第85話 黄金色の自家製ツナ
テクネ・プライムへの到着までは、まだしばらく時間がかかる。
俺はキッチンの『鮮度保持フリーザー』を開け、溜息をついた。
そこには、まるで切り出したばかりのような鮮紅色のブロックが、テトリスのゲームオーバー画面のように隙間なく、ミチミチに詰め込まれている。
『スター・ツナ』。
以前手に入れた巨大魚の柵だ。
これでも「入り切る分だけ」に厳選したのだ。だが、解体して柵取りしただけでも、このフリーザーを埋め尽くすには十分すぎる量だった。クラス3の鮮度保持機能のおかげで、霜一つなく、釣りたての輝きを維持しているのが逆に恨めしい。
「……贅沢な悩みだが、限界だな」
ここ数日、俺たちの食卓にはこのスター・ツナが並び続けている。
刺身、タタキ、漬け丼、カルパッチョ。
さらにカレーの具にしたり、蕎麦の出汁に合わせてみたりとバリエーションは尽くした。
どれも絶品だ。味に文句はない。
だが、どれだけ美味い高級食材でも、毎日毎食続けばそれは「ルーチン」になる。
脳が味に慣れ、最初のひと口目にあった「感動」が摩耗していく。それは食に対する冒涜であり、俺のポリシーに反する。
「同じ味を繰り返せば、人は飽きる。飽きは感動を殺す」
俺はフリーザーから巨大なブロックを一つ引き抜き、決意を固めた。
この大量の在庫を消費しつつ、食卓に「変化」をもたらすための工夫を凝らす必要がある。
「……よし。仕込みをするぞ」
「仕込み、ですか?」
ルシアが小首をかしげる。
「ああ。今日はこれを使って、『ツナ』を作る」
「ツナですか?」
ルシアが怪訝な顔をする。
「缶詰にする機械はないが、保存容器ならある。オイルで煮込んで、旨味を閉じ込めるんだ」
俺は解凍したスター・ツナの柵に、たっぷりの塩を擦り込んだ。
浸透圧で余分な水分と臭みを抜くのだ。
三〇分後、浮き出た水分をキッチンペーパー――のようなもの――で丁寧に拭き取り、まとまった大きさのぶつ切りにする。
それを耐熱性の保存容器に、隙間なく詰めていく。
「ここに、香辛料を投入する」
俺はスパイスの袋を開けた。
乾燥ニンニク粉末、粒胡椒。そして数種類のハーブ。
それらを肉の隙間に散りばめ、最後に、合成食用油をたっぷりと注ぎ込む。
トクトク、と心地よい音を立てて、黄金色の液体が赤い身を飲み込んでいく。
「……綺麗ですね」
ルシアが呟く。
容器越しに見るその光景は、まるで標本のようであり、あるいは宝石箱のようでもある。
「ここからが本番だ。低温でじっくり、揚げるのではなく『煮る』んだ」
俺は容器ごと湯煎にかけ、八〇度に保ったお湯の中に沈めた。
コンフィ。フランス料理の保存技術だ。
高温で揚げれば身はパサパサになるが、低温の油で長時間加熱することで、しっとりと柔らかく、保存性も高まる。
鮮度維持フィールドがある以上保存性はさほど関係が無いが、何より、こうして火を通しておけば、生のスター・ツナとは全く別の食材として生まれ変わる。
これで「飽き」との戦いは俺の勝ちだ。
一時間後。
キッチンには、ニンニクとハーブ、そして魚の脂が溶け出した芳醇な香りが充満していた。
「……ふむ。食欲を刺激する、実にいい香りだ」
いつの間にか、シュタイン教授が背後に立っていた。
その後ろには、鼻をひくつかせるエマルガンドとミナの姿もある。
「教授、いつの間に」
「旨いものの匂いがすれば、研究者はどこからともなく現れるものだよ」
教授の手には、ちゃっかりとワイングラスが握られている。中身は……間違いなくアルコールだろう。準備が良すぎる。
「ちょうど出来上がったところですよ。自家製ツナの完成だ」
俺は湯煎から保存容器を取り出した。
オイルの中で、スター・ツナの身は淡い桃色に変化している。
まだ熱いが、我慢できない。味見だ。
俺はフォークで、一番上の塊を一つ突き刺した。
ホロリ。
何の抵抗もなく、身が繊維に沿って解れた。
硬い合成肉のような反発は一切ない。まるで花びらが散るように、優しく、柔らかく、美しく崩れる。
「……っ」
そのまま口に放り込む。
噛む必要すらない。
舌の上で繊維がほどけ、その隙間から、オイルのコクと凝縮されたスター・ツナの旨味がジュワリと溢れ出した。
「熱っ、うまっ……!」
塩気は絶妙。ニンニクのパンチとハーブの清涼感が、魚特有のクセを完全に消し去り、純粋な「旨味」だけを際立たせている。
これは「魚」であり、「肉」であり、そして極上の「脂」だ。
「……ほう。見た目はただの肉塊だが、その繊維の解れ方は興味深いな」
教授が眼鏡の奥で目を細める。
「いいでしょう。味見といきますか。……ルシア、保存庫から『クラッカー』を持ってきてくれ。それと、マヨネーズだ」
◇
食卓には、あり合わせのパーティ会場が出来上がっていた。
保存食特有の、パサパサとして味気ない合成クラッカー。
その上に、ほぐした自家製ツナを乗せ、少量のマヨネーズと黒胡椒を振る。
たったそれだけ。
だが、その相乗効果は劇的だ。
「んんぅ~っ!」
ミナが頬を押さえて悶絶している。
ネズミ耳が激しくパタパタと羽ばたいているのは、美味しさの許容量を超えた証拠だ。
「すごい……このクラッカー、いつもは口の中の水分を全部持っていくのに、ツナのオイルを吸って……すごくジューシーになってる!」
「……悪くない」
教授はツナを乗せたクラッカーを優雅に口に運び、続けてグラスの液体を流し込んだ。
「脂の重さをアルコールが洗い流し、鼻腔に香草の余韻が残る。……計算された味だ」
満足げに頷く教授の横で、エマルガンドも「おいしい、おいしいですぅ」と涙目で咀嚼している。
「これが『コンフィ』という調理法だ。本来は保存食を作るための技術だが、味も一級品になる」
俺は次々とクラッカーを作りながら、ルシアを見た。
彼女は、自分の分のクラッカーをじっと見つめ、慎重に口に運んだ。
サク、という乾いた音。
その直後、彼女の瞳の光が、わずかに揺らいだ。
「……評価。筋繊維の軟化レベル、及びオイルとの乳化率……共に完璧です。極めて、美味です」
多くは語らない。
だが、そのフォークが流れるような動作で次の一枚へと伸びたことが、何よりの証拠だった。
「よし、残りは保存容器へ。ツナサンドにツナパスタ、ツナサラダ……夢が広がるぞ」
保存容器の中に並んだ、黄金色のオイルに浸る薄い桃色の宝石たち。 航海を彩る、最高の常備菜だ。
……もっとも、このペースで彼らが食べ続ければ、保存する前に胃袋へ消えてしまいそうだが。
手順を書き起こすと市販品のありがたみが身に染みますね。
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