メイベル=ラスと謎の物体
まだまだ主人公のウザさはそんなものじゃない
何かおかしいと思い始めたのは何がきっかけだったろうか。
たとえ、針の穴にダーツで糸を通せるほど安定感ある僕であっても、実験の中にはどうしたって危険なものもある。そんな時は、メイベル=ラスにも側を離れているように指示していた。
実際、これは事件の前から変わっていない。あの事件は偶然が生んだ不幸な事故だったのた。
しかし、あれ以降、彼女の動きに変化があった。……ように思う。
表面的には以前と変わらず、素直に従って別の場にいるように見える。しかし、時々、いや、毎回だろうか、こっそりとついてきている。……気がする。
例その一、肩の後ろの人影がフラスコに映りこんでいた(振り向いても見えた試しはない)。
例その二、棚と棚の隙間から薄い水色の眼光が瞬きしていた(どう圧縮しても子ども一人入らない)。
例その三、高い書架の上から白い髪の毛が落ちてきた(登る道具を使った形跡はない)。
どれも、はっきりとした証拠があるわけではない。
だが、僕の灰色の脳細胞が囁くのだ。
「犯人はメイベル=ラスだ」と。
逆に
「メイベル=ラスでなかったらどうするのだ」と。
人影が、眼光が、髪の毛が、メイベル=ラスのものでなかったとしたら……。
どこぞの菓子パン以上に勇気と親友である僕であるから、お化けや幽霊などはまったく恐るるに足らない。
しかし、雨後の筍よろしくにょっきり伸びる「出る杭」である僕には当然ながら敵も多い。正面切って喧嘩を売る者はそういないが、裏から罠を張る者は枚挙に遑がない。当然、屋敷のセキュリティにもそれなりのものを用意している。
つまり、もし、犯人がメイベル=ラスでないとしたら、我が屋敷の誇る鉄壁のセキュリティをかいくぐる程の密偵や暗殺者に潜り込まれているということになる。
念を押して言うが、お化けや幽霊など僕には全く恐るるに足らない。けれども、このことを考えると心配で夜一人でトイレにもいけなくなりそうで困ってしまう。
僕はある賭けをすることにしてみた。
カジノのテーブルゲームで五つのサイコロを五十五回ゾロ目にするほど強運な僕をしても、この賭けはどう転がるのかわからない。それでも試す価値のある賭けだ。
ちなみにカジノでは途中から僕が何のゾロ目を出すかが賭けの対象になってしまって、後から胴元の勧誘を断るのに一番苦労した。
さて、その賭けとは。
ずばり、事故の再現だ。
場所は地下室。魔法陣もあの時と同じ物を使用する。そして、事前に誰も近付かないようしっかりと指示を出す。勿論メイベル=ラスも例外ではない。
ただし、扉の鍵はわざと掛け忘れておく。
果たして、壊れる運命を背負い、暁を滲ませながら画かれていく魔法陣。
意図したわけではなかったが、その儚さと芸術的なまでの美しさに、あの時と同じく魂が震える
そして………………崩れた!
ぐにゃりと歪む時空、溢れ出す魔力。
まさに同じ、まさに再現。
そう思いながら、半ば目的も忘れて眺めていたら、突然、更にぐっと歪みが広がった。
「なにっ!?」
どうやら少し感動しすぎたらしい。
生まれ落ちた瞬間にはアルカイックスマイルを習得していた鉄仮面の如きポーカーフェイスを持つ僕の唯一の弱点は、やはりこの高すぎる感受性か。
すっと片手を前に出し、改良版防御魔法を展開する。
当然ながら、あの時から成長している僕にとって、この程度の暴走を止められないわけもない。ただ、さっき思い出した目的『再現』という意味では残念な結果になってしまっただけだ。まぁ、幸い思惑がバレたわけではないし、またいずれ試せば良いだけの話か。
今のところ周辺に僕以外の人の気配は感じない。しかし、一応、念の為に声を掛けておくべきであろうか……大きな独り言だと思われない程度の声量で。
「メイベル=ラス、いるのか? いたら絶対こっちには近付く……っぶごふ!?」
視界の隅から何かが飛び出した。
飛び出した何かはその勢いのまま僕の腹にぶつかる。完全にガラ空きだったボディに重い一発を食らい、さしもの僕も一瞬息が詰まる。
なんだこの既視感。
昔と変わらず頑健な肉体を誇る僕であったが、如何せん、ぶつかってきた謎の物体は昔よりはるかに成長していた。ボロボロの痩せっぽちから年頃の女性へと変貌している物体。これはもうXとは呼べない。DXだ。
うっかり弾き飛ばされそうになったのを、なんとか持ちこたえる。踏み締めた足がびりびりする。
一方、DXはというと、崩れた魔法陣の真ん前に立ち塞がっている。僕から表情は見えないが、その背中には『意地でもどくまいぞ』という気合いが背負われている。
「ここは私にお任せ下さいです! ご主人様は逃げると良いのです!!」
DXことメイベル=ラスが叫ぶ。覚悟は感じるが悲壮感はない声をしている。僕を信用しているのか、いないのかよくわからない。
色々とツッコミたいことはあるが、とりあえず僕はさっさと防御魔法を組み上げることにした。部屋全体にみっちりと広げてしまえば、どんな現象が出るとしても最小限に食い止めることが出来るからだ。
しかし、現れたのは僕の予想もしないものだった。
いや、正確には、現れなかったのはだろうか。
しゅるしゅると甲高い音を立てて、盛り上がりかけた暴走魔力は、結果、盛り上がることはなかった。
その代わりに、目の前にあったメイベル=ラスの身体を一瞬で包み込むと瞬く間に凝縮し、小さな塊になって収束した。
僕の記憶が確かならば、塊はメイベル=ラスのはずだった。直前までその場所にいたのは他ならぬ彼女なのだから。
しかし、今僕の目の前にいるのは艶やかな白い毛皮と鮮やかな水色の瞳を持った……
「…………猫!?」
変化の魔法というものは存在する。
しかし、かなり高度な技術と相当な魔力を必要とする。無機物や小動物を対象にするならともかく、生きた人間を丸々、それも全く別の生き物に変化させるなんて聞いた事がない。まして、端から失敗させるつもりの魔法にそれだけの魔力を込めた覚えもない。
いくら数々の常識を覆し、日々国会図書館の辞典や図鑑を刷新させている僕の仕業といえども不自然だ。仕事が増え過ぎて、最近、司書官の白髪も増えたらしいとは風の噂だ。
「にゃぁお」
鳴き声にはっと顔を上げる。
そ知らぬ体で前足で顔を洗う姿は生まれつきの猫そのものだが、その間伸びした鳴き方はメイベル=ラスの話し方とよく似ている。ついでに言えば機嫌を伺うような上目遣いも。
「お前、メイベル=ラスだろう」
「にゃう?」
白猫は誤魔化すように目を逸らし尻尾を揺らすが、ピクピクと忙しない耳の動きがはっきりと自白を物語っている。
目は口程に物を言うというが、耳も目程に物を言うのだな。
「騙そうとしても無駄だ。僕にお前が見分けられないわけないだろう」
すると、白い猫が真っ赤に染まった。おかしいな、いつの間にまたトマトジュースを浴びたのだろうか。
とりあえず、猫のままでは会話が出来ない。
いくらこの世界の言語は殆どネイティブに使いこなせるマルチリンガルな僕であっても、さすがに猫語までは修得していない。これを機に習うのは吝かではないが、とにかく今は話せない。
「仕方ない。元に戻るまで事情聴取はお預けだ」
事情聴取の言葉に今度は赤が青に変わる。器用な毛皮だな。
サブタイトルを『メイベル=ラスと白い猫』にしようと思ったけど思い切りネタバレになるので止めました。結局同じ物を指してはいるんですけどね




