第94話 『リベンジ・カルボナーラ』
人生において、他の全てに優先される事というのは往々にしてあるものだ。
この場合、この自家製ベーコンで改めてカルボナーラをつくることに違いない。
シュタイン教授から譲り受けた貴重な卵とミルクを、他の料理で使い切ってしまう前に至高の……といえないまでもとにかく一皿を完成させる必要がある。
まな板の上に置かれたのは、ハンガー・ベイでいぶし上げたベーコンの塊だ。
できて間もない飴色に輝く表面からは、オーク材の芳醇で重厚な燻煙香が力強く立ち上っている。
それは、合成肉という無機質な素材が、熱と煙によって、木材の生気によって、命を 吹き込まれた証でもあった。
「アキト、今度はパスタ?」
ひょいとキッチンを覗き込んできたのは、鼻をひくつかせ、獲物を待つ小型動物のような目をしたミナだった。
「ああ。カルボナーラだ。でもな、このベーコンがあれば訳が違うぞ。……今回はリベンジだ」
俺はベーコンを贅沢に厚切りにした。 刃を入れるたびに、凝縮された脂の香りが弾ける。
冷たいフライパンにベーコンを並べ、弱火でじっくりと加熱していく。
凝縮された肉が熱を帯び、パチパチと爆ぜる小気味よい音と共に、透明な黄金色の脂がじわりと染み出した。同時に、キッチンいっぱいに暴力的なまでの燻製香が広がり、船内の無機質な空気を塗り替えていく。
「これだよ。この香りが、前回のカルボナーラには欠けていたんだ」
俺はボウルに卵を割り入れ、合成チーズを削って山盛りに加える。
自家製ベーコンの香りは極めて力強い。これほどのチーズを投入しても、その存在感が負けてしまう心配はしなくていいはずだ。
むしろ、この重厚な香りに立ち向かうには、これくらいのインパクトが必要だろう。
そこへ、少しのミルクを入れて伸ばす。
茹で上げた麺を戻し、ベーコンの脂がたっぷりのフライパンへ投入する。 ジュワッ! という快音と共に、麺が黄金色の脂を余さず纏っていく。
一度火を止め、フライパンの温度をわずかに落ち着かせてから、卵液を一気に流し込む。
ここからはスピード勝負だ。
余熱で卵を固めすぎず、かつソースとして完璧に乳化させる。
黒胡椒をこれでもかというほど挽き入れ、フライパンを軽快に煽る。
とろりとした黄金のソースが、厚切りベーコンと共にパスタに重厚に絡みついた。
まぁ、素材以外にたいした違いは無い。だが、その素材こそが全てだ。
これだけシンプルな料理でも、教授の元へ戻るまでは二度と作れないかもしれないんだ。
「よし、『カルボナーラ』完成だ。召し上がれ」
テーブルに並べられた皿からは、前回とは格段に違う食欲をそそる香りが立ち上っていた。
本式のカルボナーラではないが、俺たち日本人に馴染みのある、日本人の為のカルボナーラだな。
ミナとエマルガンドは、言葉を失ったように皿を見つめ、その香りに酔いしれている。傍らではルシアもまた、瞳に微かな期待の色を滲ませているように見えた。
「……いただきます!」
二人が一斉にパスタを巻き取り、口に運んだ。ルシアもまた、洗練された所作でフォークを動かす。
「――っ!!」
エマルガンドが目を見開き、そのまま固まった。
ミナは幸せの重みに耐えかねたように椅子に沈み込んでいる。
「……し、信じられません。これ、本当に同じ料理なんですか?」
エマルガンドが震える声で言った。
「あ、あの……前の時も美味しかったですけど、ぜ、全然別物です! この……お肉から鼻に抜ける煙の匂いが……卵とチーズを何倍にも美味しくしてて……! ほ、本当に……最高ですぅ……!」
「んんん〜っ! 噛むと脂がジュワッてして、燻製の香りが追いかけてくる! アキト、これ、前のと全然違うよ!」
ミナが耳を激しくバタつかせながら、夢中で二口目、三口目と食らいつく。
そしてルシアは、一口、また一口と丁寧に咀嚼した後、静かにフォークを置いた。
「……報告。味の構成要素が以前とは比較にならないほど複雑化し、高次元の相互作用を引き起こしています。……極めて、美味です。マスター」
俺も自分の分を啜り上げた。
……完璧といっていいだろう。
濃厚な卵のコク、チーズの塩気、記憶にある市販品とは別物の自家製ベーコンがもたらす圧倒的な「存在感」。 オークの燻煙香が、合成肉の単調な味に複雑な奥行きを与え、力強い一皿に変えていた。
皿はあっという間に空になり、キッチンには心地よい満足感と、名残惜しい燻製の余韻だけが残った。
別にいいかと何気なく出した食材が、実際は希少ではなかろうかと振り返って釣り合いを取るのが苦しくなってきた。誰がこんな宇宙にしたんだ。
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