第18話 あまり浸かっていたくなかった
チートはこともあろうに、肥溜めに首まで浸かっていた。
もし、背中のヘマタイト棒がなければ、被害はもう少し下までで済んだのであろうが、あれよあれよと言う間に首まで沈んでいってしまった。
これが、池にでもハマったのであれば手を差し伸べて引っ張り上げればよいだけだが、チートは糞尿にどっぷり入っているのである。命の危険でもあれば別だが、おいそれと手を差し伸べたい状況ではない。
フェンリィが近くで拾って差し出した木の枝は、チートが右足をようやくふちにかけたところでお約束のようにぽっきりと折れてしまい、チートは再び中に尻から落っこちるという悲惨な目に会っている。
結局、シリアスが探してきた丈夫な蔓で引っ張り上げられるまで、チートはたっぷり30分(再突入分を含む)は浸かっていた。
その結果、当然ながら川の方へ追い立てられ、
「しばらく泳いできなよ。」
と、体ごと洗濯させられたのである。
森の中で食べた刻んだ山菜と川の水による冷却効果で、チートの内臓は相当のダメージを受けたようである。シュクバの街中を歩けるような状態ではなく、チートだけシュクバの街の外に放置&服を乾かすことになった。
そのため、街はずれの空き地で、チートは干し物の番をしている。
川での洗濯(?)のあと、服をファイアボール巨大版(ただし中の温度60℃)で乾かしたのだが、乾いてきたところで結構臭いがすることに気付いたので再度川で洗ったのである。
洗濯物を60~80℃くらいのファイアボールで覆うと早く乾くのだが、空気塊を同じ場所に維持するのも割と大変なので今は自分自身を温風で覆い、服は自然乾燥に任せている。
チートの災難はそんなことでは終わらない。日当たりも良く、体がようやく温まったチートがうとうとして……、
目が覚めたら洗濯物が消えていた。
引っ張ってもらった蔓にかけておいた上着はもちろん、自分のすぐそばに置いていたシャツと夕食代に銀貨1枚を入れた財布まで、きれいさっぱり見当たらない。ヘマタイト棒は少し引きずった跡はあるもののそのまま残っていたので、何者かが全部持って行ったと考えるしかなさそうである。
この世界、決して治安が良いわけではない。しかし、若造とはいえ巨大な棒を担いだ奴に絡んだりケンカを売ったりするのはリスクマネジメントを理解しない馬鹿者のすることで、繰り返しになるがアウトローとして終わっている。
だが、いかに危険そうに見える奴でも眠っていれば起こさない限り危険はない。犯人はチートが寝ている間に服と財布をかっさらっていったわけである。ヘマタイト棒も武器として使えれば持ち去られてしまったろうが、チートは普通に持っているとはいえ100kg近くあるただの岩石である。単に持っていけなかったのであろう。
さぁ困った。気配がないので犯人はすでに近くにはいないようだし、パンツ1枚でそうそう移動できない。街中を武器らしきものを持った裸の男が歩いていても誰も気にしないほどこの世界は安全ではない。つかまってしまったとき、身分を証明できるものをチートは持っていないのである。戦いになれば負けないと思うが、力が入らない程度には腹の調子が不十分であり、興奮して肥料の原料をまき散らすことにでもなれば新たな称号を手に入れることになりそうだ。
結論として、おとなしく縮こまって明日仲間が回収に来てくれるのを待つことにした。
チートが寝着いた頃、通りすがった女性がチートに気付き、筵を敷いて座り込み、チートの頭を膝に乗せて上着をかけてくれた。女性の知り合いらしい別の女性が声をかける。
「おや、ヨタカねぇさん、随分若いけどねぇさんの良い人かい?」
「いや、そんなんじゃないよ。道端で寝てたから気の毒でねぇ。」
「なんだい、どう見ても一文無しじゃないか、放っときなよ。」
「いや、でも王都では弟たちが世話になっただろうからね。」
「ふーん、あんたも物好きだねぇ。」
チートに親切にしてくれたのは、このあたりを縄張りとする街娼のお姉さんである。王都に弟がおり、うわさで勇者が金を巻き上げられたことを聞いて弟も恩恵にあずかったと判断したようだ。人相手の仕事ゆえ、転がっていたのが勇者であることに気付くとか、王都の情報を早くも入手しているとか中々に侮れない。
「ん……えっ?」
夜中、チートが気付くと、女の人の足の間に横たわり、後ろから抱きかかえられていた。頭の後ろには左右両方やわらかい感触がある。念のため述べておくとチートはほとんど裸であり、お姉さんはお仕事上1枚羽織っているだけ、つまり二人はお互いの体温が感じられるレベルでくっついているのである。
「あわわ、その、すみません。」
気付いてみたら、裸で女性とくっついていたのだ、そういった経験に乏しいチートが混乱するのも無理はない。
「いいの、気にしないで。そのまま寝てればいいから。」
「え、いや、あの、その……」
「ふふふ。」
ぎゅっと抱きしめられ、チートは混乱の極致である。
なにしろ、こっちに来て、相手から積極的に親切にされたのは初めての経験なのだ。ついでに、年上の女性から優しくされたのも初めてだったりする。
チートはどうしようかと思ったが、持って行かれるものはもうないし、このお姉さんではヘマタイト棒を運べないだろう。そう考えると、くっつかれて困ることはとりあえずないのだ。
「そんなに緊張しないで、ゆっくり疲れを取りなさい。」
「……はい……。」
チートは、混乱しつつも再度睡魔に屈したのである。
持って行かれる物は確かになかった。
しかし、失う物がなかったわけではないようだ。
「あの、チート様から女の人の匂いがぷんぷんするのですが?」
「で、銀貨がないのはどうしてかな?それに、服はどこにやったのかな?」
「若いのう。」
「チートさん、勇者様の信用低下はそのまま勇者パーティの行動を制限することになりかねませんので、慎重に行動していただきませんと。」
『称号:コプロフィリアの体現者 が増えたニャ』
朝、明るくなってからチートが起きると、もうすでに女性はいなくなっており、筵だけが残されていた。状況とフェンリィの証言から、チートが一晩中筵の上で女性と寝ていたのは疑いようのない事実である。
変な称号は夜の間に増えたのではないようだが。
「だから、違うって言ってんでしょ……熱い、センテラさん、熱いからやめて。」
「アンタのために消毒してあげてんのよ。」
「消毒しなけりゃいけないことなんてやってませーーん。」
結局、服は古着として売りはらわれていたのをフェンリィが見つけ(臭いを追って行ったものだが、おそらくフェンリィでなくとも発見できたと思われる)、銅貨2枚で買い戻した。当然、財布とその中身は発見できなかった。
チートは見つかった安堵感より、服の価格の安さと捜索中またも放置されたことに落ち込んでいた。