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第1話:静寂の教室と、放課後までの「隠蔽工作」

 その日、高校二年の佐藤は熱を出して休んでいた。

 午前十時。クラスのLINEグループの通知が数件、不気味な内容で止まった。

『床が光ってる』『え、なにこれ』。

 それっきり、クラスメイトからの返信はない。

 嫌な予感がして、佐藤はフラフラの体で学校へ向かった。

 校門に到着したのは、昼休みを過ぎた頃だ。校内はやけに静まり返っている。パトカーも来ていなければ、泣き叫ぶ親もいない。それが逆に、佐藤の背筋を凍らせた。

 二階、二年二組の教室。

 ドアを開けると、そこは「完璧な静寂」に支配されていた。

 教科書が開かれたままの机。主のいない制服の鞄。そして、主の消えた三十一脚の椅子。

「……なんだよ、これ」

 その時、廊下の向こうからドタドタと足音が響いた。

 現れたのは、学年主任と、見慣れないスーツ姿の男たち。横浜市教育委員会の役員たちだった。

「君、何をしている! 今日は欠席だろう、早く帰りなさい!」

 学年主任が、見たこともない形相で佐藤を追い出そうとする。

 その背後、校長室からは、低い、そして冷徹な声が漏れていた。

「……いいですか、校長。三時の下校時刻までに、この事態の『定義』を決めなければなりません」

 佐藤は主任を振り切り、校長室へ飛び込んだ。

 そこには、定年を控えて顔を真っ白にしている校長と、眉間を指で揉んでいる例の警部補。そして、デスクに書類を広げた教育委員会の役員たちがいた。

「刑事さん、何度も言いますが、これは『事件』ではありません。本市教育委員会の見解としては、これは二組による**『高度な集団ボイコット』**です」

 役員の一人が、感情のない声で言い放った。警部補が机を叩く。

「ボイコットなわけあるか! 監視カメラを見たろ! 魔法陣が出て、ガキどもは光の中に溶けたんだぞ!」

「いいえ、あれは光の反射による機材の故障、あるいは何者かによる高度なハッキング映像です」

 教育委員会の男は、手元のタブレットで「事故報告書」の雛形を表示させた。

「『魔法陣による消失』などという項目は、文部科学省の指導要領に存在しません。存在しない以上、報告書には書けません。書けないということは、この世に起きていないということです」

 校長が、震える声で補足する。

「そう、起きていないんだよ……。だから、保護者にもまだ連絡はしない。三時の下校時刻までに彼らが『戻ってこなかった』場合、我々はこう発表する。……『二組は急遽、校外でのボランティア活動を延長することになった』と。そうすれば、今日はしのげる」

「生徒三十人と教師一人を、ボランティア扱いで隠し通すつもりか!? 親が帰りを待ってるんだぞ!」

 警部補の怒号に、役員が冷たい視線を向けた。

「親が騒ぎ出す前に、この現象を『科学的、あるいは社会的に受理可能な理由』へ変換するのが我々の仕事です。校長、分かっていますね。このまま『異世界転生』などと認めれば、あなたの退職金はゼロ、この学校の評価は地に落ち、市議会で誰が責任を取るのかという泥沼の議論が始まります。……この街に、魔法なんてあってはならないのです」

 佐藤は、呆然と大人たちの会話を聞いていた。

 友達が消えた。先生が消えた。

 その事実よりも、**「どの項目で報告書を書けば自分の地位が守れるか」**という一点のみで、組織が動き出している。

「佐藤くん。君もだ」

 教育委員会の男が、佐藤に近づいた。

「君は今日、風邪で一日中寝ていた。何も見ていない。いいな? 君の口から余計な『オカルト』が漏れれば、それは虚偽流布として内申に響くことになる。……これは、君の将来のためだ」

 佐藤が何か言い返そうとした時、校長室の扉が開いた。

 先ほどの学年主任が、狂ったような笑顔で報告に来た。

「校長、各クラスの担任には『二組は特別研修中につき立ち入り禁止』と伝達済みです。三時のチャイムと同時に、二組の教室は『改修工事』の名目で業者に封鎖させます」

 警察の常識も、友情も、子供の命も、巨大な「教育組織」という歯車の中ですり潰されていく。

 警部補は、力なく胃薬を噛み砕いた。

「……イノシシの時より酷え。……なあ校長、お前、自分が何を言ってるか分かってんのか?」

 校長は答えない。ただ、窓の外を眺めながら、あと数時間で終わるはずだった平穏な「退職までのカウントダウン」を必死に守ろうとしていた。

 三時のチャイムが鳴る。

 まだ何も知らない他のクラスの生徒たちが、笑いながら下校していく。

 その影で、二組の教室のドアには「立入禁止」の黄色い看板が、事務的な手つきで掛けられようとしていた。

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