第87話 魔女と賢人は手を取り合って踊る
結論から言えば、心配していた検問は拍子抜けするほどあっさりと終わった。
テクネ・プライムの裏口にあたる廃棄物搬入ゲート。
警備ドローンからのスキャン波がマッコウクジラを洗ったが、警告アラートは一度も鳴らなかった。
ザイドがくれた「最適化パッチ」が劇的な効果を発揮したのか、それとも単に担当官が居眠りをしていただけなのか。あるいは、シュタイン教授の裏工作が効いていたのか。
いや、そもそもこのコロニーの重鎮であるシュタイン教授を乗せて、正式な『調査任務』で出航した船だ。それを帰港時に厳しく疑うこと自体が、土台無理のある話だったのかもしれない。
真偽は定かではないが、とにかくマッコウクジラは「ただの運搬船」として、堂々とゲートを通過した。
そうして案内されたのは、一般区画よりも遥か深く、地殻プレートの隙間に作られた非公開の地下ドックだった。
「……相変わらず、趣味の悪い場所だね」
薄暗いドックに船を着底させ、ハッチを開ける。
そこは、オイルとオゾンの匂いが混じり合う、巨大な実験場のようだった。
無数のアームが天井から垂れ下がり、壁面には解析用のモニタがびっしりと並んでいる。
「荷下ろし開始。……重いから気をつけろよ」
俺は牽引ビームの出力を最大にし、マッコウクジラの胃から『庭師』を引きずり出した。
全長150メートルの鉄の巨人が、ズズズ……と重苦しい音を立ててドックの床に横たわる。
その瞬間、ドックの照明が一斉に明度を増した。
どこからともなく、甘く、それでいて金属的な刺激を含んだ香りが漂ってくる。
紫色の煙だ。それがゆらりと揺らめきながら、闇の奥から流れてくる。
「……ふふ。まさか、本当に持ってくるなんてね」
カツカツと、硬質なヒールの音が響く。
紫煙の向こうから現れたのは、透けるようなラボコートを羽織った妖艶な美女。
以前と変わらぬ、作り上げられた美しさと、底知れぬ光を宿した瞳。
彼女は細長いキセルのようなデバイスを口元から離すと、ふわりと煙を吐き出した。
『機工の魔女』こと、ヴァーナだ。
彼女はマッコウクジラには目もくれず、真っ直ぐに『庭師』の元へと歩み寄った。
「久しぶりだね、ヴァーナ君。元気そうで何よりだ」
教授がタラップを降りながら声をかける。
ヴァーナはチラリと教授を見やり、艶っぽく笑った。
「相変わらずね、シュタイン。……で、これが『例のブツ』?」
彼女は『庭師』の巨大なキャタピラに手を触れた。
冷たい鉄の感触を確かめるように、愛おしそうに撫でる。
「『第3世代・自律型テラフォーミング重機』……。あの時は、指をくわえて見送るしかなかった『夢』が、今ここにある。……ゾクゾクするわ」
その瞳は、恋人を見る目よりも遥かに熱く、そして危険な光を帯びていた。
「中身の方はどうかね?」
「完璧よ。外装の劣化は激しいけれど、コアシステムは生きている。稼働させるには難があるでしょうけど、私たちの目的はそうじゃない、でしょう?……さあ、始めましょうか」
ヴァーナが煙管デバイスを口にくわえ直し、パチン、と指を鳴らした。
瞬間、天井から吊り下げられていた無数のアームと、待機していた数十機の小型ドローンが一斉に起動した。
まるで一つの生き物のような統率された動きで、『庭師』の装甲に取り付く。
チュイイイイイイン!!
高出力レーザーカッターが火花を散らし、分厚い複合装甲の必要な部分だけを着実に、丁寧に切り裂いていく。
「す、すごい……!」
その光景に、ミナが声を上げた。
彼女のネズミ耳が、興奮で激しくパタパタと動いている。
「あのドローンの連携……全部独立制御じゃない、一つのクラウドAIで群制御してるんだ。ナノ秒単位の遅延もない……変態的なまでの最適化……!」
技術屋の血が騒いだのだろう。ミナは思わず一歩踏み出した。
「あの、私、手伝います! 私、古い規格の構造なら詳しいんです……!」
「あら」
ヴァーナは手を止めず、視線だけでミナを見た。
紫色の瞳が、面白がるように細められる。そこには、子供の無邪気な申し出を愛でるような、圧倒的な年長者の余裕があった。
「元気なお嬢さんね。でも、結構よ。――これは私の『楽しみ』なんだから。指一本触れさせないわ」
「う……」
「それに、あなたのその可愛い耳じゃ、ここのノイズは少しうるさすぎるわよ?」
ヴァーナが優雅に指揮棒を振るうように指を動かすと、ドローンたちが加速し、轟音と共に装甲板を引き剥がした。
圧倒的な技術力の差と、有無を言わせない拒絶。
ミナは「むぅ……」と頬を膨らませ、パタリと耳を垂らして俺の後ろに隠れてしまった。
「……摘出完了」
数分後。
抉じ開けられた『庭師』の胸部から、アームに掴まれたユニットが引きずり出された。
自律観測ユニット。
この機体が長い年月をかけて収集した土壌データ、そして「何を食ってどうエネルギーに変換したか」という運用ログが詰まった心臓部だ。
「ほう……。これが『悪食』の記憶装置か」
ヴァーナはユニットを受け取ると、まるで宝石を鑑定するように光にかざした。
「可能な限りの有機、無機を超高効率で分解し、エネルギーへと変換する『生体融合炉』の稼働データ。……これがあれば、あの『理論』は次の段階へ進めるわ」
「ああ。『新規生産』は御法度だが……こうして偶然『拾った』遺物を調べる分には、何ら問題はないだろう?」
二人の天才が、視線を交わして笑みを深める。
だが、教授はふと真顔に戻ると、帰り支度を始めていた俺の方を向いた。
「アキト君。……少し、話がある」
教授の手には、摘出したばかりのユニットが握られている。
「この『庭師』のデータ……。若い頃の私とヴァーナ君は、ただ純粋に、未知のテクノロジーとしてこれを研究したいという欲求しか持っていなかった。子供が身近な機械を分解したがるのと同じだ」
教授は自嘲気味に笑い、そして鋭い眼光を俺に向けた。
「だが、今は違う。このデータがあれば、そして……君という『特異点』がいれば、ただの願望ではなく、確かな推測に基づいた計画を立てられる」
「計画?」
「そうだ。豪華客船に乗るような、醜く不完全な環境シミュレーターとはわけが違う。この銀河の歪な食糧事情、そして君が追い求める『本物』の味……。それらの根源に迫るための実験だ」
教授はニヤリと笑い、手を差し出した。
「どうだね。君も一口、この『計画』に乗ってみないか? 悪い話ではないはずだ」
俺は教授の顔を見た。
そこにあるのは、マッドサイエンティストの狂気ではない。もっと理知的で、明瞭な計算に基づいた「確信」があった。
俺は少し考えてから、肩をすくめた。
「……内容によりますね。俺の仕事は運び屋で、趣味は料理だ。その二つに益があるなら、話くらいは聞きましょう」
「ふふ、それでいい。……詳しくは、美味い茶でも飲みながら話そうじゃないか」
鉄の巨人の前で、俺たちは新たな契約の握手を交わした。
さてはて。
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