第90話 エマルガンドの憂鬱
テクネ・プライムの重厚なゲートから出航し、遠ざかっていく。
マッコウクジラは再び、冷たく暗い星の海へと投げ出された。
船内にはいつものメンバーに加え、一人の(不本意そうな)同乗者がいる。
「……はぁ。本当に乗っちゃったんですねぇ、私……」
サブシートで小さくなっているのは、白衣姿のエマルガンドだ。
彼女は離れていくコロニーをモニター越しに見つめ、深い溜息をついた。
「諦めろ。飯の保証はするし、部屋も個室を用意してやる。……そういや、教授から荷物が届いてたぞ。俺たちが手続きに行ってる間に運び込まれてたみたいだ」
「えっ、教授から……?」
俺は離陸前に搬入されていた保冷コンテナを指差した。
メッセージカードには、独特の癖のある筆跡で
『ささやかな餞別だ。有用に使いたまえ』
とある。
エマルガンドがおずおずと蓋を開けると、そこには厳重に梱包されたケースが二つ入っていた。
ケースの中身を見て、俺は口笛を吹いた。
「……へえ。気が利くじゃねえか、あの爺さん」
そこに鎮座していたのは、あれほど貴重だと言っていた卵とミルクだった。
「そういや、これってどういう仕組みなんだ? 前に聞いた時は詳しく突っ込まなかったが……細胞を培養してるとかか?」
俺が尋ねると、エマルガンドは首を横に振った。
その表情が、研究者のものに切り替わる。
「いえ、細胞培養とはアプローチが異なります。あれは『生体模倣』の極致というか……鶏の卵管や牛の乳腺が行っている『成分の合成と分泌』のプロセスそのものを、化学的かつ機械的に模倣して再現したプラントです」
「……なるほど。生き物を使ってるわけじゃないのか」
「はい。あくまで『装置』から出てくる生成物です。コロニーで生きた家畜を維持するコストは天文学的ですから。水に飼料、排泄物処理に疫病リスク……それらをクリアしてまで『本体』を飼うのは、エネルギー収支の観点からあまりに非効率で割に合いません」
エマルガンドはすらすらと解説した後、ふにゃりと眉を下げた。
「……卵とミルクの再現だけでも、すっごく大変だったんですよぅ」
なるほど。つまり、牛乳が出る蛇口と、卵を産む機械があるようなものか。
肉は望めなさそうだが、卵とミルクが手に入っただけでも御の字だ。
俺はコンテナを拝むようにして、フリーザーへと仕舞い込んだ。
◇
「さて、それじゃあ部屋の登録を済ませるか。ルシア、空いてる個室を頼む」
「了解。居住区画、B-4ルームを割り当てます。セキュリティレベル、ゲスト権限からクルー権限へ昇格」
ルシアが手際よく端末を操作し、エマルガンドのIDを船内システムに登録していく。
「あ、あの……」
登録作業中、エマルガンドがもじもじと手を挙げた。
「なんです?」
「その……名前なんですけど。……『エマ』で、お願いしますぅ」
「エマ?」
「はい。エマルガンドって、長いですし……呼びにくいでしょうから。これからは一緒に生活するわけですし、そう呼んでくださいぃ……」
彼女は少し恥ずかしそうに頬を掻いた。
「了解だ。じゃあ、エマ。これからよろしく頼む」
「よろしく、エマ」
俺とミナが声をかけると、エマルガンド……いや、エマは少しだけ表情を緩めた。
「は、はい。……足手まといにならないよう、頑張りますぅ。あと、美味しいご飯、期待してますから……」
どうやら、胃袋の契約は有効らしい。
「任せとけ。……さて、それじゃあ最初の目的地だ」
俺はナビゲーションマップを開いた。
帝都への旅路は長い。
まずは体制を整え、長期航海に必要な物資を揃える必要がある。
「初っぱなから少し寄り道だが、まずは『フリーポート・ノヴァ』へ向かう。エマの家具も必要だしな」
「えっ、わ、私の家具ですかぁ……? そ、そんな、お構いなくぅ……私なんてコンテナの隅っこでも……」
エマルンガルドは恐縮してブンブンと手を振るが、流石に教授の代理人を倉庫で寝起きさせるわけにもいかない。
「フリーポート・ノヴァ。……肯定します。あそこならば、生活物資から希少な資材まで、大抵のものは揃います。前回同様の配送依頼も受注可能です」
ルシアが淡々と補足する。
「ああ。前回同様、いくつか仕事を受けて路銀を稼ぎつつ、物資を補給する。稼げる時に稼いで、満載にしてから帝都を目指すぞ」
俺はスロットルを押し込んだ。
身軽になったマッコウクジラはスムーズに加速していく。
助手もあの教授の助手なので、ちゃんとやるときはちゃんとやれます
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