えていたのだが、猫にも色々あるらしく、時々こっそりいなくなってはまたいつの間にか戻って来たりしていた。

 サバンナのシマウマにも勝つパノラマな視力(推定)と、砂漠に落ちる針の音すら聞き分ける聴力(推定)を持つ僕の目を掻い潜るのだから、猫の身体能力というのは侮れないものだ。


 一度、探しに行ったら、遊びに来ていたテラワロス侯爵夫人に捕まったメイベル=ラスが危うくお持ち帰りされかけていた時は僕も焦った。慌てて、僕のペットだと告げたらなんとか解放してくれたが、かなり名残惜しそうにしていた。

 夫人の「猫ちゃんまたね〜」と文字通りの猫撫で声に、メイベル=ラスは僕に必死でしがみつきながら毛を逆立てていたが、何がそんなに恐かったのだろう。捕獲力か?




 改めて、メイベル=ラスの事情聴取。


 彼女が言うには、きっかけはやはり最初の事故らしい。


 あの時、部屋には多量の魔力が満ちていた。更にそれが無秩序に暴れてしまった。それは魔力許容量の少ないメイベル=ラスには凶器に等しく、余波だけで体内の魔力バランスが狂ってしまったのだ。


 そして、変化するようになった。


 この辺りの理屈は、正直この僕をしてもよくわからないのだが……要するに、きっかけがあると猫に変わってしまうようになったのだという。

 たいていは数十分から長くても数時間で元に戻るらしい。しかし、「ちょっと動揺した」なんてだけで一々変化してしまう状態で、よく今まで見付からなかったものだ。


 そう言うと、変化した時は出来るだけ僕の近くに来たから大丈夫だと返答があった。僕の近くにいると元に戻りやすいのだそうだ。

 その後も何かもごもご言っていたがよく聞こえなかった。毛皮…ではなく頬が赤く染めっていたが、専属メイドだからたいてい僕の側に居るわけだし、戻るタイミングにもあいやすいのだろう。




 しかし、いつまでのこのままの状態でいいわけもない。


 事故は今度で二度目。メイベル=ラスは、また魔力を浴びたせいで戻るのに長くかかったと言っていた。いつまた同じ事が起こらないとも限らない以上、慎重を期するに悪い事はない。僕は石橋を叩くより自分で鉄橋を架けるタイプなのだ。


 僕が考えたのは、彼女の魔力バランスを調整する魔道具を作ることだった。


 目立ち過ぎず、猫になった時も身に付けていて不自然ではない物を考えなければならない。服の類は猫になった時に身体に同化するようなのだが、魔道具もそうなるのかは安心出来ないからだ。




 それから数日。


 僕は一つの首輪をメイベル=ラスにプレゼントした。


 魔力を通しやすい黒い素材で作られたそれは伸縮性があり、変化しても危険な程締め付けるということはない。身に付けた者の魔力の乱れを察知して元の状態に戻す《形状記憶》の魔法陣を組みこんである。


 彼女は指輪が良かったようだが《形状記憶》はなかなか複雑な魔法なのだ。パスタをメモ代わりに出来る僕だから組むこと自体は出来るが、恐らく魔力に耐え切れないだろう。作っても良いが使い捨てになるぞと言ったら渋々だが諦めたようだ。


 渡した首輪を手ずから嵌めてやると、満更でもない顔をした。


 ベルトの部分は内側の魔方陣を隠すように黒い革で覆い、何かあった時に僕と共鳴するように黒い石を留め金に取り付けてある。

 しかし、首輪と言うだけあって、猫の時ならともかく人間の時に嵌めるのは少し問題がある。本人はあまり気にしていないようだが、出来るだけ外では見えないように注意しておいた。


 初めて試した方法だが、これが成功すればまた僕のミルフィーユより積み重なった功績にまた一つ層が増えることになるだろう。ついでに国会図書館の司書から残業の愚痴をトッピングされるくらい可愛いものだ。




 メイベル=ラスが首輪を付けてから一ヶ月。


 何度か調整を繰り返すうちに、最初のものより少し細くなり首輪っぽさが減ったことを考えても実験は順調に進んでいる。今ではちょっと見方を変えればチョーカーくらいには見えるかもしれない。

 動揺したくらいでは変化しなくなったし、たまに魔力を浴びてメイベル=ラスの容量が溢れてしまっても、黒い石から僕に魔力が流れることでメイベル=ラスの体内バランスは保たれている。




 しかし、様子を観察する為にこれまで以上に付きっきりになった結果、他の使用人たちから怪しい目線で見られるようになってしまった。


 かといって、僕たちの実践的実験がバレたのかと思えば()にあらず。


 もうすぐ、十六歳になる僕。貴族としてはそろそろ婚約者の一人もいておかしくない年齢だ。

 たいして、十七歳のメイベル=ラス。痩せっぽちだった少女は、小柄ながらすっかり女性らしくなった。明るく知的な光を宿す水色の瞳に映りたいと思っている男はきっと少なくないはずだ。


 さて、そんな二人が何処へ行くにも親密に寄り添っている。これはもう、噂になるしかないだろう。




「なぁ、メイベル=ラス」


「はい、なんでしょう?」


「変態貴族とはどういう意味だと思う?」


「美少女メイドに首輪を付けて連れ回す貴族のことではないでしょうか」




 やっぱりか。


 誰の事かは聞くまでもないな。最近、行く先々でこそこそとあまり好ましくない目で見られている気はしていたのだ。やっぱりそのせいか。


 それに、小さいとはいえ領地持ちな貴族で、魔術師として将来有望な僕が若い女性から避けられる理由など他には考えられない。外見だって、こう見えて着痩せするたちだから脱いだら結構あるんだぞ。あれだ、細マッチョというやつだ。あと、何よりもこの強さの象徴たる黒い髪と瞳は冷たそうに見えるかもしれないが僕の優しさは底無し湖より深いのだ。男らしさは優しいことだとムッシュだって言っていたではないか。僕はムッシュに会ったことはないが会えたら全力で握手をするぞ。




「なぁ、メイベル=ラス」


「はい、なんでしょう?」


「ナルシストってどういう意味だと思う?」


「実力のない者が思い上がることではないでしょうか」




 それは僕には縁のない話だな。




 とにかく、一ヶ月付きっきりで観察してきたおかげで検証も随分進んだし、いずれ首輪以外の方法も試してみることにしよう。そのすれば根も葉もない不名誉な噂などそのうち消えてしまうだろうから。


 メイベル=ラスをじっと見ると、視線に気付いた彼女がニコリと微笑んだ。

 艶やかな白い髪と柔らかな白い肌に、黒い首輪が驚く程馴染んでいる。馴染み過ぎて逆に違和感を感じる。早く外してあげなければ僕のゲシュタルトが崩壊してしまいそうだ。


 そうだ。

 次に試すのはあれ(・・)にしよう。


 万が一使い捨てになったって何度でも作り直せばいい。どうせ、これからもずっと側にいれば良いだけだ。




 水色の瞳に映りたいと願うのは、きっと、僕だって同じなのだから。

 

ここまで読んでいただきありがとうございました。あと一話、外伝で完結となります。

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