第91話 『カルボナーラ風釜玉パスタ』
テクネ・プライムを出港し、マッコウクジラは自由貿易港『フリーポート・ノヴァ』へ向かう航路に入った。
到着まではまだ時間がある。
船内には、まだ居心地の悪そうな顔をして座っている新入り――エマがいる。
無理もない。いきなり環境が激変したのだ。
こういう時に必要なのは、気の利いた言葉じゃない。胃袋への直接攻撃だ。
「よし、エマの歓迎会を兼ねて、とっておきを使うぞ」
俺はキッチンに立ち、冷蔵庫から教授の餞別である『卵』と『ミルク』を取り出した。
貴重かつ鮮度維持フリーザーで長持ちするとは言え、食材でラストエリクサー症候群を発揮するなんてありえない。食材の価値は食われることにあるのだ。
「今日のメニューはカルボナーラだ」
俺は保存食庫から乾燥パスタを取り出した。
太めのロングパスタ――所謂『スパゲッティ』だ。
この世界のパスタは、熱湯に数分浸すだけで戻るインスタント仕様になっている。
お湯を掛けるだけのショートパスタなら現実にもあったからな。その延長線上といっていいかもしれない。
小麦の香りこそ皆無で、味も素っ気もない「炭水化物の成形物」。だが、その食感だけは妙にモチモチとしていて悪くない。
以前食った、ぶよぶよに膨れ上がった「焼きそば」とは雲泥の違いだ。
どうしてこうなってしまったのか。
ソースが別という二度手間が許容できない人間が、あのような惨状を生み出しているのだろう。
「麺はこれでいい。問題は……」
俺は冷蔵庫の奥を探ったが、あるのは以前の残り物である『合成肉のブロック』だけだ。
ベーコンはない。
というよりも、この世界の市場で『燻製肉』を見たことがない。かろうじてある加工肉はカサカサの乾燥肉くらいだ。
燻製は本来、煙に含まれる殺菌成分で保存性を高めるための技術だ。
だが、合成肉には細菌のリスクはおそらくないだろうし、保存技術も優れている。
ベーコンの香りを楽しみたいなら汎用合成食にしてしまえばいいわけだ。
結果、塩気の効いたスモーキーな香りという「食の快楽」もまた、効率化の波に飲まれて消え去ったわけだ。
「ないなら、工夫するしかないか」
俺はピンク色の均一な合成肉ブロックをまな板に置いた。
ただ焼いただけでは、ゴムのような食感と人工的な臭みが残るだけだ。
「まずは、徹底的に脂を絞り出す」
俺は肉を可能な限り細かく、賽の目状に刻んだ。
それを油も敷かずにフライパンへ放り込み、強火にかける。
ジュワジュワ……パチパチッ!
人工的な脂が滲み出し、自らの脂で肉が揚がっていく。
カリカリになるまで炒めれば、独特の臭みは飛び、スナックのような香ばしさだけが残る。
そこへ、岩塩と黒胡椒をこれでもかというほど大量に振る。
「疑似カリカリベーコンと言ったところか」
燻製の香りはないが、塩気と脂のパンチ力だけは確保した。
そこへ、戻しておいた熱々のパスタを投入。
ジュゥウゥッ!!
激しい音と共に、合成肉の脂が麺に吸われていく。
「火を止めて、ここからが本番だ」
俺はフライパンをキッチンを構成する金属板の上に置き、少しだけ温度を下げる。
布巾のようなものも必要だな、買い物リストに加えておこう。
さておき、ボウルに割り入れておいた『卵』に、これまた貴重な『ミルク』を少量加える。
卵だけでは熱で固まりすぎる。ミルクの水分と脂肪分で伸ばすことで、ソースにとろみが生まれ、パスタに絡みやすくなる。
よく溶いた卵液を一気に流し込む。
「チーズ、追い黒胡椒。躊躇なくだ」
余熱調理。
温度が高すぎればボソボソの炒り卵になり、低すぎればシャバシャバのままだ。
絶妙な温度帯で麺を煽り、卵液と脂とチーズ、そしてミルクを乳化させる。
とろりとした黄金色のソースが生まれ、麺に重く絡みついていく。
仕上げに、皿に盛り付け、さらに黒胡椒を振れば完成だ。
「お待たせ。即席『カルボナーラ風・挽肉の釜玉パスタ』だ」
湯気と共に立ち上る、チーズと卵の濃厚な香り。
黄金色に輝く麺の山が、食欲中枢を直接殴りつけてくる。
「んんっ……! 卵の匂いが、すごいです……!」
エマがフォークを握りしめてゴクリと喉を鳴らした。
俺たちも席につき、熱々のうちに麺を巻き取る。
「いただきます!」
ズルッ、と行儀悪く啜り込む。
その瞬間、口の中に濃厚な奔流が広がった。
「……ッ!」
濃い。圧倒的に濃い。
カリカリに揚げた合成肉の塩気と脂を、本物の卵が持つまろやかなコクが優しく、しかし力強く包み込んでいる。
大量の黒胡椒が良い仕事をしている。スパイシーな刺激が、燻製香のない物足りなさを力技でカバーし、次の一口を誘う。
生クリームなど使っていない。
ただ、卵とミルクの力だけで、ここまでリッチな味わいになるのか。
「おいしいですぅ……!」
エマが目を見開き、震える声で叫んだ。
「なんですかこれ、麺にソースがずっと張り付いて離れません……! 噛むたびに卵の味がして、お肉のカリカリがアクセントになって……!」
「ん〜っ! 最高! この合成肉、スナックみたいで美味しいね!」
ミナも口の周りを黄色くしながら、夢中で頬張っている。
ルシアでさえ、無言でフォークを動かす速度が上がっているのがわかる。
俺もまた、一口ごとに唸っていた。
やはり、「本物」の食材が持つパワーは桁違いだ。
たった一個の卵が、ジャンクさでごまかしてきた合成食を「料理」に変えた。
この満足感。胃袋の底から湧き上がる活力。
「……だが、やっぱり惜しいな」
俺は最後に残った肉の欠片を噛み締めながら、独りごちた。
「惜しい? こんなに美味しいのにですか?」
エマが不思議そうに首を傾げる。
「ああ。卵は完璧だ。工夫して作ったこの肉も悪くはない。だが……『香り』がない」
そう、燻製の香りだ。
スモーキーな風味が加われば、このカルボナーラはさらに化ける。
だが、前述の通り、この世界の市場には燻製肉が出回っていない。効率化の彼方に置き去りにされたロストテクノロジーだ。
「次の課題も見えたな」
俺は空になった皿を見つめて思案した。
「次の買い出しリストに項目追加だ。『燻製チップ』になりそうな木材、は無いか。……最悪、香りが付けられればそれでもいい。それに代わる『何か』を探すぞ」
「は、はい! 私、荷物持ちでもなんでもしますから、また作ってくださいね!」
現金なものだ。
だが、その笑顔が見られるなら、作る甲斐もあるというものだ。
腹も満ち、気力も十分。
マッコウクジラは減速を開始し、眼下には混沌とした自由貿易港『フリーポート・ノヴァ』の灯りが広がり始めていた。
イタリア人バチギレカルボナーラ。
最初はすっと出していましたが、そういえばベーコンってないかもと思って消滅した。
あとエマ、口調難しいよ。
面白かった、続きが楽しみ、と思っていただけたら「★」をポチッと!
アキトの明日の夕飯が少しグレードアップするかもしれません。よろしくお願いします!




