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第4話:ドライブレコーダーが映した『不条理(ファンタジー)』

 県警管轄の警察署、交通課のオフィス。

 深夜の静まり返ったフロアに、無機質な蛍光灯の白い光が降り注いでいた。

 パイプ椅子に座らされた男は、雨でずぶ濡れになった作業着から滴る水滴がリノリウムの床にシミを作っていくのを、ただぼんやりと見つめていた。暖房は効いているはずなのに、体の芯から這い上がってくる悪寒は一向に治まらない。

「……よし、再生の準備ができたぞ」

 パーテーションで仕切られたデスクの向こうから、若い巡査の声が響いた。

 男の前に置かれたデスクトップパソコンのモニター。そこに、トラックから押収されたドライブレコーダーのSDカードのデータが読み込まれていた。

 モニターを囲むように、胃の辺りを押さえている初老の警部補、鑑識の主任、そして数名の警察官たちが腕組みをして立っている。皆、一様に厳しい顔つきだった。

「いいか、運転手。この映像を見れば、お前がどこで被害者を撥ね、どうやって死体を隠したのか、すべてがハッキリする。嘘を吐いても無駄だぞ」

「……」

 警部補の低い声に、男は力なく頷いた。

 もう、どうにでもなれという絶望感しかなかった。映像には間違いなく、自分が高校生を撥ね飛ばす決定的な瞬間が映っているはずだ。

「再生しろ」

 警部補の合図で、巡査がマウスをクリックした。

 モニターに、見慣れたトラックの運転席からの風景が映し出される。雨粒を弾き飛ばすワイパーの『ギュッ、ギュッ』という音。薄暗い県道。

 そして、交差点の赤信号。

『――ッ!?』

『うそだろッ!!』

 スピーカーから、男自身の悲痛な叫び声が響いた。

 画面の中の横断歩道に、歩きスマホをしている高校生の姿が映し出される。

 プシュウゥゥッ! というエアブレーキの排気音。画面が激しくブレて、十トンのトラックが凄まじい勢いで高校生に迫っていく。

「……来るぞ」

 警部補がモニターに顔を近づけ、息を呑んだ。他の警察官たちも、目を背けたくなるような凄惨な事故の瞬間を見逃すまいと、画面を凝視する。

 トラックのバンパーが、高校生の体に触れる――その直前だった。

「……待て。一時停止しろ」

 突然、警部補が低く、しかし鋭い声で命じた。

 巡査が慌ててスペースキーを叩く。映像がピタリと止まった。

「どうしました、警部補?」

「……今、何か光らなかったか? コマ送りで戻せ。衝突の、コンマ一秒前だ」

 言われるがままに、巡査がキーボードを叩いて映像を数フレームだけ巻き戻す。

 カチッ。カチッ。

 その瞬間、モニターを囲んでいた全員の呼吸が止まった。

「……は?」

 誰かの口から、間の抜けた声が漏れた。

 一時停止された画面。トラックのバンパーが高校生に激突する、まさに数センチ手前のフレーム。

 歩きスマホをしていた高校生の足元のアスファルトに、あり得ないものが映っていた。

 それは、青白く発光する『幾何学模様』だった。

 円の中に複雑な多角形が描かれ、見たこともない古代文字のようなルーンが発光しながら回転している。

 どう見ても、アニメやゲームでしか見たことのない『魔法陣』である。

「……おい、なんだこれは。映像のバグか?」

「い、いえ……データは破損していません。次のコマ、いきます」

 カチッ。

 次のフレーム。

 足元の魔法陣から、強烈な光の柱が天に向かって立ち昇った。カメラのレンズがハレーションを起こし、画面全体が真っ白に飛ぶほどのまばゆい光。

 カチッ。

 さらに次のフレーム。光が収束する。

 そこに、高校生の姿はなかった。

 ただ、主を失ったスマートフォンと手提げバッグだけが、ふわりと空中に浮き上がり、重力に従って落下していく様子が映っていた。

 カチッ。

 そして、高校生が『消失』した直後の、光の残滓が漂う空間(あるいは何らかのエネルギーフィールド)に、十トントラックのフロントバンパーが激突した。

 目に見えない壁に衝突したかのように、FRP製のグリルが粉々に砕け散り、巨大な車体がバウンドして停止する映像。

「…………」

「…………」

 再生が終わった。

 静まり返った交通課のオフィスに、パソコンの冷却ファンの音だけが虚しく響いていた。

 沈黙。

 あまりにも長すぎる、そして重すぎる沈黙だった。

 警察官たちは、誰も口を開かなかった。いや、開けなかったのだ。

 自分たちが見たものを、脳が必死に処理しようとして、そして完全にエラーを吐き出していた。

 魔法陣? 光の柱? 人間の消失?

 警察学校でも、長年の現場経験でも、そんなものを処理するマニュアルなど存在しない。

「……おい、運転手」

 不意に、警部補が震える声で男を呼んだ。

 男が恐る恐る顔を上げると、警部補はワイシャツの胸ポケットから胃薬の瓶を取り出し、水も飲まずにボリボリと三錠ほど噛み砕いていた。

 その顔は、幽霊でも見たかのように青ざめ、頬が引きつっている。

「……お前、最近の動画編集アプリはすごいな。いつの間にこんな手の込んだ合成を……」

「合成なわけないでしょうが!!」

 男はたまらず立ち上がり、パイプ椅子を蹴り倒して叫んだ。

「俺はずっとパトカーの中にいたんですよ!? パソコンなんて触ってないし、そもそもそんな技術あるわけないだろ!!」

「だ、だがな! こんなふざけた……ファンタジーみたいな現象が現実にあるわけ――!」

「現実に起きたから言ってんだろうが!! だったら俺のトラックの凹みはどう説明すんだよ!! 鑑識のルミノール反応はどうなったんだよ!! カールとかいう犬はどうして座り込んだんだよ!!」

 男の魂の叫びに、鑑識の主任がハッとして手元の資料を落とした。

 そうだ。現場の異常な状況、血の一滴もない事実、警察犬の混乱。

 すべてが、この『ドライブレコーダーの魔法陣』の映像と、完全に、そして最悪な形で辻褄が合ってしまったのだ。

「……警部補」

 若い巡査が、泣きそうな声で言った。

「これ……ひき逃げでも、死体遺棄でもありません。……『異世界転生』、です」

「ふざけるなッ!! 始末書に『魔法陣で消えました』と書けというのか!! 本庁の連中に鼻で笑われて俺は左遷だぞ!!」

 深夜の警察署で、胃薬を握りしめた初老の刑事の絶叫が空しく響き渡った。

いかがでしょうか。ついに証拠が突きつけられ、警察のロジックが崩壊しました。

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