第80話 巨大眼球のオペと空白のレシピ
下層区画での「油蕎麦」布教活動を終え、俺たちはマッコウクジラへと帰還した。
心地よい疲労感はあるが、休んでいる暇はない。
キッチンには、まだ片付けていない「最大の大物」が鎮座しているからだ。こいつを調理せずに次へ進むなどありえない。
「社長! 解体用ツール一式、できてるよ」
カーゴルームから、オイルの染みたツナギを着たミナが飛び出してきた。
彼女が引きずってきたワゴンには、料理道具とは呼べない凶悪な機材が積まれている。
一つは、電源を入れれば先端が微細に振動する大型のナイフ――いや、『高周波振動ブレード』。形状が包丁、というか牛刀や筋引きに近いだけで、誂えを整えれば武器としても一級品だろう。
もう一つは、太い注射針のようなパイプがついた『内圧ドレインユニット』だ。これはすごいポンプと思ってくれていい。
「よし。役者は揃ったな」
俺はコックコートをまくる……ようなことは無く、パイロットスーツでキッチンの中央に鎮座する直径80センチの「眼球」と対峙した。
戦闘用であるこいつが一番汚れに強いのだ。気分は料理というよりも実験、執刀だな。
「ルシア、スチコンの予熱を頼む」
「設定完了しています。庫内温度55度、湿度100%。第一工程の準備中です」
「ミナ、ドレインユニットの接続頼む。爆発させるなよ」
「任せて。 内圧センサー同期、吸引開始!」
ミナが眼球の側面、視神経の通っていた穴にドレインを突き刺す。
ブーン……という低い駆動音と共に、透明なタンクに液体が吸い出されていく。
眼球内部を満たす高密度ゲル――『硝子体』だ。
驚くほど透明で、ほのかに甘い香りがする。
「……成分分析。純度の高いアミノ酸水溶液と、コラーゲン前駆体です。これだけで極上のスープになるでしょう」
ルシアの報告に、俺は頷く。
内圧が下がったことで、パンパンに張っていた眼球が少し弛んだ。
ここからが本番だ。
「メス」
「これのこと?」とミナに言われながら振動ブレードを受け取った。
悪いな、ちょっと言ってみたかったんだ。
スイッチを入れると、キィィィン……という蚊の鳴くような高音が手に伝わる。
俺は眼球の外周を真っ二つに横切るように刃を当てた。
普通の包丁なら弾かれるほどの強靭な外殻が、豆腐のように音もなく切れていく。
熱で肉を焼かないよう、摩擦熱が発生しないギリギリの速度で刃を走らせる。
パカッ。
眼球が上下に割れ、中から巨大な水晶体と、それを支える毛様体筋、そして美しいゼラチン質の層が露わになった。
「うわぁ……。グロテスクですけど、なんか綺麗ですね……」
エマルガンドが恐る恐る覗き込む。
水晶体は教授へ譲渡済みだ。実験材料になるらしい。そういえば彼は生体工学の教授だった。
そして、俺が用があるのは、その周りの肉とゼラチンだ。
俺は眼筋をブロック状に切り出し、ゼラチン質と共に『岩盤茸』の戻し汁と醤油もどき、合成酒、合成砂糖で作ったタレに漬け込む。
それをミナが作った特大の真空パック袋に入れ、空気を抜く。
「よし。スチコンへ投入!」
ずっしりと重いパックを、スチームコンベクションオーブンの棚に滑り込ませる。
「第一段階、低温スチームによる臭み抜きとタンパク質固定。その後、85度での本加熱へ移行します。……全工程終了まで、38時間」
ルシアがパネルを操作し、タイマーをセットした。
静かな稼働音が響き始める。
「長丁場だな」
38時間。丸一日と半日だ。
ただ船内で待っているには長すぎる。
「……よし。煮込み時間は自由行動だ。せっかく手に入れた『権利』を使わせてもらうとしよう」
俺は懐から、『蜘蛛』に貰ったカードキーを取り出した。
オアシスの裏市場における『最優先取引権』。
これがあれば、一般人が立ち入れない会員制のエリアに入ることができる。
◇
オアシス最深部。
表の喧騒が嘘のように静まり返った、会員制のブラックマーケット。
そこには、正規のルートでは流通しない希少な素材や、旧時代の遺物、表沙汰にできない様々な物品が並んでいた。
俺は教授と共に、とあるジャンク屋のショーケースを覗き込んでいた。
そこに、奇妙なデータスレートが陳列されていたからだ。
「……なんだこれ? 『未定義構造体生成プロトコル』?」
俺が首を傾げると、覗き込んだシュタイン教授が「ほう」と声を上げた。
「これは……『ブランク・スレート』じゃないか。レプリケーターの開発者用キットだぞ。通常は軍や一部の企業しか持っていない代物だ」
「開発者用?」
「ああ。レプリケーターの生成物を1から設定できる禁制品だ。やりようによってはなんでも作れてしまうからな」
教授の言葉に、俺の脳内で電流が走った。
1から設定できる。
つまり、今まで「均一なスポンジ」にしかならなかった合成デンプンを素材に、分子結合や構造をいじることで、小麦粉や片栗粉のような特性を持った粉末を作ることも可能なのではないか?
「……おい、嘘だろ。これがあれば……作れるのか? 『小麦粉』や『片栗粉』の代用品が」
これまで俺を苦しめてきた最大の問題。それは「粉」の不在だ。
つなぎがないからハンバーグは固まりきらず、揚げ物の衣は作れず、麺は十割に頼るしかなかった。
特に小麦粉は小麦特有の香りのないものになるだろうが、それでも話は全く変わってくる。
「ふむ。私は『小麦粉』や『片栗粉』という食材そのものを知っているわけではないが……」
教授は顎を撫でながら、分析的に述べた。
「君が求めている粘りや食感――それはおそらく、真性作物から古い手段で生産された穀物粉が持つ『不均一性』に由来するものだろう。粒子のサイズ、デンプンの結晶構造、それらが不揃いであるがゆえに生まれる物理的特性だ。」
「完全に均一な物質精製を行うレプリケーターでは難しいだろう。機械工学は全くの専門外だが、大幅な改造を行えば或いは、といったところかもしれん」
「可能性は……あるのか……」
「だが、それを実現するには極めて複雑で高度な調整が必要になる。レプリケーターの改造を行うメカニックと、ブランク・スレートの設定を行うシステムエンジニアの両方が必要になるだろう」
メカニックは……ミナならやってくれそうだ。問題はシステムエンジニアの方だな。
「……ヴァーナじゃ駄目か? あいつも天才だろ」
俺は『機工の魔女』の顔を思い浮かべた。
「彼女の専門領域はあくまでセンサー、観測データに関するものだ。テクネ・プライムはハードウェアに特化した研究コロニーだからな」
教授は肩をすくめた。
「……つまり、人材不足か」
俺はため息をついた。
宝の地図は見つけたが、それを読み解く航海士がいない状態だ。
「まあいい。買っておこう。いつか役に立つ」
俺は薄くなっている財布から大金を払ってスレートを購入した。必要な出費だ。
いつか、この空白のレシピを埋めることのできる仲間に出会えることを祈って。
◇
船に戻った頃には、スチコンのタイマーは残り数時間となっていた。
キッチンには、濃厚なゼラチンの甘い香りが充満している。
「おかえりなさい、社長! 何かいいものあった?」
留守番をしていたミナが駆け寄ってくる。
「ああ。今はまだ使えないが、とんでもねえ宝の地図を手に入れたぞ」
俺はブランク・スレートを船長室のスキャンの効かない秘匿コンテナにしまった。禁制品らしいからな。
これで「カツ丼」や「天ぷら」への道が拓けたかもしれない。
だが、それは未来の話だ。今は目の前の「大物」を片付けなければならない。
38時間の長旅を終え、スチコンが静かに完了のアラームを鳴らした。
俺は扉を開ける。
蒸気と共に溢れ出したのは、体感したこと無いほど凝縮された旨味の香りだ。
まずはこれを食って、これからの道のりの糧としようじゃないか。
教授、禁制品を全く止めない。
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